どうしたって淋しいんだ。
一輪だけの花。




アルストロメリア



「おっれーのまーぐなーむ世界一ー
ソニックなんてー目じゃねーぜー
トライダガーもいちころだー
はやいぞはやいぞかっとびだー♪」

自作の歌を大きな声で歌いながら、
豪は自宅への道を辿っていた。
右手に握った一輪の花を、
指揮棒のように振り回す。
それは、本当はたまみ先生のものに
なるはずの花だった。
放課後、残されて冬休みの算数の宿題を
させられていた豪のところに、
髪をびしっとキメた(ただし服装はいつものままの)
ファイターがやってきた。
大きくはないが綺麗な、花束を抱えて。
たまみ先生はどこかと聞くファイターに、
豪はたぶん職員室じゃねーの、と答えた。
豪に礼を言って嬉しそうに去っていった
ファイターの、立っていた場所に
忘れられたように落とされていた花。
豪がそれに気づいたのは、
算数の宿題をなんとか終えて、
たまみ先生にノートを提出しようと
教室を出たところだった。
新学期が始まったばかりの廊下は
びっくりするほど冷たくて寒くて、
そこに取り残されていた花は
すきま風を受けて震えていた。
職員室でファイターと談話していた
たまみ先生になんとか帰りのお許しを得て
校門をくぐるまで、
豪は自分が手に握ったままだった
花の存在を忘れていた。
思い出しても、一度出てしまった
学校の敷地内にもう一度戻る気はせず、
豪はその花を持って帰る事にしたのだった。

一輪だけの白い花。

女性のスカートを連想させる、
ふわりとした白い花弁が5枚。
そのうち真ん中にある2枚にだけ、
赤紫の筋が中心に向けて入っている。
それは可憐という言葉が似合う花だったが、
豪にはそういった感想はなかった。
やがて、すべての曲がり角を曲がり終え、
家まで一直線という道路まで出た。
豪は素早く、ランドセルからミニ四駆を取り出す。
よい子は道路でミニ四駆を走らせたりしては
いけないのだが、豪はいつもこの場所で
マグナムを走らせる事にしていた。
そのほうが、よっぽど早く家まで走れる。
この道が工事中で車が通らなかったときには烈とも競争した。
工事が終わってから烈は走らなくなったが、
豪はどうしても、一秒でもマグナムと走っていたいという
欲望が道徳観を凌駕していた。
スイッチを入れると、
気持ちのいいモーター音が耳に馴染む。

「いっけーーーマグナーーーム!!!!」

地面に置いたとたん、マシンは道路を捉え、
グリップして走り出した。

「よーーっし、いいぞマグナーム!
って、あ、あらら?」

駆け出した豪など気にも留めぬスピードで、
マグナムは真っ直ぐに道路を走っていく。
どうして、という疑問と、そういえば、という回答は
同時に豪の脳裏にひらめいた。

「しまった、グランプリマシンに
チューンナップしたんだった〜!!!」

もう目前に迫ったWGPに向けて、
豪をはじめ烈、藤吉、リョウ、Jのマシンは
グランプリマシンに改良された。
それ用のモーターが搭載されたマシンは、
何度かコース上を走っているところを
見ているはずの豪の想像を超えて早かった。
それはあるいは、GPチップが
豪のかっとびを覚え始めているからで。

「うわああああ、待ってくれ〜マグナーーーム!!!」

あっという間に見えなくなってしまった機影を追いかけ、
豪は必死で走った。
交通量の多い道路にでも飛び出してしまったら、
マグナムは粉々になってしまう。
そんなのは絶対に嫌だ。
ドブに沈むのも嫌なら、
犬に咥えて持っていかれるのも、
サルのオモチャにされるのも嫌だ。
あくまで豪に描ける範囲の最悪を
いくつも頭に思い浮かべながら、
豪は短い足を必死になって動かしていた。
と、豪の目に、見慣れた青と白の
カラーリングが飛び込んできた。

「あっ、マグナムっ!!」

声を上げると、小さな車のオモチャを
手にしていた少年はぴくりと顔を上げた。
銀の髪とブルーグレイの瞳の、背の高い少年だった。

「げ、ガイジン…」

英語などまったくできない豪は、一瞬ひるんだ。
だが、何よりも大切なマグナムが
その少年の手の中にあるというのだから、
勇気を奮い起こさない訳にはいかない。

「あ〜、あ、わりーわりー。それ、俺のなんだよー。
返してくれねーか?」

左手を差出しながらストレートに言い、
そのあと、日本語わかるかな、と声を消さずに呟く。
相手に対して発した言葉なのか、
自分に向けた疑問なのかは分からなかった。
少年はにこりとして、
手にしていたミニ四駆を豪の掌に乗せた。

「お、さんきゅー!」

返ってきた宝物をぎゅっと握りしめ、
豪は寒さで赤くなった頬で照れ笑いをした。

「いやー、こいつ早くってさぁ。
追いつけなくなっちまって」
「いいマシンですね」
「お…おう!」

流暢な日本語が、豪を驚かせた。
だが、それ以上に、大人の雰囲気を備えた少年の笑顔。
冬の空気の中で、ダイヤモンドダストのように煌くその表情。
趣や風流といったものに疎い豪でも、
一瞬どきりとしてしまうような。
静けさと柔らかさと儚さとを併せ持つ、
綺麗な笑顔だった。

「っていうか、お前もミニ四駆やるのか?!」

だが、情緒は興味には勝てなかったらしい。
少し前、WGPプレグランプリで戦った
アストロレンジャーズに勝てなかったことを
しばらく引きずっていた豪は、
外国人のミニ四レーサーに対して
普通よりも過敏になっていた。

「ええ」
「なら、勝負しようぜ!!」

唐突な申し込みに、
少年は目をぱちくりとさせた。
だが、すぐに微笑を取り戻す。

「すみません。
今はマシンを持っていないんです」
「へ? 何で??」
「なんで、と言われても…、
ただの散歩にミニ四駆は持ち歩かないでしょう?」
「何言ってんだ、そんなのおかしいじゃねーか!
マシンとはずっといっしょにいるもんだろ?」

白い息を吐き出しながら反論した豪に、
少年は懐古的な視線を向けた。

「そう…ですね。
僕達はおかしいのかもしれません」

豪にマグナムを手渡した右手を
見つめながら、握ったり開いたりする。
そこにないマシンの感覚を、
思い出そうとするかのようだった。
その行動がひどく淋しそうに見えて、
豪はそれ以上何も言えなくなってしまった。
怒られた子犬のように元気を
失くしてしまった豪に気づき、
少年はすみません、と言った。

「あ、あのよ! これ、やるよ!」

また口を開きかけた少年に
言葉を継がせぬうちに、
豪は押し付けるように白い花を渡した。
何か持つものがあれば、
もしかしたらこの少年の寂しさを
紛らわすことができるかもしれない、
と思ったかは分からないが。
本能的に、とっさに、その行動しか
豪には思いつかなかった。
押し付けられた花を見て、少年は口元を綻ばせた。

「アルストロメリアですね」
「あすと…? なんか、
アストロレンジャーズみたいな名前だな!」
「アストロレンジャーズ…アメリカの?」
「そうそう! お前も知ってんのか?
そっか、ガイジン同士だもんな!」

国籍などまったく無視した豪の発言に、
少年は苦笑した。
プレグランプリでアストロレンジャーズの
名前は日本に広まっている。
ミニ四レーサーなら知っていても不思議ではない。

だが、…だが、待てよ。
自分はどこかで、この少年を見たことがなかったろうか。

笑みを消し、少年は豪の顔をじっと見つめた。
何かを思い出そうとするかのように。
さっき、笑顔が綺麗だと思ったが、
こうして眉を上げて厳しい表情を作っていると、
近寄りがたい、硬い雰囲気になる。
纏う空気を変えた少年に、豪はな、なんだよ、と
少し怯えたように言った。

「…Aha、」

何かを納得したようにぱちりと一度瞬きをして、
少年はなんでもありません、と答えた。

「そうか? ならいいけどよ」

ぱっと明るさを取り戻し、豪は元気よく答えた。
変なところは鋭いくせに、
おかしなところは抜けている豪は
気がつかなかった。
笑顔は戻ったのに、少年の雰囲気は戻っていない。
柔らかさの中に鋭く光る、獲物を見つめるような瞳。
ふと、その瞳が別の方向を向いた。

「…すみません、そろそろ帰らないと」
「あっ、俺も! 早く帰らねーとポケモン始まっちまう!」

慌てて背を向け、走り出した豪は、
ほんの10メートルほど行った所で立ち止まり、
くるりと少年を振り返った。
少年もまた、立ち去ろうとしているところだった。
その背に、大きな声で追いすがる。

「もうマシンから離れたりすんなよな!
今度は勝負しようぜ!!」

豪の声に振り向いた少年は、
楽しそうに笑った。

「ええ、必ず」

今度は、サーキットで。
グランプリレーサーとしての顔で。

「またお会いしましょう、ゴー・セイバ」

ぶんぶん、と手にしたマグナムを振る豪に、
少年はアルストロメリアの花を掲げて見せた。
それを見て満足し、豪は再び前を向いて駆け出した。
そうして、家の前まで走ってきてふと、思う。

「あれ? あいつなんで俺の名前知って…?」



インターナショナルスクールの寄宿舎に帰る道中、
青い瞳のドイツ人は白い花の香を嗅いで
くすりと口元に笑みを浮かべた。


1997年1月9日。

WGP開催まで残りあと9日。


≪ENDE≫

アルストロメリア
花言葉:持続、援助、エキゾチック、
華奢、柔らかな気配り、幸い、
凛々しさ、人の気持ちを引き立てる、
未来への憧れ


 ホワイトヘブンとかクリスタルとかディステニーとか、
白いアルストロメリアにもイロイロ品種があるのですが、
ここで描きたかったのはエベレストという種類です。

モドル