図書室の妖精


 インターナショナルスクールでは、二週に一度の木曜6時間目、高学年児童たちが運営する専門委員会が行われる決まりになっていた。
 その日も、取り決めに従って図書室では図書委員たちが仕事をしていた。

「ねぇ、コレあんたでしょ? 注文したの。」

 発注していた新刊図書に図書室の所蔵シールを貼っていたクレモンティーヌが、一冊の文庫本を持ち上げて見せる。
 クレモンティーヌが持ち上げたのはその中の一冊だったが、同じような本は彼女の手元に数冊あった。
 蔵書の整理をしていたヨハンソンはその声に顔を上げ、僅かに照れたように眉を動かした。

「セイシ・ヨコミゾのキンダイチシリーズ? 成る程、そりゃヨハンソンに違いないな。」

 貸出ノートを見ながら返却期限遅滞カードに宛名を書いていたミラーがからかうように声を上げる。

「…いいじゃないか。好きなんだから。」

 ヨハンソンは整理に戻りながら、言い訳をするように早口に言った。
 ヨハンソンの推理小説好きはちょっとしたもので、有名どころはおろかほとんど無名の作家ですら、推理小説だというだけで目を通していた。それが昂じて、彼は自ら推理小説を書くことを趣味にしていたりする。
 日本語の小説のページをぱらぱらぱらっとめくって、クレモンティーヌは肩を竦めた。

「ミラー、ノートにヨハンソンの名前書いといたげなよ。」

 どうせ今日、持って帰るんだろ? というクレモンティーヌに、ヨハンソンはありがとう、と答えた。

「後で忘れずに貸出カード出しといてよ。」
「うん、判ってる。」
「図書委員の職権乱用だぜ?」

 ミラーは手に持ったボールペンをノートに走らせ、ヴィルヘルム・ヨハンソンの名を三回書いた。
 一回に借りられる図書の数は三冊まで、貸出期限は二週間、がここの基本ルールだ。

「だから図書委員やってるんだもん。」

 こともなく答えるクレモンティーヌに、ミラーははいはい、と片手を振った。

「そう、私たち図書委員の権利は、自分の読みたい本が優先的に発注できる事と、貸出できるようになったその日に借りられることよね。」

 奥の部屋の蔵書を整理していたマルガレータとエーリッヒが、終わったのか姿を現していた。

「あ、お疲れ。終わったのか?」
「いえ、それが…。」

 エーリッヒはちらりと出て来た部屋の方を振り返る。
 不可解、を解りやすく表情に現しているエーリッヒに、ミラーも眉を寄せた。こういう「イヤな予感」というのはよく当たるものだ。

「貸出禁止図書の棚に、一冊分の空きがあるんです。」

 ぴくん、とその場の皆が顔を上げる。
 貸出禁止書庫には、大きいものだったり古いものだったりと、図書室以外では管理が難しいものが集められている。そのほか、海外の雑誌や新聞のバックナンバーも保管されているが、その性質上、小難しい専門書が多くなるので、普通の児童は殆ど立ち入らないのだが。

「どこかに落ちてるんじゃないかとか、他の棚に混じってるんじゃないかって思って探したんだけど、あっちの部屋には見つからないの。」
「…こっちにも、そんな本はなかったぞ。あそこにある本なら目立つはずだからな。」

 ヨハンソンの言葉に皆が頷く。
 ミラーは自分が座っていた貸出カウンターの下から、一冊のノートを取り出した。貸出禁止書庫へ出入りする者は、図書委員の指示の元にここに名前を記帳することになっている。

「ヒュー、そうそうたる顔触れだぜ。」

 ここ二週間のリストを指でなぞり、ミラーは口笛を吹いた。
 カウンターの上にノートを広げると、皆がそれを覗き込む。

「先々週の金曜日、つまり委員会の次の日にユーリとウイリー。今週月曜日にトンとエーリッヒ。火曜日にブレット。水曜にはワルデガルドとヨハンソンに俺とエッジ。今日はサリマだけだな。」
「WGPレーサーばかりじゃないか。」

 すらすらと名前を読み上げたミラーにではなかろうが、ヨハンソンが呆れたように言った。

「凡人とはレベルが違うってことさ。レベルが。」
「…ちなみに、前回の書庫整理当番はどなたでしたか?」

 自慢げに胸を張るミラーのノートを覗いていたエーリッヒが、少し考え込むようにして尋ねる。

「ああ、あたしとヨハンソンだ。」
「そう。つまり、犯行が可能だったのはここにいる図書委員全員と、先刻の七人の、合計十二人ね。」

 マルガレータの結論に、エーリッヒは驚いて彼女の方を見る。
 マルガレータはエーリッヒの疑問を知っているかのように微笑んだ。

「今日の委員会にいちばん早く来たのは私。書庫の鍵も私が開けたわ。だから私にも本を持ち出すことはできた。」

 でしょう?
 まるでおもしろおかしいことを話しているように、マルガレータは楽しそうに自らの容疑を語った。

「…で、ヨハンソン。犯人は誰だ?」
「答え聞くん早ッ!!」

 ヨハンソンは、考える気が一切ないというふうなミラーに叫ぶ。

「…さすがに、これだけじゃ判らないんじゃないかな。」

 クレモンティーヌの言葉に、ミラーはそれもそうかと頷く。
 だが、ヨハンソンはそんなことより、推理小説家と探偵は違うものだということに早く気付いて欲しかった。

「…なくなったのが何の本なのか判れば、容疑者が絞り込めるかもしれない。」

 成る程、とエーリッヒは頷いた。だが、一瞬後にはそれは難しいかもしれない、と思い返した。

「持ち出された本の特定は、難しいと思います…。」
「特定する必要はないんじゃない?大まかな種類さえ判れば。分類されて並べられてるはずでしょ?」

 クレモンティーヌの助言に、エーリッヒとマルガレータは顔を見合わせた。

「それが、そう単純でもないの。」

 こっちに来て、とマルガレータはヨハンソンとクレモンティーヌとミラーを書庫に案内した。

「ここなんだけれど。」
「……あー……。」

 マルガレータが指差したのは、6つ並んだ本棚の中で東から2番目。それの、下から2段目だった。1番東の本棚は壁とくっついているので、この目的の本棚へ行くには本棚の間の通路の1番東に入らねばならない。
 そこは、誰かが書庫のドアを開けたとしても、一目では見つからない死角になっていた。
 そして、問題の本の分類は。

「…これじゃ、判らないな。」

 ヨハンソンは溜息を吐いた。
 一冊分の本が抜けていると言われた場所は、ちょうど二つの種類の境目だった。
 しかも、おそらくマルガレータたちも処理に困ったのだろう、その周囲の十数冊分の本はすべて横倒しになって重ねられていた。

「最初にこれを見つけたとき、ちゃんと直そうとしたのだけれど。」
「きちんと並べてみると、一冊足りない。しかも、聖書と辞書、どちらから抜かれたのか判らない、という二点の問題が浮上してしまったんです。」

 最後尾から書庫に入ったエーリッヒが、マルガレータの台詞を継いだ。
 二人は、整理しておかしい、と感じた後、わざわざ本を元のとおり積み直したらしかった。

「聖書と辞書、か。なんかどっちも誰にも無縁そうで、誰もが必要としそうだな。」

 棚に並んだ、各国語の新約聖書と辞書を見つめて、ミラーは肩を竦めた。
 他のメンバーも同じリアクションをしたい気持ちだったのだろう、皆一様に顔を見合わせている。
 どうすれば犯人が見つかるのか、その画期的な方法が誰かから上がるのを待っているように。

「…仕方ない。一番原始的に、聞き込みでいこう。」

 状況を少しでも前進させるため、ヨハンソンは立ち上がった。
 何もしないよりは、例え意味がないかもしれなくても、何かしなければならない。

「そうだね。…容疑者は全員学校に残っているのかな?」
「しかし、今は委員会の最中ですよ?」
「緊急の場合だからそんなの言ってられないって。」

 エーリッヒの危惧を素早く押さえ込むと、クレモンティーヌはもう一度、書庫に出入りした人物のリストに目を走らせる。

「サリマは風紀委員だから、まだいるよ。」
「エッジは美化清掃委員会だぜ。ブレットは委員には入ってない。」
「トンさんとユーリさんは学級委員ですね。」
「ワルデガルドは保健委員だ。」
「ウイリーさんは確か、情報新聞委員だったわ。」

 つまり、ブレット以外は全員学校に残っているということだ。そのブレットも、ミラーなら携帯電話の番号を知っているので問題はない。
 聞き込む情報は二つに絞られた。ひとつめは、何の為に書庫に入ったのか。もうひとつは、その人が書庫に入ったとき、すでに本は抜かれていたのかだ、。後者は、聖書と辞書の本棚に用のあった者しか判らないだろうし、全員が正直な証言をするとも限らないが、尋ねてみるにこしたことはない。
 行動は常に二人以上で取ることも決まった。なぜならば、図書委員たちの容疑も晴れないからだ。個人行動されると、証言を偽証されたり、相手に頼んでアリバイ工作に走る恐れもある。
 そこで、委員は二組に別れた。一組はヨハンソン・エーリッヒチーム。情報新聞委員会、美化清掃委員会、風紀委員会を訪ねる。もう一組は、クレモンティーヌ・ミラー・マルガレータチーム。学級委員会、保健委員会を訪ねる。
 三十分後にまた図書室で、という約束をし、2チームはそれぞれの使命を果たすべく旅立った。
 書庫と図書室に、しっかり鍵をかけていくのを忘れずに。





 証言1:え? 貸出禁止書庫?ああ、英語のスラングについて調べたかったんだ。そう、辞書の棚だよ。不審な点? 特には…なかったな。本は……普通に並んでたと思う。僕の覚えている限りだけれどね。僕が書庫にいる間、他には誰も入って来なかったよ。図書委員はクレモンティーヌだったね。

 証言2:知ってると思うけど、新聞のバックナンバーがあるゼヨ、あそこ。学校新聞だけじゃなくて、いろんな国のゾナ。記事の書き方や情報の選び方なんか、国によって新聞によって全然違うから面白いんゼヨ。聖書と辞書の棚? さぁ。気にしなかったゼヨ。俺のほかには書庫には誰もいなかったキニ。そのときの図書委員はクレモンティーヌだった。間違いないゼヨ。

 証言3:俺? ああ、大きなロシア語の辞書を見に行ったんだ。ドストエフスキーを原文で読もうと思って。でも、ああいうのって普通の辞書じゃ乗ってない言葉多くて。それに、ドストエフスキーって聖書にひっかけた言い回しが好きなひとだからね。ついでにロシア語の聖書もちょっと見たんだけど。え? 不審な点? 別になかったよ。他の人? ああ、僕と入れかわりにエーリッヒが書庫に入ってきたっけ。図書委員は…ごめん、覚えてないよ。

証言4:あそこはあまり質が良くないからあまり行かないんだがな。調べたい事が、まぁ一般の枠内なら手軽だから入るんだ。あの日は…アポロ計画の初期段階における特徴を調べに行ったんだ。科学関係の棚だ。聖書と辞書の棚? さあ、見てないから判らないな。図書委員? ヨハンソンだったような気がするな。

証言5:貸出禁止書庫? あぁ…、ヨハンソンと一緒に入ったんだ。いや、完全に彼の趣味。ホームズの事務所の階段数が17か18かで話がこじれてさ…。馬鹿馬鹿しいと思うだろ? それが引き下がれないのがマニアみたいなんだ。それで、一緒に『緋色の研究』を見に行ったんだ。ん? そう、おかしいよ。そのときはかなり興奮してたんだろうな、ヨハンソンも。ノートに記帳して、書庫に入ってすぐに俺の方が先に気がついたんだよ。ホームズなら通常図書の棚に並んでるってさ。だから、実際にはなにもせずに出てきた。書庫の中に俺たち以外の誰かがいたかは判らない。図書委員はエーリッヒだった。だろ? …ん? ああ、階段の数は17で、俺の覚え違い。まぁ、当然かな。ははは。

証言6:え? 貸出禁止書庫? うん、入ったぜ。ラテン語の辞書が見たくてな。は? 不振なトコ? ……あ〜…。ゴメン、ソレ多分犯人俺だわ。うわ、そんなコーフンしないでくれよ。ああ、あの棚、本がぎっちり詰まっててさ。辞書がなかなか抜けてくれなかったわけよ。で、ムリヤリ引き抜いたら周りの辞書とかまでポーンっと、ね。んで、ヤバイと思って直そうとはしたんだけど、どんな順に並べりゃいいかも全く見当つかねぇから、横積みにしといた。は? いやいやいやいや、本持ち出したりはしてねーよ。俺はただ、並べ方を変えちまっただけ。信じてくれって。うん? 図書委員? お前だったんじゃねーの、エーリッヒ?

証言7:外国語の聖書を読みに行ったんだ。母国語のとかと比べると面白いから。変なところ?そうね、聖書と辞書が一緒くたに横積みにされてたよ。冊数までは覚えてないけど。スワヒリ語の聖書がそのちょうど真ん中にあってさ、抜くのも戻すのも大変だったよ。図書委員? 何言ってるのマルガレータ、今日の昼休み、あんたがノート出してくれたじゃないか。




「食い違うような証言は一つもありませんね。それぞれの曜日の、図書委員の名前も一致しています。」

 図書委員の当番のプリントと皆がメモしてきた証言を見比べ、エーリッヒは頷いた。
 図書委員たちの質問に答えたWGPレーサーたちには、嘘をついている様子は無かったという。

「…ねぇ、一つ質問してもいいかしら。」

 それぞれの証言を時間軸どおりに並べ替えていた、マルガレータが首を傾げた。
 誰も何も言わなかったが、視線が自分に集まっているのを確認すると、マルガレータは再び口を開く。

「エッジさんの証言。本がぎっちり詰まってたって。…いつから、そんなふうにきちきちになっていたのかしら?」
「…と、言うと?」
「2,3ヶ月くらい前だと思うのだけれど、以前に私、スペイン語の辞書をあの棚のあの段から取り出したことがあるの。そのときは、簡単に抜けたのよ。」
「そういえば…。僕にも思い当たることがあります。1ヶ月前、僕はラテン語の聖書をお借りしたのですが。僕のときも、そんなに苦労して抜いた覚えはありません。」

 元々静かだった図書館内が、一段と沈黙に支配された。
 記憶の糸を手繰るように額に片手を当てていたクレモンティーヌが、やがて首を横に振った。

「…前回の書庫整理の時。あの時は、たしかもう本棚はぎちぎちだったと思う。一冊どこかの棚に移動できないかと思ったんだけれど、どこも一杯で無理だったんだ、確か。」

 それまで黙って聞いていたミラーが、ちょっと待てよ、と皆の思考を止めさせる。
 それは、全員が達した結論を口にすることで、確信にまで高める為の制止だった。

「じゃあ、何か? 俺たちは今まで、本が一冊なくなったって考えてたけれど。実際には、いつの間にか増えていた一冊が、またいつの間にか元通りなくなってたって、そういうことか?」
「…ここに集まった証言の全てを信じ、かつ俺達の中に嘘吐きがいないと仮定すると…そういうことだな。」
「コッエー!!! ホラーじゃねぇかよ!!」

 ミラーの叫び声が、図書館に響く。
 その声をとりあえず無視して、次の可能性をマルガレータは探った。

「誰かが、通常図書の本を間違って書庫に入れてしまった可能性は?」
「それはないと思う。だって、返却された本を本棚に戻すのはあたしたちの仕事だろう?」

 そんなへまをあたしたちはしない、と言い切るように、クレモンティーヌはマルガレータを見つめた。
 マルガレータはそれを肯定するように、溜め息を落とす。困ったわね、という小さな呟きは、まさしく図書委員全員の気持ちだった。

「さて…どうする? 図書委員長。」

 ヨハンソンの言葉に、クレモンティーヌは途方にくれたように頭を掻いた。
 何の解決もしないままだったが、そろそろ完全下校時刻も迫っている。委員会が長引いたというのは下校時刻を護らなかった理由としては充分だろうが、これ以上、今日のうちに何か収穫が見込めるかと尋ねられれば首を傾げるだろう。
 ならば、いっそのこと今日は解散させたほうが良い。

「…しかたがないよ。今日はもう終わろう。」
「…そうだな。」

 副委員長ヨハンソンが頷き、解散の合図がなされる。
 それぞれに釈然としない思いを抱えながらも、図書委員たちは帰り支度を始めた。


 
……………貴方には、見えた? 僕らの大切な大切な本が。


「……え?」

 図書室の鍵を閉める直前、微かに耳の奥に誰かの声が響いた気がして、クレモンティーヌは鍵穴から顔を上げた。
 だが、電気を消された図書室は夕闇に沈みかけており、その薄暗さは気味悪ささえ感じさせた。

「どうしたんだよ、クレモンティーヌ。早く帰ろうぜ。」

 思わずぶるりと身震いしたクレモンティーヌは、ミラーの声に我に帰った。

「あ…ああうん、悪い。すぐに鍵かけちゃうからさ。」
「…明日から、気をつけておいて、なんとか真実を探り出したいな。」
「そうですね。このままでは後味が悪いですから。」

 ヨハンソンやエーリッヒに、マルガレータたちも頷く。
 だが、クレモンティーヌはもう一度図書室を振り返り、何故か一瞬…笑顔を見せた。

「……あたしも、本当のことは知りたいけどさ。多分、…見つからないと思うな。」

 クレモンティーヌの言葉に、図書委員たちは怪訝な表情をした。
 だが、彼女はそれ以上何も言わなかった。




 学校の図書館には妖精が棲んでいる。
 悪戯好きなその妖精は、気まぐれに姿を現すという。
 本を本当に愛してくれる、そんな子供たちにだけ、見える形で。
 無邪気な悪戯をしかけるという。
 インターナショナルスクールの、小さな図書室の伝説。
 噂にならなかったその真実は、図書委員たちでさえも、今も知らない。

                                         <終>


 すんません、本来は「こども読書の日」用の小説でした。4/22ですね。
 また、何が書きたかったのか自分でもよく判らないものができてしまいました。
 しかし、何が一番書きたかったって、「美化清掃委員のエッジ」ですよ!!(笑)
 情報新聞委員ってのは、学校行事とか学校内で起こったさまざまなことを学校新聞にまとめて廊下の掲示板に貼っておく委員です。


 
モドル