第6夜



 マルクト広場にベートーヴェンが来ているらしい。

 噂を聞いてすぐに出掛けてみると、市庁舎の窓まですでに見物人で一杯だった。

 なんとか人の間から顔を覗かせると、彼は泉の縁に腰掛け、難しい顔をしていた。
 片手は頬杖、もう片手は膝の上だ。

 とん、とん、とリズムを打って、膝で指が動いていた。

 見物の人々の雑談が聞こえてきた。

 俺は何も聞かず、ただじっとベートーヴェンを見ていた。

 どうして彼がこの時代まで生きているのかなとちらりと思った。

 彼は周りの騒音など気にも止めず、とんとん、とんとん、を繰り返していた。

 とんとん、とんとん、とんとん、とんとん。

 膝を叩く音は快活なメロディーとなり、悲壮な響きとなり、怒号の渦となって空中へと踊りだした。

 俺はその音楽に聞き惚れながら、どうして彼にはあんな風な音が生み出せるのだろうと思った。

 リボンとなって中空を舞う調べを一筋指に巻き付け、俺はそれを家に連れて帰った。

 ピアノの前に座って、旋律を紐解く。

 ふわりと揺れたメロディを、俺は鍵盤の上でなぞった。

 音は響いたが、それは流水のようでも、業火のようでもなかった。

 彼の音は、彼の指先でしか生きなかった。
 彼のリズムの時代にしか、存在しなかった。

 それで、ベートーヴェンが今日まで生きている理由も、俺にはなんとなく解った気がした。


最短?
かなりの難産ですよ。


モドル