幸せな夢


 罪の無い嘘なら、ついてもいい日がある。


「…そういえば、嘘を吐いたままだ。」

 午前0時を回り、暦が4月に入ったことを確認したシュミットが、ふと漏らした。
 夢と現実の境をうつうつと彷徨っていたエーリッヒはその声に、現実へと意識を引き戻される。
 相当怠いのか、口を開かずに視線だけで何の話かと問うて来るエーリッヒの髪を、シュミットは優しく梳いた。

「ん…? 今日、エイプリルフールだろう? だから、昔お前に吐いた嘘を思い出した。私はまだ、お前にあれは嘘だったと告白していない。」

 半分閉じられていた青空色の目が、ゆっくりと大きく開かれる。
 シュミットの腕の中で僅かに身じろぎをすると、エーリッヒは薄く唇を開いた。

「………酷い、ウソですか?」
「…いいや。可愛い嘘だよ。覚えていないか? あれは…6歳のクリスマスだったか…。」





 シュミットとエーリッヒは、出会って最初の大喧嘩の後、自他共に認める大の親友になった。
 しかし、なにもかもがお互いに理解できていたかと言うとそうでもない。
 むしろ、育った環境や考え方は二人の間に大きな差異を生み出し、それはしばしば、喧嘩の火種になることがあった。
 1991年12月。ヴァイナハテンも近いアドベントの三週目。
 その話題は当然のように突然発生した。

「むだだよ、そんなもの、いない人間に届くはずがないじゃないか」
「いなくありませんよ! だって、去年もちゃんとプレゼントをくれましたよ!」

 まだ子供っぽい、不器用さが残るいびつな文字で書かれた手紙を丁寧に4つ折りにしながら、エーリッヒは頭上にあるシュミットを睨んだ。
 エーリッヒの頭の上から、彼が折り畳んだ手紙を封筒に入れるのを眺めていたシュミットは、下らない行為を見守る事に飽きたかのように、肩を竦めるようなリアクションをした。
 床に蹲るようにして作業を続けているエーリッヒにはそれは見えなかったが、シュミットが遠ざかるのが僅かに気配で感じられた。
 基礎学校宿舎のロビーにある大きな暖炉の前の、樫の木でつくられたテーブルの椅子に腰を下ろし、シュミットはそれで? と言った。

「どこに出すんだ、それ?」
「家です。」
「…は?」
「ここにくるまえは、父さんが届けてくれてました。だから、家におくります。そうすれば、また父さんがおくってくれるでしょう?」

 ね? と言いながら、エーリッヒはもう一枚の手紙を取り出し、また折り畳みだした。

「…それは?」
「父さんと母さんと姉さんとマリーへの手紙です。おっきな方の封筒に、さっきのといっしょに入れます。」
「………シッカリしてるね、お前…。」

 宿舎の中でも皆の寛ぎの空間になっているこの暖炉つきの談話室には、夕食後のこの時間に一番人が集まる。思い思いの場所に固まり、クリスマス休暇のことを話している生徒たちを一渡り見渡して、シュミットは再び親友の丸まった背中を見た。
 暖炉前の床に直接座り込み、「ヴァイナハツマン(サンタクロース)への手紙」の作成をしている親友。
 大きな紫色の瞳が、眉間に寄った皺の分だけ細められた。
 シュミットは幼い頃から、身の回りの大人たちや本やテレビ、ありとあらゆるものから種々様々な知識を見につけてきた。だから、クリスマス・イブの日に得体の知れない生き物からプレゼントをもらえるという幻想の世界に住まうことは、すでに出来なくなっていたのだ。
 …大体、おかしいと思えよ。
 シュミットは心の中で毒づく。
 世界中に一体どれだけの子供がいると思う? プレゼントは何処から用意される? 奴らは何処に住んでいる? それに、どうしてカトリックのお前がヴァイナハツマンからプレゼントをもらうんだよ。
 所詮、ヴァイナハツマンなどヴァイナハテンの幻想だ。
 そんなみえみえの嘘のなかで、無邪気な笑顔を見せている周囲の子供が、シュミットには酷く癪に障った。
 同年代の子供の中では一番頭がいいとシュミットが認めているエーリッヒでさえ、そうやって浮かれているのが何故だかイライラする。

「……どちらの手紙も、読むのはお前の父親だぞ。」
「父さんはそんなことしません。」
「違う。お前の家に来るヴァイナハツマンはお前の父親だ。」
「…どうして?」

 ようやくシュミットの方を振り向いたエーリッヒは、本当に理解していないというように目をぱちくりさせていた。
 シュミットは皮肉げに唇をゆがめる。

「だって、ヴァイナハツマンなんて本当はいないから。大人がお前の手紙を読んで、欲しいプレゼントを買っておくんだよ。言っておくが、このまえ教室の窓を叩いてお菓子を置いて行ったニコラウスは校長だからな? アレは気付いたよな?」
「また、そんなこと言うんですか? そんなわけないですよ。ヴァイナハツマンもニコラウスもちゃんといますよ。」
「……じゃ、つかまえてみようか。」
「………え、?」

 ぴたり、と動きを止めてしまったエーリッヒに歩み寄ると、シュミットは屈みこんでそっと耳打ちをする。

「ヴァイナハテンの夜。いっしょに起きてて、ヴァイナハツマンが来たらつかまえてみよう。」
「…どこで…?」
「お前の家だよ。決まっているだろう?」

 少し顔を離し、わからないやつだ、という顔をするシュミットに心配げな目を向ける。

「だって、そんなことをいって、シュミット。帰らないんですか?」
「どうせだれもいない家に帰ってなにがある? いいな、ヴァイナハテンはお前の家に泊まるから。」
「そんな、勝手に。シュミット……」
「うるさいな、私はもう決めたんだ。」

 判ったな。シュミットはエーリッヒに釘を刺すようにそういうと、一人で談話室を出て行った。
 その後姿をぼんやりと見守っていたエーリッヒは、はっと我にかえると慌てて封をしようとしていた封筒から家族宛ての手紙を引っ張り出した。エーリッヒが腰を下ろしている横にちょこんと置いてあるペンケースからシャープペンシルを取り出し、シュミットのことを書き添える。
 電話をすればいいのに、というツッコミは誰の口からも発されることなく、従って焦っていたエーリッヒが気付くこともなく、手紙は翌日ポストへと投函された。






「………ん……シュミット……僕、もう……だめ、です……」
「おい、エーリッヒ…。しっかりしろよ、本番はこれからだぞ?」

 ふかふかの枕をぎゅうっと抱えて、エーリッヒはそれに顔を埋める。
 彼の意識はどうやら半分以上夢の中にいるようだ。
 シュミットはそんなエーリッヒを小声で揺り起こす。
 眠くなるのも仕方がない時間だし、二人で被った毛布は暖かいからうとうとしてしまうのも判るけれど。
 見せてやらなければならない。現実を。
 だって、全部、大人の嘘なのだから。
 エーリッヒの小さな部屋の中に、僅かにキィ、という扉の軋む音が聞こえた。
 はっとして、シュミットは実を固くする。

「エーリッヒ。…おいってば。エーリッヒ…!」

 肩をゆするが、くぐもった声を返すのみでエーリッヒに起きる気配はない。
 ち、とシュミットが小さく舌打ちをしたとき、そうっと毛布が持ち上げられた。
 驚いて見上げたシュミットは、エーリッヒの父親の青い瞳とばっちり目を合わせてしまった。
 彼は人差し指を唇の前に立てて、「静かに」、というジェスチャーをする。
 シュミットは決まりが悪そうに視線を逸らしながら、ベッドを降りた。
 エーリッヒの父親が親友の長靴に絵本を入れてやっているのを見守り、二人でそっと部屋を出る。
 リビングまで戻ると、テーブルの上に手作りのクッキーが乗っていた。そのレープクーヘンはエーリッヒの妹が母親と一緒に作ったもので、クリスマスツリーにもさまざまな形のそれが飾られている。
 エーリッヒの父親はシュミットに座るように促し、二人分のホットココアを作った。

「…ヴァイナハツマンなんて、嘘なのに、どうして信じさせるんだ?」

 受け取ったココアのマグを両手で挟み、シュミットは視線を上げた。
 少し驚いた顔をしたエーリッヒの父親は、すぐににっこりと笑った。

「嘘ではないよ。あれは夢さ。」
「…夢?」
「そう。きみたちくらいの子供はまだ、夢の中に住んでいるのと同じなんだ。だから、夢のなかの住人であるヴァイナハツマンや聖ニコラウスに会うことができる。」
「嘘だ。本当はいないのに、いると言われて。いっしょうけんめいヴァイナハツマンに手紙を書いているエーリッヒはどうなる? かわいそうじゃないか!」

 エーリッヒの父親は、そっと手を伸ばし、ちいさなシュミットの頭を撫でた。

「シュミット。きみはもう、目を醒ましてしまったんだね。」

 恨むような、挑むような紫色の瞳に、エーリッヒの父親は動じなかった。
 昔、彼も同じように親にくってかかったことがあった。彼には6つ違いの妹がいて、その妹がヴァイナハツマンに手紙を書いているのを見て、親を詰った事がある。
 そのときの彼は11歳だったのだけれど。
 自分の息子と同じ年のこの少年は、基礎学校に入る前からきっと、すでにヴァイナハツマンを信じさせてはもらえない環境にいたのだろう。
 それは、とても悲しいことだと、エーリッヒの父親は思った。

「でも、他のこどもたちが夢を見ることを妨げないであげてくれないか。君は騙されてかわいそうだと思うかもしれないけれど。いつか、あの子たちも自分から目を醒ます時がやってくる。それまで、今日きみがエーリッヒのベッドを抜け出した時のように、彼らを起こさないように、そっとしてあげてくれないか。」

 エーリッヒがかわいそうだ、と怒ったシュミットは、妹がかわいそうだと叫んだ自分と同じ気持ちなのだ。
 騙されて喜んでいる、小さな存在が愛しくてたまらないのだ。
 だけど、だからこそ、彼らをまだ夢の中においてあげてほしい。

「だって、誰でも幸せな夢を見ている顔はとても幸せそうだろう?」

 シュミットは睨んでいた目を伏せ、ココアを一口啜った。
 甘くてあたたかい液体が、ゆっくりと身体の中を滑り落ちていく。

「そうだ、シュミット。ヴァイナハテン、おめでとう」

 そう言ってエーリッヒの父親がシュミットに手渡したのは、桧で作られた馬の人形だった。鬣がきっちりと縫いこんであって、僅かな重みが手に馴染む。
 シュミットは両手でその人形を包んだ。

「きみには、子供騙しかもしれないけれどね。」

 そう笑うエーリッヒの父親に、シュミットは首を振った。

「ううん。………ありがとう、おじさん。」

 ………まだ夢の中にいる、エーリッヒがもしかしたら、私は羨ましかったのかもしれない。
 私は現実(ここ)にひとりぼっちだから。

 エーリッヒの部屋に戻り、ベッドに潜り込む。
 すっかり眠ってしまっているエーリッヒはとてもとても幸せそうな顔をしていて、シュミットはよく判らなくなってその頬を柔らかくつねった。



 翌日、目を醒ましたエーリッヒに、シュミットは言った。

「ごめん。私がまちがいだった。ヴァイナハツマンはいたよ。ほら、私もプレゼントをもらったんだ。」

 そう伝えて馬の人形を見せると、エーリッヒは本当に嬉しそうに笑って。

 ……エーリッヒを起こさなくてよかった。いつか私のよこに立つときまで、お前は夢を飛びつづければいい。
 お前のとなりが、私には一番よく眠れるから。





「そういえば、そんなことも…ありましたね。」

 思い出話に耳を傾けながら、エーリッヒは微笑む。
 昔から、自分はシュミットの優しさの中にいたのだと認識して。

「でも、僕も今はもう…起きていますから。ヴァイナハツマンを見ることは出来ない。…その代わり、貴方の隣にいられますけど。」

 今の僕にはそのほうが何倍も幸せだと小さく呟いて、エーリッヒは現実に留まろうとする意識を断ち切り始める。
 シュミットはそれを妨げないように、闇に沈む落ち着いた声で喋った。

「ああ。でも……ヴァイナハツマンはいるんだろうな。今も、子供たちの夢の中にさ。」

 くすくす、エーリッヒは笑いながら自然な力でシュミットの身体を抱き寄せた。
 自ら肌を摺り寄せるように近づくあたたかい白い肌に、エーリッヒは心から安心する。

「僕らも…まだ、子供の分類なんですけれどね…?」

 眠そうなエーリッヒと唇を重ね、シュミットは眠りを促すようにシーツの上から彼の肩を優しく叩く。
 ゆっくりと瞼を閉じていく恋人を見守りながら、口に出さずに囁く。


 …おやすみ。お前がいつまでも幸せな夢を見られますように。

                                            <終>

 みなさまはいつごろまで、サンタがいると信じていましたか??
 ちなみにSOSは、サンタがいるという夢すら見せてもらったことがありません(あぁ…)。
 もしかしてアレですっけ、ドイツはプレゼントはモミの木の下ですっけ…?;;
 それにしても季節外れナお話だなぁ。
 つーかこれシュミエリでも何でもねぇよ!!!(書きあがってから気付く)



モドル