夢を見た。
 いつもの通り、二人同じベッドで寝ていた。
 目の粗い、白いカーテンから朝の光が差し込んでいた。
 未だ眠っている彼を引き寄せて抱きしめようと腕を伸ばしたら、
 その指先からゆっくりと、体がとけていく。
 何かを叫ぼうと、彼の方を見て、口を閉ざす。
 彼はいつの間にか目を開け、静かに、笑っていた。
 大好きな色の瞳には、何の感情も宿っていないように見えた。

「...Gute Nacht」

 聞きなれた声が、耳から離れない。




 SCHWARZ KAFFEE PLUS WEISS MILCH




「Libest du mich?」

 いつのまにか背後に忍び寄っていた存在が、首に腕を回し、そういって体重を預けてきた。
 その存在は僕にとって非常に重くてたいせつで、束縛であるけれども自由でもある。
 ひどくあまくて同時ににがい。
 パソコンの前の椅子に座っていた僕は彼の体重のぶんだけ傾き、
 また力を入れてすこしだけ身体を起こす。
 「Ja」、とただひとこと、それだけいえばいいだけなのに、僕は口をつぐみ、顔をほてらせる。
 僕はそういった感情を態度や行動に示すのが苦手だ。
 正反対に、はっきりとそうしめしてくる彼にはいつも閉口させられるが、その彼に応えることで、
 僕は僕なりに答えを明確に返しているつもりだった。
 倫理観や性格が邪魔をして、素直になれることはあまりないけれど。
 でも、僕が彼からの要求を本気でいやがりなどしないことくらい、彼は知っている。

「...Erich?」

 わずかに腕に力をこめて返事を求めるしぐさは、普段の彼に似ずかわいくて、微笑を誘う。
 彼の右手にある白いコップの中で、黒い液体が揺れた。
 それは僕の目のはじで、危ういバランスを丁寧に維持されていた。
 白いふちから零れ落ちたら取り返しがつかないから。
 ゆっくり、まるい壁にそってコーヒーが踊る。

「Beantworte mir auf meine Frage」

 はぐらかすことは許さないと、束縛を強めた腕が雄弁に語っていた。
 もう何度、こうやって詰問されてきたか知らない。彼は執拗に、僕の口からその言葉を聞きたがる。
 子供みたいにむずがりながら、くたびれた解けないパズルを口先でもてあそんでいる。
 答えを知っているくせに、わざと親に聞くように。

「Er ist die dumme Frage」

 彼の口調を真似て、僕は言う。
 背後の彼が硬直した気配。
 本当は、くだらなくなんてないことは解っていた。
 これは僕と彼との関係の、基本的な部分だから。
 次の段階へレベルアップさせるための、電池交換にほかならない。
 いや…、僕らのあいだをより円滑に動かすための、グリス塗りといった方が正しいだろうか。
 幼い子供は自分の遊びを否定されれば、その意義を守ろうと躍起になる。

 「...Was willst du damit sagen?」
 「Ich bitte um Entschuldigung」

 どれだけ些細なことであったとしても、からまってちぎれてしまう可能性は否定できない。
 いつものように、僕は早めにその未来から逃げ出した。彼の機嫌を損ねることも、
 ちぎれてしまうことも、僕にとっては恐怖以外のなにものでもない。
 でも、沈着冷静な彼を乱すことができる優越感のもとに、僕はぎりぎりのラインを辿るのが好きだ。
 ほんのすこしだけ、まるで好奇心のなさせるいたずらのように、彼の雰囲気の変化を感じたい。
 素直に謝ってしまうと、シュミットはまた雰囲気を和らげた。
 黙って、僕の肩に頭をのせる。柔らかい栗色の髪が、首筋をくすぐる。

「Ich liebe dich」

 ひとりごとの響きで、囁く。聞きようによっては、寝言のようにも聞こえた。

「Schmidt?」
「Leugne nicht」

 違う。
 これは、祈りだ。僕だけに捧げられた、弱みという名の。
 瞬間的に、後悔が胸に棘を突き刺した。

「...Entschuldigung bitte」

 謝罪は口をついて出る。僕の悪い口癖。
 謝ればいいというわけではないけれど、気がつけば漏れている一言。
 彼が望んでいるのは、こんな言葉ではない。
 目を閉じた。コップの残像が網膜の裏にちらつく。
 彼を傷つけた。
 ついた傷からこぼれ落ちる液体は、はたして白いのだろうか黒いのだろうか。
 癒すことはできないけれど、痛みを和らげる呪文を僕は知っている。

「Du bist mein」
「...Und du bist mein, nicht?」

 首筋にたゆたっていた髪が離れた。
 好きだとか愛してるとか、そんな言葉は気恥ずかしさが先に立って言えない。
 だから、僕にできる最大の譲歩を。
 僕にプライドを預けてくれた、彼へのお礼として。

「...Ja」

 頭頂部を僕の背中におしつけて、笑みを押し殺したような声で返事をする。
 彼の顔がみたくて振り返ろうとするけれど、それは叶えられない。
 かわりに、僕のまわりをとりまいた吐息のようにゆるやかな空気が見えた。
 僕らは、コーヒーとそこに落としたミルクに似ている。
 もとは違うものだから、どれだけ頑張っても同じものにはなれないけれど、
 ぐるぐると回転しながら混ざり合ってどちらとも違う色を作る。
 どっちがどっちだか、境界線は曖昧になって次第に消えていく。
 冷たい体が熱い情熱にとりまかれて、体温をわかちあいひとつになる。
 違うものだからこそ、僕らは互いを知ろうとする。すこしでも近づきたくて。近づいた気になりたくて。
 手をのばして彼の一部をつかみ、ひきよせて抱きしめられるように。
 そのとき、互いの体温の差異をこころよいものと感じられるように。



 夢を見た。
 いつもの通り、二人同じベッドで寝ていた。
 目の粗い、白いカーテンから朝の光が差し込んでいた。
 目を開いたら、彼がとけていくところだった。

「...Gute Nacht」

 呟いてとけてしまった彼に覆いかぶさり、自分も解けてしまえばいいと願う。
 二度と目覚めなくてもいいように。
 それは夢の中に表出された、幼い願望。
 とけて、ひとつに混ざりあってしまえばいい。
 寒い日に飲む、一杯のあまいコーヒーのように。

                                        <Ende>