君を愛さないということは、
息をしないことと似ている。


HOCHROT ROSE


「不愉快だ」

突然シュミットはそう口にした。
エーリッヒは眉間に皺を寄せる。
カーテンを通して差し込む淡い月光が、シーツの波に柔らかい陰影を描いていた。

「一体、何がですか?」

闇の中に沈んだ、漆黒に見える髪に
指を差し入れて梳いていたエーリッヒは、その手を止めて尋ねた。
シーツの中から手を出して、シュミットはエーリッヒの頭を引き寄せる。

「また、お前の方が年上になった」
「…どうしてそれを今頃言うんですか?」

今日は一月の終わる日だ、そんな台詞を言うならば
5日のエーリッヒの誕生日に言えばいい。
その日の夜も、今日と同じようにして過ごしていたのだから。
シュミットは口を閉じてエーリッヒと唇を重ねた。
どうして、という理由はない。
ただ、こうやって一緒にいるときに感じる距離が、また開いたような気がしただけだ。
身長の差も、殆どなくなったとはいえ、まだ若干エーリッヒのほうが高い。
瞳の色、肌の色、声、思考、信仰、行動。
何もかもが一緒になることなんてできない。
二人は違う人間なのだから。
だから、求め合うこともできるのだから。

だけれど、二人は遠すぎる。

ちゅ…、と微かな音をさせて唇を離し、
シュミットはエーリッヒの顔をしっかりと自分の方に向けて固定させた。
淡い青い瞳の中に、シュミットは自分の色を見た。

「すぐにまた、同い年になれますよ。…待っていてあげます」

視線を逸らさず、エーリッヒはくすくすと笑った。
腕を伸ばし、シーツの中で白い身体を抱き寄せる。
少し憮然としながら、シュミットは伸ばしていた手をエーリッヒの背に回して身を寄せた。

「…子供扱いするな」
「子供でしょう、僕よりも」
「それが、嫌なんだ」

腹立ち紛れのように鎖骨に噛み付くと、エーリッヒは微かに顔をしかめた。
だが、腕を離すことはせずにじっとしている。
まるで、敵意がないことを示すように。
相手の警戒を解こうとするかのように。
シュミットは噛み付いた滑らかな肌にキスをした。
微かに歯型が残っていた。

…消えなければいい。

付けた傷をなぞる指の動きがくすぐったくて、エーリッヒはくすくすと笑った。

「我儘ですね」

ぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
紫の瞳が仄かな月の明かりで煌く。

「知っていただろう?」
「ええ、知っていました」

ずっと前からね、と言って、エーリッヒはシュミットの額に口付ける。
こうやって、あやされてしまうのが悔しいのだ。
エーリッヒは判ってくれない。
もう何年間傍にいるか忘れたが(いや実際には覚えているけれど)、
彼はいつからか、自分に対して保護者のようになった。
昔から、我儘を言うのはシュミットの方で、
それを受け止めるのはエーリッヒの役目だったけれど。
いつから、こいつはこんな余裕の顔で。

「…待っていろよ、私の傍で」
「ええ」
「忘れるな、約束だ」
「…ええ」

言葉だけでは安心できない、という風に、シュミットはキスを促した。
自分からキスをすることに慣れていないエーリッヒは頬を染めて躊躇う。
そっと顔を近づけると、長い睫が微かに揺れた。

「…じれったいな」
「えっ…ん、」

待ちきれなくなったかのように自ら唇を重ね、
シュミットはエーリッヒの口腔内に舌を差し入れる。
びくりと強張った身体を溶かすように、シュミットはことさらゆっくりと舌を絡めた。
顔を離すと、はっ、とエーリッヒは大きく息を吐いた。
薄く目を開けると、痛いほど真剣に見つめている恋人の視線がある。
エーリッヒは微笑んだ。

「貴方の傍に居ますよ?」

シュミットは答える代わりに強くエーリッヒを抱きしめて、目を閉じた。

…約束だ。









シュミットは、けたたましいほどの呼び鈴の音で目を醒ました。
カーテンの隙間から溢れる陽光は、
すでに午前もいい時間なのだろうことを物語っている。
ふと、一緒に眠ったはずの恋人の姿がすでに見えない事に気がついた。
半年ほど前のことが頭をよぎる。
自分が眠っている間に、彼が姿をくらましてしまったという悪夢のような出来事。
だが、今回は違う。
だって、何も理由を聞いていない。
詮無い嫌な妄想を断ち切り、シュミットはベッドを降りた。
やかましく鳴り続けている呼び鈴を、とりあえず今は止めなければ。
ジーンズとシャツ、というラフないでたちで玄関に向かった。

「Guten Morgen☆」

エーリッヒ以外からは久しく聞かなかった母国語に、シュミットは頭を抱えた。
ドイツ語を忘れてしまった、というわけでは当然なく。
その声に嫌になるほど聞き覚えがあったからだった。
ドアを開けると、当たり前のように太陽のような笑顔が待っていた。

「Guten Morgen…。…久しぶりだな」

頬を引き攣らせながら挨拶する。
ミハエルはうん! と元気に頷いて、主の了承も得ずに家の中へと入ってきた。
不法侵入で撃ち殺すこともできるんじゃなかろうかと
一瞬物騒なことを考えてしまったが、
シュミットは頭を振ってその考えを振り払った。

「エーリッヒは? いないの??」

台所やバスルームを一渡り見て回ってから、ミハエルはシュミットに尋ねた。

「それとも、まだ寝てるの?」

ベッドルームへと続くドアを見やって、ミハエルは意味深な視線をシュミットに投げた。
…この人に隠し事などは通用しない。

「いや。そこにはいない」
「じゃあどこ行ったの? もしかしてシュミットってば、また捨てられちゃったの?」
「…どこまで知ってるんだ…」

台所で紅茶を淹れる準備をしていた手を止めて、シュミットはミハエルを睨む。
褪せない魅力を秘めた若葉色の瞳をシュミットに向け、
ミハエルはどこまでもv と答えた。

「あーあ、エーリに会いにわざわざ来たのに、いないんじゃつまんないなぁ」

大輪の白薔薇の花束をテーブルの上に置いて、ミハエルは呟いた。
無造作に置かれた薔薇は、一目見ただけで高級なものであることがわかる。

そんなものを持ってきてもエーリッヒに気を使わせるだけだというのに、
ミハエルはエーリッヒへのプレゼントにさした気兼ねもなく高級なものを送りつけてきた。
現に、この5日にも。
ブランド物の最高級腕時計を送られて、エーリッヒはおろおろしていたというのに。
始末が悪いのは、本人はそれを高級品だと自覚していないところだった。

「どうせもうすぐ戻ってくるだろう。暫く待っていろ」

相手が私ではつまらんだろうがな、と言い添え、
シュミットは久々に自分で淹れた紅茶をテーブルへと運んだ。
ミハエルは上着を脱いで椅子に座り、紅茶のカップに指をかけた。

「…飲めるの?」
「失礼なことを言う。私に不可能はないぞ?」

相変わらずの不遜な言葉に笑いながら、ミハエルは一口、紅茶を啜った。

「…やっぱりエーリッヒの淹れたほうが美味しいね」
「なら飲むな」
「それはそれとして、お茶菓子は出ないの?」

…こめかみが引き攣るのをどうしようもない。
不承不承ながら立ち上がり、台所へと引き返す。
…あいつは、甘いものをどこへしまっていただろう。
引き出しや戸棚を3つ4つ開けてみるが、食器や調味料の他は発見できない。
不満そうな顔をしているミハエルを振り返って、シュミットは携帯電話を取り出した。
情けないが、家事はエーリッヒに頼り切っていたのだから仕方がない。
一番最初に登録したわりに殆どかけたことのない電話番号に繋ぐ。

「…シュミットー?」
「ちょっと待っていろ」

呼び出しのコールに耳を澄ましながら、シュミットはミハエルの言葉を制する。

「ベッドルームで鳴ってるよ」
「…っ!」

あいつはまた、とベッドルームのドアを開ける。
ベッドサイドの小テーブルの上で、
銀色の携帯電話が面白みのないコール音を上げていた。

「…携帯を携帯しないのがあいつの悪い癖だ…」

携帯を取り上げ、シュミットは溜め息を吐いた。

「お茶菓子は我慢してもらうしかないな」
「えー? シュミットが買いに行くっていう手段は?」
「………」

…いっそくびり殺してやろうか。
だが、この年下の少年に逆らえないのは昔からのことだ。
シュミットは黒いコートを羽織った。

「5分ほどで戻ってくる。余計なことはするなよ」
「子供扱いしないでよね」

その台詞に昨夜の自分を思い出し、シュミットは苦笑を禁じえずに家を出た。
年下はどうしたって子供扱いされる運命にあるのかもしれない。
最寄のパン屋で適当にクッキーを見繕う。
帰り道で、ふとフラワーショップの店頭に飾られた真紅の薔薇が目に留まった。
ミハエルの持ってきたホワイト・マスターピースが思い出される。
…まだまだ、甘い。
シュミットは店に入った。
エーリッヒが笑顔で受け取ることのできる上限値を、ミハエルは知らない。
蕾と四分咲きの薔薇を2、3本選りすぐって、包んでもらう。
店を出たところで、よく見知った顔に出くわした。

「どなたかとデートですか?」

スーパーの買い物袋を提げたエーリッヒが、薔薇を見て尋ねる。
月光のような穏やかな笑顔が、それが冗談であることを肯定していた。

「クッキーと薔薇を持って?」
「公園へピクニックにでも?」
「それにはまだ寒い。図書館かな」
「図書館内は飲食禁止です」
「映画館?」
「…悪くないですね」

ふふ、と笑うと、白い息が広がる。
赤い薔薇をエーリッヒに差し出して、シュミットは誘うように囁いた。

「デートにお付き合いいただけますか?」
「家に誰も待っていないのなら?」
「…気づいていたか」

残念そうに舌打ちをしたシュミットに、エーリッヒは苦笑する。

「貴方が買い物に出るなんて、原因は一つくらいしか思い当たりませんよ。
…莫迦な事を考えないでください」

後からご機嫌を取らされるのは僕なんですから、と言って、
エーリッヒはシュミットの持っていたパン屋の袋も取り上げて先に立った。
シュミットはすぐに追いつき、黙って彼の隣を歩く。

「エーリッヒ」
「何ですか?」

家の玄関をくぐったところで、シュミットは立ち止まった。
振り返ったエーリッヒに柔らかいキスを。

「愛しているよ」
「…知っていますよ?」

お返しのようにシュミットの唇の端にキスをして、エーリッヒは家の中に向かって
ただいま、と言った。



「好き」なんて言葉は、
細い細い糸に過ぎない。

だから、何度も何度も囁き紡ぎ、
絡めて強めて切れないようにするのだ。

君が私から離れないように。

<ENDE>


薔薇:愛、温かい心、愛嬌、満足、無邪気、嫉妬
赤:情熱、熱烈な恋、君のみが知る
ピンク:一時の感銘、満足
黄:嫉妬、美、愛の減退
白:純潔、尊敬、私はあなたにふさわしい
青:不可能
トゲ:不幸中の幸い

シュミ☆エリですよ!!(強調)
どっかの小説と繋がってますなぁハッハッハ(しかも捧げものと)。
シュミットが本当に不愉快な理由は、
私がエリ誕まつりを開催したから(エーリッヒが多数の人に祝われたから)だったりして(笑)。
彼らは今年、うちのHPでは19歳になりますです、ハイ。



モドル