赤いマシンが、最高タイムをはじき出してゴールした。
歓声が高く、高く空に響いていく。
DER WOLF VON EISEN
「残念だったなァ」
上空から降ってきた声に、エーリッヒは首を巡らした。
レース会場の観客者手摺りにもたれかかるようにして、声の主は立っていた。
エーリッヒは一瞬、苦い顔をする。
WGP第一試合終了後の会場。客がほぼはけたそこには、冷たい風が吹いていた。
「ヨーロッパで最強の名を恣(ほしいまま)にしていたアイゼンヴォルフが、まさかこんな小国の、名もないチームに負けるなんてな」
お気の毒さま、と書かれた顔には、明らかに嘲笑が見て取れた。
「…ビクトリーズは、速いですよ。そんな風になめてかかると、たとえロッソストラーダといえど、危ないと思いますけど」
「そうだろうなァ。あのチームは速い。だけど、まさかあんたらが負けるなんて、うちのチームの連中だって、誰一人思わなかったぜ」
心にもないことを喋る少年の顔には、薄っぺらい微笑が張り付いていた。
冬の低い青空に、彼の薄青の髪はひとつも似ていなかった。
…吐き気がする。
「ところで、」
エーリッヒは、目を細める。
「どれくらい儲けられました?」
強気な笑顔を造ると、カルロの顔から笑みが消えた。舌打ちが聞こえてきそうな表情。
エーリッヒは、深い青の瞳を睨み付けた。
カルロはエーリッヒに見えぬよう一瞬口元を歪め、肩を竦めてみせる。
「なんのことだか?」
エーリッヒは、視線を前方に向けた。
何もかも知っているくせに、知らないふりと「イイヒト」の仮面。判りやすいそんなものを纏った男の、相手などしたくなかった。
それに、相手をしていられる程の心の余裕は、今のエーリッヒには無い。
レースで賭けをする、その行為にむかっ腹が立つ。当たり前だ。真剣勝負を食い物にされるようなこと。
「…可愛くねェな」
仮面と共に、カルロはそう吐いて捨てた。
エーリッヒは、そちらの方を振り向く気にもならなかった。
「貴方に可愛いなどと、思われたくありませんね」
「…ふん」
銀の髪が、眼下を過ぎって行く。
カルロは俄かに、誇り高き狼をからかってみたい衝動に駆られた。クソ真面目な奴ほど、面白いのだ。
ポケットの中にある、さっき稼いだばかりの数枚の千円札を確認する。
「まァ待てよ、アイゼンヴォルフリーダー!」
手摺りを乗り越えて、地面へと飛び降りた。
足を止めないエーリッヒの前に回り込んで、そのアクアマリンの瞳を覗き込む。
エーリッヒは、足を止めはしても、何の感情もカルロに読み取らせなかった。
その割には、あくまで気丈で在ろうとする強がりがひとつも隠せていない。そのアンバランスさは、カルロの目には妙に危なっかしく見えた。
捨てられた仔猫でも、こんな目はしない。
「何か奢ってやろうか? お前のお陰で稼げたようなモンだからな」
言うと、エーリッヒの眉間に皺が寄った。
「…僕は監督の指示に従ったまでです」
一番速いマシンのマークを。
そう言われたから、ビクトリーズで最も速いと思われるマシンの後を走っただけ。確かに最初から全力を出せば、勝者は変わっていただろう。
だが。
アイゼンヴォルフ一軍としての誇りよりも、今のエーリッヒには優先されるべきものがあって。
どんなに馬鹿馬鹿しくとも、どんなに無能な監督の下であっても、託された信頼に背くことは出来なくて。
「感謝するなら、お門違いですよ」
言葉の意味が、相手に通じたかどうかは分らない。そんなことを、気にする必要もない。
カルロは、見下したような視線と笑みを、エーリッヒに向けていた。
彼の脇をすり抜けようとしたエーリッヒに、カルロは嘲ったように言った。
「そのうち、俺達のチームとも対戦するんだ。お手柔らかに頼むぜ?」
嫌に執拗に耳に残る、その声と、言葉。
『ああーっと、アイゼンヴォルフラインハルト君、スリーップ!! ここでコースアウトだぁっ!』
ファイターの実況を聴いて、エーリッヒがインカムに叫んだ。
「どうした!」
<判りませんッ! 急にマシンのバランスが崩れてっ…!>
エーリッヒはちらりと後方を振り返った。ラインハルトがコースアウトしたのは、観衆からは死角となる第二コーナーの立ち上がりだった。
エーリッヒは、ちっ、と微かに舌打ちをした。
スタートダッシュで優位に立っていたアイゼンヴォルフだったが、レース前半を終えないうち二台のマシンがコースアウト。上位五人の得点で争われるこのレースに置いて、不利な条件下に立たされていた。
コースはイタリアチームのホームコースで、全体的にコーナーの多いテクニカルなもの。ブラインドコーナーが多く、ひとつひとつの距離が長い。ロッソの連中にとっては、もっともやりやすい状況だろう。
現在先頭はエーリッヒ、その後ろにハインツ、オットーが続いていた。現状を維持したままチェッカーフラッグを揺らすことが出来れば、アイゼンヴォルフは勝てる。だが、それを易々と許してくれはしないだろうことは、明らかだった。
「…ハインツ、オットー、引き離すぞ!」
エーリッヒはbQと3にそう声を掛け、マシンのスピードを上げた。濃い鼠色のマシンは、ブラインドコーナーに入ろうとしている。
「逃がすかよ」
ルキノが低く呟き、前を行く三台のマシンを追走する。ジュリオ、リオーネのマシンがそれに続いた。
直線からいきなりのヘアピンである最終コーナーは、生半可な実力の持ち主がスピードを上げて突っ込めば、それだけで充分コースアウトに繋がる。
コーナーに入る直前で、ルキノのマシンがオットーのものに追い付いた。
ガツッ!
ガシャンッ!
「あっ!」
オットーの口から漏れた声は、接触したもう一台のマシン共々硬質な床に叩きつけられた。ボディの一部が破損して、その欠片が照明の中で光っている。
<エーリッヒさん済みませんっ…!>
「…謝らなくて良い、貴方達のせいじゃない」
エーリッヒは真っ直ぐに前を見つめ、走っていた。
『ここで、ハインツ君、オットー君のマシンが接触、コースアウト!! やはりあのスピードで急カーブを曲がるのは難しかったか?! この時点で、ロッソストラーダの勝ちが確定したァ!!』
興奮したファイターの声が聞こえてくる。
確かにこのレース、すでにアイゼンヴォルフに勝ちはない。
だが、負けられない。
このレースでは、エーリッヒが負けることは、アイゼンヴォルフの一軍が負けることだ。
それだけは、させない。
『おおっとォ、トップを独走態勢の、アイゼンヴォルフエーリッヒ君のマシンに追い付いていくマシンがあるぞッ! イタリアチームリーダー、カルロ君のマシンだーーッッ!!』
「何ッ?!」
驚愕に振り返る直前、真紅のマシンがエーリッヒのマシンに並んだ。
エーリッヒはそのマシンの持ち主を、睨み付ける。
深い海の色の中に、狩りをする獣の光。
「よォ、やっぱり速いな、あんた。他の連中じゃ追いつけッこねェ」
好戦的な笑み。エーリッヒは視線を前方に向けた。
レースは五週。先頭のマシンはすでに四週目を終えようとしていた。
「お世辞も仮面も必要ないですよ。貴方がたのやっていることは、…僕らには非常に不愉快です」
「証拠もねェクセにほざくなよ。俺達が何をしてるって? コースアウトはそっちの注意力とメンテの不足なだけじゃねェの?」
「莫迦にしないで下さいッ!」
一軍よりもずっと実力において劣る二軍には、こんな晴れ舞台のような場で走る機会など滅多にない。その彼らが、一回一回のレースにどれだけの気合で臨んでいるか。どれだけの喜びでコースを踏みしめているか。
「はッ、そうかよ。俺達にとっちゃ、他人のことなんざ関係ねェ。勝負は生きるか死ぬかだぜ…!」
第一コーナーを曲がる。カルロのマシンがRS機能を生かしてトップに立った。
「どうしたドイツのお坊ちゃん。一軍の意地を見せてみろよ」
後方からマシンが追い付いてくる気配はない。完全に、カルロとエーリッヒの一騎打ちの体制だった。
第二コーナーを曲がる。仕掛けてこない。
カルロのマシンはエーリッヒに見向きもせず、どんどん引き離していく。このまま、距離をとっていればマシンを破壊されることはないだろう。
だが。
それでは。
「…行けッ、ベルクマッセ!!」
エーリッヒの言葉に応えるように、濃灰のマシンはスピードを上げた。カルロのマシンとの距離を、一気に詰めていく。
「そう来なくちゃ面白くねェ」
カルロはマシンのスピードを僅かに落とす。エーリッヒを待っている。
再び、二台のマシンは横に並んだ。ゴールまで、もう間はない。
エーリッヒのマシンが、カルロのマシンを抑えて前へ出た。
「イイコトを教えておいてやろうか」
ベルクマッセを先頭のまま、マシンは最終コーナーに入った。
「クズの二軍なんか眼中ねェ。俺の獲物はハナっからテメェ一人なんだよ…!」
―――エンタシスの柱に、エーリッヒのマシンが叩きつけられた。
空は青く、抜けるように青く。
こういう天気を、日本では小春日和という。
何故か、そんなことを思い出した。
アイゼンヴォルフ、只今一勝二敗。
(2002/11/21)
2002年発行の『紅の狼、鉄の狼(あかのおおかみ、くろがねのおおかみ)』より。
読点多い。そしてオットーが2軍のbQにされている。違うよ多分彼はbSだよ。
激しく書き直したいところは山とありましたがあえてそのまま。
この本超小部数発行だったのですが(カルエリって絶対需要ないと思ってたし…;;;)、どちらの話も気に入ってるんですよ。特に「紅の狼」の方が。でもそれは買っていただいた方だけの得点(笑)。
この後、エーリッヒは控え室でカルロに強k(強制終了)
モドル
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