ALB
部屋の空気が動いたような気がして、ふとエーリッヒは目を醒ました。
うっすらと目を開いて部屋を見回すと、ベッドの上に上半身を起こしている
ルームメイトが月光の中で浮き上がって見えた。
「…シュミット?」
声をかけると、びくりと彼の身体が強張るのが判った。
「どうか、…したんですか?」
寝起きの自由にならない声で尋ねると、闇の中で
いっそう魅力的に見える紫色の瞳がこちらを向いた。
そうしてそっと、微笑まれる。
シュミットのこんな顔を見ることができるのは、きっとエーリッヒだけだろう。
ひどく無防備で。寂しそうな。
「…夢、を」
呟いた言葉は明瞭に、エーリッヒの耳に入ってきた。
「嫌な夢を、…見た」
どんな? とは尋ねず、エーリッヒはそうですか、と言った。
低い声が、彼に届いたかどうかは判らない。
ふいに、エーリッヒも身を起こした。
訝しむような視線を送ってくる親友に、そっとシーツを捲って見せる。
それが何を意味しているのか悟って、シュミットは顔を背けた。
エーリッヒは微笑を浮かべる。
「シュミット」
「…私は子供じゃない」
暗闇の中で、エーリッヒが微かに笑ったのが判った。
シュミットは枕に頭を埋め、シーツを被った。
エーリッヒには、何かから身を護るための行動のように見えた。
「なら、僕がそっちに行ってもいいですか? なんだか淋しいんです」
「…勝手にしろ」
視線を逸らされながらでも許可を得られたので、エーリッヒは自らのベッドから降りた。
昼間とは違う、静かで冷たくて、しっとりとした空気が身体にまとわりつく。
微かに聞こえるエーリッヒの足音や衣擦れが、さらに深夜の静寂を耳に響かせた。
シュミットのベッドに潜り込むと、彼は少しだけ、
身体をずらしてエーリッヒのためにスペースを開けた。
ダンケ、と小さい声で言うと、身じろぎだけが返ってきた。
時計の針の音を聞きながら、穏やかにまどろむ。
30分ほどが経過したところで、ふとエーリッヒは何故か、はっきりと意識を覚醒させた。
隣の、自分より一回り小さな身体の親友は眠ってしまっただろう。
二人分の体重と体温を孕んだベッドは、まるで二人の胎児を容れた母体のようだと、
エーリッヒは思う。
向こうを向いてしまっているシュミットの、闇色の髪を見つめる。
柔らかくて滑らかで、彼の肌と似た感触のする彼の末端。
そっと手を延ばす。指先から感じるのは血の通わない彼の一部。
それ以上触れたら壊してしまいそうで、エーリッヒは手の動きを止めた。
「躊躇うな」
突然の声に、エーリッヒはびくりと強ばった。
「…シュミット。起きていたんですか…?」
振り向いた暗紫の瞳に、誤魔化すように笑いかける。
シュミットは行き場のなくなったエーリッヒの手を掴み、自らの頬に押しつける。
とっさに手を引こうとしたエーリッヒの心中を見透かしたかのように、
シュミットは懍とした声で睨みつける。
「躊躇うな。私はお前を拒絶しない」
驚いた瞳をしていたエーリッヒは、その言葉を受けて、ふと目を細めた。
シュミットの肌に包まれている手の全体が、じんわりと暖かい。
そっと顔を近付けて、一瞬…視線を逸らし。
意を決したように柔らかな唇に口付ける。
ひどく優しく、緩慢な触れるだけのキス。
「…すみません」
顔を離した後に、懺悔のような一言が沈む。
二人の間の薄暗がりに潜む気持ちが、シュミットには気に入らなかった。
「謝るな」
追い掛けるようにエーリッヒの唇に噛み付き、一瞬の隙をついて口内に舌をねじ込む。
何もできないでいる舌を絡め取って強く吸うと、やっと正気を取り戻したらしい
エーリッヒも同じように応えた。
ちゅくちゅくと水音を耳の奥まで響かせながら、貪るように互いの内部を侵し、
体液を交換しあう。
細い唾液の糸を引きながら顔を離したとき、シュミットは相手の瞳に、
燻るものを確かに見た。
それは、エーリッヒが一度として口にしたことのない欲求。
エーリッヒの思いやりや優しさは、シュミットにはひどくもどかしかった。
彼に抱きついて首筋に顔を埋める。
鼻腔に微かに、石鹸の匂いが感じられた。
「…お前の全ては私のものだ。私に隠し事は許さない。
それがたとえ、物であっても感情であってもだ」
絡み付いた腕は、何処までも付きまとう束縛の鎖だ。
逃れることなど考えられない、甘い甘い鳥籠だ。
「…Ja」
いちばん隠し事をしているのは目の前のシュミット本人だったが、
エーリッヒはそうは口を開かなかった。
触れてくる唇の感触にシュミットは目を閉じた。
嫌な夢を見たのだ。
小さな頃の。
二人の距離がまだ遠かった頃の。
焦がれる胸の痛みを思い出したのだ。
けして触れてこない彼の指先が、欲しくてたまらなかったのだ。
そう、だから。
彼のすべてをこの手にするため、手段を選んでなどいられない。
身体と引き換えに、彼の精神を染め上げ喰らい尽してみせよう。
二度と夢魔に襲われないように。
<終>
エーリッヒは与える者、シュミットは奪う者。
シュミエリでもエリシュミでもうちのなかの基本はこれで。
泊めてもらったお礼にういちゃんに差し上げたものです。
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