ご神託。

 チームルームのリビングにある窓から晴れ渡った空を眺めて、エーリッヒはふぅ、と溜め息を吐いた。
 窓の外には、冷たい1月の風が吹いている。
 随分久しぶりに、自分のためだけに淹れた紅茶で喉を潤して、エーリッヒは次の対戦チームである中国のデータに視線を落とした。
 朝から、ミハエルたちは近くの神社に初詣に行っている。
 ミハエルはエーリッヒにも来るようにと奨め続けたのだが(最後の方には半分駄々をこねるようになっていたが)、カトリックであるエーリッヒはその誘いを丁重に断り続けた。
 ミハエルの煩さたるや、呆れたシュミットが、入り口(日本語では「鳥居」というらしい)はくぐらなくても良いから、その前までだけでも行ってやったらどうだと説得しようとしたほどだが、エーリッヒはどうぞ4人で行ってきてください、と譲らなかった。
 結局、エーリッヒの頑固さにミハエルが負けて、初詣には4人で出掛けた。
 だから、今、エーリッヒはアイゼンヴォルフのチームルームに一人でいる。
 インターナショナルスクールから課せられている冬休みの宿題や次回のレースへの検討など、やることだけはあるのでのんびりする、という訳には行かないが。
 本当に一人になれたのは久々だった。
 日本に来てからは基本はチームでの行動になるし、自室であってもシュミットとの相部屋だ。窮屈だと感じたことはないが、やはり一人でいるとほっとする面もあった。

 コン、

 ふいに、エーリッヒの耳に固いものを叩く音が入ってくる。
 何だろう、とエーリッヒはソファから腰を上げる。
 聞き間違いでなければ、それはドアの方から聞こえた。
 誰かいるのかと扉を開けると、普段ならば絶対に訪れたりしない少年が一人。
 エーリッヒは一瞬目を見開いたが、すぐに微笑の内にそれを隠した。

「珍しいですね。貴方がここにくるなんて」

 相手の少年は応えず、エーリッヒの身体を押しのけるようにして勝手に部屋の中へと入った。
 そのままどっかりとソファに腰を下ろして片足をテーブルに乗せる。
 エーリッヒは流石に眉を寄せた。

「カルロ。足を下ろしてください」

 彼に近づきながら言うと、煩ェ、と睨まれる。エーリッヒは負けてはいなかった。
テーブルの上に散らばっていた資料を手早く纏めて端に置き、カルロの足を掴んで無理矢理テーブルから落とす。

「…………」

 思い切り睨み付けてくるカルロに笑顔を返して、エーリッヒは湯沸しの方へと足を運んだ。
 彼が、予想とは反して甘いものの好きなことを知っているのでココアの缶を手に取る。
 白いカップを持って戻ると、またテーブルに足を乗せていた。

「…カルロ。新年早々喧嘩を売りに来たんですか」

 テーブルに湯気をたてるカップをすこし乱暴に置く。
 エーリッヒが視線を合わせないのはかなり怒っている証拠。
 カルロは黙って足を下ろした。
 どうやら、正月早々の喧嘩は回避するつもりらしい。
 エーリッヒはカルロの隣に腰かけて、先刻目を通していた資料を引き寄せた。
 カルロが何のためにこの部屋に来たのかは知らないが、エーリッヒとカルロの関係に余計なコミュニケーションの必要はない。
 隣のカルロがココアを飲む気配を感じながら、エーリッヒはメモ用紙に次々と何事かを書き付けていく。

「…エーリッヒ」

 突然名を呼ばれても、音を立てるボールペンは止まらない。

「…何ですか?」
「…入れたい」

 ぴた、とエーリッヒの手が止まる。
 目を閉じ、眉間にこれでもかというほど皺を刻む。
 …何を言い出すんだこの人は。

「…………何処に何を?」
「お前のケ」
「口に出さないでいただけますか」
「……………………」

 具体的に喋らせる事はカルロへの抑止力にはならないらしい。
 取り敢えず黙らせて、エーリッヒはまた書き物に戻る。

「……エーリッヒ」

 すこし間を置いて、また、カルロが声をかける。

「……何ですか?」

 無視できないのはエーリッヒの優しさなのかもしれない。

「……「姫初め」って言葉知ってるか?」
「…………知りませんが」
「その年始まって最初のセ」
「口に出さないでいただけますか」
「……………………」

 意味を知らなかったのは本当だが、次に来る言葉が予想できたところでストップをかける。
 素直でないカルロがここへ来た目的を、ようやくエーリッヒは知った。
 …いや、エーリッヒの所へ来る目的など最初から一つしかないのだが。

「………エーリッヒ」
「………何ですか?」
「………ヤらせろ」

 何度も腰を折られてまだるっこしくなったのか、ストレートに要求を突きつけてきたカルロに、エーリッヒはちらりとだけ視線を送る。

「嫌ですよ」

 そして、即答。

「……………………」

 ムスっとしてソファに身を沈めたカルロを省みず、エーリッヒは自分の作業を続けた。
 カルロが席を立って帰ろうとしないのは、まだ諦めていないからだ。

「…………エーリッヒ」

 そうして予想通り、また声が掛けられる。
 いい加減答えるのを止めればいいのに、とエーリッヒは自分でも思いながら、それでも何故か聞き返す。

「…………何ですか?」
「…………Ich liebe dich」
「黙っていていただけませんか」
「……………………」

 また沈黙が下りる。
 だが、エーリッヒのペンの音も今度は聞こえなかった。
 ペンを動かそうとした瞬間に、カルロの言葉の意味を理解したから。
 …どうして。
 カルロはソファの背もたれに頭を乗せて、目を閉じている。

「……………カルロ」
「……………何だよ」

 イタリア訛りがひどかったけれど、でも。
 あれは。

「……………もう一回言ってください」
「……………は?」

 カルロは顔を上げて、エーリッヒを見た。
 一度は無視しておいて、というふうに不満を顔に滲ませている。
 エーリッヒは目を伏せた。
 正直な気持ちを彼に伝えるのは苦手だ。嘘ばかり吐いて繋ぎとめている関係なのだから。

「………またくだらないことを言ったのかと思ったんです。……でも、よく考えると嬉しい事を言ってくれていたから。…もう一回聞きたいんです」

 カルロは冷たく目を細めた。
 馬鹿じゃねぇの、と言われても仕方がない。
 エーリッヒは顔を上げられなかった。

「………一回ヤらせてくれるなら言ってやるよ」

 聞こえた条件に、エーリッヒは覚えず顔を上げていた。
 …足元を見られている。

「…………ものすごく高くありません?」
「…嫌なら構わないぜ?」
「……それとも僕の価値が低いんですかね」

 ふ、とエーリッヒは息を吐いた。
 頬が緩むのは仕方がないと思う。一生絶対聞けないと思っていた台詞だったのだから。
 今年はいい年になるかもしれない。

「…僕は今、貴方のせいで不覚にもとても嬉しいんです」
「…………」

 それで? と聞き返す視線に妖艶に笑む。カルロと付き合い始めてから覚えた笑い方だ。カルロにしか向けない。便利な事に、使いどころさえ間違わなければ、言葉以上に雄弁。
 だけれど嬉しいから、言葉で止めを刺しておこう。

「何も言ってくれなくても、好きにされても良い気分なんですけれど」

 十数秒の、沈黙。
 それから。

「ぅわっ……!!」

 突然カルロに押し倒される。
 まだ持っていた資料の紙が、ばらばらと床に落ちて広がった。

「言っとくけど、誘ったのテメェだからな」

 獣のような光を宿す瞳で、開始の合図をしたのはお前だと確認する。
 それは後から何か小言を言われるのを回避する為。
 首筋に口付けられて、エーリッヒはくすくす笑った。

「………自分からさんざん強請っておいて……」
「すぐにテメェから強請らせてやるよ」
「………スケベオヤジ」
「……………………」

 …あと一時間、ミハエルたちが帰ってきませんように。
 ちらりとドアに視線を送って、エーリッヒは目を閉じた。




 吉
 恋愛:素直にして良。

 …その日、カルロが引いたおみくじに、そうあった、らしい。


                                      <終>

 ……第二回WGP(ゲーム)設定で……(無理矢理)。
 考えてみると一月ってすごい設定が難しいッスね!!
 ていうか…私………どうしたんだろう……(カルエリに対するスタンスを思い出そうとしている)。
 「正月早々」が変換一発目で「正月葬送」って出て、なんつぅ縁起の悪さだと思った。…死にねたは好きくないッス。

モドル