どっどっどっどっ。

廊下から聞こえてくる鈍い足音を、トンはよく知っていた。
ソファに座り、愛読書の『もものかんづめ』(さくらももこ著)を
読んでリラックスした時間を過ごしていたトンは、
その音をさして気に留めなかった。
しかして足音はチームルームの前で止まる。

がちゃり。

「ねぇねぇトン、ヤシガニ持ってないあるか?」
「んー、いくら僕でもヤシガニは持ってないなぁ」

ドアを開けて入ってきたのは、ホワァンだった。
光蠍のエースの天然ボケにいち早く慣れてしまったトンは、
本から顔を上げもしない。

「なに、何か作るの?」
「そうある。ポンとリーチの為に作るある!」

…ヤシガニをつかって?

「なにを?」
「プリン!」

無理。




おたんじょうびのうた。




《ヤシガニ》
オオヤドカリ科ヤドカリ類、成体は貝殻に入らない。
甲長は約15cm、体重は一キログラムを超す。身体は黒褐色で
頭胸甲は後部両側がふくらみ、腹部は丸まって背甲は堅い。
第1歩脚だけでなく、第4、5脚もはさみを持つ。成体は完全に陸生で、
日中は穴の中で過ごし、夜間ココヤシやタコノキに登って果実を食う。
日本では与論島以南に分布している。
八重山の方言では「まっこん」または「まっかん」という。
肉よりも、腹の部分にある味噌が辛くて美味い。
肉にこの味噌を付けて食べたり、たっぷりの味噌をご飯に
乗っけたりして食べる。
ただし、ヤシガニの食べた木の実によっては
中毒することがあるので気をつけなければいけない。

ただしヤシガニは本編と関係がない。


人々の上着が半袖になっていくこの季節が、ルキノは嫌いだった。
この国、日本の気候は彼らの祖国に似ている。
ただし、湿度は倍以上だったが。
意味もなく曇り空の下を散歩していたルキノは、浮き足立った
光蠍のふとっちょが寄宿舎に駆け込んでいくのを見た。

…走るより転がった方が速そうだな。

そんなことをちらりと考え、ルキノは
レースで転がりながらマシンを追いかける巨大なまるい緑色を
想像して寒気を起こした。
いくら中国雑技団でも…そんな技は通用しない。
だがあの巨体では、逆さに棒を登ったりできないだろう。
ちらりとルキノの頭を、「燃焼系、燃焼系…♪」という軽快な音楽が掠めた。

「ぼんじゅ〜るこまんぶざぷれぶ〜?」

突然異国語で声をかけられて、ルキノの眉間に深い皺が3本刻まれた。

…ていうか…異国語…?

びっくりするくらいひらがな表記のできそうな挨拶は、
長い黒髪の上級生から発されたものだった。
振り向いてそれを確認したルキノは、眉間の皺をあと2本増やした。

「…あんだよテメェ」

喧嘩を売る勢いで睨み付けながら、威嚇する。
両手を後ろで組んでいる黒髪の中国人は、
にこにこと上機嫌な笑顔を浮かべていた。

「さて、なんでしょう?
@、みかん
A、くさむら

B、ころもがえ

C、がまぐちさいふ


…ぜってぇどれでもねぇ。
ルキノは懸命にも、思ったことを口には出さなかった。
ついでに答えも知りたくなかったので、
ルキノはその黒曜石のような瞳から視線を逸らす。

「3、2、1、ブー、時間切れ!
 正解は
Hの怪獣サンタクロース、でした!」
「そんな選択肢無かったじゃねぇか!
てかお前のどこがサンタクロースだッ!!!?」

突っ込むまい突っ込むまいと念じていたのに、
ルキノはついつい突っ込んでしまった。
双子の片割れのセリフの中には突っ込みどころがおよそ
7万も含まれていたのだから、
不可抗力というものである。

光蠍の軽業師は腰を屈めるようにして、
ルキノと視線を合わせた。

「ねぇ、ねぇ、僕がどっちか、わかる?」

ルキノは少女的なつくりをしているその顔を一瞥した。
黄色人種の肌の色と、長いつやつやの黒い髪、
くりくりした大きな黒い瞳。
自分とはぜんぜん違う。

「…判るかよ」

そんなことに、興味もねぇ。
アジア人は西洋人に、くすりと笑った。

「なっしんぐ かむず ふろむ なっしんぐ、だよ、ルキノ」

『リア王』の台詞だが、彼に判ったかどうか。
シェークスピアはイギリス人だ、ルキノの母国語とは違う。

「僕は興味あるんだけどなぁ。
君は何でしょう?
@、カラーテレビ
A、クーラー

B、カー


3C…??!

何故かルキノの脳内に、高度経済成長時代の
日本の一般市民の生活姿がありありと浮かんできた。
そんなに真面目に日本の歴史など勉強していないにも
かかわらず、だ。

C、電気冷蔵庫
D、電気洗濯機

E、白黒テレビ
「時代さかのぼってんじゃねェよ!!!」

三種の神器が出てきたところで、
ルキノは選択肢を拒もうと再び突っ込みをかました。
…だが、突っ込むべきところはそこではないと、
思う。

このままではどこまで自分が家庭用電気製品に
されてしまうかわからないので、
ルキノは逃げるように背を向けた。

「あ、待ってよ!」

寄宿舎とは逆の方向へ歩き出したルキノに、
東洋的美人はついてきた。

…構ってたまるか。

「ねぇ、ねぇ、ニーダシェンリークァイラ!」
「…?」

後ろから聞きなれぬ言葉が聞こえて、
ルキノは足を止める。

「今日が、君の誕生日だって聞いたから。
君の母国語ではなんだっけ。…えーと、
ぼん こんぷれあんの〜?」

「Buon compleanno」

「え?」
「発音くらいちゃんとしやがれ。
Buon compleanno.だ」

口の中でブオン コンプレアンノ 、
ブオン コンプレアンノ と何度かつぶやいて、
大きな黒い瞳を上げる。

「うん。ブオン コンプレアンノ。
あのね、これ、あげるよ」

そう言って、ずっと後ろで組んでいた両手を差し出す。
綺麗なとりどりの色で包装された小さな包みが、
両の手の上に載っていた。

ルキノには、その包装紙を留めてある金のシールの
ガッデム!」という言葉が気になった。

だが、それは一旦おいて置いて、ルキノは
はっ、と鼻で笑った。

「莫迦だなテメェ。孤児の俺たちの誕生日なんか、
マジで判るわけねーじゃん。
あんなモン適当。決まってンだろ?
俺たちがお行儀よく、アンケートに答えると思ってんのかよ」

「じゃあどうして、君は5月28日を選んだの」

真っ直ぐに、ルキノの赤い瞳を見つめてくる。
何もかもを見透かすように。
一陣の風が、ぬれた歩道を走っていった。

「たとえ適当であったとしても、
君がこの月、この日を選んだんだから、
君はこの日に生まれたんだ。だから、あげるよ」

言われて押し付けられた小さな包みを、
ルキノは拒絶することができなかった。



ハッピー バースディ、ブオン コンプレアンノ、
アレス グーテ ツム ゲヴルツターク、
グラツレーラァ メッド ダーゲン、
お誕生日おめでとう、
パズドゥラ ヴリャーユ ズ ドゥニョム ラジジェーニヤ、
ホンゲラ オルヘリヤシククー、
ニーダシェンリークァイラ!



どれだけの言葉でゆったら、
この日に生まれてありがとう、は
伝わるのだろう?
世界中のみんなが、
ひょっとしたらそんなちいさなことに
なやむのかもしれない。








「ただいまー」
「あ、おかえりー、どこいってたの?」
「うん、誕生日のお祝いだよー」
「ナニイッテンノ、僕ラモ今日誕生日、デショ!」
「ソウダッタ、ネ☆ …で、何食べてんの?」
「あ、これ? ホワァンの作ってくれた、ヤシガニ味噌プリン!」
「うわ、美味しそう! ねぇねぇ、僕のぶんもある?」
「あるよー、冷蔵庫にまだいっぱい!」
「やったぁ!!」



…その日の夜、イタリアチームに5つのヤシガニ味噌プリンが届けられたが、
それを食べた者は…いなかったかもしれない。


〈了〉


尻切れとんぼ☆
なぁんとなく書いてみたくなっちゃった。
面白くないギャグは読んでいていっそ可哀想になるんですが。
わはは、いっそ哀れんで笑ってやれ。
スワヒリ語の「お誕生日おめでとう」だけが
判らなかったん、だ…!!! 悔しい…!
ちなみにノルウェー語も読み方あっているか保証がないです。


モドレ