洋梨の皮を手際よく剥いて、櫛型に切る。
鍋で砂糖とレモン汁とリンゴ酒と一緒に煮たら、軽くシナモンを振って。
冷蔵庫で寝かしておいた畳んだ生地を取り出したら、
本格的なパイ作りのスタート。
グランドチャンピオン
「アンタ、男のクセに本当に器用だな」
眼前で、魔法のようにパイの形が整っていくのを飽きもせず見つめながら、
ジュリアナは呟いた。
少年は少し顔を上げて、にこりと笑う。
それは、レースの時に見せる表情とは全く違っていた。
レースの際には、ぴんと気を張り詰めて近づきがたい雰囲気を纏わせる彼は、
その小学生にしてはの長身と表情のせいで、
他人に話しかけられることを拒絶しているように見られがちだ。
水で溶いた卵黄をパイの表面に塗り、オーブンに入れて、
エーリッヒは使ったものを洗うために広いシンクに向かった。
二人のほかには誰もいない食堂の調理室は少し寒くて、
オーブンの音が静寂を際立たせていた。
4つ入りで買ってきた、グランドチャンピオン、という名の洋梨の残りは2つ。
その一つを無造作にパックから取って、蔕の部分を摘んでぶら下げる。
「こんなの、どうやって剥くんだ? 変な形」
ぶらぶらと不安定に宙を彷徨っていた洋梨の下部を、
そっと褐色の手で包み込むように受け取る。
ジュリアナは、エーリッヒがパイを作ろうとしているときに調理場の前を通りかかり、
そのまま見学を希望した。エーリッヒから許可が下りると、彼女は
食堂から椅子を運んできて、ぴかぴかの調理台の前に陣取ったのだ。
洗ったばかりの果物ナイフを取り上げて、滑らかな果物の側面に押し当てる。
「こうするんですよ」
少しだけ力を加えて、刃を果肉と皮の間に食い込ませる。
あとは柔らかな果実を潰してしまわないように、丁寧に回しながら剥いていくだけ。
その作業に慣れているエーリッヒにはなんでもないことだったが、
ジュリアナには確かに、綺麗なクリーム色がかった果肉がその姿を表していく様は
魔法だった。
「簡単でしょう?」
「どこがだ? あたしには絶対にムリムリ」
剥いた洋梨を食べやすい大きさに切って皿に盛り、
銀の細いフォークを添えてジュリアナの方に差し出す。
遠慮なくパクついたその果物は柔らかくてみずみずしくて、
優しい香りがした。
「やってみますか? 教えますから」
美味しそうに水菓子を咀嚼するジュリアナの口元を見ていた
エーリッヒが、不意に言った。
「…アタシが?」
パックの中で使われる時を待っている洋梨は、あとひとつ。
「難しくないですよ?」
ちょっとだけ怖がるような表情を見せたジュリアナに、
その警戒心を消し去るような言葉を選びながら、
似ている、とエーリッヒは思う。
シュミットも、昔、僕に「器用だ」と言った。
僕が林檎を剥く様子を、同じようにきらきらした目で見つめながら、
「私にはムリだ」と諦めたように、苦笑しながら言った。
「難しいし、そいつが怖いよ」
ジュリアナは、エーリッヒが再び流水に晒した小さなナイフを
フォークで示した。
小さな刃物は鋭くてぴかぴかしていて、
確かに怖いかもしれなかった。
…でも、それを怖がっていたら、何もできないと思うのだ。
「一度コツを掴んでしまえば出来るようになりますし、
…貴方はこれから一生刃物を握らないつもりですか?」
「そんなわけないない! あたしだって料理ぐらい出来るようになる!
今はムリだけど、いつかできるようになるんだ!」
なら。
エーリッヒは笑った。
こんな風に楽しい気分になったのは、久しぶりだった。
「僕と少しだけ、その練習をしてみませんか。
貴方が未来に料理をつくりたいと思う、誰かのために」
「誰かって……っ!! ア、アタシは別にカイコーチのためじゃっ…!」
途端に顔を真っ赤にして聞きもしない言い訳をはじめる彼女に、
エーリッヒは声を殺して笑った。
オーブンからは甘い香りがただよい始める。
<了>
バナナ売りの女がいつか見た夢2(バイト中に以下略)。
なんでこんな組み合わせになったのかは、
当時の私に聞いてもわからないでしょう。
モドル
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