あと半歩
「私達の関係は、どういうものなのだろうな」
半歩前を歩いていたシュミットが、ふとそんなことを口走った。
エーリッヒの肩がひくり、と震えた。
シュミットには、見えない。
雨を受ける透明な傘が、彼の背中を不規則に歪ませていた。
…不安定な存在感。
不安定な関係…?
安定していたはずのそれに、崩壊を知らせる警告が鳴り響く。
「…親友、でしょう?」
不自然な沈黙を打ち破るように、エーリッヒは言った。
シュミットが振り返る。
「…そうだな」
無表情。
何の感情も読みとれない。
一番安心していられた場所で、息苦しくなる。
エーリッヒは笑っている。
曖昧な笑顔。
胸中は判らない。
彼と自分の関係は。
それを言い表す言葉が多すぎて。
ときどき、どれが本物なのか。
どれも本物なのか。
判らなくなるけれど。
そのなかに。
本当に望む関係の名前はないから。
辛くて。
苦しくて。
泣きそうになるんだ。
「…お前は」
前を向いて、シュミットはまた歩きだした。
エーリッヒもそれに倣う。
「ミハエルには甘いな」
「今更でしょう?」
エーリッヒの左手にぶら下がるコンビニの袋の中には、ミハエルが所望したお菓子が入っている。
エーリッヒの買い物に、付き合うといったのはシュミットだった。
朝から、ずっと柔らかい雨が降っている。
ぱしゃん。
シュミットが、水たまりを蹴飛ばす。
そんなことをしても、心の中にあるもやもやも苛々も消えはしない。
求めているのは。
感情のカタルシス。
消え去ってくれればいい想いは、失うのが一番怖ろしいもの。
ぱしゃん。
「…濡れますよ」
「今更だろう」
雨の日に相応しくない靴で外出してしまったために、すでに靴下までびしょびしょだ。
明日は、オーディンズ戦だ。
そして、もうすぐ、ロッソストラーダとの対戦がある。
明日、別の試合場で、アストロレンジャーズがロッソと戦う。
今朝、そのことについて、またミハエルと一悶着あった。
「…リーダーは」
エーリッヒが口を開く。
「勝つことが当たり前の人です。雑誌で笑っていることが、当たり前の人」
「………」
「彼が笑う理由を、僕たちは知らない」
エーリッヒは寂しげな微笑を浮かべてみせる。
ミニ四駆が楽しいから?
違う。
勝ち続けることが出来るから?
違う。
あの人は。
…きっと。
「…淋しいんですよ」
…ぱしゃん。
淋しいから、笑っていようとする。
自分に言い訳するように。
…僕と同じ。
だから、つい、過保護になる。
「僕にはあなたが居る。実力の似通った人が」
でも。
あの人には、居なかった。
…拮抗した力を持つ人が。
友達。
…ライバル。
お互いに高めあえる存在が。
「…きっと僕たちには、あの人に本当に走る楽しさを教えることは出来ません」
あの人はリーダーで。
自分達はその下にいて。
その順位は、おそらく変わらないから。
「もし、あの人にそれを教えることができる人がいるとしたら」
「………ゴー・セイバか」
独特の走りや嗅覚や、あのスタイル。
自分達には出来そうもないことを、やってのけるだけの力のあるレーサー。
「ええ。ゴーさんだけじゃない。…日本のレーサー達にしか、出来ないことだと思います」
だから。
「…僕には、何もできないから」
傍にいることしか。
「だから、お前はリーダーを甘やかすのか? 甘やかすだけが全てじゃないぞ」
「ええ。だから、あなたの厳しさもあの人には必要だと思っていますよ」
にっこり。
優しい笑顔を浮かべて。
…私の一番好きな笑顔を。
お前はリーダーのために浮かべるのだな。
「私がどれだけ言っても、お前が逃げ口になるのでは意味がないだろう」
「…そんなふうに言って、あの人のことを一番心配しているのは、あなたじゃないですか」
シュミットは目を見開いた。
エーリッヒは、楽しそうに笑っている。
「そんなことも、気付いていなかったんですか?」
ときどきミハエルが羨ましくすら思えるほどに。
あなたは彼の背中ばかり見つめているじゃないですか。
僕が、あなたの背中を見つめているように。
…そんな風に見えていたか?
違う、違うよエーリッヒ。
私はそんな、お前みたいに優しい訳じゃない。
ぱしゃん。
ミハエルが一番頼りにするのは、きっとあなたです。
そうして僕も、きっとあなたを一番頼りにする。
あなたはそれだけの力がある人だから。
…私は。
あの人に。
あの人を。
時々、疎ましくすら思った。
ミハエルは僕たちよりも年下で、リーダーだから。
大切で、弟みたいで、ときどき誰よりも大人びていて。
支えて、支えられてゆくべき存在だと思う。
…でも、心のどこかで僕は計算していなかっただろうか。
シュミットを僕から取らないで。
ミハエルは尊敬に値する存在だ。
憧れだって持っている。
大切だとは思う。
…だけれど。
アタマとカラダはベツモノなんだ。
「なんのかんのと言いながら、あの人のすることを容認しているじゃないですか」
…違うよ。
あれ以上関わると、抑えきれなくなるような気がしたんだ。
僕がどんな気持ちであなたとミハエルを追っているか、あなたは全然知らない。
私がどれだけミハエルに嫉妬しているか、お前はまったく判っていない。
「…お前は優しいから、ミハエルのすることを全て容認する」
スッとエーリッヒを捉えた視線。
エーリッヒはその視線の冷たさに笑顔を消した。
「シュミット…?」
透明な傘が、近づく。
「それが、私なら?」
ふわり。
二つの傘が一つになる。
エーリッヒの頬に、挨拶の、キス。
「…お前は、私のすることを何処まで容認できる?」
冷たく笑って。
そう、言った。
…親友という、言葉の距離を。
大きさを。
君は感じたことがある?
それはこんなにも胸を締め付ける。
ソレデモ、親友デイイノ?
「シュミット」
…ドクン。
鼓動が跳ねる。
イヤな音。妙に心地の良い、イヤな音。
「シュミット、僕らは-----」
親友のままが、一番良いんですよ。
それ以上を欲しているくせに?
------------ウソツキ。
「僕らは…」
語尾は消えて、雨にかき消された。
しとしとと降り続く雨は、宿舎までの距離を随分長いものに感じさせる。
「…アイゼンヴォルフの一員なんですから。チームをより良い方向に動かす為に、僕らは
尽力すべきです。僕の働きでチームが良くなると言うのなら、僕は何でもしますよ」
個人的な事を訊かないで。
きっとあなたの願いなら、何でも受け入れてしまうから。
「なあエーリッヒ、…そうやって、一人で抱え込んで苦しむようなことは、
もう止めておけ。……私がいるんだ。頼ってくれて構わない」
自分の導き出した感情の答えが、一番彼を苦しませるのに?
彼にずっと頼ってきたのは、自分なのに?
------------嘘吐き。
「ありがとうございます、シュミット」
静かに笑って、エーリッヒは言った。
頼れる人が、傍にいたとしても。
それでも、無理をしてしまうだろう。
だって、このままの状態でいることが、一番の無理なのだから。
「ああ。…さて、早く帰ろう。風邪を引く」
「もし風邪を引くのなら、僕より貴方のほうが先だと思いますよ」
シュミットが足を速める。
くすくす笑いながら、エーリッヒはそれに従う。
「言ったな」
談笑できる、この雰囲気。
今まで当然だったそれが。
何故だろう。
うそだって、おもった。
彼らの関係において大切な話を、詩的に書くということの問題点について。
今なら1600字程度で論説できますが(いらねぇ)。
うちの二人の思考は、正反対であり、同じでもあります。だれでも、そんなものだと思うんです。
ぢつは続き物ですよ、コレ。
土曜日、と言うことにしといて下さい。
モドル
|