シュミットとエーリッヒの間には小さな蟠(わだかま)りがある。
 昔と同じように喋ったり笑い合ったり、励ましたりしていても、その蟠りが解ける日は来ない。


さぁ


 シュミットはエーリッヒの事が好きだ。
 同性で幼なじみでもある彼の事を、恋愛対象として見つめ始めてからもう随分経つ。決定打が何であったか、それはシュミット自身覚えていない。ただ、気が付いた時にはエーリッヒの姿を目で追っていた。
 あまり目立つ事を好まぬ性格とは正反対の、鮮やかな容貌を持つ彼。冷淡でニヒリストなシュミットに、エーリッヒはいつでも優しかった。シュミットが対人関係のトラブルに陥った時、それを解決しようと奔走してくれた。シュミットはいつしか、家族以上に彼の傍でこころを許すようになっていた。
 それはエーリッヒも同じだった。シュミットは華奢で女性的な線の細い面立ちをしているが、負けん気が強くプライドが高いぶん何処に居ても目立つ。人の前に立つ事を運命づけられていた彼はその中でとかく大人であろうとする。だが、エーリッヒにだけは違う。歳相応の表情で笑ったり、時には甘えたりしてくる彼の側に、エーリッヒはいつの間にか居場所を覚えていた。また、シュミットは様々な苦労を背負い込む癖のあるエーリッヒを、いつでも的確に支えてくれる。さりげない優しさで、重荷を共に背負おうとしてくれる。
 エーリッヒにとって、シュミットはかけがえのない親友だった。

 蟠りの元はそこにあった。

 エーリッヒはシュミットの気持ちを知っている。だが、応えることはできない。
 二人で納得した上で、彼らは『親友』であろうと決めた。
 お互いにとって、相手を失うことは考えられなかった。だから、お互いに代償を払っても構わないと思った。エーリッヒは、恋愛感情は抜きにして抱かれて構わないと言った。シュミットは、この想いが届かなくてかまわないと決めた。
 密約は二人の間に言葉以外で結ばれ、だからこそ形に残るそれらより強く彼らを縛った。
 結果的に、二人の距離や関係は変わらず、今に至る。

 だが、嫌な違和はやはり残った。

 違和を抱えたのは主にエーリッヒだった。シュミットがエーリッヒに対して、今までと変わらぬ態度を取りつつも、距離を置こうとしているのが感じられるからだった。
 叶わないと定められた彼の恋心が、代償行為を求めている。
 シュミットにそうさせているのは自分だというのに、気付いてしまった二人の溝がエーリッヒには痛かった。
 シュミットはエーリッヒの前でもどこか、身を繕うようになっていた。以前のように、開け広げに子供の顔をしなくなった。そういったよそよそしさが、エーリッヒにも伝播した。エーリッヒはシュミットの助力を柔らかく断るようになった。一人で抱え込むものが倍にも増えたように感じた。

 そんな日が重なり、彼らの口数は徐々に減っていった。

 仕方が無い、とエーリッヒは割り切ろうとしていた。だが、胸ばかり日々痛みを増していく。

「……エーリッヒ君」

 重い溜息を吐いたところに、背後から声がかかった。まだ女性にはなりきらない幼さを残した声は、この学校の生徒に違いない。どこか躊躇いと期待を含んだその声音に、エーリッヒは振り向く前にもうひとつ溜息を落とした。
 こんな声で呼ばれたときに、ろくなことは起こらないことを、エーリッヒは過去の体験から知っていた。

「………何か?」

 表面だけの薄い笑みを顔に貼付けて、エーリッヒは振り返る。
 彼を呼び止めたのは、隣のクラスの女子生徒だった。金色のストレートヘアを持つ、大人っぽい顔立ちをした美人だ。
 彼女は一人ではなく、回りに友人らしい何人かを引き連れていた。いつも何人かのグループで行動しているから、不思議なことではないが。エーリッヒは、一人では行動の起こせないような女の子の心理を、いつも不思議に思っていた。
 休憩時間の廊下は騒がしく、エーリッヒは促されるままに人気のない講堂前まで付いて行った。
 目的の場所に付いた彼女は、視線を地面に向けたまま、囁くように切り出した。

「……あ、あの……エーリッヒ君は、シュミット君と仲…良いよね…?」
「…ええ」

 エーリッヒの胸に重苦しい何かがのしかかる。
 彼女らのようなグループに呼び止められる用件は、いつもほぼ同じだった。
 眉目秀麗な外見と、明晰な頭脳を持つ彼に関する、他人には立ち入れない類の話。

「…だから、…あの……これを渡して欲しいの…」

 予想どおり差し出されたのは、薄い水色をしたかわいらしい封筒。
 「どうして僕に」などと言ったところで、周囲の「友人」たちからの反応は決まっている。直接渡せない気持ちを悟れだとか、友人であるエーリッヒから渡してもらった方が成功するだろうとか、スーパーマンでもあるまいに無茶な話だ。

「別に構いませんよ」

 エーリッヒは封筒を取り上げて裏向ける。少女趣味なシールで封をしてある下に、僅かに角ばったくせのある文字で差出人の名前が書かれていた。
 それを眺めてすこし目を閉じる。
 持って帰って渡したところで、彼は不機嫌に眉を寄せて破り捨てるだけなのは知っている。いつもその様子を見て、顔をしかめて注意を繰り返してきた。そんなことばかりしていると、誰からも愛してもらえなくなりますよ、と。シュミットは皮肉っぽく笑いながら言ったのだ。誰に愛されても、自分が愛した人に愛されないなら意味がないさ、と。あの時、エーリッヒはまだ彼の気持ちを知らなかった。

「……でも、彼には好きな人がいますよ」

 「えっ?!」と声を上げたのはどの子もほぼ同時。目に見えてショックを受けている手紙の本人と、意外そうに目を丸くする付き添い人たち。
 エーリッヒは微笑を纏ったまま、目線を伏せた。じんわりと暖かく胸を満たす優越感の理由を捜すように。

「……それって、どんな子……?」

 ショックから少し立ち直ったのか、ラブレターの彼女が尋ねる。
 エーリッヒはそうですね、と呟いた。

「何でも一人でこなせるけれど、陰ではとても脆くて弱い。……だから彼は支えてあげたいと思っているんでしょう」

 意外、と誰かが言った。シュミット君てあんまりフォローに回ることはなさそうだもんね、と続く。
 エーリッヒは苦笑しながら適当な相槌を打って話を合わせる。そうして、ですから、と手紙を返そうとしたエーリッヒに、少女は首を振った。

「それでも、渡してほしい。私の気持ち、知っていてもらいたいから……」

 どこか淋しげに微笑んだ少女はくるりと背を向け、友人たちと歩き去る。
 彼女の姿が完全に見えなくなってから、エーリッヒはもう一度、手紙に視線を落とした。
 淋しそうな彼女の表情が、ふと親友の姿の隣に浮かんで消えた。

「…………」

 淡い封筒はエーリッヒの瞳の色だったが、なぜか冷たい涙の色に見えた。







「…お前も残酷な奴だな」

 エーリッヒから受け取った封筒を光に翳し、中身を透かすように見つめる。横目でちらりと伺った同室の幼なじみは、己のベッドに腰掛けて目線をあわすまいとするように顔を伏せていた。
 ふぅ、とシュミットは軽く溜息をついた。エーリッヒが持ち帰った封筒を再び視線に入れながら、これもエーリッヒの無意識の願望だろうか、と思う。恋人をつくって、自分を諦めろと。
 ふふ、とシュミットは一人笑った。
 その声に顔を上げたエーリッヒは不審そうに眉を寄せている。

「…何でもないよ」

 言いながら、シュミットは封筒を開いた。

「あ…!」

 短く上がった声に、二人は同時に驚きを顔にした。だが、より驚いたのは声を発した本人だったらしく、シュミットは直ぐに笑みを取り戻した。

「……どうした?」
「…あっ…、いえ…」

 戸惑うように空中をさ迷った視線は、エーリッヒ自身の膝の上に落ちた。

「…いつもは読まずに捨てるでしょう?…珍しいとおもって…」

 ああ。シュミットは納得がいったと言うように頷いた。

「フラれてばかりも恰好が悪いしな。どうせなら恋人をつくってみるのもいいかもしれない」

 にやりと、皮肉っぽく唇を歪める。それはシュミットの精一杯の強がりだったが、エーリッヒは僅かに首をもたげてシュミットを見返した。

「……そんなことを、言って。……好きでもない人と付き合うんですか?」
「そんなものじゃないのか? たいていはどちらかの片思いからだろう。付き合っていくうちに好きになることもあるかもしれない」

 そうですね、と僅かに口を動かし、エーリッヒはまた視線を外した。歯切れの悪いエーリッヒに、シュミットはなんだよ、と唇を尖らせた。おもむろに椅子から立ち上がり、エーリッヒの横に勢いよく腰を下ろす。
 スプリングがシュミットの体重を受け止め、軽く二人の肩が弾んだ。

「私をフッておいて、新しい恋人を作ることも認めないつもりか? 我儘だぞ。今のお前はまるで……」

 嫉妬、してるみたいだ。

 エーリッヒの顔を覗き込んだシュミットは、そう続く言葉を飲み込んだ。
 眉をぎゅっと強く寄せてシュミットと合わせた空色の瞳は、ひどく頼りなく揺れていた。

「………そんな顔を、するな」

 そっと、褐色の頬に触れる。
 無理矢理にでも子供っぽく振る舞えば、笑うと思ったのに。
 シュミットは、エーリッヒが甘えられることを悪く思っていないと知っていた。二人の溝を埋める術も。

「………お前は私に何を望む?」

 真っ直ぐに見つめる視線に、エーリッヒはふ、と笑った。

「………これも、罰なのかもしれませんね」
「なに?」

 ふいにエーリッヒの手が動き、シュミットの手から水色の封筒を取り上げた。素早く立ち上がり、シュミットの目の前に立つ。

「きっと、僕は期待していたんだ。貴方がこうしてくれるとおもって」

 ビリッ。
 エーリッヒは思い切り良く、手紙を封筒ごと二つに引き裂いた。

「でも、それは僕の甘え。受け取った瞬間にこうしておけばよかった。そうすれば、こんな気持ち、知らなくて済んだのに。………貴方のこころが離れようとしてから気付くなんて、僕は大ばか者だ。」
「…………エーリッ、」

 その告白に目を丸くしている幼なじみに、エーリッヒは噴き出した。

「なんていう顔をしているんですか、シュミット」

 晴れやかに笑うエーリッヒは、何かをふっ切った顔をしていた。

「ごめんなさい、シュミット。僕は貴方が恋人をつくることに耐えられないみたいです」
「………なら、」

 拒絶されることを恐れるようにそぉっと、シュミットはエーリッヒの腕を掴んだ。エーリッヒは逃げず、微笑んだままシュミットの前に跪く。

「お前が…私の恋人の代わりをしてくれるのか?」

 返事の代わりに、エーリッヒはシュミットの唇にキスを落とした。
 驚きと期待で張り裂けそうな胸が、シュミットが目を閉じることを許さなかった。
 至近距離で触れた銀色の睫がゆっくりと離れて、薄く瞼が上がる。

「こんな僕でよければ。」

 シュミットは思わず、両腕を伸ばしてエーリッヒを抱きしめた。
 強く、強く。

「ちょ……シュミット! 痛い…!」
「……リッヒ、エーリッヒ………好きだ……愛してる……」

 泣き言のような、搾り出すような声を聞いて、エーリッヒは抗議の声を止めた。
 そうして、シュミットとは正反対に優しく、それでもしっかりと彼を抱きしめる。

「…ありがとう、シュミット。僕も、貴方のことが」

 続く言葉ごと味わい飲み尽くすかのように重ねられた唇に、エーリッヒは心の中で苦笑して再び目を閉じた。






 さぁ 吸い込んでくれ 僕の淋しさ孤独も 全部君が
 さぁ 噛み砕いてくれ くだらんこと悩みすぎる 僕の悪いクセを
 さぁ 笑ってくれ 駄目なヤツと 「離れて気付くなんて遅い」と
 さぁ 受け取ってくれ やっぱり君が誰より好きだから
 「さよなら」できない
                                        
<了>

 「さぁ」と「線」はカップリング曲。
 ということを意識した訳ではないけれどなんとなく。
 「線」とこの話の間にあと一本なにか話を挟んで辻褄合わせます(ヲイヲイ)。


さぁ (シュミ→エリ)>
 モロに離れていた半年の間のシュミットの曲に聞こえる。
 サビが良い。ノリも良い。非常にお気に入りの曲のひとつです。
 「護って守護月天!」OPということで知名度は高め。
 この曲と「君の声で 君の全てで…」はシュミエリだろうよ!!(笑)



 モドル