AWKWARD KISS


 1996年5月。
 ヨーロッパ大陸の覇者である、ドイツのアイゼンヴォルフと、アメリカ大陸チャンプのNAアストロレンジャーズが勝利と栄光をめぐって争ったアトランティックカップも、終わりを迎えようとしていた。
 アメリカはコロラドに造られたドームで決勝が行われる今大会。予選や本リーグを含めれば、半年近くも開催されていたことになる。
 楽なレースではなかった、とシュミットは感じていた。ヨーロッパ予選のときから、今までのレース。今年結成された、という若いチームから、レースとなれば必ず顔を合わせる常連まで、多種多様だったが、今年注目に値したチームは三チームあった。ひとつは、昔からヨーロッパの覇権を争い続けているスペインのオリゾンテ。二つ目は、個人戦ではいまいちだが、チーム戦では侮れない、北欧のオーディンズ。
 そして。今大会の今までのレースで、一番てこずったのはおそらくあのチームだ。今年3月に結成されたという新参チームながら、圧倒的な強さを見せ付けてヨーロッパ予選を勝ち上がってきた。いや、圧倒的な強さ、というのでは語弊があるかもしれない。彼らのレースは特徴的だ。対戦相手の8割が、何らかのマシントラブルによってリタイアしているのだから。チームとしては、一人一人の選手のポテンシャルもなかなかだが、どちらかというとリーダーの能力が突出しているいわゆるワンマンチームだ。

 イタリアの、ロッソストラーダ。

 ポイント差でどうにか押さえ込んだが、アイゼンヴォルフもシュミットとエーリッヒ以外の選手は全てリタイア、という状況だった。
 あそこと争ったチームは、皆口には出さないが不信感を抱いている。メンテにもセッティングにも、チューンナップにも自信のある選手たちが次々にリタイアしているのだ、それも当然だろう。
 一度調べてみる必要があるな、とシュミットはひとりごちて、ロビーのソファに背を預けた。

「…よう。」

 ふいに掛けられた声に、シュミットはその主を見上げた。バイザーの奥から、人を小ばかにしたような瞳がシュミットを見下ろしていた。

「……遅い。」

 人を呼び出しておいて、と不満を続けるシュミットに二つ持っていた缶コーヒーの片方を手渡し、その隣に腰掛ける。

「悪い。中々離してもらえなかった。」

 缶コーヒーを、眉間に皺を寄せて睨み付けているシュミットに、ブレットはあまり悪いとも思っていないような声音で言った。
 シュミットはちらりとブレットを見、不機嫌そうに厭味を口にした。

「何処の世界に、決勝前日に敵の大将と仲良く談笑するようなリーダーがいる?」
「ここに。」

 特に意に介した様子もなく、親指で自分を示して見せるブレットに、シュミットは片眉をぴくりと動かした。それは神経質な彼らしい表情で、ブレットの笑いを誘った。

「……変わらないな。」
「君もな。」

 ふ、と息を吐き、シュミットはにやりと笑った。
 ブレットは缶コーヒーのプルタブを引く。カシッ、と軽い音が響いた。

「調子は良さそうだな。」

 コーヒーを一口啜り、ブレットは確認の口調で言った。

「まあね。そういう君も、悪くはなさそうだ。……バックブレーダー、だったかい? 良いマシンじゃないか。」

 今大会でお目見えした、アストロレンジャーズのニューマシン、バックブレーダー。柔らかな曲線を描くフォルムからは想像もつかないようなスピードとトルクを誇る、驚異的なマシンだ。この大会への、アメリカの気迫が伝わってくるような洗練された作りは、アイゼンヴォルフを始め多くのレーサーを驚嘆させた。

「いつまでも、カリキュラムだからなんて言ってられないからな。」

 冗談めかしてブレットが言うと、シュミットは、それは結構、と満足げに頷いてみせた。
 NASAのアストロノーツ育成施設において、ミニ四駆がカリキュラムとして取り入れられたばかりの頃(もっともそれは一年も前のことではないが)、練習試合としてロシアのチームとレースをするはずだったことがある。だが直前になってロシアチームの選手にトラブルが起こり、急遽別のチームが呼ばれることになった。その時に、ヨーロッパの代表として名乗りを上げたのが、アイゼンヴォルフだった。
 たかがミニ四駆、と甘く見ていたアストロレンジャーズはアイゼンヴォルフに僅かの差で負けを喫し、エッジやミラーを筆頭に皆ひどく悔しがっていた。だが、現実はもっと厳しかった。ブレットたちが戦ったアイゼンヴォルフが実は二軍で、一軍はヨーロッパで別の大会に出ている、という話を後から聞いたのだ。
 ブレットたちがミニ四駆の奥の深さを教えられた瞬間だった。くだらない、という感想以外抱かなかったミニ四駆に、ジョーが真剣に取り組みはじめたのもその後だった。また、上も相当屈辱を感じたのか、デニスという監督を見つけて来て、ブレットたちに宛った。まるで、二度と負けるな、と言わんばかりに。
 それ以来、ドイツと対戦するのはこれが初めてだ。当然のごとく、エッジたちは雪辱を狙っていたし、ブレットも、シュミットには負けたくないと思っていた。
 シュミットは、何に対しても今まで人よりも一歩先に進んでいたブレットと、初めて対等に肩を並べた存在だったから。そして、初めて敗北の苦さを味あわせた相手だったから。
 おそらく、3年前のあの時から、ブレットの中でシュミットだけは「特別」なのだ。

「……実際、驚いたぜ。こんな形で再会するとは思わなかったからな。」

 ドイツチームの一軍と顔を合わせる機会は、アストロレンジャーズには今大会までなかった。
 一軍リーダーが、昔の友人であるこの男だということも、大会が始まってから初めて知った。
 知ったとき、理由の判らない喜びが全身に稲妻のように走った。

「それは私の台詞だ。君が昔、ミニ四駆をばかにしたことを忘れてはいないからな。」

 シュミットは、ドイツとアメリカ親善試合のオーダーを事前に知らされていた。リーダーの欄に見覚えのある名前を発見したとき、どれほどアメリカまで出向いてこの男の鼻をあかしてやりたかったか知れない。
 シュミットの辛辣な物言いに、ブレットは片頬を吊り上げる。

「…仕方ないだろ。あの頃はアストロノーツ候補生でもなんでもなくて、ミニ四駆に触れる機会なんてなかったんだ。」
「だが、割り切ることもできたはずだろう? 所詮カリキュラムだと。だが、そんな気持ちではここまで勝ち進むことなどできない。……君も好きなんだろう? ミニ四駆が。」

 にやにやと笑いながら顔を覗き込んでくるシュミットから顔を背け、ブレットはまぁな、と早口に答えた。
 その様子に、シュミットは口元に拳を当ててくつくつと喉の奥で笑う。

「照れるなんて、なかなか可愛いじゃないか。」

 眉を寄せてシュミットを睨む。
 途端、深い紫の瞳と目が合う。
 まるでばかにするように嘲笑う口元は、昔のまま変わっていなかった。
 刺々しい毒舌を吐くくせに、どうしてこいつの顔はこんなに綺麗なのだろう、と思う。初めて会った時と、順序は逆でも同じ感想。

「……可愛い、なんてのはお前みたいな顔の奴に使う形容詞だぜ?」

 手を伸ばし、シュミットの顎を掬う。
 シュミットは、皮手袋をしたままのブレットの手を振り払おうとはしなかった。

「私は「美しい」んだ。「可愛い」とは違う。」

 不遜な物言いに苦笑しながら、ブレットはそっとシュミットに顔を寄せた。
 シュミットは意地の悪い笑みを浮かべて見せる。

「キスをしたことはあるのかい?」
「…人並み程度ならな。」

 そのまま、唇を重ねる。
 ブレットにリードを任せながら、シュミットはロビーの柱にかかっている時計の秒針で時間を計る。
 ……9,10,11,12,13。
 そこまで数えた時に唇が離れた。
 顔を離したまま、視線を合わそうとしないブレットに、シュミットは判りやすい、と思う。
 右手で視界を邪魔する前髪をかき上げると、シュミットはソファから立ち上がった。
 当然のように、ブレットの視線はシュミットを追う。

「…戻るのか?」
「ああ、あまり出ていると、チームの連中が心配するだろうからね。ああ、この程度の度胸試しなら、いつでも付き合ってやってもいい。」

 シュミットはにやりと笑うと、先のお返しのようにブレットの顎を指先で掬った。
 そうして、触れるほど近く、唇を寄せると、

「…嘘吐き。」

 ピシ、とブレットの顎を指先で弾き、くるりと背を向ける。
 自信に満ち溢れたその背をぼんやりと見送ってから、ブレットは小さな痛みを訴える顎に、そっと触れた。
 ……バレてる。
 ブレットはキスの経験など殆ど無い。シュミットの手前意地を張ってみたが、その虚勢はあまりにもあっさりと看破された。
 結局、ブレットはシュミットの前ではいつも、格好悪い姿ばかりを晒してしまう。
 ふと、シュミットの座っていた場所の隣に、ブレットは自分が彼に差し入れたはずの缶コーヒーが残っているのを見つけた。本物志向のシュミットには、こんな出来合いのものなど口に合わない、ということなのだろうか。

「…上等だ。」

 …今に、見ていろ。
 缶コーヒーを握り締めて、ブレットは強く、リベンジを誓った。
 アトランティックカップ決勝戦前夜、22時38分。


                                              <終>

 原作喋りのシュミットキモイ!!!!(言っ ちゃっ たー)
 思い切り良くキモイ。でも、本来の彼のブレットとの会話はこの調子ですよね。
 うちのブレシュミ(というよりシュミット受)はこの辺りが限界です。
 まぁシュミットが缶コーヒーを残した理由は、恐らくプルタブの空け方が判らなかったからですよ(ヲイ!!)
 後日、補足的に彼らの出会いが書ければ、と思っています。

 モドル