ココア
「あなたも遊びたいなら、行ってきていいですよ」
書類を手にじっと窓から外を眺めているシュミットに、
ノートパソコンを前に作業していたエーリッヒは声を掛けた。
「データ整理は、一人でも出来ますから」
明日、第二回WGP参戦の為アメリカへと出発するアイゼンヴォルフメンバーは、
空港近くにあるヴァイツゼッカー家所有の別荘に集まっていた。
エーリッヒは朝から、そのWGPへの備えとしてデータ整理に余念がなく、
特に用のないシュミットも書類分類の手伝いなどをしているところである。
「エーリッヒ、私は別に、雪遊びをしたくて眺めていた訳ではないんだが」
視線をエーリッヒに戻して、シュミットは苦笑した。
外は一面の銀世界。
雪遊びをするのだと言って出て行ったミハエルが広い中庭ではしゃいでいる。
アドルフがそのすぐ傍でお相手を務め、ヘスラーは番犬よろしく少し離れた場所で見守っていた。
「雪遊びも楽しそうではあるが、この暖かい部屋で、のんびり紅茶を飲みながら、
お前と共に在ることのほうが、私は何倍も楽しいし、幸せだからな」
蜜月真っ只中のような台詞を臆面もなく言ってのけ、シュミットは
テーブルの上に置いてあったティーカップを優雅な仕草で取り上げてみせる。
「それなら何故、そんなに外を気になさるんですか?」
私だけを見ていてくださればいいのに、とエーリッヒも負けずに返した。
傍観者がいれば、砂糖を喉に詰まらせそうな二人である。
「そろそろ引き上げさせたほうがいいかと思ってな」
シュミットは窓の外、ミハエルを目線で示した。
「そう言えば、そうですね。随分長い時間遊んでいますし、少し日が翳って気温も低くなってきていますし」
エーリッヒは窓から空を眺める。
ミハエルは、そんなに身体が丈夫ではない。雪が積もって溶けないほどの寒さの中で、
いつまでも遊ばせてはおけないし、第一疲れが溜まるとすぐに熱を出す。
明日の移動も楽ではない筈で、体力は温存しておいたほうがいい。
「ああ。それにもうすぐ夕方だから、風も強くなってくるだろうしな。頃合いだろう」
シュミットは、窓ガラスを少し強めにこんこんと叩いた。
窓の一番近くにいて、その音に気付き振り向いたヘスラーに、ミハエルを連れて戻ってくるよう、
手真似で示す。ヘスラーは腕時計を確認して頷くと、ミハエルとアドルフのほうへ歩いて行った。
「あー、楽しかったあ」
りんごのような頬をして戻ってきたミハエルは、幸せそうに笑う。本当に楽しかったらしい。
こういうときのミハエルは年相応に見えて、とても可愛かった。
「ですが、寒かったでしょう?」
マフラーを外すのを手伝いながら、エーリッヒは訊ねた。
「うん、ほら、手がかじかんでるよー」
楽しいときは、そんなことは気にならず、それに動いていたので、身体の中心部はさほどではないが、
末端部は驚くほどに冷たくなっている。
「……ああ、本当ですね、随分と凍えて」
エーリッヒは、ミハエルの手を両手で温めるように挟み込んだ。仕草が何だかお母さんである。
「身体の中からも温めたほうがいいかもしれませんね。何か飲みますか?」
「ちなみに選択肢は、ココアと紅茶ですが」
部屋の気温をもう少し上げようと、暖炉の火をかき熾していたシュミットが、エーリッヒの問いに続けて、
言葉を重ねた。
「じゃあ、ココアにしようかなあ」
ミハエルは甘いものを選び、それから不意に瞳をきらきらとさせた。
「……ミハエル?」
こういう表情をしたときのミハエルは、要注意で、エーリッヒは僅かに身構える。
「エーリッヒ、こっち来て座って」
きらきらモードのまま、ミハエルはエーリッヒの腕を取ると、大きなソファーに座らせた。
そして、膝の上に、よいしょっと、とよじ登る。
「どうしたんですか、小さな子供みたいですよ?」
らしくもない天才少年の行動に、エーリッヒが戸惑っていると。
「だって甘えてるんだもーん」
ふふ、と楽しげに、ミハエルは笑った。
そして、意味深な眼差しでエーリッヒを見詰めながら、首筋に両手を回す。
「ねえ、あっためて?」
極上の笑顔で首を傾げられて、エーリッヒは眩暈がした。
「あっためてと言われましても……」
具体的にどうしろと要求されているのかが分からずに、言葉を失っていると、
からんからんという音と共に、足許にココアの缶が転がってくる。
転がってきた先を視線で追うと、シュミットが立ち尽くしていて。
……蓋を開ける前で、中身が散乱しなかったのが不幸中の幸いでしょうか。
エーリッヒは視線を逸らし、足許のココアの缶を観察した。
ココアをいれる準備をしていたところにミハエルの「あっためて」攻撃に撃墜されたらしい恋人の姿を、
それ以上見ているのはしのびない。
「エーリッヒなら知ってるでしょ? 人間同士があっためあう方法。……いろいろオトナな訳だしv」
オトナ、のところをミハエルは強調した。
……そう来ますか。
「ええ、まあ」
今日のは手が込んでますねと思いつつ、一応少し恥じらいを見せ、エーリッヒは頷いた。
「教えてよ」
実地で、とミハエルは付け加える。明らかに遊んでいるのに、本気の顔なのが怖いところだ。
「そうですねぇ」
どうしましょう、とエーリッヒが呟くと。
「エーリッヒっ」
まさか、とシュミットは焦った。
そんなシュミットに、大丈夫ですからとエーリッヒは頷いてみせる。
「ミハエル、いろいろ知ってはいますし、いくつかは実践もしましたけれど」
エーリッヒは膝の上にちょこんと座って自分を見上げてくるミハエルに、やわらかな口調で話し掛けた。
「ですが、それはシュミット限定なんです」
はっきりと言い切られ、澄みませんと頭を撫でられて、エーリッヒの膝の上からぴょんと飛び降りる。
「……つまんない。もうちょっと動揺してくれてもいいのに」
頬をふくらませて、そう拗ねてみせたが、目が笑っていて。
「はい、澄みません」
エーリッヒも台詞こそしおらしかったが、口調はそうでもなくて。
本日のレクリエーション終了、と言ったところである。
「まるで、私だけが空回りしているようだ」
その夜、エーリッヒと二人きりになる機会を得たシュミットは、大仰に溜息をついてみせた。
「そうでないとは言い切れないですよね」
「……エーリッヒ、そこは嘘でも「そんなことはありませんよ」とかだな」
冷静に語るエーリッヒに、少しでいいから優しくしてほしいと思う。
「何を言っているんですか。あなたは嘘は嫌いでしょう?」
シュミットは、辛くとも事実を受けとめて、強くなるタイプだ。
「厳しいな」
シュミットは、肩を竦めた。
「……まあ、私の修行が足りないのも確かだからな。あんなことでいちいち動揺しないよう、
努力することにしよう」
シュミットとて、ミハエルが二人をからかって遊んでいることくらいは百も承知なのだが、
だからと言って、エーリッヒが絡むと冷静ではいられない。
「そのままでもいいですよ?」
エーリッヒは、シュミットの決意に水を差した。
「え?」
「そういうのも嬉しいです」
何とも思っていなければ何の反応もしてもらえない訳で、シュミットが焦る姿は、
多少かっこ悪くても、嫌だと思ったことはない。普段冷静で切れ者なだけに、
むしろひどく幸せな気持ちになることがある。
「……覚えておこう」
シュミットは少し照れくさそうに呟いた。
「今夜、私の部屋に来るか?」
何となくそういう雰囲気になって、シュミットはエーリッヒの手を取った。
「温まりにですか?」
手を重ねながら、エーリッヒはくすくす笑う。
「……それも込みだがな」
それだけではないことは、勿論互いに知っていた。
「あ、遅かったね」
シュミットが泊めて貰っている部屋に戻ると、何故かミハエルに手を振って出迎えられてしまい、
目が点になる。
「ミハエル? この部屋で何をしているのですか?」
「えー、今夜一晩泊めてもらおうかと思って」
ミハエルは、持って着た自分の枕を示した。そしてしっかり寝巻きに着替えている。
「……何故」
シュミットは訳が分からずに短く問う。
「だって僕の部屋、風の音がうるさいんだもん。あれ、エーリッヒも一緒?」
シュミットの後ろにエーリッヒを見つけて、ミハエルはまた手を振った。
「あ、もしかして今から「あっためる」の実地? いいよ、僕のことは気にしないでやってやって」
そう言われて、はいそうですかと、人前で出来るほど、二人はこなれている訳でもなくて。
「……申し訳ありませんが」
シュミットは、こめかみを引きつらせながら、ミハエルを抱え上げた。
隣のアドルフの泊まっている部屋をノックして、寝呆け顔で扉を開けたチームメイトに、
チームリーダーを手渡す。
「今夜はここでお休み下さい、では、また明日」
「あ、酷ーい」
「……お互いさまです」
シュミットは、アドルフに何事かと問う暇も与えずにさっさと部屋に戻り、しっかりと鍵をかけた。
その夜二人が温めあったのかどうかは謎だが、ミハエルは「ねえ僕ってお邪魔虫?」などと
返答に窮することを訊ねて、アドルフを困らせたらしい。
(終)
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