君の嫌いな言葉。
エーリッヒには、物欲というものがない。
昔からそうだ。物持ちが良いわりに、形の有るモノにはあまり執着を見せない。
そこにあるもので自分を満足させてしまう傾向にある。しかも遠慮深いときてる。
私が、欲しいものなら何でも与えようと言ったところで、何も欲しがらないのは目に見えてるんだ。
与えられるという行為が、嫌いではないくせに。
とかく、エーリッヒへのプレゼント探しは難しい。何をやっても喜んでくれる、嬉しそうな笑顔を見せる、
あいつだから、尚更。
できるなら、あいつが切望するものをあげたい。だから、私はこの時期、とくにエーリッヒの行動に目を
光らせている。他人の胸中には鋭いあいつも、それが自分に向けられた途端に鈍くなる。だから、気付きやしない。
……しかし、エーリッヒはやはりいつ見ても綺麗だ。
「…、シュミット、どうかしましたか?」
「ん?」
淡い青の瞳が、私を捕らえた。どこか居心地の悪そうな表情。
「さっきから、ずっと僕の方を見ているでしょう。僕の顔に何か書いてあります?」
書いてある。感情を隠すのが下手なエーリッヒ。判りやすい態度や表情は、たしかに書いてあるようなものだ。
…言いはしないけれど。
「別に。 ただ、お前を見てただけだよ」
一瞬目をしばたたいて、エーリッヒは惑うように私を見つめる。
「僕なんか見ていたって、面白くないでしょう?」
「いや、全然飽きない。お前は綺麗だから」
途端に頬に赤みがさす。心無し上目遣いに、私を睨む。そんな顔をされる度、誘われているように感じる。
無意識の媚態。
「…綺麗って。僕は男ですよ」
「知っている。でも、綺麗なものは綺麗だ」
断言すると、エーリッヒは複雑な顔。唇が微かに動く。言いにくいことを、言い出そうとするときの癖。
「…貴方のほうが、綺麗じゃないですか」
ぽつり、漏らされた言葉にくすぐったくなる。
綺麗なエーリッヒ。
「光栄だな、お前にそう言ってもらえるなんて」
余裕のある反応を返せば、エーリッヒは何処か面白くなさそうにパソコンに向き直る。
「…下らないことしてないで、仕事、して下さい」
「下らなくなどないよ。私にとっては、一日の仕事より、意味の有ることだ」
「仕事してください」
キツイ瞳で睨む、裏に照れによる狼狽。完全に私の方を向かないのは、赤くなった顔を見られたくないから。
逐一、反応が可愛い。
足音を立てずに忍び寄って、背後から抱き締めた。
「ぅわっ!?シュミット!?」
驚いて私の方に向けようとした顔の、頬にキス。触れた部分はすぐに熱くなる。滑らかな肌の、感触が好きだ。
「シュミット!」
怒ったように呼ぶ。でも嫌じゃない。恥ずかしいだけ。だから、笑って言ってやる。
「誰もいやしないだろう?私たち以外、誰も」
ミハエルは、アドルフ、ヘスラーと、図書館へ行っている。あれ程、エーリッヒに冬休みの宿題は早めに
やっておけと言われていたのに、結局誰かを巻き込む。あの人らしいと言えばそれまでだが、
一度キツク言っておかねばならないかもしれない。
「誰もいないとか、そんなの関係ないですよっ!」
本当は有る。嘘つき。素直にならない彼を、そうさせる方法ならいくらでも知っているけれど。
少なくとも今は、こいつの機嫌を害ねたくない。
「…エーリッヒ」
穏やかに呼べば、こいつは落ち着く。
「…なんですか」
「しばらく、こうしていては駄目か…?」
こういう言い方をすれば、エーリッヒは駄目だと言えない。
案の定、エーリッヒはなにも言わずに腕の中で大人しくなった。迷うように伏せた顔は、微かに赤みを帯びていた。
「エーリッヒ…?」
伺いをたてるように尋ねる声 は、ほんの少し演技を含む。エーリッヒの母性本能を擽れば、断れはしない。
断らせはしない。
「…駄目なら、離れるよ」
束縛を緩める。エーリッヒが私の腕を掴む。こいつは、温もりが離れるのを嫌う。嫌がるくせに、
くっついていることが好きでたまらない。
「エーリ…?」
「…しばらくだけですよ」
呟くような声。自分から私を引き止めたことが、言動的に矛盾することに気付いている。
羞恥の為に耳まで染まった、愛しいものの顔。
「ああ」
腕に力を込め直す。
エーリッヒの手は、そのまま私の腕を取っていた。
静かに流れる時間は、莫迦みたいにゆっくりと流れてくれる。
5分ほど、経った頃だろうか。エーリッヒが、声を漏らしたのは。
「………シュミット」
逡巡の末に絞り出したような、遠慮がちな声。私に対して遠慮する必要など何処にもないのに、
エーリッヒはそれでも他人のことを考えている。私のことを考えている。
「何だ?」
「…誕生日プレゼントを、強請っても良いですか…?」
驚いた。毎年本人が忘れている、忙しい新年早々の誕生日。思いだしたのは何故だろう。
エーリッヒを、強く抱く。
「珍しいな、お前が」
嬉しくなる。エーリッヒは本当に親しい者にしか、我が儘を言わない。望まない。
エーリッヒが望むなら、何でも与えてやる。何でも与えてやれる。
自負。
エーリッヒはまた、黙り込んだ。私のことを考えている。
「なにか欲しいものでもあるのか? なんだってやるぞ?」
「…………時間」
「え?」
彼の言葉を、聞き逃したわけではない。だが、よく判らなくて聞き返した。
聞き違いだという気はしなかったけれど。
「時間を、下さい」
今度は大分はっきりと、言った。
時間。
時間を与える。どうやって? 何のために?
「エーリッヒ」
「少しで良いんです。もう少しだけで良いんです。時間を、下さい」
「なにを。お前は何を言っている?」
本気で判らなかった。エーリッヒは振り向かない。ただ、力を込めて私の腕を抱いていた。
時間を?
もう少しだけ。
どうして。
「…年をとるのが嫌と言うことか?」
「大人になるのが嫌なんです」
エーリッヒの表情が、判った。
間違いない。自嘲。
「エーリッヒ」
「御免なさい、気にしないで下さい。貴方を困らせるつもりはないんです」
エーリッヒ。
触れている部分を通して、彼の不安が伝わってくる。
「莫迦でしょう? 僕は臆病者だから。貴方みたいに強くないから。これから先が、恐くてたまらない」
突然、エーリッヒは身体を無理矢理反転させた。
唇を、私のそれに押しつける。
冷たい。
エーリッヒは、微かに笑っていた。
「これから先が、恐くてたまらないんです」
繰り返す。その言葉を。
エーリッヒは保守を望む。「今」を持続させるために努力をする。
私は革新を望む。「今」を打破するために活動をする。
流動しないものの、何処に面白みが有ろうか?
「未来など誰にも判らない。だから、お前の不安は判る。だけど」
「判っています。僕らは歩いていかなければならない。立ち止まってはいけない。僕らは流動を好み、停滞を厭う。
僕らはアイゼンヴォルフ。誇り高き狼です」
アイゼンヴォルフ。
今年で、引退するそのチーム。7年間、所属したチーム。
私達の誇り。
「お前は、狼である前に一人の人間だよ」
未来への不安に怯え、他人への配慮に悩む、一人の人間だよ。
私は、そんなお前が好きなんだ。
エーリッヒにキスを。
「変わっていくだろう、私達を取り巻く環境は。もう、この場所には留まっていられないから。
だけれど、信じてくれなくて良いから、聞いて欲しいんだ、エーリッヒ」
お前が大嫌いな言葉を。
聞いて欲しいんだ。
「私だけは、変わらず傍にいるから。お前の傍にいるから」
エーリッヒの表情が、悲しげに歪んだ。そんな顔を、させると知っていて言った。
彼がなにかを口にする前に、塞ぐ。未来まで否定してしまいそうな、言葉に蓋をする。
信じてくれなくて良いから。
否定しないで。
本気なんだ。
私にとっては、絶対の事実なんだ。世の中に絶対など、ありはしないのだけれど。
「ふ、シュミ、っん…」
逃がさない。言葉も、彼も。ひとつも。
誕生日プレゼントに、時間を?
面白い。
プレゼントしてやろうじゃないか。これからの、私の時間をすべて、お前に。
【了】
シュミット様キモイ(言っちゃったよこの人)。
最初はバリバリギャグやったはずやのに、何でこんなことなったんやろ…?
書き忘れてた…(汗)。シュミット、エーリッヒが15歳を迎える年のお話です。
モドル