LOVABLE STORYTELLER。


 数日前から、シナモンの様子がおかしい。ジムはそんな些細で余計な事実にも気付いてしまう程、シナモンのことばかりを見、シナモンのことばかりを考えていた。
 彼女がどうおかしいかというと、まず一ヶ月前より溜息の数が多い。だいたい八割増しだ。……ジムが目の前に居るのに。
 さらに、遠いところに視線を飛ばしていることが多い。だいたい250メートルくらい向こうを見ている。……ジムが目の前に居るのに。
 そして、ジムを一番苦しめているのが、シナモンがときどきふと、他チームの男子を見つめることだった。
 ジムは、自分に花がないことを自覚していた。
 オーストラリアにいた頃には、これでも少々は容姿にも自信があった方なのだが、WGPに参加して、自分が井の中の蛙であったことを知った。……いや、WGPレーサーの中でも、ジムの顔は悪い方ではないのだが、なにしろ前線に出てくる目立つ連中とでは分が悪い。結果、ジムはいらないコンプレックスと共に努力を覚えた。
 ジムとシナモンは付き合っていた。これは世界選手権の参加者たちの間では有名な話で、彼らは「WGP一初々しいカップル」と呼ばれていたりする。
 ジムはシナモンが好きで好きでたまらない。シナモンも自分を好きでいてくれると知っているのだが、なにしろ前述のとおりなので、もしかしたらシナモンに自分より好きな人ができたのではないだろうかと気が気でなかった。
 直接聞けばいいのだが、もし「Yes」なんて返事が返って来たら、きっと卒倒してしまう。

「………で、やっぱり俺に相談するのカヤ……。」

 毎度のことながら、ジムに相談されたバーニーは深い溜息をついた。
 ジムやシナモンとはほぼ小学校に入った頃からの付き合いだが、バーニーは二人の相談役としてバカップルに振り回され続けていた。
 そんな役回りばかりのギルバート・バーニーさん(12)から言わせれば、ジムの悩みは取り越し苦労以外のなにものでもない。二人が切っても切れないほど惹かれ合っていることも、シナモンの趣味も、それを証明している。

 ……ラブイズブラインド。

 バーニーは心の中で呟きながら、ちらりとカレンダーを確認した。
 そうして、ほんの少し、意地の悪い意趣返しを思い付く。

 ……いつもいつも振り回されてるんだし、このくらいは許される……よな。

「シナモンから俺が聞いたのは、ドイツのシュミットの名前くらいキニ。」
「し……シュミット!!??」

 声がひっくり返るほど驚いて、ジムは腰掛けていたソファから立ち上がった。
 シュミット。ドイツチーム・アイゼンヴォルフのナンバー2にして、誰もが認める美形。さらさらの栗色の髪と宝石のような紫色の瞳。誰に対しても変わらず向けられる不遜な笑みが似合うのは、彼が自分で自信を持てるだけの容姿を有しているからだ。
 そんな相手とでは分が悪いどころではない。確実に負ける。

「シナモンが……シュミットのことをどうか言っていたのカヤ……?」
「うん。格好いいって。」
「!!!!!!!」

 途端、ジムはばん!! と大きな音を立ててテーブルを叩き、ぶるぶるぶるぶる、と最悪の予想を振り払うように頭を振ると、ブーメランズのリビングから飛び出して行った。
 バーニーは少しぬるくなってしまったオレンジジュースを飲み干すと、ひとつ大きく伸びをして、立ち上がった。
 向かう先はもう一人の幼馴染。







「………は?」

 突然の訪問者の不躾な言葉に、シュミットはぴくりと片眉を上げた。
 唯でさえ、穏やかな至福の一時を邪魔された、という不快感があるのに、そこへきてのこの台詞。
 顔を顰めたくなるのも、無理がない。

『俺からシナモンを取らないで欲しいゼヨ!!!』

 ノックもせずにアイゼンヴォルフのリビングへと飛び込んできたオーストラリアチームのリーダーは、シュミットの姿を目に止めた途端そう叫んだのだ。

「さっすがシュミットー。やるねー。」

 エーリッヒの淹れた紅茶を優雅に口に運びながら、ミハエルが茶化すように言う。
 シュミットはそれに、引き攣った笑みで答えた。
 それから、真っ直ぐに睨んでくるジムの瞳をじろりと睨み返す。

「…あー…、私は別に、あの可愛らしいフロイラインを誘惑した覚えはないが?」

 ジムの名前が思い出せず、シュミットは口を濁しながら言った。
 おそらくその事に気付いたのだろうミハエルが、くすくすと小さな声で笑うのを睨みつける。

「………まぁ、私の美しさにあてられたというなら話は別だが。」

 呟いた言葉に、アドルフが眉を寄せた。
 シュミットの容姿は確かに自惚れても良いほど整っているとは思うが、それを当然のように口に出されると閉口してしまう。
 そんなアドルフの心中も知らず、シュミットは給仕役をしている幼馴染に視線をやった。

「なぁ、エーリッヒ?」
「………何て答えて欲しいんですか、シュミット?」

 一瞬考え込む様子を見せたエーリッヒは、呆れたようにシュミットに質問を返す。
 つれないな、というふうに肩を竦め、シュミットはジムに視線を戻した。

「そんなに心配せずとも、私には君の恋人などには興味がない。判るだろう?」

 たとえシナモンがシュミットに思いを寄せていたとしても、シュミットにはそれに応える気がない。
 確かにそれは、ジムにとっては安心の種かもしれなかった。
 だが、やはり心配は心配で。

「でも、シナモンは美人だし可愛いし気立てが良いしちょっと不器用だけどそこも愛嬌だし優しいし頭が良いし勇敢だし、シュミットが惚れる可能性はあるゼヨ。」

 ………うっわぁー。
 アドルフはもうどこにツッコミを入れて良いか判らず、おもわず天井を仰いだ。
 そんなアドルフの心境を察したように、ヘスラーがポン、と肩を叩く。だが、ヘスラーはこの先に起こりうる事態も想定していたので、精神衛生上その言葉をシャットダウンする心構えを見せていた。…自分だけ。

「なら、もっとはっきり言わせてもらおう。いくら君の恋人が美人なのだといっても、私にもすでに恋人があるんだ。この世界のどんな者よりも美しく気高く、誇り高く清廉で聡明で優秀で器用で寛容な完璧な恋人がな!!」

 ぶうぅぅっ!!!
 背景でアドルフが紅茶を勢いよく吐き出していたが、取り敢えずそれを気にするものはこの場にはいなかった。
 自分のことよりも自信を込めて言い切ったシュミットはそのままくるりとエーリッヒのほうを向いた。

「なぁ、エーリッヒ?」
「………貴方の恋人のことなど、知りません…」

 可愛らしく小首を傾げて見せたシュミットに顔を見られないように目線を逸らしながら、エーリッヒが応える。
 シュミットは嘘吐きだな、と愉快そうに笑った。

「まぁ、今日はどんな嘘をついてもいい日なんだけどねー。」

 ミハエルの言葉に、ジムははっとしてカレンダーを見た。
 ドイツチームの部屋に飾られている、日本の風景画のカレンダーには薄いピンク色の花が咲き乱れている。

「…あ、エイプリルフール……」

 今日なら、どんな言葉も嘘にできる。
 それに気付いた瞬間、ジムは今度はドイツチームのリビングから走り出していた。
 その背をぽかん、と見送っていたドイツチームで唯一、口が開けたのはアドルフだけだった。

「……なんなんだ、いったい……」







「好きな人ができたキニ!!!」

 突然のジムの告白に、シナモンは大きな目をさらに大きく見開いて答えた。
 呆然としているシナモンに、勢いだけで言い切ってしまおうとジムは目をぎゅっと瞑ったままで詰め寄る。
 流石に、こんな嘘を平然と聞くシナモンの姿は見ていられなかったし、嘘の苦手なジムは、シナモンの透明感のある青の瞳で見詰められたら一発で本心を見抜かれてしまうことを知っていた。

「おおおお、俺、好きな人ができたキニ。だから、シナモン。シナモンも俺以外に好きな人ができたなら、そのひとのところへいけばいいゼヨ!!」

 ………タイミング悪ぃーーーー…。

 シナモンと差し向かいで話していたバーニーが、ただただ硬直するばかりのシナモンを見て目を覆った。
 つい今しがた、シナモンに最近ぼうっとしていた理由を聞き出し、ジムにそれを報告してやろうと思っていた矢先にコレだ。
 つくづく運のない男だ、とバーニーは諦めに似た心境で元アメリカチャンプの幼馴染を見やる。

「……………………………………………ジム?」

 名を呼ばれ、びくりと一瞬身体を痙攣させたジムは、おそるおそる目を開いた。
 だが、その瞬間視界に入ってきたのは今にも泣き出しそうなシナモンの顔で。
 えっ、と言いたかった声が喉の奥で張り付く。

「……………………………………………………私以外に好きな人ができたんかや?」
「あ…っ、いやその……っ」
「そうかや……」

 ひくり、とシナモンの喉が一度、鳴った。
 そして次の瞬間、ぽろぽろっと彼女の瞳から涙が零れ落ちた。

「えっ、うわ、シナモン……っ!」

 慌ててシナモンに駆け寄ったジムが、彼女の肩に触れた瞬間。

「ジムの…………ばかぁあああああ!!!!」

 
ごっ。
 
 鈍い音が周囲に反響する。
 シナモンのアッパーカットがジムの顎にこれ以上ないほど綺麗にクリーンヒットし、ジムはその場にノックダウンした。
 ソファの背もたれに身を預け、おいおいと泣き出すシナモンに、バーニーは呟いた。

「………エイプリルフールだっつーの………。」

 元々、シナモンが悩んでいたのだってジムにあっと驚くような嘘をつきたい、そして後から本当のことを話してほっとさせたい、という悪い企みからじゃないか。
 自業自得だよ、と思いつつ、あとからこの二人の関係の修復に走り回らねば成ら無いのだろうわが身の苦労を未来に見て、バーニーは大きく溜め息をついた。

                                            <終>

 SOSの中ではアレですよね、ジムシナってのは、
 「ジムとシナモンを使って回りの人間を喋らせる話」ってことですよね(ヲイヲイヲイヲイ!!)。
 ちなみに、ドイツの面々はオーストラリア人に合わせて英語で喋っていると思われます。
 ていうか、むしろこっちのほうがシュミエリって感じ?(コラコラコラコラ!!!)


モドル