ダブル・デート


 「ごめん、明日のデートの予定なんだけどっ…!」

 ジャネットが部屋に駆け込むなり報告してきたことは、マルガレータを少なからず落胆させた。
 日曜日に予定していた映画観賞が、ジャネットにも不足の事態によって中止になったという。
 最近人気の恋愛映画のチケットは、やっと手に入ったところだった。
 二枚のチケットを手に、どうしようかと思う。
 無駄にするのは勿体ないし、キャンセルするのも苦労が水の泡みたいでいやだ。
 かといって一人で行ってもつまらないし虚しい。
 誰かにあげようか、という結論に達して最初に浮かんだのは、自分たちのようにいつも二人一緒にいるドイツ人たちだった。
 ジョーの顔もちらりと思い浮かんだが、リョウ・タカバがつかまるかどうか判らないだろうし、おそらくあの男は恋愛映画になど興味はあるまい。
 そうと決まったら早速、と立ち上がったところで、自室のドアが乱暴にノックされた。
 それと同時に、ニエミネンの声。

 「マルガレータ、お客さんだぞー」
 「はい?」

 自室を出てチームルームのドアまで行くと、廊下に立っていたのは、今尋ねていこうと思っていた二人組の片割れだった。
 廊下を一渡り見渡しても、もう一人の姿は見えない。

 「突然、すみません」

 エーリッヒは律儀にも最初に言った。
 マルガレータは首を振る。

 「いいえ。ちょうど、わたしも尋ねようと思っていたところだったから」

 それは偶然ですね、とエーリッヒは微笑した。

 「それで、何のご用かしら?」
 「あ、ええ。あの、これなんですが」

 そう言ってエーリッヒが差し出したのは、二枚のチケットだった。

 「本来は僕とシュミットで行くつもりだったのですが、彼の都合が悪くなってしまって」

 だからよろしければ、と差し出される美術館のチケットとエーリッヒの顔を見比べる。

 「…本当に偶然」
 「え?」
 「わたしも、そういう理由で貴方を尋ねようと思っていたの」

 マルガレータが見せたのは、二枚の映画のチケット。
 先の彼女と同じく視線を動かし、エーリッヒは呟く。

 「…困りましたね」
 「ええ、困ったわね」

 ふう、とため息を吐き、二人して自分のチケットに視線を落とした。

 「…行きましょうか」

 数十秒の沈黙のあと、マルガレータは呟いた。

 「…え?」

 エーリッヒが顔を上げると、マルガレータがにこりと微笑む。

 「素敵なデートになりそうでしょう?」

 ね? と尋ねられたエーリッヒは、苦笑しながらJa、と答えた。







 朝の9時に宿舎の前で待ち合わせ。
 約束の時間の10分前にロビーへ降りて行ったマルガレータは、すでにエーリッヒが玄関先に立っているのを見て慌ててそこに駆け寄った。

 「ごめんなさい、お待たせしてしまったかしら?」
 「いいえ」

 エーリッヒは首を振って、にこりと笑った。

 「貴方なら10分前に来るだろうと思ったんです。だから僕はそれより少しだけ、前に来ました。
 女性をお待たせするのは失礼ですから」

 紳士的な模範解答と共に、綺麗な褐色の手が差し出される。
 その行動に目をぱちぱち、と瞬いて見上げると、彼は共犯者の顔をして、片目を閉じて見せた。
 それが普段彼が見せている態度とは余りに違ったので、ついふふ、と笑って、マルガレータは彼の手を取った。




 バスに乗って移動し、映画館に入る。
 恋愛映画のせいだろう、座席は殆どカップルで埋まっていた。
 上映前に一渡り、周囲を見回してそれを確認したマルガレータが、隣のカップルの真似をしてエーリッヒの方に身を寄せた。

 「…マルガレータさん?」
 「うふふ。ラブラブに見えるかしら?」

 軽く名前を呼ぶような質問は、怪訝さを含んではいなかった。
 楽しそうに笑うマルガレータに、エーリッヒも笑う。

 「少なくとも、恋人同士以外には見えないでしょうね」

 小声で答えてお互いスクリーンに意識を戻す。
 そんな二人は当然のように、ひどくお似合いのカップルに見えていた…とか。




 映画館を出た後、一緒に昼食を採った。
 マルガレータがシナモンに教えてもらったという、安くて美味しい洋食店。
 落ち着いた色合いで統一された店内は、いかにもデート中の男女が立ち寄るにはぴったりで。

 「こういう所には来たりされるの?」

 ふとスプーンを止めて、マルガレータは正面に座るエーリッヒを見た。

 「…え?」
 「シュミットさんと。お外でお食事したりはなさらないの?」

 声を抑えて尋ねられた問いへの返答を躊躇うように、エーリッヒは少し笑ってみせた。
 汗をかいた水のグラスに視線を移し、エーリッヒも声のトーンを落とす。

 「あまり、二人で外出することもありませんから…」

 と、言うか、許してもらえないと言うか。
 二人だけで外出だけならともかくも、『食事は楽しく皆で一緒に』が基本スタンスの彼らのリーダーが外食など許してくれるはずもない。

 「それに、僕とあの人と、二人でなんて可笑しいでしょう?」
 「あら、そんなことないわ。とても素敵だと思いますけれど」

 マルガレータの答えに、エーリッヒは今度こそ苦笑した。

 「素敵…ですか?」
 「ええ、とても」

 実際、シュミットとエーリッヒが並んでいるのは様になる。
 中心にさらなる輝きを持った帝王を据えなくとも、周囲の目を十分引き付ける。
 それが、エーリッヒにはいまいちぴんとこなかった。
 ジャネットとマルガレータが並んでいるならば華やかだし「素敵」なのは理解がいくが。
 シュミットはともかくとして、自分など。

 「…罪な人ね」
 「は?」

 突然のマルガレータの一言に、エーリッヒは間抜けな声で答えた。
 マルガレータは皿に残った一口ぶんのピラフを綺麗にスプーンに掬った。

 「ご自分の容姿に対して自覚かないのは、立派な罪だと思うわ」
 「…僕に、シュミットのようになれとおっしゃるんですか?」
 「あら、それも素敵ね」

 朗らかに笑い声を上げたマルガレータに、エーリッヒはどうあがいても彼女には適わないだろうことを悟った。



 「小学生のデートコースじゃないわ」

 マルガレータの一言に、エーリッヒは目をしばたたがせた。
 レンブラント絵画展は休日ということも手伝ってか、適当な客足を呼んでいた。

 「あ…すみません。退屈させてしまいましたか?」

 マルガレータは首を左右に振った。

 「いいえ、こういう場所は好きよ」

 展示された油絵をぐるりとひとわたり見渡す。
 マルガレータには生憎絵の善し悪しはそう判らなかった。
 だが年代を経ても尚鑑賞に耐え得るそれらの絵が、落ち着いたその場の雰囲気が、嫌いではなかった。

 「いつも、こういう所に来られるの?」

 シュミットと、と続く言葉は言わず、エーリッヒを見つめる。

 「ええ。予定さえ合えば」
 「それはどちらのご趣味か、お聞きしても?」
 「展覧会の主役によって、誘う方は変わりますね。そういうマルガレータさんには、そういうことはありませんか?」
 「そうねぇ。私たちの場合は、大抵向こうから誘ってくるわね」

 ケーキバイキングからたわいもない噂話までその内容は様々だったが、ジャネットは手に入れた有利な情報は余す事無くマルガレータに伝えてきた。
 新しい情報を手に入れ、それを自分のところまで運んできたときのジャネットの嬉しそうな表情を思い出し、マルガレータはふと笑みを浮かべた。
 新しもの好きなジャネットが、幼なじみでもある自分に未だ飽きていないらしい。
 それが不思議でもあり、幸せでもある。

 「二階へ回りましょうか」

 エーリッヒの声に、マルガレータはええ。と返事をして可愛らしく笑った。








 「…マルガレータさんも、意外と悪趣味ですね」

 夕日に赤く染まった道を並んで歩きながらのエーリッヒの一言に、マルガレータは軽く首を傾げて見せた。

 「あら、何が?」
 「ジャネットさんに、今日僕とデートだと教えたんでしょう?」

 繋いだ右手にちらりと視線を落とす。
 マルガレータは逆に、エーリッヒの顔を見た。

 「同じことをした、貴方も相当悪趣味だと思うけれど?」
 「ええ、だから先ほど、マルガレータさんも、と言ったんです」

 顔は向けず、視線だけで後方を示す。
 自然、こみあげてきた笑いを隠すことをせず、二人はくすくすと笑った。

 「…さて、時間的にはそろそろ宿舎に帰るべきですが?」

 笑いが収まってから、エーリッヒは腕時計に表示された時間を読み取ってマルガレータに尋ねた。
 そうねぇ、と少し考える素振りをしてから、

 「もう少し、このダブルデートを楽しまない?」

 可愛らしい小悪魔の発案に、エーリッヒはまたくすくす、笑った。

 「悪くないですね」

 帰ったら、絶対に追求が待っている。
 相手の相方からの、ひどい嫉妬の視線も受けるだろう。
 だけれど、それを差し引いても今日の成果は十分。
 疑う訳ではないけれど、ときどき確かめたくなるのが愛というものでしょう?

                                   <了>


 わざわざ宿舎の前で待ち合わせたのは、相方がつけやすいようにです(笑)。
 今更なので、さらっと小学生を無視してみる。
 この続きが、SURFACE50題の『ジレンマ』というワル→エリだという話(!!)


 モドル