箱舟


 薫風が湖面を吹き渡り、静かに澄んだ水を波立たせる様を見て、エーリッヒは穏やかに微笑む。
 首だけを巡らせて、エーリッヒは言った。

「いいところですね」
「気に入ってくれたのなら何よりだな」

 真っ白い窓枠に寄るエーリッヒの傍で、同じ色のレースのカーテンが風を孕んで脹らむ。
 管理人が時々掃除をするというフローリングの床を踏みしめてエーリッヒの傍に立ったシュミットは、エーリッヒの眺めているのと同じであろう景色を夕闇色の瞳に映す。
 ロッジのすぐそばにある湖は、初夏の陽光を浴びてきらきら輝いている。
 湖は、左手をせり出した森に覆われて、一部の欠けた蓮の葉のような形になっていた。
 緑深い森の中にあるこの避暑地には、ちょっとした富豪の別荘がぽつりぽつりと点在している。ただ、避暑にはまだ早い時期なので、おそらくこの付近にいるのはこのロッジの持ち主とその親友だけだろう。

 今年の誕生日に送られたこのロッジを利用する気は、当初はあまりなかった。
 学業の忙しい時期だ、もうすぐレポートの提出ラッシュが始まるし、テスト期間も近い。
 それは十分判っている。
 判っているし、お互い様だ。

 …それでも、シュミットはなんとなく許せなかった。自分にかまうことを忘れて勉強やレポートの作成に打ち込む恋人が。
 生真面目な彼の性格は嫌と言うほど知っているが、あまりにつれないと悲しいを通り越して腹が立つ。
 だから、自分が限界を感じる前にエーリッヒを説き伏せて、週末の2日間だけをここで二人きりで過ごすことを承諾させたのだ。もちろん勉強道具一式を抱えて。ここまでこぎつけるのは並大抵の努力ではなかった。
 貴方には余裕かもしれないけれど、僕にとっては大変なのだと何回も言われ、さらに、二人きりで勉強なんてできるのかと訝しげな視線を送られ(実際過去の経験からエーリッヒはそれが不可能であることをよく知っていた)、それでもシュミットは諦めなかった。エーリッヒが断りにくい、下手に出る方法から、脅迫まがいのことまでしてなんとかこの小旅行を決行させた。

 シュミットの強引さに呆れつつも、エーリッヒは前日から、どこか浮き足立つ自分を抑えられなかった。自分勝手なものだと、心の中で哂う。でも、それも仕方がないことだと思った。ここ暫く、忙しさにかまけて二人きりになれることなどなかったのだから。
 だが、エーリッヒはどうしてもそれを素直に口に出すことはできなかった。
 自分でも時々この性格が恨めしくなる。シュミットは、いつでもストレートに自分に対する想いを打ち明けてくれるのに。
 テストの差し迫ったこの時期ではあっても、シュミットが誘ってくれたことは素直に嬉しかった。いつも学年成績トップを誇るシュミットと、なんとか5番以内に入る自分では、その余裕は目に見えて違う。実際、エーリッヒがシュミットの勉強している姿を見たのは、数えるほどしかなかった。

 エーリッヒは、さっきまで自分の見ていた景色を映している瞳を見つめた。
 綺麗だ、と思う。
 空の色が一番鮮やかに移り変わる時刻の、一番綺麗な色。
 しかしその色の、なんと遠いことだろう。
 ふと、視線に気が付いて、シュミットはエーリッヒに視線を転じた。

「…どうした?」

 優しく微笑まれて、エーリッヒの心臓がどきりと跳ねた。

「…いえ」

 ふい、と顔を逸らす。
 シュミットは微かに首を傾げたが、すぐにまた笑みを取り戻す。

「なぁ、あそこ、行ってみないか?」

 シュミットが指差した先には、煌く水をたたえた湖があった。

「湖…ですか? 疲れているんじゃないんですか?」

 二人はつい先ほどこのロッジへ到着したばかりだ。そんなに遠くないとはいえ長時間電車に揺られたのは確かで、エーリッヒはシュミットが元気そうなのにすこし驚いていた。

「いいじゃないか、ここには今日と明日しかいないんだぞ? この機会を逃すと、今度はいつになるかわかったものじゃない」
「勉強はどうするんですか…」

 ため息と共にそう吐き出す。
 どうせ何を言ってももう無駄だと、判っていて尋ねる。時間の浪費が好きなわけではないが、尋ねないといられない心境だった。もともと、エーリッヒがここに来ることを承諾した条件の一つに、勉強時間の確保というものがあったのだから。

「帰ってきてから、嫌ってほど教えてやるさ」

 そう言って笑ったシュミットの瞳に、どこか策士めいた光が浮かんでいたのを、エーリッヒは気のせいだと思いたかった。






 ロッジを出て、舗装されていない道をゆっくりと下る。
 空は高く眩しく澄み、新緑色の木々と地面にマーブル模様をつける木漏れ日との調和が二人を心地よい沈黙に包み込んだ。
 傍に相手がいるだけで、これほどまでに穏やかな、優しい気持ちになれるのか――。
 暫くの間忘れていた安定と平穏が、心を満たす。
 道は桟橋へと緩やかな土手を下っていた。
 桟橋には白い小さなボートがつながれていて、風で揺らめいては時折桟橋に静かにぶつかっていた。
 湖の水はまだ幾分冷たそうだったが、湖面を渡る風は涼やかで、日差しにさらされて微かに汗ばんだ肌には気持ちいい。
 エーリッヒが大きく一つ深呼吸をしたところで、横合いから水が飛んできた。

「冷たっ…」

 頬にかかった水を手の甲で拭いながらそれの飛んできた方向を見ると、シュミットが悪戯っぽい笑顔で笑っている。

「子供ですか、貴方は…」

 幼稚な悪戯に溜め息をつくと、シュミットは、ああ子供だ、と言った。
 子供だから我儘を言い、駄々をこね、もっとも心寄せ傍にいたい相手を独占するためならどんな手段でも講じるのだと。安心できる場所を求めるのだと。
 シュミットは心の中で答えて、無邪気に笑った。
 久しぶりに見た歳相応の笑顔は綺麗で、眩しくて。
 愛しくて。

「…シュミット。ボートに乗りましょうか」

 その表情を持続させたいというだけの思いから、エーリッヒは口を開いていた。

「いいな。気持ちがよさそうだ」

 シュミットはすぐにボートに飛び乗り、まるで良家の令嬢に対するかのようにエーリッヒに手を差し伸べる。
 エーリッヒは苦笑すると、シュミットの戯れごとに付き合うように静かにその手を取り、ボートに乗った。
 どちらがオールを漕ぐかで少しもめた後、行きにシュミットが、帰りはエーリッヒが漕ぐことに落ち着いて岸を離れる。
 ゆっくりと湖面を滑っていくボートの中で、エーリッヒは真っ直ぐにシュミットの顔を見た。

「シュミット」
「ん? …何だ」

 真剣な表情をするエーリッヒに、シュミットも微かに緊張の呈を示す。

「……誘ってくれて、ありがとうございます」

 改まった言い方をしたことで気恥ずかしくなって、エーリッヒはふいと視線を外した。
 一瞬ぽかんとした表情を見せたシュミットは、次の瞬間には噴出していた。
 突然笑い出したシュミットに、エーリッヒは眉間に皺を寄せる。

「…なんなんですか」
「…っくくく、いや、悪い。あんまりにもお前が可愛かったから…っふ、あはは…」
「可愛いって。馬鹿にしてるんですか?」
「まさか」

 突然笑いを収めると、シュミットは最前のエーリッヒに負けないほどの真剣な表情をして見せる。
 そうして、柔らかく自然な、エーリッヒの一番好きな笑い方をする。

「喜んでもらえて嬉しい。私はお前に喜んでもらえるのならなんでもするぞ? どんなことでも。その代償としてなら何も惜しくない」

 さらりとキザったらしい口説き文句を言ってのけたシュミットに、エーリッヒは赤面した。実際、傍で聞いている方が恥ずかしくなるような台詞だった。
 湖の方に視線を投じているエーリッヒの色づいた頬に、ふとシュミットは、また悪戯心を起こした。
 かたん、とオールを手放して、シュミットはエーリッヒの方に身を乗り出す。

「…シュミット?」

 その気配に気づいたエーリッヒが正面を向くと、真近くで深い紫の瞳が笑っている。
 ぎくりとして身を引こうとしたエーリッヒの首の後ろへ手をまわし、シュミットはエーリッヒに口付けた。
 最初は表面的に唇を擦れあわせていただけだったが、やがてそれでは飽き足らないとでも言うかのように、シュミットの舌がゆっくりとエーリッヒの閉じた唇を舐める。
 引き結ばれた唇を溶かそうと、首を支えているシュミットの手が優しくエーリッヒのうなじを撫でた。
 ぞくりと背筋に走った、快感の先走りのような感覚に、エーリッヒの唇が緩む。それをこじ開けて進入したシュミットの舌が、ちろりとエーリッヒの歯茎を舐めた。

「んっ…、シュミッ…ト、…」

 ゆっくりと快感を引き出すように、シュミットはエーリッヒの口腔内を犯していく。
 舌を絡め、強く吸い上げたり弱く刺激したり。
 それがセックスのとき自分に快感を与えるときのシュミットの舌使いと似ていて、エーリッヒは抵抗できなかった。
 エーリッヒの唇の端から零れ落ちた唾液を舐め取るように、シュミットはゆっくりとエーリッヒの顎のラインから首筋へと唇を滑らせる。

「…シュミット! なにをするつもりですか…!」

 シュミットの指がエーリッヒのシャツの裾から忍び込んだところで、エーリッヒは我を取り戻した。
 彼の手首を掴み、紫の瞳を睨み付ける。
 シュミットはくすりと笑って見せた。

「なにって。抱くんだよ、お前を。今、ここで」
「…莫迦言わないでください! こんなところで…!」

 持ち手を失ったオールが、波打った水に煽られてかたんかたんと音を立てる。

「莫迦とは酷いな。私はいつでも真剣なつもりなんだが」

 お前に対してはな、と言って、シュミットはエーリッヒの首筋に痕をひとつ刻んだ。
 服では隠れない位置に熱を感じて、エーリッヒはびくりと体を振わせる。
 シュミットの体を対面の席に押し戻そうとしながら、エーリッヒは熱を押さえ込んだ声で尋ねた。

「…シュミット。僕らは勉強をしに来たんですよね…?」
「そうだったかな…」

 くつくつと楽しそうに笑うシュミットに、エーリッヒは首を横に振る。

「そういう約束でした!」
「しかし、その約束が履行されることなど、お前は想像していたか?」

 掴まえていない方の手で服の上から胸をまさぐられて、エーリッヒの体がびくんと跳ねる。
 …そうだ。予想はしていた。ここ暫く一緒にいられなかったシュミットと二人きりで旅行へ行って、何もないなんて考えられない。
 …解っていたはずだ、こうなることくらい。
 それでも、エーリッヒは選んだ。シュミットとここへ来ることを。

「結局、お前だって私を求めてるんだ」

 心中を見透かされたようにそう言われて、エーリッヒは違う、と呟いた。

「違わないさ。その証拠に、ほら、もう硬くなってる…」
「ぁっ…」

 胸の突起を薄い布越しに摘まれて、エーリッヒから甘い吐息が漏れた。その声に、エーリッヒ自身の頬が赤く染まる。
 シュミットによって慣らされた体は、思うよりも快感に敏感になっている。
 エーリッヒの反応に、シュミットはふふ、と笑った。

「な、エーリッヒ……気持ちよくしてやるから…」

 シュミットの右手首を掴んだままのエーリッヒの左手に、優しく唇を落とす。
 離して欲しい、という緩やかな意思表示。
 無理矢理に快感に陥落させてしまうこともできるはずなのに、そうせずにエーリッヒの意思を聞いてくる。そのシュミットの優しさに、エーリッヒはひどく弱かった。
 そっとシュミットの手を離す。

「……ここでは、…嫌です。シュミット、ロッジに戻りましょう? それから…」

 その続きは口に出せず、エーリッヒは黙った。
 シュミットはエーリッヒにしか見せない、穏やかな微笑を浮かべて、元の座席に座った。
 エーリッヒは俯いたままオールに腕を伸ばした。
 真っ赤になっている顔を見られたくないのだろうエーリッヒの、見えない表情を想像して、シュミットは笑みを堪えられなかった。
 ゆっくりとボートは進んだ。シュミットが時々「右」や「もう少し左だ」という指示を出してやりながら、桟橋へと近づいていく。あと数メートルまで戻ってきたところで、シュミットはふと思い出したように呟いた。

「……やっぱり、耐えられないな」
「…え、っ…?」

 顔を上げたエーリッヒの唇を奪う。
 抵抗しようとオールから離しかけた手を掴んで、力任せに押さえつける。
 抵抗する気配が完全に失せてから、シュミットはエーリッヒの手を離した。

「………シュミット……」

 熱っぽく潤んだ瞳で目の前の紫の瞳を睨みつける。
 シュミットはその目尻に口付けた。

「お前が悪いんだぞ。…私の理性など吹き飛ばしてしまうくらい可愛い、お前が」

 再びシャツの中へと手を差し入れ、シュミットはエーリッヒの脇腹を緩やかに撫でた。
 びくりと細い身体が震える。
 ボートの中という不安定な場所ですがれる場所を探して、エーリッヒはオールをぎゅっと握り締めた。

「…やめて…ください、シュミット」

 緩やかに首を振る。整えられていた銀髪が零れて、褐色の額に落ちた。

「大丈夫、誰もいやしないさ」
 エーリッヒの前に膝をつき、横板に座っているエーリッヒのシャツを捲り上げて胸の下の肌を吸う。

「っ…」

 淫らな欲求が身体の中で疼いているのが解る。
 野外、しかもボートの中で抱かれることなど理性と倫理観が許すはずが無かったが、さっきシュミットに指摘されたとおり、エーリッヒの若い身体はどこかでシュミットを求めていた。
 これ以上触れられて、正気を保っていられる自信などエーリッヒには一つもない。

「違っ…そうじゃなくて、…お願いです、待っ…ぁっ!」

 硬く立ち上がっていた胸の突起を甘噛みされて、エーリッヒの口から声が漏れた。

「…違う? 恥ずかしがり屋のエーリッヒのことだから、誰かに見られることを懸念してるんだと思ってたのに…見られることは、いいんだ」

 大胆だね。
 唇が肌に触れる位置で、シュミットは喋る。
 吐息がエーリッヒを震わせる。

「違…、シュミット。……やだ、…ここじゃ、危ない…」
「お前が暴れなければ、ひっくり返ったりしないさ」

 白い指が弱い圧迫を加えながらゆっくりと臍の辺りを辿る。
 弾力のある肌の感触が、シュミットにはひどく愛しいと感じられた。
 肌の表面でさえ、エーリッヒの本質と繋がっている。

「シュミッ…」

 びくん、と強張った身体が、ボートを揺らせる。
 二人を乗せている容れ物はひどく不安定な形で、不安定な場所にある。
 エーリッヒは小さく、ズルい、と呟いた。
 その言葉に、シュミットはエーリッヒに見せないように哂う。
 シュミットはエーリッヒに抵抗を許さない状況を、いとも簡単に作り出してしまう。エーリッヒはそのことをズルイと言うが、シュミットの企みはエーリッヒが誘いにノッて来ることを前提にしている。
 何度騙されても、同じような手に引っかかる方が悪いのだ。
 いつでも黙って抱かせてくれるなら、こんな苦労もしやしない。
 その苦労を楽しんでいる節のあるシュミットは、それでも楽しそうだった。
 船が揺れることに恐怖を覚えたのか、抵抗が弱くなった身体から快感を引き出していく。
 頭上で聞こえる吐息が、熱く、忙しくなる。
 膝で自重を支えたまま、シュミットはことさらにゆっくりと、所有の印を刻みながら細い身体を愛撫していく。

「ん…っ、…はぁ……、ッ!」

 膝から太股の内側へと、指を滑らせる。
 すでに熱を帯び始めているそこを緩やかに撫で上げると、エーリッヒが息を呑んだのが解った。
 にやりと人の悪い笑みを口元に浮かべて、シュミットは何度かその場所を撫でた。

「…熱くなってるな…」
「…貴方のせいでしょう…?」

 視線を逸らしながら、かろうじて聞こえる声で呟く。

「…そうだな。責任、取らないとな?」

 シュミットの手がベルトにかかる。エーリッヒの身体がこわばる。
 一瞬だけシュミットを睨んで、エーリッヒは再び顔を逸らした。
 それを了承の合図と受け止め、シュミットはベルトを外してエーリッヒの前を寛げた。

「っ…!」

 下着の中に手を差し入れて形を変え始めているエーリッヒ自身に指を絡ませると、エーリッヒから息を呑む声が聞こえた。

「エーリッヒ…気持ちイイ…?」

 薄く色付いた耳朶を食み、耳の奥に吹き込むように、囁く。
 顔を真っ赤にして、エーリッヒはボートの縁を掴んで震えていた。

「…我慢しなくてもいいぞ…?」

 声も、限界も。
 エーリッヒ自身の先端から零れ落ちる透明な液体が指を濡らす感触に、シュミットは優しく声をかける。
 微かに首を横に振るエーリッヒに、シュミットは今気がついた、というように、ああ、と言った。

「汚してしまうのが嫌なのか…? 着換えの数も限られているし」
「なっ…ちが…」
「なら…脱げばいいな?」

 一旦エーリッヒ自身から手を離し、シュミットはズボンに手をかける。
 下心を顕にした優しさに、エーリッヒは唇だけで意地悪、と呟く。

「ほら、腰、浮かして…?」

 聞こえない言葉に聞こえないふりをして強請るように甘い声で囁くと、エーリッヒはボートの縁に体重をかける形で少しだけ腰を上げた。
 シュミットが素早くズボンと下着を脱がせると、エーリッヒの腕から力が抜ける。
 途端、ガクンとボートが左に傾いだ。

「ぅわ…っ!」
「危ない…!」

 バランスを崩したエーリッヒを抱き留める形で、ボートの底に尻餅をつく。
 ボートの揺れが収まるまで、暫く抱き合ったまま無言になった。
 やがて安定性を取り戻したボートにほっとしながら、エーリッヒはシュミットの目を見る。

「…やっぱり、止めませんか…? 危ない、ですし…」
「…止める? いいのか?」

 エーリッヒの背に回されていたシュミットの手が、無防備な腰の丸みに伸ばされる。

「ッ! ヤ…っ」

 直前まで刺激されていた身体は刺激に敏感になっている。
 シュミットの腕の中で身体を振るわせるエーリッヒに、シュミットは意地悪く笑った。

「我慢、できないみたいだけど…?」

 濡れた指を、エーリッヒの秘部に押し付ける。
 くちゅり、と濡れた音がした。
 入り口で止められた指から伝わってくる熱が、エーリッヒの中で膨張する。
 快楽を与えられる事を焦らされた、ひどく色のある目でエーリッヒはシュミットを睨んだ。

「…貴方に、触れられたら…、我慢なんて、できませんよ…っ!」

 大胆な告白とも取れるその科白に、シュミットは目を見開いた。
 言った後で恥ずかしくなったのか、シュミットの肩に顔を押し付けたエーリッヒには、まだ理性ははっきりと残っている。
 だから、あの言葉は。

「…ごめんな?」

 ふと、優しく銀の髪が撫でられた。
 穏やかな声音だった。
 だが、それとは裏腹の態度として、細い指がエーリッヒの身体の中に埋められる。

「ぃっ!」

 
びくり、とシュミットの膝の上でエーリッヒの身体が跳ねた。

「大丈夫…、力、抜いて…」

 言いながら髪を梳いていた手を離し、エーリッヒ自身を再び刺激し始める。

「やぁ…シュミッ……っ!」

 身体を離そうとシュミットの肩を掴むがそれ以上の力が入らない。
 しかも身体を動かしてしまった為に、自らシュミットの指の刺激を生み出してしまう。

「…今日は、大胆だな…?」
「シュミ……離し、て……汚れる…」

 途切れ途切れの息の合間に、エーリッヒは意思を伝える。
 エーリッヒの意図を汲み取り、シュミットは大丈夫だから、と囁いた。
 ギリギリの状態でも、エーリッヒは周囲のことを気にかけている。それが彼の性格だと知りながら、シュミットは少し、エーリッヒが哀れになった。
 こんな状態でも、誰かを気にせずにいられないなんて。

「ああぁっ!!」

 先端を引っかくように刺激すると、エーリッヒは一際高く鳴いて精を解き放った。向き合う形で座っていた為に、白濁した温い液体がシュミットの服を汚した。
 ぐったりと力の抜けた身体を自分に凭れかからせながら、シュミットはエーリッヒの中を刺激していた指を増やした。

「やぁっ…」

 鼻にかかった甘い声が、肩から震えるようにシュミットの下半身まで響く。
 エーリッヒの中から滲み出す液体が、その場所からひどく卑猥な音を立てさせている。

「エーリッヒ……入れてもイイ…?」

 余裕の無さそうなシュミットの声に、エーリッヒは小さく頷いた。
 感触でそれを確認すると、シュミットはエーリッヒの背中を彼が座っていた横板に預けさせる。
 シュミットがズボンの前を寛げると、赤く怒張しきったそれがエーリッヒの目に映った。
 それは彼がエーリッヒに対して抱いている想いの現われで、ふと、エーリッヒは幸せを感じた。
 たとえ目に見えるのが身体に対する欲望であっても、シュミットが自分に執着を抱いてくれていることに。
 そして、そのシュミットを、少しでも満足させられることに。
 腿を抱え上げて先端を挿し込む。

「あぁ…っ!」

 何度入れられた経験があろうと、10日以上のブランクは大きいらしい。
 背を弓なりに逸らして異物の進入に声を上げるエーリッヒは、ひどく淫猥で綺麗だった。
 腰を動かすと、ボートが揺れた。

「ぅあっ…まだ…っ!」
「ごめ…無理…」

 痛みに慣れる以前に動かれて、エーリッヒの口から悲鳴に似た声が上がる。
 だが、シュミットには止めることが出来なかった。
 エーリッヒを抱きたいと、ずっと思ってきた。エーリッヒに挿入した瞬間に達しそうになった身体に、相手を気遣う余裕があるはずがなかった。


「ああっ、ひぁ、あっ…」

 激しく何度も突き上げられ、エーリッヒは耐えられずに声を響かせた。
 いつも聞こえるベッドの軋みの代わりに、揺れるボートに作り出される小波の音がちゃぷんちゃぷんと底から響いてくる。
 それがエーリッヒの体内でしているぐちゅぐちゅという水音に混じって、シュミットは全身がエーリッヒに包まれている錯覚に陥った。

「……ぁ、っ!」
「ぅあ…っ」

 身体の奥に熱い迸りを感じ、エーリッヒは目を閉じた。
 名残で揺れるボートが、微かな水音をたてている。

 …まだ、してる…みたいだ…。

「…大丈夫か、エーリッヒ…?」

 繋がったままでエーリッヒを抱き起こす。
 うっすらと目を開き、エーリッヒは背中がいたい、と言った。
 最中ずっと横板の角に擦られていたのだ、きっと擦り剥けているのだろう。

「…悪い」

 自分の短慮を責めるようなシュミットの声音に、エーリッヒはそっと笑って見せる。

「…大丈夫ですよ?」

 シュミットに手を伸ばそうとして、エーリッヒは内壁でシュミット自身を擦ってしまった。

「っ!」
「…っあ!」

 過敏に反応した二人は、同時に同方向のボートの縁に―――力を、掛けた。


「うわぁっ!!」
「うわああっ!!」

 ぐらりと傾いだボートは、今度は安定することなくひっくり返った。
 バシャアァン! という派手な音と共に水中に投げ出される。

「エーリッヒ…っ!」
「シュミ…ッ」

 上手く力の入らないらしいエーリッヒの襟を後ろから掴んで引っ張り、シュミットはなんとか岸へと泳ぎ着いて、這い上がった。
 エーリッヒを引き上げると、重い身体を引きずるように仰向けに土手に転がって、荒い息を吐き出す。

「ゲホゲホッ……っは、はぁっ……!!」
「っはぁ、はぁ…っ…」

 うつ伏せて肘を付いているシュミットは、やはり肩で息をしながらふとエーリッヒを見た。
 濡れたシャツを通して見える、薄く肉付いた均整の取れた褐色の肌。剥き出しの下半身と。滴る水滴に混じって腿を伝う先刻の名残。

「…悪い」
「…そう思うんなら…、最初から、ボートの中でなんてしないでください…」
「そうじゃなくてな…」

 四つん這いでエーリッヒに近づき、シュミットはいきなり唇を重ねた。

「んぅっ…?!」

 まだ水の中にいた息苦しさからも開放されていないのに、ねっとりと舌を絡めてくるシュミットの肩を押しかえす。だが、頬に手を添えてさらに深くエーリッヒの口内を蹂躙しようとするシュミットは片手でエーリッヒの片手首を掴んだ。

「なに…っふ、シュミ…、」

 息を継ぐ合間に問いかけてくるエーリッヒに、シュミットはようやく顔を離して微笑みかけた。

「また興奮してきた」
「…え、?」

 冗談でしょう、という目の色と、青ざめた顔色から逃げるように、シュミットはエーリッヒの首筋に口付ける。

「や、やめてくださいシュミット! 早くロッジに帰って着替えないと…風邪を引きます…!」
「…そうだな」

 初夏とはいえ、水温はまだ低い。このまま濡れたままでいれば、風邪を引く確立が高い。
 自分の言うことに同意を示してくれたシュミットにエーリッヒがホッとしたのも束の間。

「脱げ」
「ってなにを…!」

 突然濡れたシャツを力づくで剥ぎ取ろうとしてくるシュミットに、エーリッヒは必死で抵抗した。

「このままだと風邪を引くんだろう、エーリッヒ…!」
「だから、ロッジに戻りましょうって……ひぁっ!」

 シャツをたくし上げ、胸の突起を甘噛みしてやると、感度の良くなっている体がびくんと跳ねた。
 弱い脇腹に手を滑らせ、エーリッヒが言葉ででも抵抗できないように感じるところを刺激していく。

「やぁ、っ……駄目…っ」

 何とか綴られる言葉が、完全に意味のない喘ぎに変わるまで、そう時間はかからなかった。








「……明日は絶対、…僕の勉強に付き合っていただきますからね」

 窓の外に沈みゆく夕日をぼんやりと瞳に映しながら、エーリッヒは吐き出すように言った。
 濡れたエーリッヒの髪にドライヤーを当てていたシュミットは、ああ、と答えて笑う。

「私の我儘にはもう付き合ってもらったから、今度は心行くまでお前に付き合うよ」
 
 あの後、結局何回も付き合わされた身体を引きずって(勿論シュミットに肩を貸してもらって)ロッジへ帰り着いたエーリッヒは、シュミットと一緒に熱いシャワーを浴びて身体を温めた。
 乾いた清潔なシャツとスラックスを纏って、エーリッヒはロッジのベッドにその身を横たえていた。
 起きているのが辛そうなエーリッヒを気遣い、常とは逆でシュミットがドライヤーを持ってそのベッドに腰掛けている。
 ある程度乾くと、シュミットはそっと手を伸ばし、銀色の髪を指で梳いた。
 斜陽に薄赤く色付いたエーリッヒの髪は、鮮やかに煌いていた。水分を未だ含んだそれはしっとりとした感触と共に快く白い指に絡んでくる。その重さが、シュミットには愛しかった。
 シュミットの手によって半分翳った視界の中で、エーリッヒはふ、と息を吐いた。

…次は貴方の番ですね」

 エーリッヒはゆっくりと身体を起こし、シュミットにドライヤーを所望するように手を伸ばす。
 シュミットはエーリッヒの手の届かないところまでドライヤーを離して、エーリッヒの肩を柔らかく押した。

「髪くらい自分で乾かせる。寝ていろ」
「乾かさせてくださいよ」
「駄目だ」

 エーリッヒがくすくす笑いながら手を伸ばして、シュミットの手からドライヤーを奪い取ろうとする。
 シュミットもそのふざけに乗って、それを取られまいと逃げる。

「風邪を引きますよ、シュミット?」
「そう思うなら、自分で乾かさせろよ」
「乾かしてあげたいんですってば……痛ッ!」

 シュミットの膝に手を置いてドライヤーを追いかけていたエーリッヒを、腰の痛みが襲う。
 腰を抑えて自分の膝の上にへたったエーリッヒに、シュミットはいわんこっちゃない、という視線を向ける。

「だから寝ていろと言ったろう?」
「…貴方のせいじゃないですか…」

 悔しそうに上目使いに睨んでくるエーリッヒに、微かに肩を竦める。

「4回目はお前がねだったんじゃないか」
「そっ…それはそうかもしれませんけれどっ……!」
「だから責任を取ってやろうというんだ」

 顎に手を掛けて顔を上向かせ、額に軽くキスをする。
 瞼にも唇を落として、シュミットは優しくエーリッヒの頭を撫でた。

「寝ておいで、エーリッヒ。夕食は私が作るから」
「いいですよ。僕が作ります」

 そっとシュミットの手を押し返し、エーリッヒはシュミットの膝から身体を持ち上げた。
 まるで「シュミットには料理は無理だ」というような態度のエーリッヒの腕を掴む。

「…エーリッヒ、私に不可能はないぞ?」
「知ってますよ? でも、僕のほうが上手い」

 にこりと笑って自信たっぷりに言い切ったエーリッヒに、シュミットはふと笑みを浮かべた。

「…では、私は後方支援に回るとするか」
「ええ、お願いします」

 エーリッヒから柔らかく唇をあわせ、零れた溜め息を合図に二人で立ち上がった。



                                           <了>


 おわっ…たぁ!!○(>▽<)/▽☆▽(@▽<)○
 2003年の初夏に書き始めたことが冒頭から窺い知れる…(死)。
 すっげぇひっかかった(筆が止まった)体位の問題をなんとかできれば、後はなんとか書けただよ。
 浴室でシャワーを浴びるだけに留まったかどうかは、ご想像にお任せします、ネ?
 エーさん身体やらけぇーーー…(笑)


 長々お待たせしたくせにたいしたことなくて本当にゴメンナサイ…!!!