言葉の意味と存在理由。




 ベッドルームのドアを開けると、冷たい風が廊下へと吹き抜けていった。
 ふるり、と身震いをして、部屋の中に視線を巡らす。
 暖房を効かせて、暖かくされていると思ったその部屋が外気と同じくらいの
温度であったという事実は、ほんの少しエーリッヒをがっかりさせていた。
 ライトはすでに消されて、部屋は暗闇に支配されていた。
 同室者はもう寝たのかと思ったが、窓辺に人影を見つけて動きをとめる。

「…シュミット?」

 声を掛けると、夜の闇よりもなお濃い色の瞳がエーリッヒを映した。
 廊下の、非常灯のみの薄い明かりの中、シュミットは穏やかに笑っているように見えた。

「何をしているんですか…」

 夜風に揺れているカーテンで、窓が開け放されていることに気付く。
 出窓に腰掛けている彼は、紺色の上着を羽織っていた。
 ドアの鍵を閉めて、彼に近づく。
 エーリッヒの方を向いている顔の、頬に、そっと手を触れた。

「こんなに冷たくなってるじゃないですか…。風邪を引きますよ」

 呆れ声で呟いて、自分の熱でシュミットを少しでも温めようと両手で彼の頬を挟む。
 シュミットは目を閉じて、エーリッヒにされるまま、その身を預けていた。けして彼が
自分に危害を加えないと知っているから安心している。ひどく上機嫌に見える。
 まるで、猫みたいだ。
 そう思って、エーリッヒは微かに笑みを漏らした。
 ふと、瞼を上げ、視線で「何だ」と尋ねてくるシュミットに、エーリッヒは「何でもありません」と言った。
 それから、ゆっくりと手を離し、シュミットの身体越しに窓に腕を伸ばす。

「閉めますよ」

 その腕を、シュミットが押さえた。
 エーリッヒが眉を寄せる。
 シュミットは静かに、囁いた。

「もう、少しだけ」 

 何が---と、エーリッヒが問う前に、シュミットの頭が外を向く。
 視線が昇る。

「あ…」 

 シュミットの視線を追ったエーリッヒから、無意識に声が漏れた。
 空には、無数と言っていいほどの星星が煌めいていた。
 昨日雨が降ったせいでもあるだろうし、今日が新月のせいもあろう。星達の
舞踏会を邪魔するものは、何一つとしてない。
 邪魔をするものがあるとすれば、それは東の方にある大きな街の明かり…、
地上の光だけだった。

「…綺麗ですね」

 エーリッヒの白い息が、部屋の中に拡散する。
 窓を閉めることで最も小さい星の光が見えなくなることを惜しんだシュミットは、
小さく、ああ、と答えた。
 冷たい風と共に、優しい沈黙が部屋を流れる。
 言葉はなかったが、相手の感じていることが判る気がした。
 こんな時、言葉は存在意義をなくした。普段は、どれだけ思っていても言葉に
出さなければ、思いはけして伝わることはない。
 なのに、こんな時、二人が穏やかに相手を近く感じるとき、相手の気持ちが、
言葉なくして分かる気がした。
 それは錯覚かも知れない。だけれど、その沈黙が重いものでも息苦しいものでもなく、
二人の共有してきた長い時間を積み重ねるものであるとき。
 共に歩んできた道の長さのせいか、相手のことを理解している気になれた。
 星空の中に、ひとつ、光の筋が流れた。
 この星空を形容する言葉は、いくらでもあるはずだった。だけれど、いざとなると
そんなものはひとつも頭に浮かばない。ありきたりな「綺麗」という言葉を口にするのが
いっぱいいっぱいになる。
 星空に奪われていた視線を、目の前の親友に戻すと、シュミットは微かに震えていた。

「……寒いなら、閉めますよ」

 静かに尋ねると、彼は頭を横に振った。
 エーリッヒは柔らかく溜め息をつく。彼の我が儘は毎度のことで、普段なら
少しばかり機嫌を損ねられても彼の健康を最優先させるけれど。
 今日だけは。

「もう少し、だけですよ」

 すっかり冷えてしまった身体を抱き締めて、また、星空を目に映す。
 お互いに冷たいのだけれど、密着させた部分は少しずつ熱を取り戻す。
 緩慢にそれを待ち、その温かさを拠り所にして、自然のプラネタリウムを観ていた。
 星空は動く。少しずつ、少しずつ。
 上半身を捻って窓の外を見ていたシュミットが、左の腕をエーリッヒの腰に回す。
 そのことで、触れる部分が大きくなる。
 言葉は意味を成さない。 
 存在意義も持たない。
 沈黙だけが、彼らの気持ちの代弁者。


 感傷的になるつもりも、ロマンチックな気分でも、ないのだけれど。
 この広大な海の中で、こんな暖かな星がいくつあるのか。
微かにそんなことを思ったり、した。

 寒くなるのは、まだまだこれから。


 妹は甘甘でないと許してくれないので、必死で甘甘を書く練習中です。
 エーリッヒが受っぽすぎる上に、前に似たシチュエーションで書いてしまっていたので、
今度は逆にしてみた。ら………きっちり逆に見えやがる。チックショウ…!!(笑)
 ま、書いた本人がシュミエリだっていうのでシュミエリです。誰がなんといおうとシュミエリやねん!!!!
 ところで夜の小説が多いのはSOSが夜行性だからです。



 モドル