カミサマの条件+



「神、か」

 突然シュミットが言った。
 今まで静かだった相手が突然、しかもよく判らないことを口走った為に、
エーリッヒは怪訝な顔をシュミットに向けてしまった。
 何年も一緒にいるが、ときどき、唐突に何か判らない、難しいことを
言い出すのだ、この人は。
 しかも、聞いている人間には脈絡なしに聞こえるのに、本人はずっと前から
考え続けてきたことらしいから始末に負えない。切々と語られると、
「はぁ、そうですか」と納得するしかなくなる。大抵の場合、このテの会話は
シュミットが語るだけ語ると満足して、終わることが多かった。

 語り出すと長いシュミットのために紅茶をもう一杯用意しながら、
エーリッヒは向かいのソファで居住まいをなおす。

 …大人しく聞くことが、いつの間にか習慣になっていた。
 それを疑問とも思わなかったし、シュミットの話は聞いていて興味深いことが多い。
それに、シュミットは、エーリッヒが興味のある話題を特に選んでいるようだった。
 ときどきは、暫くたって自分の意見がまとまってから反論してみるのだが、
人を言論でねじ伏せるのが得意なシュミットに、敵ったことはなかった。


 長い足を組み直して、シュミットは口を開く。

「神などいないのに、縋ろうとする人間は哀れだな」

 その言葉を聞いて、エーリッヒは今日がイースターの前日だということを思いだした。
 家にいる間は姉や妹と共に、親が隠したイースターエッグを探したりしたが、
シュミットと生活するようになってからは、イースターを祝うこともなかった。
 シュミットは無神論者だったから。
 「神様」という存在自体を嫌っているような言動はシュミットにはよく見受けられたから、
元もとカトリックであるエーリッヒは結構気を使っていた。


 …ま、同性愛が禁止されているのだから、教徒であること自体が不適切な僕は、
天国にはいけないのだろうけれど。
 シュミットと一緒になら、地獄に堕ちたって構わないと思うのだから、
染められてしまったものだと思う。


「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだろう?
 イエスは神ではなく人間であったし、新約・旧約聖書は人間が行ったことを
人間が書いたんだ。奇蹟も神罰もこじつけで、科学的に証明されている。
…それなのに、どうして人は神を崇め奉るのだろうな」

 そこまで喋ってから、シュミットは紅茶で喉を潤した。
 エーリッヒは静かに笑った。

「それは、神様にしか告白できない罪を、皆、心に負っているからですよ。
そして、自分を取り巻く環境を変えていただけるのは、神様しかおられないと、
信じているからですよ」
「そんなのは弱者の言い訳でしかない。結局自分の罪を贖えるのは自分だし、
環境を変えられるのも自分だ。自分で自分をも助けられぬような者など、「神」は
相手にするのか? 信じる者は救われる。そんなわけ無いだろう。自分に何かを
与えることが出来るのは、自分だけだ」

 鼻で笑って、シュミットは言った。
 エーリッヒはすっと、目を細める。

「…神は与えてくれますよ」
「そういえば、お前は「神」を信じる者の1人だったな」

 シュミットは、ゆったりとソファに身を沈めた。

「…お前の意見を聞いてみたい。どうしてお前は神を信じるのか。
どうして居もしないと知っている存在を頼るのか」
「神様は、おられますよ」

 普段はあまり反論しないエーリッヒが、真っ直ぐにシュミットの瞳を見つめて、
きっぱりと言い切った。
 妙に確信的な、強い調子で。

「いやしないさ」
「シュミット。…理屈じゃ、無いんですよ。信仰なんて」


 頭ごなしに決めてかかる人にはきっと、理解できないのだろう。
 特にシュミットは、自分で見て、確認しないと動かない人だから。
 神は存在して。
 いつも、自分達を見守ってくれて。


「神様が見ていると、思えるから。…正直に生きていける人もいるんです。
死後の幸福を約束されていると、思えるから。…安らかに逝ける人もいるんです」

 シュミットの言うことは、正しい。
 でも、正しいことが真実だとは、…限らないんじゃないだろうか。

「人間の愚行を、「神」がすべて見ているのか。ならば、「神」はさっさと人間を
見限っているだろうな。…結局、信仰すらも、政治的な道具でしかないんだ。
戦争をし、人を殺すための言い訳でしかないんだ。「神」の名を語れば、
殺し合いですら「聖なるもの」になるんだぞ? そんな莫迦なことがあるか。
「神」など、為政者の洗脳術の一つに過ぎないんだ。血に汚れた宗教が、
勢力を保っていること事態が自分達の禁忌に触れていると、どうして
解らないんだ。いや…、解っていて、知らないフリをしているんだろう?」
「貴方の言うことはよく判ります。それは事実ですし、そんな見方をすることが
出来るのも理解できます。でも…!」

 ぎゅっと自らの拳を自らの手で握りしめて、エーリッヒは言う。

「神様は、おられるんです。これ以上、神を冒涜するのは……、止めて下さい」
「冒涜? ふん…、冒涜しているのは、盲目的に「神」を信じるお前達の方だろう」

 ゆっくりと、シュミットはソファから立ち上がった。
 そうして、エーリッヒの座るソファに近づく。
 エーリッヒは、見下ろしてくる紫の瞳を下から睨み付けた。

「貴方は、強い人だから。だから、解らないんです。弱い者の気持ちなんて、
弱い心の行方なんて。…どこかで、どうでもいいと思っているんだ。少しは神を信じる
者の気持ちになって考えてみて下さい…!」
「…私には、いない者を信じるなんて器用な真似、出来ないな」

 言うが早いか、背筋を伸ばしてソファに座っていたエーリッヒを背もたれに押しつけて、
唇を重ねた。エーリッヒが目を丸くしているうちに、奪うように口付ける。

「なっ…シュミっ……っ!」

 突然のことに上手く対処できず、エーリッヒは簡単にシュミットにねじ伏せられてしまう。
 ソファの上でシュミットに押し倒された形になったエーリッヒが、シュミットの下で暴れる。

「なにをするんですか?! 退いて下さいっ!」
「なにを? 決まっているだろう。…初めてでもないくせに、何を言っているんだ?」

 シュミットは、冷笑を浮かべた。
 それで、エーリッヒはシュミットが本気なことを悟る。
 先ほどの会話のこともあって、エーリッヒは目の前にいる親友を、仇を見るような目で睨んだ。

「嫌ですよ…ッ! 退いて下さいって言ってるでしょう!!」
「…なら、「神」にでも請うんだな。「この餓えた獣から助けてくれ」と」
「…!!!」


 …その一言が。
 なぜだか。
 …いいや、理由は解っているけれど。
 許せなかった。


 間近にあるシュミットの唇に、噛みついた。

「つっ!」

 シュミットの束縛が弛む。
 その瞬間、エーリッヒはソファから逃げ出した。
 そのまま、部屋のドアに手を掛ける。
 相手が追っては来ないのを知っていて、エーリッヒはそこで一度振り向いた。
 そして、自分を睨む彼に、どこか突き放したような口調で。

「教会にいます」

 シュミットが、あまり好感を抱いては居ないその場所に。
 まるで確かめるように、呼んだ。










 シュミットは、部屋で一人、溜め息をついた。

 …どうかしている。
 自分から、エーリッヒを激昂させるような話題に触れるなんて。

 常々から感じていないわけではなかった。
 「神」への信仰についての意見や懐疑。
 だが、それをエーリッヒにぶつけるつもりなど、シュミットには少しもなかった。
 彼が、カトリックなのは知っている。
 そして、その信仰をシュミットのために自分の胸の内だけに秘めているのも。
 だけれど、だからこそ。
 この時期と、クリスマス。
 …苛々、した。

 …面白くなかった。
 「神」を信じるエーリッヒは。
 「神」を信じるエーリッヒだけは。
 自分のモノに出来なかったから。
 食前の祈りを止めさせたのも、ミサに行かせないようにしたのも。
 全部、「神」を愛するお前に嫉妬していたと言ったら。
 …お前は、笑うのだろうか。

 ほんとうは「神」など、存在してもしなくても、どうでもよかったのかもしれない。
 それでも、幼い頃から教会は嫌いだった。
 全ての罪を、告白するだけで許してくれる「神」など、ただの、人間の甘えだと思った。
 教会を建立するための費用や、その労働力を考えると、容易に賛同など出来なかった。
 人間の可能性を否定する、弱い心の結晶が、本当に嫌いだった。

 …今だって、教会になど行く気も起きない。

 だけれど。
 そこに、どうしても失いたくない存在が居るというのなら。
 行くしかない。
 シュミットは、上着を羽織った。
 そしてもう一枚、自分のモノではない上着を手に取る。

 …神。
 そんなものは、いない。





 久しぶりにやって来た教会には、少し弱い春の陽が差していた。
 ステンドグラスが、静かな光を放っている。
 エーリッヒは教会の、堅い長椅子の一つに座っていた。
 復活祭の前日のためか、教会には結構多くの人が居た。

 今日のシュミットは、どこかおかしい。
 いつも、彼は自分が嫌がるような話題を持ち出しはしなかった。

 神への信仰に、疑問を抱いたことはなかった。
 それは、行動のしようがない人達が祈ることで、その願いを少しでも叶えたいと思う、
清らかな心のものだと思っていたから。
 宗教戦争などの、布教時における暴力のことを知らないわけではなかった。
 為政者が、宗教を利用しているのも知っていた。
 だけれど、そんなのはほんの一部で。
 心から神を信じ、毎日を精一杯生きている人がほとんどだと。

 …おそらくそれは、僕が信じたかっただけのこと。
 シュミットは優しい人だから。
 きっと、宗教の説くものと現実との歪みを無視できなかったのだと思う。
 (彼に言わせると)踊らされている人々のことを、憂えてきたのだろう。
 矛盾から目をそらせない彼は、…強い人だ。
 でも、そんな彼は時々、人の気持ちを汲んでやれない。

 強いから、弱い人のことを考えることが出来る。
 だけれど、結局弱い人の心を完全に理解できるわけではないから。
 だから、シュミットは自分より劣る者と居ることを、避けてきた。勿論、
理由はそれだけではなく、プライドや性格も関係していたけれど。
 本当は、シュミットは誰も傷付けたくないのだ。
 彼の存在自体が、たまに誰かを傷付けることもあるが。彼は、(特に外面は)完璧であったから。

 神様の存在を、信じて貰おうとは思わない。
 だけれど、理解して欲しいと思った。
 信じる人の気持ちを。
 信じたい人の気持ちを。

 神を愛せと教えられてきた。
 だから、神は愛される存在でなければならない。










 銀の髪を見つけることは、そう難しいことではなかった。
 静かに長椅子に腰掛けるエーリッヒの腕を、シュミットはいきなり掴んだ。
 ブルーグレイの瞳が、バイオレットの瞳を映す。

「…早かったですね」

 笑わずに言う。
 冷たい口調。
 シュミットは、無造作に持ってきた上着をエーリッヒの肩に掛けると、
無言で彼の腕を引いた。
 エーリッヒは立ち上がる。
 そして、シュミットに連れられて教会を出た。
 神についての討論を繰り広げるのに、教会はあまりにも不似合いで、不適切だ。
熱心な信者に、シュミットがたこ殴りにされかねない。
 教会を出たところでシュミットはエーリッヒの腕を放し、1人で歩いていった。

 …よほど、自信があるのだろうか。

 エーリッヒが必ず、シュミットの後を付いていくと。
 エーリッヒはきっちりと上着を着込んでから、歩きだす。
 シュミットと同じ、方向へ。


 風は未だ冷たいが、空は抜けるように青かった。




「シュミット」
 暫く歩いたところで、エーリッヒが前を行くシュミットを呼び止めた。
 シュミットは足を止め、無言で振り返る。
「1人の神を信じると言うことは、他の神を信じることを禁止されること…、
つまり、信仰の自由が束縛されることでもあります。神様は、そう心の
広い方ではないのだと…、僕は思っています」

 エーリッヒは唐突に、そう言った。
 シュミットが眉を寄せる。
 真っ直ぐに見つめてくる瞳は、曇りのない澄んだ色をしていた。

「…謝らなければならないことがあります」

 目線だけで続きを促す。
 エーリッヒは軽く息を吐いた。

「僕は、貴方から言論の自由を奪いました」
「…なに?」

 シュミットから怪訝な声が漏れる。

「貴方は意識していなかったのかもしれないけれど。…いいえ、どこかで
意識していたはずです。僕を不快にさせるような事を言うのを、ずっと
控えていたことを。…違いますか?」
「…さあな。お前がそんなこと、別に気にすることはない。それに、…今日、
お前を不快にさせるような話題を選んだだろう」

 エーリッヒは、静かに笑った。
 何に対する笑いか解らないシュミットは、ますます眉を寄せてしまう。
 エーリッヒは歩きだした。
 シュミットはその場に立ち止まったままだ。

「…シュミット。神様の条件を知っていますか」
「宇宙を創造し、支配する全知全能の絶対者だろう?」
「それは定義ですよ。僕が言っているのは、条件です」
「…エーリッヒ。お前が何を言いたいのか、私には解らない」

 エーリッヒはシュミットのすぐ傍で立ち止まり、彼に向き直った。

「他人の運命を支配する者。許す者。導く者。禍福をもたらす者。与える者。
…そして、貴方の言うとおり、人間に造られた神は…完璧な存在じゃない者」
「…エーリッヒ?」

 エーリッヒの笑みは、どこか人の悪い…、悪戯を思いついたようなものになっている。
 シュミットは一歩、退いた。
 エーリッヒが一歩、近づく。

「僕は、神の僕(しもべ)だから。神を愛し、ずっとついていきます。全ての運命を捧げて。
…神は、それだけの価値のある存在でなければならない」


 …まだ気付かないんですか?
 僕が信じる神様の居場所に。
 神様の、存在に。


「シュミット」

 ぴし、と細い指がシュミットの鼻先に突き付けられる。
 シュミットは顔をのけ反らせた。
 未だ疑問符を浮かべている彼に、エーリッヒはとびきりの笑顔で、自分の結論を述べた。


「僕の神は、貴方です」


 さっき言った、全ての条件を満たしているのは。
 …僕に限っては、貴方1人。
 貴方、1人だけなんですよ。

「…は」
 漸くシュミットが漏らしたのは、間抜けな声だった。
 エーリッヒは、くすくすと笑う。
「何、惚けてるんですか。僕は神様を信じてきました。そしてこれからも信じ続ける。
その神に、貴方を重ねて何が悪いんですか? 誰かにとっての神は、その人の
一番大切な存在で有ればいい。信じて、その人の為だけに祈れる存在で有ればいい。
…だから、神は存在するし、導いてくれるし、力やその他たくさんのものを与えてくれる。
…僕の論述は以上です。反論をどうぞ?」

 自信ありげに笑うエーリッヒ。


 …反論など、思いつかなかった。
 思いつくはずもなかった。
 まさか、こんなに近くに神が存在するなんて。
 …考えたこともなかったのだから。


 …ああそうか。
 だから、エーリッヒは。
 あの時、あんなにも怒ったのか。
 私が神を侮辱することが、…私を貶めるということだったから。


「僕の勝ちですね」

 誇らしげな顔のエーリッヒ。
 間近にある彼の顔。
 シュミットはふっと表情をゆるめた。

「ああ、お前の勝ちだな。…今回は」

 ぺし。

「いた…!」

 討論に負けた腹いせか、シュミットはエーリッヒの額に一発デコピンをかました。

「なにするんですかぁ!」
「デコピン。…叩きやすそうだったからな」

 憮然とした表情のエーリッヒの腕を、シュミットは再び取った。

「ほら、そんなむくれるな。…家に帰ったら、「消毒」してやるから」

 くすくす。
 楽しげに笑うシュミットの意図を察して、エーリッヒは身を退いた。

「…結構です。別に消毒して貰うほど非道くないですし」
「おや、そうか? じゃ、もう一発。」
「す、ストップ!」

 シュミットがデコピンの構えを取った瞬間、エーリッヒは両手で額をガードした。
 そのまま、数秒間睨み合って。
 同時に、笑い出してしまった。





 神様。
 災いも、幸せも。
 喜びも、悲しみも。
 すべて、貴方の御心のままに。


 うっわ、ゲロ甘(笑)。うちの二人は、出来上がるとこんなふうになっちゃう
ワケですか…(汗)。吐いた砂で庭にお砂場つくって、近所の子供達に
開放してあげてくだしゃい…。
 sinさんからの100HITSリク『シュミット×エーリッヒ』小説。
 自分的には結構上手く行ったかなと思うのですが…、信仰をお持ちの方、
ご、御免なさい。神を冒涜しているわけじゃないです。

 どうやら、私は誰かに口説き文句を言わせるのが好きなようですね。
 今回、口説き文句を言ってのけたのはエーリッヒさん☆

 これ、最初は表HP(『おひるやすみ』)の討論会シリーズだったんですが…、
 気が付いたらコイツらに乗っ取られてました(笑)。
 私はシュミット派ですね。考え方的に。



モドル