お誕生日おめでとうございます。
エーリッヒはにこりと笑ってそう言った。
REGARO
「………いらねぇ」
チームルームのドアに立ちふさがったまま、差し出された長方形の箱の中身を一瞥して、
カルロはふいと視線を逸らした。
エーリッヒは溜め息をついて、肩を竦める。
「残念ですね」
せっかく心を込めて焼いたのに。
箱の中に収められたチョコレートケーキを覗き込んで、エーリッヒは呟いた。
カルロは聞こえるように舌打ちする。
「そんなガキくせーモン、お前んとこのお坊ちゃんにでも始末させろよ」
「貴方の為に作ったものをミハエルやシュミットが食べるわけないでしょう」
「…………ぉい」
それは、どういう意味だ?
『お坊ちゃん』が自分のチームの誰に当たるかを瞬時に見極めたはいいが、
エーリッヒの言い草だと、カルロ用に作ったものになど誰も手をつけない、と言っているように聞こえる。
眉間に皺を刻んだカルロと、同じような表情をしているエーリッヒは何を当たり前のことを、といわんばかりだ。
ふと、その皺を解いて、エーリッヒは笑顔を浮かべた。
「それに、貴方は十分ガキだと思いますよ?」
年齢的にも精神的にも、カルロは子供だ。
エーリッヒは短い付き合いだがそれを把握していた。
「…テメェ、マジムカつくな。それで、テメェはオトナのつもりかよ?」
「少なくとも、貴方よりはね」
少し背の低いカルロを見下ろすようにして言ったその言葉に、カルロはもう一度舌打ちした。
「…今日のテメェはムカつく度が三割増だな…」
「それは失礼。…それはそうと、入れてくれないんですか?」
ケーキを抱えて部屋の前に立っているという状態を打開したいのか、
エーリッヒは小首をかしげてカルロに尋ねた。
「何で入れてやらなくちゃなんねェんだよ、バーカ。とっとと帰れ」
カルロはそう言ってひょいと部屋の中へ引っ込み、ドアを思い切り閉めた。
バタン! と派手な音がして、大きな両開きのドアは硬く閉ざされる。
エーリッヒは溜め息をついた。
「…さて、どうしようかな…?」
「エーリッヒじゃなかったのかよ?」
鏡を見て自分の髪をチェックしながら、リオーネが尋ねる。
カルロは知るか、と一言残し、自室へと篭ってしまった。
リビングに居たリオーネとゾーラは視線を合わせ、肩を竦める。
「随分ご機嫌ナナメだな」
「今日なんか特別なことあったっけ?」
「さァな、思いつかねェけど」
「どーせ、リーダーさんの気まぐれだろうよ」
ルキノの投げたダーツが、カッ、と音をさせて的に命中する。
だろうね、とリオーネが応えたきり、3人はまた各々の世界へと没入していった。
「……アンタ何やってンの、こんなとこで」
声をかけられて、ふとエーリッヒは顔を上げた。
夜空色の髪の美少年がエーリッヒを見下ろして訝しげに表情をゆがめている。
エーリッヒは人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「いえ、少し」
「『少し』、何よ。またカルロと喧嘩でもしたの?」
チームルームのドアの傍、壁にもたれて座っているエーリッヒの横に、ジュリオも腰を下ろした。
カルロとエーリッヒ。
不器用な二人。
いや、ジュリオから見て、不器用なのはカルロの方だった。
優しさに触れたことがほとんどないからかもしれない。エーリッヒと触れ合うことを、どこかで拒絶している。
欲しいものを力ずくでしか手に入れたことのない人間は、手に入れた後のことをあまり考えていない。
誰が、ひどい屈辱を与えた者が優しく抱き寄せ、包み込んでくれることを予想する?
「喧嘩ではないのですが」
視線を落としたエーリッヒの膝と胸の間を覗き込み、ジュリオはあら、と目を丸くした。
「チョコレートケーキ? カルロの為に?」
「ええ。だって今日は、…あの人の誕生日でしょう?」
エーリッヒの問いかけに、ジュリオは首をかしげた。
「そうだったかしら」
口元に人差し指をあてて、考え込む仕草をする。
「…覚えてないんですか?」
あら、だって。
ジュリオはくすくすと笑った。
「アタシ達の誕生日なんて、気分で変わるもの。毎年同じじゃないわよ」
ホントはいつ生まれたのかなんて、判らないんだから。
エーリッヒははっとして、身を固くした。
「……済みません」
「謝んなくてもいいわよ、別に気にしてないもの」
ジュリオは、心の底から済まなそうにしているエーリッヒを映して、目を細める。
「…アンタホントに、カルロにはもったいないわ」
銀の髪に白い指を絡めて、ジュリオは囁くように言った。
エーリッヒはジュリオのしたいようにさせながら、そうですか? と言った。
「好きな人の誕生日を祝いたいと思うことが、そんなに不思議ですか?」
ジュリオは首を横に振る。
「そうじゃないのよ。…アンタの保護者じゃないけど、アンタホントに、人を見る目はなってない」
「…放っておいてください」
機嫌を損ねたのか、エーリッヒはふいとジュリオから視線を逸らした。
自分の赤い唇に人差し指を押し付けて、横目でその様子を見ていたジュリオは、ふ、と笑みを浮かべた。
「…立って」
「えっ…?」
ぐい、と腕をつかまれて、ジュリオが立ち上がる反動で立たされる。
そのまま、ドアを開けてジュリオはチームルームへと入った。
リオーネ達の視線を受けながら、ジュリオはカルロの部屋のドアを乱暴に叩く。
「煩ェよ」
10回ほど叩いたところで、カルロが不機嫌な顔を覗かせた。
「忘れ物を届けに来たのよ」
隙間程度だったドアを無理矢理開いて、ジュリオは引っ張ってきたエーリッヒをカルロに押し付けた。
とっさに両手でエーリッヒの体を受け止める形になってしまったカルロが、抗議しようと口を開いた瞬間、
「今度エリちゃん泣かせたら、殺すわよ」
ドスの効いた声で一言。
そうしてまたにっこりと笑みを浮かべ、ごゆっくりvと微笑みながら、ジュリオはドアを閉めた。
「…………」
カルロは閉じられたドアを暫く見つめていたが、自分たちの今の状況を思い出してすぐ、エーリッヒを放した。
視線を合わそうとせず、ベッドに寝転がって天井を睨み付けるカルロに、エーリッヒは穏やかに話しかけた。
「…そんなに迷惑ですか?」
僕が貴方の傍にありたいと思うのは。
カルロが何も応えないので、エーリッヒは苦笑して顔を俯けた。
「…そうですか。ですが、もう…」
もう、引き返せない。
だってここまで深く嵌り込んでしまった。
「…ゴチャゴチャ煩ェよ」
突然ベッドから起き上がると、カルロは目を丸くしているエーリッヒを引き寄せて唇を塞いだ。
「んっ…!?」
身を捩るような動きを見せたエーリッヒをドアに押し付け、体で押さえ込んで深く口付ける。
ねっとりと舌を絡ませて顔を離すと、カルロはまた視線を外した。
「こうされねェと判らねェのかよテメェは…!」
もう傷つけたくないし、泣かせたくない。
だから、傍に寄らないで欲しいのに。
手の届くところまで寄ってくるから、独占欲が毒となって体中を駆け巡る。
理性のタガを外されたら、最後まで止められそうもない。
エーリッヒは頬を染めたまま、唇をゆがめた。
「…判りませんね」
片手でケーキの箱を抱えたまま、もう片方の手をカルロの頬に掛けて自分の方を向かせ、
今度はエーリッヒからキスをする。
カルロにされたのと同じようにしてから、エーリッヒはカルロより高い目線で笑った。
「逃げられれば追いたくなるのが人間の心理、でしょう?」
「…正真正銘の莫迦だな、テメェは」
「……普通に考えて、何でワンホール焼いたんだよテメェは…」
机の上には二人分のブラックコーヒー。エーリッヒは自分で淹れたそれを、椅子に座って飲んでいる。
細い銀のフォークでケーキをつついていたカルロがエーリッヒを睨みつけた。
エーリッヒは淡い空色の瞳でカルロがケーキを食べるのを見ている。
「チームの皆さんで、と思ったんですけど」
「ざけんな。なんで俺があいつらと仲良くティータイムと洒落込まなきゃなんねェんだ。
テメェんとこと一緒にすんじゃねェ…」
それに。
カルロは心中で呟く。
エーリッヒの作ったモンを、他の誰にも分け与える気になんかならねェ。
作った本人を除いては。
「…テメェも食えよ、責任取れ」
「あ、僕は駄目です。それ、ラム酒入ってますから」
「………味見してねェのか…?」
まさか、と呟いたカルロに、エーリッヒは銀の髪を掻き上げながら、僕はしていませんが、と言った。
「ミハエル達が、もうひとつ焼いた同じものをおいしそうに食べていたので大丈夫かと」
「…………段々イイ性格になってるよな、テメェ」
確実に。
自分達のチームリーダーを毒見役にするとは。
半年前のエーリッヒからは信じられなかった。
冷徹な表情とルールを遵守するものの威厳。近寄りがたい雰囲気を身に纏わせて、
彼は実力不足の二軍を率い、たった一人で日本に乗り込んで来たのだ。
あの頃は、本当に遠い存在だった。
「それはどうも。…貴方の相手ができるようになったほどですからね」
それが、今はこんなに近くに居る。
シャワーを浴びたばかりの褐色の肌は火照って柔らかそうで、
未だ湿った銀の髪は煌くほどにこの細身の少年の艶かしさを強調させる。
「言ってろよ、オヒメサマ」
「……僕も男ですよ、カルロ?」
「知ってるっての」
…しかし、コイツは確かにひどく天然で罪作りなオヒメサマだ。
よくあるファンタジーで言えば、カルロが魔王でシュミットやミハエルは王子か勇者。
ただし、普通の物語と大きくかけ離れているところは、このお姫様は勇者たちの下へ
帰ることを望んでおらず、魔王が迷惑がるほどにその傍に居ようとしている。
姫が魔法で誑かされていると思っている勇者たちとは、そこで見解の相違が出て意見が
正面衝突。こんな状態で和解できるわけもなく。
しかし、魔王もまた、姫をやすやすと勇者たちに引き渡す気もないのだ。
どれだけ突き放しても傍に戻ってくる、それを知っているから冷たくもできる。
ふ、と目を細めて優しく笑い、エーリッヒはフォークを咥えているカルロの頭を抱きしめた。
「…誕生日、おめでとうございます、カルロ」
「……煩ェ」
「やはり、…誕生日を祝われるというのは迷惑ですか?」
カルロ達孤児にとっては、過去の傷を抉るだけなのかもしれない。
カルロは、そうじゃねェ、と言った。
それから口篭る。
やがて、空いている片腕でエーリッヒの腰を抱き寄せた。
「……どうしていいか解んねェんだよ。…誕生日祝われたことなんか、ねェんだから…」
その答えに、エーリッヒは一瞬動きを止めた。
それから、
「くっ」
耐えられないという風に、片手で口元を覆う。
「…っふふふ、カルロ、……可愛い…っあはははははっ!」
「わ、笑うんじゃねェよ!!」
カルロの言葉を無視してエーリッヒはひとしきり笑った。
そうして、目尻の涙を手の甲で拭いて、もう一度カルロを抱きしめた。
「…そういうときは、ありがとうって、…ただそれだけ、言ってください。それで十分ですから…」
くすくす、まだ笑いの収まらないらしいエーリッヒの胸に、カルロは不機嫌な顔を押し付けた。
「………grazie」
…来年のコイツの誕生日は、祝ってやってもいい。
そんな気になったりした。
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