…こいつの辞書には諦めるという言葉は
 載っていないのだと、気付いたのはあのとき。



 .5(HALF)


 「…本当に、勝ったんだね」

 ほんの数時間前にやった対アメリカ戦。
 楽しむ、レースの仕方は覚えても、勝利の味なんて忘れかけてたから、
 未だに実感は湧かない。
 ピコの部屋で、今日頑張ってくれたジャミンのメンテナンスしながら
 呟いた言葉に、ピコはひょいと顔を上げた。
 見慣れた、厚ぼったくて眠たそうでトロそうで、でもきらきらした目を
 あたいに向けて。

 「ああ、勝ったんだ。オレは全然負ける気なかったよ?
 リタはオレの勝利の女神さま! だからオレは絶対勝つって!」
 「…バッカじゃないの?」

 視線を落としてジャミンの黄色いフレームを見つめた。
 あたいはそんな、上等なモンじゃない。
 あんたにWGPに誘われてなかったら、今でも意味もなくつっぱって、
 周りをはねつけて、それでいいって思ってた。
 きっと、それでいいって諦めてた。
 こいつといっしょに日本へ来たこと、公開したこともあるけどよかったなって思う。
 あれは下らない、子供じみた約束だったけれど。




 ピコは、あたいたちの村で唯一の、泳げないヤツだった。
 なにやらしてもぜんぜん上手くなくて、さらにカナヅチだなんて、
 あたいたちの間ではのび太君もイイトコなやつだったんだ。
 唯一って言ってもいい取り得は脚が速いこと。でもそれだけだった。
 だからいっつも仲間はずれにされて、虐められて、笑われてた。
 スレて一人でいたあたいは、ピコのことだってずっと軽蔑してた。
 虐めたりしたことはなかったけど、あんななさけないやつ、って、思ってた。
 興味も全然なくて、だからあの日、あいつを見つけちまったのも偶然なんだ。
 波打ち際を、あたいはあたいのマシンと走ってた。
 あたいが他の女たちとツルまなかった理由の一つに、あいつらがミニ四駆
 バカにしたってのがある。あいつらはこれの面白さ、全然判らなかった。
 判らなくていいと思った。バカにしたあいつらが、あたいにはバカに見えてた。
 ひとりじゃなんにもできないくせに、似たようなブスばっか集まって、
 そんで自分たちとちょっと違うヤツみつけたらすぐにイジメに行く。
 あたいはバカが嫌いだったから、一人がいいって思ってた。
 一走りして、マシン止めて、ふぅって、息をついたちょうどそのときだったからよく覚えてる。
 ばしゃん、って、おっきな水の音が聞こえた。
 何かと思って海のほうを見た。
 そんなに深くないはずのところに、2本の腕が突き出てて、そいつが
 海面をばっしゃばっしゃばっしゃばっしゃ叩いてた。
 溺れてるみたいだなーと思ったけれど、まさかあんなとこで溺れるような間抜け、
 そう考えたところで一人浮かんだ。

 「…まさか」

 呟いたら、海面に顔が出た。
 思ったとおり、間抜け面だった。

 「っぷわ…お、おぅ…!」

 ピコの口に大量の海水が入ったのが見えた。
 そして、また沈んだ。
 周りに誰もいなかったし、放っといて目の前で死なれたら寝覚めが悪いから、
 しょうがなく。そう、本当にしょうがなく助けてやったんだ。
 砂の上に水吐き出して、ぜぇぜぇ言いながら、あたいにありがとうって、言った。
 あたいは何も言わず、砂の上に置いといたマシンを拾い上げた。
 それを見たんだろう、ピコが突然 「ミニ四駆!」 って、叫んだ。
 あたいはビックリして、なんだいおどかすな! って怒鳴りつけた。
 ピコはなのに、笑った。

 「オレも、オレも持ってるよミニ四駆! まさかリタもやってるなんて!」

 何度もバカにした目でこいつのこと見下したことあるのに、
 ピコはそんなこと、全然気にしてない、いや、覚えてないって顔してた。

 「女がミニ四駆やっちゃ、悪いかい?」
 「ち、違う違う! 嬉しいんだ! リタがミニ四駆してること! オレと同じことしてること!」

 あたいは眉毛をぎゅっと寄せて、あいつを睨んだ。
 だって、そいつは。
 でも、ピコは気にしてなさげに続きをしゃべった。

 「リタ、レースしよう! オレ、他の事では全然リタに敵わないけど、
 でもレースは速いよ! きっと勝てるよ!」
 「あたいがあんたなんかに負けるはずないじゃないか」

 なんであたいがこんなやつと、なんて考えてる暇はなかったんだと思う。
 村で一番のダメ男に負ける気なんてしなかったし、
 第一こいつに「あたいに勝ってる」なんて思われてるのがシャクだった。
 ピコは立ち上がって、砂の上に投げ出された自分のシャツの方に走って行った。
 そうしてシャツの下から、小さな車を取り出して高く掲げた。
 黄色いフレームに太陽が反射して、光ってた。
 勝負は単純なストレート勝負。波打ち際を150mくらい向こうの岩場まで。
 スタートの合図をしたのはピコだった。
 それで、先にゴールしたのは、…悔しいけど、ピコだったんだ。
 しかも、あたいは一度もあいつに追いつけなかった。あいつの背中を、見て走るしかなかった。
 他の男とレースしたって負けたことなかったから、本当に悔しくて。

 「勝った、勝った!!」
 「いっ、今のは調子が悪かったんだ!! もう一回勝負したら、今度はあたいが勝つ!」
 「OK。じゃあ、もういちど勝負だ!」

 スタートの合図をあたいがやったり、ピコがしたりして、結局その日だけで
 10回くらい勝負したけれど、結局あたいは一度も勝てなかった。

 「今度は、今度やるときは、絶対勝ってやる!」

 悔しくて悔しくて悔しかったから、そう言ったら、ピコは嬉しそうに言った。

 「ああ、いつでも勝負受ける。リタなら、きっともっと速くなるから、オレ負けないように頑張る!」
 「あんたは頑張らなくいいんだよ! ますます追いつけなくなっちまうだろ?!」

 ピコはおっきな声で笑った。
 そんでふっと、そう、騙し討ちみたいに、真面目な顔をしたんだ。

 「ミニ四駆しててよかった。こんなにリタとしゃべれた」

 ミニ四駆してて悪いことないね、とか言うから、あたいはぷいと顔を背けた。
 ピコはきっと、笑ってるだろうなと思った。

 「…そういや、どうしてあんなとこで溺れてたんだい?」
 「溺れてた違う。泳ぐ練習!」
 「…本気?」

 あんな浅いトコで死にかけてたヤツが? 絶対無理だ。

 「本気本気。オレ、ウソ気は言わない! 特にリタには絶対言わない。格好悪い!」

 泳げないのは格好悪くなくても、本気じゃないのは格好悪いってのかい?
 …何となく、解るキモチだった。
 ふっと力が抜けた。
 もしかしたらこいつは、底抜けに前向きなバカだけれど、
 見てるものはあたいと似てるのかもしれない。

 「泳げるようになって、バカにした連中を見返すのかい?」
 「それもあるけど。せっかくきれいな海あるのに、
 リタと泳げないのもったいないと思ったからさ」
 「…なんであたいが出てくんだい」
 「だってオレ、リタのことずーーーーっと大好きだったから!!」

 …ああ、やっぱりバカだ。

 「オレが知ってる女の子の中で、リタが一番かわいくてかっこよくてきれい。だからオレ、いっつも
 リタしか見てなかったよ。目に入らなかった」
 「…よくそんなはっきり言えるね。本人目の前だよ?」
 「だって、今度こうやってリタと話せるのいつになるか判らないから。
 言っとかなきゃソンだろ?」

 溜め息をついてみせる。


 「…あたいがあんたのことキライだったらどうすんだい」
 「リタ、キライな人とはおしゃべりしない。だから今日、
 リタがオレのこと好きだってわかって嬉しいんだ」
 「ばっ……バカじゃないのかい?! そんな簡単なモンじゃないだろっ!!
 前向きすぎだよあんた!!」

 怒鳴りつけると、ピコはちょっとしゅんとした。
 こいつは簡単に感情をだして、ありのままに生きてるから、
 だから、楽しそうなのかなぁと思った。

 「…どうやったら、リタはオレのこと好きになってくれる?」

 そんなの、あたいにだってわかるもんか。
 好きだとかキライだとか、あたいにはよくわからない。
 どうなったら好きだとか。
 でも、確実にいえるのは、今まで興味なかったピコのことを、あたいは
 まだまだまだまだ、全然好きじゃないって、そういうこと。
 でも目の前でしょぼくれてるピコにそれをはっきり言うのは、小動物を
 いぢめてるみたいでなんだかイヤだ。
 だから、あたいはそれでも気を持たせないように、そうだね、と言ったんだ。

 「あんたが泳げるようになったら、考えたげるよ」

 「ホント?! 絶対、絶対だよ!!」
 「考えるだけだからね?」
 「うん、うんわかった! オレ頑張る!!!!」


 はっきり言ってあたいは、ピコが泳げるようになるなんて考えてもみなかったんだ。
 だけれど、その日からちょうど一ヶ月くらい経った日。
 畑にいたあたいを、素っ裸にも近い格好のピコが飛ぶように走って迎えに来て、
 「ちょっと来て、来て!!」って腕を引っ張って駆け出したんだ。
 理由くらい説明しなって走りながら行っても全然聞いてなくて、行ったら判るから、って強引に。
 いつかレースした浜辺まで来て、ピコはあたいの腕を離して海へ飛び込んで行った。
 そうしてさぶさぶ深い方へ行って。

 「ピコ! それ以上行ったら溺れるよ!!!」

 前のこともあったから、あたいは叫んだ。
 でも、ピコはそのまんま、ざぶざぶ、海水かきわけて足のつかなくなるところへ。
 そんで。
 そんで。

 「リタ! リタ! 見て、見て!!」

 あいつ、泳いでたんだ。
 不恰好で、ちょっと見ただけだったら溺れてるようにも見えるような、
 おかしな犬掻きだったけれど。
 一生懸命手足ばたばたさせて、いっぱいいっぱい水かいて、
 泳いでたんだ。
 岸へ上がってきたピコは、ちょっと息を整えてから、あたいににーって笑いかけた。
 あんまりにも無邪気で、夕日みたいにまぶしくて、あたいはあのときも
 そういえば、下を向いちまったんだっけ。

 「泳げた」

 勝ち誇ったような、じゃなくて、嬉しさを噛み締めるように。
 ピコはそう言って、突然あたいに抱きついてきた。

 「泳げた、泳げた! リタ見てた!? オレ、泳げたよ!!
 これでリタはオレのこと好きになる!!!」
 「違うって! 考えるだけだって言ったろ?!!」

 あたいの言うことなんて、やっぱり全然聞いてなくて。
 嬉しそうに濡れたまんまぎゅーって抱きしめてくるから、痛くて苦しくて、
 バカって叫んで一発殴った。
 そうしたらピコは痛いって言いながら、飛んだり跳ねたり踊ったりして笑い転げて、
 その姿があんまりにもバカで面白かったから、あたいも笑ったんだ。
 やっと笑いがおさまってから、あたいは自然に、ピコにおめでとって言った。
 ありがと、ってピコは言って、ゆっくり、海のほうを指差した。

 「なぁ、リタ。いつか、この海を越えよう!」
 「…は?」

 何を言ってるんだろう、こいつは、いきなり。
 あたい、変な顔してたんだろうな。ピコはもう一度、言った。

 「だからさ。この海の向こうの世界に、飛び出そう! 二人で!!」
 「…バッカじゃないの?」
 「だって、世界は広い。この大きな海の向こうにも人がいて、
 スゴいレーサーがいっぱいいるんだ。いつまでもここにいるのはもったいない!」

 ちょっと犬掻きで10m泳げたからって、こいつは。
 でも多分、きっと、本当にこいつならいっちまうんだろうって思ったんだ。
 そんであたいは、こいつと一緒なら、それもいいか、なんて思ったのも本当で。
 こうやって目の前で笑いながら、本当にあたいたちは海を越えてきちまった。
 世界グランプリ、なんて途方もないでっかい大会の舞台で、
 負けてばっかりだけど走って。
 で、優勝候補って言われてるアメリカに、勝った。
 信じられないことなんだよ?
 信じられないんだ。
 なのに、何でなんだろうね。
 あんたの顔見てたら、勝てなかったことのほうが不思議に思えるんだ。
 顔を上げた。
 ピコは、まっすぐな目でジャミン見ながら、楽しそうにメンテしてた。
 そんで、あたいは、ああ。
 なんでこんなやつ、好きになっちゃったんだろうって。
 そして、どうしてあたいはあの時、こいつのことが好きじゃなかったんだろうって。
 同時に、思った。



 自分で自分と向き合わなきゃ
 Yes そう (大事な部分 そう見つかんない)
 どんな部分も失くさないで (オリジナルだから)
 進む一歩が 大きすぎるなら 今は半分でいい

 飢えた部分隠さないで
 Yes そう (ダサイ部分も そう 関係ない)
 思う存分出しなさいな (そしてここらで前へ)
 自分で自分と向き合わなきゃ
 Yes そう (大事な部分 そう見つかんない)
 逃げる一歩も 進む一歩も 同じ一歩なら行こう


                                  <了>



 過去を捏造すると絶対にミニ四駆の絡んでくる法則。
 んーやつら9歳くらいの時かもしれない(適当だなヲイ)。
 ピコが泳げるようになってから日課のように泳いで趣味が水泳になった、
 というのが、SOSがヤツの趣味を知ったとき頭に浮かんだ妄想です。
 リタの一人称語りにはもっと修行が必要だったなァ…;;;


 
.5(HALF) (特になし)>
 非常にSURFACEらしい、前向きな曲。
 テンポが速くて爽快なので、聞いてると元気になってくる。
 こういう曲(前向きソング)はピコリタかジムシナで書きたくなる。
 タイトルの.5は「半歩」の意味ですが、オイラは「気持ちが
 半分の時代(もしくは中間の時代)」という意味で書いてみました。


 モドル