か る て っ と 。
◇1◇
こんこんこんっ。
軽くドアを拳骨の甲でノック。有頭骨とレッドオークがぶつかって、小気味よい音を耳に響かせる。
「入るわよ」
中からの返事を聞かず(聞く気すら見せず)、ジュリオは鍵のかかっていないリーダー部屋のノブを下げた。
「…あら」
煙草のにおいのする部屋へ一歩踏み入ったジュリオは、そこに珍しい光景を発見して脚を止める。
ベッドの上に横たわるのはよく見知った顔。
…真昼間から寝こけてるなんて、めっずらしー。
上から覗き込むようにしてカルロの寝顔を見つめる。
顔を近づけても閉じた瞼が上がる気配を見せる様子を見せないことに、ジュリオは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「カ・ル・ロォ〜?」
艶のある声で名を呼び、カルロの耳に息を吹きかける。
くすぐったそうに表情を歪ませながらもやはり起きる気配のないカルロにジュリオはそっと顔を近づけ、
ぎゅっ、と、鼻を摘んだ。
規則正しく上下していた胸が、ぴくり、と痙攣する。
一秒…二秒…三秒…四秒…五秒…六秒………。
「っぶはァっ!!!!」
がばァっ!! と身を起こしたカルロの鼻から瞬間的に手を離して、ジュリオは高らかな笑い声を上げた。
「あはははははっ! チャオ、カルロv」
「ブッ殺すぞてめェ!!!!」
顔を真っ赤にしながら肩で息をしながら、カルロは聴きなれた笑い声に瞬間的に自分の身に降りかかった災いの原因を悟る。
「だぁって、カルロがあんまり可愛い顔して寝てたか・らv」
しゃあしゃあと答えたジュリオに、カルロは追いかけるように怒鳴った。
「「か・らv」じゃねェ!!」
「あら、なぁに? もっとカゲキなことして欲しかった?」
「……いらねェ…」
視線をそらして呟いたカルロの頬に、ジュリオは不意打ちに唇を押し付けた。
「っ!」
反射的にジュリオを払いのけ、カルロは深海の色の瞳でジュリオを睨みつける。
目を細めて、ジュリオは人差し指を自らのふっくらとした唇に押し当てた。
「アタシ、カルロになら殺されてもいいわよ」
途端、眉を寄せて不審な顔をつくったカルロの傍から、ジュリオは立ち上がった。
「…冗談だけどね。ああ、オーナーからのファックス、ここ置いとくわよ」
あははははは、と明るい笑い声を残して、ジュリオは部屋の外へと姿を消した。
「………何言ってやがる…」
かすかに呟き、カルロは寝乱れた髪をかき上げた。
陽光うららかな初夏の日。
釈然としないのは胸中に残る、理解のできない不安の種。
◇2◇
「…ねぇ、聞いてる?」
規則正しく同じ動きを繰り返す手元をじっと見つめながら、ジュリオは言った。
「聞いていますよ? つまり、遊びに行きたいんでしょう?」
ベッドに腰掛け、その手元に神経を集中させながら、エーリッヒはジュリオには向けず穏やかな微笑を浮かべて答える。
そうよ、と頷き、エーリッヒの机に座ってすこし上から見下ろしている形のジュリオはぶらぶらと脚を揺らせた。
「だって、外は天気がいいし。なにかおいしい甘いもの食べに行きたいの」
「僕におごらせて?」
「そう」
正直に頷いたジュリオに、エーリッヒはつい、くすくすと笑い声を漏らした。
その小さな振動で彼の器用な手元が狂わないかと、ジュリオは猫のような視線をそこに向ける。
ジュリオの誘いは初めてではない。過去にも何度か、エーリッヒはかなり強引に連れ回されている。余計な出費は歓迎すべきではないが、彼との外出が苦痛かと尋ねられればエーリッヒは首を横に振るだろう。なぜならば、気負わなくて良い相手だから。最初は何をたくらんでいるのかと気を張っていたが、ジュリオはエーリッヒの意に反して無邪気だった。勿論どこまでも透明な関係になれるはずはない。ジュリオは見せない場所を多く持っていたが、それはエーリッヒにとって、深く関わらずに付き合っていけることを示していた。カルロはジュリオのこういった我儘に当然付き合わないだろうから、ジュリオが上手くたかることのできるエーリッヒのところに来るのにも納得がいく。
……ただ、一つだけ。
エーリッヒは、あまり親友との間に火種を持ち込みたくはなかった。
「行ってもいいですか、シュミット?」
今まで黙って話を聴いていたはずの幼馴染に声をかける。
じっと目を閉じていたシュミットは、うすらと瞼を持ち上げてジュリオを睨み上げた。
赤い唇を余裕の形に歪ませて、ジュリオは夕闇色の瞳を見下ろす。
「…駄目だと言ったら、お前は行かないのか?」
シュミットの答えに、エーリッヒはどうでしょうね、と柔らかく言った。
エーリッヒは、それはシュミットの気分次第だと思っていた。
「いいじゃない、少しの間借りるくらい」
「もっと品行方正で安心できる相手なら、二つ返事でOKしている。こいつを信用していない訳ではないからな」
口を挟んだジュリオにシュミットは手厳しく返し、また目を閉じた。
「…好きにすれば良い」
「珍しいですね」
ジュリオとの外出を快くではないにしろ認めるなど、シュミットには本当に珍しいことだった。
不意をつかれたというふうに手を止めた彼に、エーリッヒの膝を枕にしているシュミットは、ただし、と言う。
「私の相手が終わってからならな」
「…ええ、勿論。さあシュミット、次は左耳ですよ」
部屋を満たすのは必然と道理を秘めた、ひどく優しい春の香り。
◇3◇
「…何かいけないことを考えていたでしょう?」
最近見つけた小奇麗な喫茶店で、エーリッヒは唐突にジュリオに切り出した。
「あら、何が?」
ぱちくり、と瞬きをして、ジュリオは小首を傾げて見せる。
それがひどく芝居じみていて、エーリッヒも大げさに溜息をついた。
「例えば、僕の手元が狂わないかな、とか」
「そんな風に見えた?」
彼のくすくすという笑いは嘲笑というより嘲弄のそれで、ひどく耳に障る。
それでも、エーリッヒはその笑い声が嫌いではなかった。
これもまた、彼と自分との意識の差だと思うからだった。
彼の世界は嘘か虚偽かもわからない嘲りの言葉や態度に浸されていて、反対に自分の世界が沈んでいるのは誠か真実かもわからない敬いのしぐさや語気。
エーリッヒは、正反対にも見えるジュリオが本当は自分とひどく近しいことをも知っていた。
「貴方は本当に、僕の親友のことが好きですね」
皮肉を込めてエーリッヒが言うと、冗談。とジュリオはぷくりと頬を膨らませた。
「アンタのチームの中で、一番アタシ好みなのはアンタよ」
「…それは、光栄ですね」
「何よ今の間は」
聞き捨てならない、という風にジュリオはエーリッヒを横目で睨み、だがエーリッヒは他人行儀な微笑を浮かべたままに視線をそらして流す。
「…でも、僕は知っていますよ」
ミルフィーユにフォークを入れながら、エーリッヒは何かを企むように目を細める。
アタシもこんな顔するのかしらなんて考えながら、ジュリオは何がよ、と言った。
「僕に街を案内させるのは、貴方がいつか本当に歩きたいひとと行く場所に目星をつけてるんだって」
「………ふぅん?そんな風に思ってるんだ」
ビターチョコのケーキを口に運びながら、ジュリオは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
エーリッヒは一切怯まず、落ち着き澄ました表情で紅茶のカップに指をかけた。
「ええ。間違ってはいないつもりですが」
少なくとも、とエーリッヒはジュリオの前に置かれたケーキの皿を目線で示す。
「…貴方の趣味ではないでしょう?」
ジュリオはフォークを口にくわえたまま、僅かに片頬を吊り上げた。
エーリッヒはジュリオの表情には頓着せず、紅茶を飲む。それからふ、と息を吐いて、人悪く笑った。
「酷い人ですね。自分からデートに誘うくせに、僕のことなど何とも想っていないなんて」
「想って欲しいと思ってンの?」
「いいえ」
エーリッヒの素直な即答に、ジュリオはあははは、と声を立てて笑った。何の感情も篭らない音で。
「…でも、アンタアタシの恋人になったみたいよ。アタシのこと何でも知ってるんだから」
ご冗談を、とエーリッヒは目を丸くしてみせた。
「貴方のような暴れ馬、僕にはとても扱いきれませんよ」
「そお?現にアンタは今、乗りこなしてンじゃない」
くすくす笑うジュリオに、エーリッヒはとびきりの笑顔を向ける。
「もう少し判りやすく申しましょう。いつ振り落とされるやもしれない気まぐれな馬なんかには、頼まれても乗る気はしないんですよ」
「…………アンタ、イイ性格してるわ」
普段、女性には絶対に向けない暴言を、笑顔でジュリオには放つことができる。
エーリッヒは背筋を伸ばしたまま軽く背もたれに身を預けた。
「意外ですか? 僕はこれでも、貴方と遊びに出かけられるんですよ」
表情を崩さないエーリッヒにジュリオは一瞬だけ不意を突かれたような顔をしたが、すぐに両目の下に手を持っていく。
「酷い言われようだわ。キズついちゃった」
わざとらしく泣きまねをしてみせるジュリオを尻目に、エーリッヒは明細票を取り上げた。
「今日のケーキ代が慰謝料代わりです」
「……本当、アンタドイツチームには勿体ないわ」
呆れ半分のジュリオの声音に、エーリッヒは立ち上がって手を貸しながら笑った。
「褒め言葉だと受けとらせて頂きますよ」
二人の間にあるのは妥協でも信頼でもなく、真偽を超えた覚悟の駆け引き。
◇4◇
「…オイ」
廊下を歩いている途中に突然後ろから不愉快な声をかけられて、シュミットは眉間に皺を刻んで振り向いた。
レーサーとしての資質はともかくとして、イタリアチームの連中をシュミットは快く思っていない。それは粗野で下品で野蛮で、付き合うとそれらの有害物質で汚染されると頭から決め付けてしまっているからだった。
「何か?」
明らかに嘲りを含んだ笑顔を向けて、シュミットは応える。
カルロはチ、と相手にはっきり聞こえるように舌打ちをして、紫の瞳を睨みつける。
しばしの沈黙に溜息の終止符を打ったのは、シュミットのほうだった。
「用がないなら失礼させていただくよ。生憎私は君のようなのと遊んでいられるほど暇な身じゃないんでね」
「ヘェ? 相棒がいねェから暇で暇でしょうがなくてぶらぶらしてんのかと思ったがな」
ぴくり、とシュミットの眉が片方吊り上る。
「…喧嘩を売るために声をかけたのかい? それならもっと安っぽい相手を探して欲しいものだ」
「………あいつらは何をしてる?」
「なに?」
突然の言葉の意味がつかめず、シュミットはぴたりと口をつぐんだ。頭の中で3回、カルロの言葉を反芻して、ようやく「あいつら」の指す先を見つける。
シュミットはそれこそカルロを小ばかにしたように嘲笑を浮かべた。
「知らないな。何処へ誰と何をしに行って何時に帰ってくるのかなど、親子でもあるまいし聞く必要も知る必要もないだろう。私は相棒を信頼しているのでね」
君と違って、と聞こえてきそうだ。
カルロはそうかよ、と吐き捨てるように言ってきびすを返した。
「…5時だ」
「なに?」
思いがけず掛けられた声に、今度はカルロが動きを止める。
振り返ると、シュミットはすでにカルロに背を向けて歩き出していた。その背ごしに、声だけがカルロに向けられる。
「5時までに帰って来なかったら、私のを探すついでに君のところのも探してやろう」
ひらりと一度手を振ったシュミットに、カルロは余計なお世話だ、と呟いた。
変わらぬ速度で自室への道を辿りながら、シュミットはふむ、とひとつ頷いた。
「…あんな連中にも、私と同じような感情はあるものか」
不意を食らった、というように呟いて、シュミットは微かに嫌味ではない笑みを浮かべた。
…自分の相棒のことが心配になるなんて、可愛いところもあるじゃないか。
カルロの瞳に見え隠れしていた、嫉妬の一歩手前の苛立つ炎。それにすぐに気がついたのは、シュミットも同じものを抱えているからだ。カルロたちの間にはそういう感情は介在していないと思っていたシュミットにとって、それは十分に新しい発見と言えた。
理解の代りに存在するのは、小さな接触で垣間見える類似点。
<終>
いいタイトルが思いつかん!!!
…ういうい様からの20000HITS(多分)リク、
「日常の中の不意打ち」(爽やかにほのぼの)でした。
…………さわやか? ほのぼの? …どこが?!
すんませんリクの中の「日常」しかクリアできてないこと請け合いです。
むしろもぅ日常ですらないかもしれません。ワァおSOS人の話聞けない子!!(違)
こんなんで申し訳ないです。10日以内ならクーリングオフが効きます。ので。
モドル
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