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君を壊したい。
線
微かに視線が上向く。
一瞬何かを探すように彷徨ったブルーグレイの瞳が、また対象に向けられる。
困ったように微笑むと、眉尻が柔らかく下がる。
細められた目に連動して、すこし濃い色の肌をいっそう鮮やかに彩る銀の睫毛が揺れる。
形のいい唇が開かれ、優しい心地の好い、低い声が零れる。
「ミハエル。そんな我儘を言わないで下さい」
お前の声で綴られる、私以外の名前。
私以外に向けられる、私の好きな笑顔。
それがいかに私を苦しめるか。
まるで、知っているかのように私の目の前でお前は微笑う。
いっそお前の敵に…ライバルになってしまえば、まだしも
その瞳に長く映っていられるのかもしれない。
私の好きな、ゾクゾクするような好戦的な眼差しで射抜いてくれるのかもしれない。
だが自分から手放すには、お前の傍にいられるこの場所は居心地が良すぎる。
ここにいるかぎり、私はずっと、お前を見つめていられる。
せめて、その権利だけは手放したくない。
お前が私のものにはならないと分かっているから。
優しいお前を手に入れることは諦めているから。
だからせめて、見つめることくらいは。
…視線で何もかもを、奪ってしまえればいいと、思ったことが何度もある。
それは幼馴染みの親友に、この邪(よこしま)な想いを抱いたときからの願望。
視線で声も、視線も、体も、心も、全てを奪ってしまうことができたらどれだけいいか。
彼の全てを私だけのものにできたらどれほどに。
目を、閉じる。
諦めたはずの想いを、諦めると言い聞かせたこの欲望を、
私はいつまで心だけに秘めおくことができるだろうか。
いつか、そう、余り遠くない未来に、私はあいつを傷付けそうで恐い。
私に向けられる、何の疑いも持たない無垢な笑顔を、恐怖と疑念に彩られた泣き顔へと。
彼は抵抗を見せるだろうか、一点の染みもないその精神と身体を護る為に。
あぁ、あいつの涙も、さぞかし美しいのだろう。
柔らかい頬を伝い落ちるその雫を舐め取れば、私のこの渇きは潤されるのだろう。
息を、吐く。
私の本当の願いは。
想いは。
いったいどこにあるのだろう。
破壊を前提とした奪取?
願望を犠牲とした安定?
「…わからない」
「何がです?」
驚いて目を開いた。
すぐ傍に、澄んだ空色の眸があった。
思わず口をついて出た、誰に聞かせるつもりもなかった惑いの一粒を、彼は聞き逃さなかったらしい。
歪んだ喜びが湧き上がる心中を隠し、私はゆるりと首を振る。
「何でもないよ」
「そうですか? 何だか、辛そうな顔をしていましたよ?」
彼も私を見てくれている、その事実は狂喜と不安とを同時に舞い落とす。
長い時間を共有してきた彼なら、いつかひょいとこの胸中を察し、
身をかわし消えていくのではないかと。
質問に答えず逸らした視線を追うように、ひやりと冷たい感触が額に下りてきた。
エーリッヒの、柔らかくはないが優しい手。
気持ち良い…。
「…少し、熱いですか? 無理なさらず、休んだ方がよくありませんか?」
「いや、心配な…」
「エーリって過保護だよねー。シュミットは君の子供じゃないよ?」
私の返答を遮り、高らかなボーイソプラノが耳の奥に響いた。
3人掛けのソファにゆったりと座った我らがリーダーの前には、
エーリッヒの淹れた紅茶と有名菓子店のガトー・ショコラ。
エーリッヒは年下のリーダーに、苦笑を見せた。
「シュミットはすぐに無理をするんです。
表面的には平然を装うのが得意な人なので、
気が付いたときには手遅れ、なんてことにもなりかねませんので」
…あ、ぁ。
その通りだ。
その通りなのに。
そこまで知っていながら、お前は何故私に近づく?
気付いたときには、…手遅れなんだぞ?
エーリッヒ。
「…きっとシュミットも、君だけには言われたくないよ、その台詞」
…そう、だな。
きっと、私は。
彼がなにもかもを悟り、傍から消えてしまうくらいならば。
いっそ。
「シュミット? 本当に大丈夫ですか?」
「…ん、何がだ?」
「何が、って…。ぼおっと、されていましたから。
…何処を見てたんですか?」
私の焦点を自分の顔に合わせようと、エーリッヒは私の真正面からじっと目を見据える。
逸らすのが惜しくて、吸い込まれそうな瞳に魅入った。
淡い色なのに、とても深い。私ともまた違う、神秘的な色。
「世界だよ」
冗談っぽく含み笑いを見せながら言うと、エーリッヒは安心したように息を零した。
それからふわりと、包み込むように微笑む。
…あぁ。
「貴方らしいですね」
私らしい?
わたしらしい、とは?
…「ワタシ」とは、どんな個体だった?
お前に見せている表情や声のトーン、態度。
彼を親友としてだけ見ていた頃と、私は同じでいられているのだろうか。
どんな風に私を見せていたのか、もう、よく思い出せない。
「ミハエル」
「ん、なぁに? エーリッヒ」
「…、シュミットを休ませてきてもよろしいですか?」
「エーリッヒ。私は別に」
「倒れられてからでは遅いんです」
言い聞かせるように、また私の目を見ながら、エーリッヒは言う。
自己管理は甘いくせに他人には厳しい彼に、わざとらしく、小さく溜息を吐いてやる。
「…分かったよ、ムッター?」
私の返答に、ミハエルから愉快そうな笑い声が飛んだ。
エーリッヒは憮然として私を睨みつげる。
視線で何か? と尋ねてやると、エーリッヒは諦めたように目線を外した。
「…もういいです」
「エーリッヒ。ついでに君も休んできたら?」
ミハエルの勧めに、エーリッヒは笑い顔を返した。
「そんなわけにはいきませんよ。僕が休んだら、誰が仕事をするんですか」
すぐに戻ります、と言い置いて、エーリッヒは私を促した。
私の部屋へと廊下を並んで歩きながら、レースやチームや学校の、とりとめのない話をした。
昔の私にとっては、つまらない世事だった事ごと。
面白くなったのは、こいつと出会ったからだ。
「世間一般」から良い意味で逸脱していた私に、ついてこられたのはエーリッヒだけだった。
多少遅れることはあろうとも、必ず追い付いてくる。
後を振り返らずとも、判る。
だから。
だから、親友に選んだのに。
同じ線(コース)の上を走っているだけで、満足だった筈なのに。
部屋の前まで一緒に歩いて、ドアノブに手を掛ける。
この先に、こいつを、入れてはいけない。
「少し休んだら、すぐに戻るから」
エーリッヒはそっと、私の頭に手を延ばした。
子供にするように、頭を撫でられる。
私の髪の上を滑っていく、エーリッヒの、手。
「…無理はなさらない方がいいですよ?」
…しなくてよければ、していないさ。
「ミハエルではないが、お前には言われたくないな」
こつん、とエーリッヒの額を拳の甲で軽く叩く。
こんな風に触れることすら躊躇ったとしたら、きっと彼は不審を抱く。
「仕事に戻れ」
「…判りました」
一つ、息を吐いて私に背を向けた。
離れていく彼に、腕を、延ばす。
届くことのない指先は、冷たい空気に悪戯に触れた。
ドアを閉めて一人になって、やっと詰めていた息を吐き出す。
掌に視線を落とした。
…これで、いいのだ。
触れてしまえば後戻りは出来ない。
そうなれば、もう何も私には残らない。
今の彼が好きだから、だから壊してはいけない。
だから諦めなければならない。
もう何百度、自分自身へと言い聞かせたろうか。
ゆっくりとベッドに移動し、投げ出すように身を横たえる。スプリングが軋んで、体が沈む。
今日の昼にベッドメイクされたばかりの白いシーツからは、暖かい太陽の匂いが、した。
大きく息を吸い込み、身体を弛緩させる。
ドロドロした混沌の中に、私はゆっくりと意識を沈ませた。
あたたかい紅茶の匂いで、意識が闇から浮上する。
身体を動かすと、何時の間にか掛けられていたシーツが上半身から落ちた。
私の机で給仕をしていたエーリッヒが、その微かな音を捉えてこちらを向く。
「お加減は如何ですか?」
「…エーリッヒ…ああ、…」
ベッドサイドに膝をついたエーリッヒが、心配げに眉を寄せて私を覗き込んでいる。
鍵を、掛け忘れていたというのか。
ああ、彼を前に鍵などかけられるはずもない。
これは現実だと、頭は理解しているが、夢の続きだと身体が言っている。
夢の続きだ、から。
この、飢えた心と体との臨界点もひどく低い。
机の上に置かれた紅茶の載ったトレイが、ちらりと映った。
マイセンの白いカップが、いやに鈍く輝いている。
「大丈夫ですか? 薬を…」
「エーリッヒ」
立ち上がろうとした彼を引き止め、顔を寄せる。
「お前で治る」
突然腕を引き、ベッドの上に倒れこんできたエーリッヒの唇を塞いだ。
見開かれた眸の中に、私の欲望の色が見えた。
あぁ、
線が、
…切れる。
今すぐ見えない線を越えたい たとえそれが間違いだとしても
イケナイ火遊びのキレイな炎が メラメラ僕のなか燃える
誰もが見えない線を越えたい たとえそれが人を傷つけても
一人じゃ満たされない欲の塊が 止まる事無く僕のなか流れる
<了>
シュミットの一人称でシュミエリ片恋モノを書くと、
どう転んでも目線が変態・ストーカー。
こういうのも好きだが、やっぱり了承を取ってからの方が好きかも。
<線 (シュミット→エーリッヒ)>
弟がうっれしそうに「お姉ちゃんこれホモ!」って報告くれたのが忘れられない、
オイラがSURFACEを深く認識するきっかけにもなった曲。
「さぁ」のカップリングで、弟の場合は「トゥハート」の雅史→浩之を指す。
あめ●か亭というカラオケルームでは、この曲のバックのプロモが
片恋モノ(男→男)だった。歌に集中できないことこの上ない。
モドル
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