夕闇のような、艶のある黒。穏やかな月の光のような銀。
 白磁のような透明感のある白。健康的でしなやかな褐色。
 晴れ渡った空のような、高い高い、青。



 
BLUE/BLUE



「ねえねえ、ドイツのおぼっちゃン。」

 上から声を掛けられて、エーリッヒは眩しさに顔をしかめながら、2階の窓に視線をやった。日本に居る間の、仮初の学び舎の窓から顔をのぞかせていたのは、自分より一学年下のイタリア人だった。

「なにか御用ですか。」

 白い壁に反射する陽光に、ようやくエーリッヒの目が慣れてきた。気まぐれな猫のように赤い口元を緩めたまま、ジュリオはべつにー、と笑った。

「アンタがひとりで歩いてるのとか珍しかったから、声かけただけよ。」
「そうですか。それでは。」

 下らない暇つぶしの相手にされてはたまらない。早々にそこを立ち去ろうとしたエーリッヒをしかし、彼の声が追いかけてきた。

「アンタを上から見下ろすとか、チョーカイカンなんですけど。」 
「はあ?」

 再び見上げた視線の先に、ジュリオは居なかった。あれ、と思わず声を出したと同時、1階と2階をつなぐ階段の踊り場にある窓から、ジュリオの顔が覗いた。教室も廊下も関係なく、走ってそこへ移動したのだろう。彼ら2人の間の距離が、半階分だけ近くなる。

「アンタ背ぇ高いもんね。」
「そうですね、あなたたちよりは。」

 多少の嫌味を込めて返した言葉に、ジュリオは僅か、寂しそうな表情を浮かべた。まさかそんな顔をされるとは思わず、エーリッヒは少し慌てる。

「あの、」
「ムカシから夜遅くまで働かされてたりしたし、栄養足りてないから、伸びなかったのかもね。」

 その一言で、エーリッヒは彼らの生い立ちを思いだした。彼らは、まだ世界の理など理解もできないような年齢のころから、たったひとりで生きていかねばならない運命の中にあったことを。

「あの、すみませ、」
「なんてね。」

 エーリッヒの表情に、ジュリオは噴き出した。あはははは、と笑い声を響かせてから、意地悪に目を細める。

「カンケーないんじゃない? ホラ、ゾーラ見てみなさいよ。しっかり成長してンじゃないの。」

 ジュリオは、イタリアチームいちの巨漢の名前を出して笑いを誘った。そうすることでその場に流れた空気を変えたかったからだ。しかし、エーリッヒの顔は晴れなかった。なんでアンタがそんなカオしちゃうのよ、とジュリオは思う。辛かったのも苦しかったのも、自分の方なのに。なのに、ぬくぬくと生きてきたはずのエーリッヒが、自分たちのことを思って痛みに顔を歪めるなんて。
 だけれどジュリオにとって不思議なのは、それがひとつも不快でないことだった。同情なんてまっぴらなのに。
 ジュリオの足は動いていた。気がつけば、背の高いドイツ人は目の前に居た。

「アンタがそんなカオしても、なにも変わらないわよ。」

 そうですね、と憂いを帯びた表情のまま、エーリッヒは笑った。ああもう、とジュリオは自分の髪をくしゃくしゃと混ぜた。

「もー、メンドくさいわねえ。ホンット、からかいがいもないほどマジメなんだから! もーいーわよ、つまんない。」

 もともとジュリオは、深追いすることは嫌いだ。追いかけて行った先の藪の中から、なにが出てくるかわかったもんじゃない。だから、と、エーリッヒの表情を曇らせてしまったという罪悪感にふたをして逃げようとしたジュリオの背中に。

「あの、」

 今度は、エーリッヒの声が追い縋る。ジュリオは安い謝罪など聞きたくなかった。立ち止まろうかどうしようか数秒間迷ってから、ジュリオは諦めたように振り返った。

「なによ。」
「今度、一緒に食事でも、…どうですか。」

 控え目な誘いに、ジュリオは目をぱちぱちと瞬いた。そうして彼の言葉の意味を飲み込むと、また悪戯に笑った。

「なにソレ。アタシをデートに誘ってるワケ?」
「そう取られてもかまいません。」

 エーリッヒは、ようやく笑顔を取り戻していた。それは、ジュリオのものとは違う。とても優しくて、暖かい笑顔だった。あんなふうに笑えたら、と柄にもなく思ってしまったことを、ジュリオは直後に少し後悔した。そんな胸中を隠すように、ジュリオは笑みを深めながら、エーリッヒにいいわよ、と言った。

「アンタとふたりきりで、アンタの手料理って条件ならね。」

 今度は、エーリッヒがきょとんとする番だった。だけれど彼はすぐに、また優しく笑った。

「ええ、それで構いません。腕によりをかけて、特製のグラシュをごちそうしますよ。」

 楽しみにしてるわ、とジュリオが答えた時、チャイムが空へと響き渡った。

「鳴ってしまいましたね。」
「そうね。」

 チャイムが鳴り終わるのを待って、彼らは顔を見合わせた。
 エーリッヒが抱えているのは理科の準備物だった。真面目な彼のことだから、休み時間中に教室移動を完了できなかったことは残念なことなのだろう。

「ねえ、サボっちゃわない?」

 何をばかなことを、と呆れられて当然だと思いながらの提案はしかし、エーリッヒの「そうですね。」とあっさり肯定された。

「え?」
「いい天気ですし、たまにはありかもしれませんよね。」

 そうして、悪戯っぽく微笑むエーリッヒに、ジュリオは優等生なだけではない彼の一面を見る。それは、彼を近寄りがたい「ドイツのおぼっちゃん」よりもずっと、魅力的に見せた。
 ジュリオはふふっ、と笑い、エーリッヒの手を取った。そうして、彼を引っ張って走り出す。

「わ、ちょ!」
「行くわよ、ほら早く!」
「行くって、どこへ?」
「そんなの、テキトーにどこへでも着けるわよ。」

 ジュリオの答えに一瞬きょとんとしたエーリッヒは、くしゃりとわらいながら、そうですね、とジュリオの手を握り返した。



 ドイツ人とイタリア人の話なのに、タイトルが英語って(笑)。


 モドル