その日も、朝から雨が降っていた。


REGENFALL GEBURTSTAG



 音も無くアルミサッシにぶつかっては、一瞬の軌跡を残して落ちてゆく雨粒を、シュミットは部屋の内から眺めていた。

「そんなに睨んでいても、止まないと思いますよ。」

 窓際に立っているシュミットの、ガラスに映る不機嫌な表情に、エーリッヒは声を掛ける。
 部屋の中を充たす、エーリッヒが入れたばかりのアールグレイの香りに、シュミットはようやっと振り返った。
 部屋の真ん中にあるテーブルの、エーリッヒと向かい合う椅子を引いて座ると、紅茶を一口、啜る。いつもどおりに、絶妙な芳香と味が口中に広がった。白い陶器のカップに目線を落とすと、琥珀のような美しい水色の中に自分の顔が見えた。

「貴方は、雨男ではないんですが。」

 エーリッヒも窓の外を見、呟く。
 昔からずっと傍にいるが、彼の参加する野外のミニ四レースがあるときなどは、たいてい晴れていた。グルントシューレの遠足や、ギムナジウムでの野外活動などひとつひとつ思い出してみても、雨の日の情景は浮かんで来ない。考えてみると、雨男の傾向があるのはむしろエーリッヒの方かもしれなかった。シュミットが熱を出したりして、一人で登下校せねばならなかった日には、今考えれば高確率で傘をさしていた。当時は、寂しい気持ちが増長される雨をずいぶん怨んだりもした。

「……どうして、貴方の誕生日には雨が降るんでしょうね。」

 知るか、とシュミットはぶっきらぼうに答えた。

「去年も、一昨年も、その前も。前日は綺麗に晴れるのに、当日だけ……」

 言葉を重ねるたびに、シュミットの眉間の皺が深くなってゆくのに気付き、エーリッヒは口をつぐんだ。

「…雨は、嫌いじゃない。」
「知っていますよ?」

 ハッチェスのビターチョコレートを摘みながら、エーリッヒは答える。

「ただ、自分の誕生日に降られたことが気にいらないんでしょう?」

 その通りだった。
 黙って一杯目を飲み干したシュミットは、エーリッヒの勧める二杯目を断った。
 窓の外には五月の雨が降り続いている。穏やかだからこそ長い間止まない雨は、芽吹きはじめた草木にとっては、恵みに違いなかった。

「……行くぞ。」
「何処へ?」

 突然席を立ったシュミットの顔を追って、エーリッヒは視線を上げる。

「何処でもいい。気が向く方だ。」

 言い捨てるようにしてドアへ向かうシュミットに、エーリッヒは溜息を吐いてカップをソーサーに乗せた。二人分の洗い物をシンクに置いてから、自分の傘を持って表へ出た。
 だが、先に出た親友を探したエーリッヒは、

「ちょっ…、シュミット! 傘はどうしたんですか!」

 石畳の通りを、傘もささずに歩いていく後ろ姿に、思わず叫び掛ける。
 くるりと顔だけを振り向け、にやりと笑った表情は、まるで悪戯途中に仲間を見るような顔で。

「………まったく、」

 苦笑しながら、エーリッヒも傘をささずに走り出す。気まぐれな同居人と、肩を並べる為に。
 晴れた日の日差しは暖かくなってきたといえ、やはりこの季節の雨はまだ冷たい。
 この国の雨は通り雨が多いから、傘をささずに歩く人も珍しくはないけれど。朝から雨が降っているのに、傘をその手に持っているのに、濡れることを選択する二人はやはりばかみたいで。

「……風邪を引きますよ?」
「それもいいな。」

 濡れた手を上げ、傍らを歩くエーリッヒの耳にかかる銀の髪をかき上げる。
 何をしているのかとエーリッヒが寄越す視線の先で、シュミットはエーリッヒの耳の下にキスをした。

「っ! シュミット…!」

 エーリッヒは往来の真ん中で不謹慎な行動に出たシュミットを睨み付ける。だが、彼は悪びれることなく、エーリッヒの肌を伝った雫に濡れる唇を舐める。
 ちらりと覗く赤い舌に思わぬ官能を刺激されて、エーリッヒは慌てて顔を背けた。
 視線を逸らす理由の判らないシュミットは小首を傾げてエーリッヒの顔を覗き込もうとするが、エーリッヒはそれを拒んだ。常より早い心音を、隠す為に。
 しかし、僅かに色付いた頬を認めて、シュミットは何事かを理解した。

「…エーリッヒ。こっちだ。」

 目的もなく歩を進めていたシュミットが、ふいにエーリッヒの手を取って方向を変える。
 何処へ行くつもりかと思いながらも引かれるままついていった先は、時々二人で散歩する、長い並木道のある公園だった。シュミットは真っ直ぐに、公園の奥へと歩いていく。
 この雨のせいか、公園内には通り抜け以外の人の姿は殆ど見つけられなかった。
 ある程度まで林の中に分け入ると、突然シュミットはくるりと振り返り、エーリッヒと唇を重ねた。目を見開く間もなく、するりと口腔内に生暖かい舌が入り込んで来る。不意をつかれて一切抵抗ができないまま、エーリッヒは背中を濡れた木の幹に預けた。
 ねっとりと舌を絡められて、エーリッヒが引きずり出された快感に応え始めた頃、シュミットは顔を離してにやりと笑んだ。

「…感じた?」

 途端、エーリッヒの顔にかあっと血が上る。

「…ばかな、こと…」

 言わないで下さい、と続く言葉を遮るように、シュミットはエーリッヒの顎、首筋へと唇を滑らせる。
 冷たく濡れたシャツの下で確実に熱を上げる身体を止めようと、エーリッヒはシュミットの肩を押し戻した。

「シュミット。止めて下さい、こんなところで…。」

 行為を押し止められたシュミットは、少し気分を害したような上目づかいでエーリッヒを見上げる。

「…あんな挨拶程度のキスに感じるような、可愛いお前が悪いんだよ。」
「なッ…違……!」

 挨拶程度のキス、というのが、先程往来で受けた耳の下へのものだと気付き、エーリッヒは慌てて否定の言葉を継いだ。

「あれは貴方が唇を……!」

 そこまで言って、しまった、と口をつぐむ。
 目の前の恋人の顔が、みるみる上機嫌になっていったことで、エーリッヒは自分が口を滑らせたことを悟ったのだった。

「……ふうん? こんなことで…ねぇ。」

 言いながら、シュミットは見せ付けるように唇を舐めて見せた。それに悔しそうに顔を背けるエーリッヒにくすくす、笑う。
 ……勘違いより真実の方が、百倍可愛い。

「なぁ、エーリッヒ。私ってそんなに魅力的?」

 逃げられないように両腕の中に囲われ、間近で誘うように細められた目に、エーリッヒは自身の敗北を悟った。








 聴覚を占領する機械音は不快だったが、優しい櫛の動きはうっとりしてしまうくらいに好きで、シュミットはこの時間によく不思議なジレンマを感じる。
 他人に頭を触らせるのが嫌いなシュミットの髪を乾かしながら、エーリッヒは胸中に広がる甘い優越感を感じていた。

「……雨は、嫌いじゃない。」

 ドライヤーの音量に掻き消されそうな声が、ふとエーリッヒの耳に届く。
 エーリッヒが続く言葉を待っていると、シュミットは甘えるように身体を傾け、エーリッヒに凭れかかってきた。
 エーリッヒは苦笑し、ドライヤーを止める。ほぼ乾いた栗色の前髪を指で静かに梳く。柔らかく軽く、砂のように指の間を零れる髪が愛おしくて、エーリッヒはゆっくりゆっくり、何度も髪を梳いた。
 慈母に頭を撫でられている感覚で、シュミットは目を閉じた。

「雨の日は、お前がことさらに近く……愛しく感じられるから。」

 周りの空間が、「雨」という特異な空間になって、二人だけが浮き彫りになって。まるで無人島に二人、取り残されたような気持ちは相手をひどく近い存在にする。
 首を逸らし、頭上のエーリッヒと目線をあわせると、エーリッヒもその感覚に覚えがあるらしく、微笑んでシュミットの額にキスをする。それでは足りない、と言わんばかりに、シュミットは腕を伸ばしてエーリッヒの首を引き寄せ、唇を重ねた。
 触れ合わせ、深く求める。
 折角シャワーを浴びたばかりだというのに、キスでは終りそうに無いシュミットに、エーリッヒはそっと唇を離して問いかける。

「……ケーキ、どうします?」

 シュミットはちらりと、キッチンのほうに視線をやった。昨日買ってきたワインや、バースディ用の料理の材料のことを思い出す。
 確かに身体は空腹を訴えていたし、エーリッヒの料理は魅力だった。
 だけれど。

「こっちを味わった後で、な。」

 頬に触れる指先に、エーリッヒは苦笑し、諦めたように溜め息を吐いた。
 普段ならば、こんな「退廃的な」ことを続けるなど、エーリッヒの倫理観が許しはしないのだけれど。
 雨の誕生日、はやはり特別で。

「……味は保証しませんよ?」
「大丈夫、私が保証できるから。」

 鼻先を合わせて、二人でくすくす、笑った。



 Beste Wuensche zum Geburtstag, Schmidt.
 今年も貴方にとって、最良の年でありますように。

                                        <終>

 シュミット20歳のお誕生日おめでとう☆★☆
 本当はもっとアレなんですけど。
 濡れたシャツに透ける肌とかなんとかエロくさい表現いっぱい使いたかったんですけど(笑)。
 レツゴキャラの晴れ男(女)と雨男(女)とをぼんやり区分していて思いついたお話でした☆(普段なにやってんだ)

モドル