うそつき
「レースに関しては、概ね問題なかったと思われますが」
「アドルフ。ベルクカイザーは大丈夫か?」
「ああ、ギヤが割られただけだ。外部の破損も次のレースまでには
余裕で修復できる範囲だし、問題ない」
「次のレースは…」
「2週間後。シルバーフォックスと、だな」
「強敵ですよ、あそこは…」
「たとえ相手がどんなチームだとしても、我々に敗北など有り得ない。そうだろう?」
「…はい。そうですね」
ロッソストラーダ戦終了後の、チームミーティング。相変わらず、
レース以外のときには飄々としたチームリーダーはいつの間にかいずこかへ消え
(自分がいるまでもないと判断したと思われる)、残った4人は、今日のレースでの反省点や、
相手の攻撃を受けてコースアウトしたアドルフのマシンの様子など、
次のレースへの準備で余念がなかった。
負ける気はしない。
だが、油断はならない。
何が起こるか分からないのがレースだ。
ロッソストラーダのように、偶然を装ったトラブルを起こすチームは他にはいないが、
それでも、油断していればマシンに呑まれる。
それは、最も危険で、ミニ4レーサーとしては最も犯してはならない失敗だ。
ミニ四駆と、ずっと対等な付き合いをしてきた連中には、そのことは痛いほどに分かっている。
だが。
このチームにたった一人だけ、そうではない人物がいる。
ずっと、マシンを支配する形で走り続けてきた人。
そうやって走ることしか、知らない人。
ふと、エーリッヒはその人物を捜すように部屋の中に視線を巡らせた。
…いないんですよね。
自分が必要ないと判断したときは、つまらない会議などから速やかに退出しているのだ。
だから、次のレースの相手や会場、日程が申し渡される程度の
リーダー会議への彼の出席率は極めて低い。
そして、その役割は主にシュミットとエーリッヒが、交代ごうたいに請け負っていた。
自分に良く懐いてくれた2つ下の少年に、世話を焼いたりすることは出来たが、
実際に彼の力にはなれないと判っているエーリッヒは、ときどき自らの無力さを歯がゆく思った。
それは、別に何でもない日常の合間に、ふと心をよぎったりする。
いつでも感じていることのはずなのに、急に、思いだしたように胸を締め付ける。
本当に走ることの楽しさを、未だ知ることができずにいる人。
エーリッヒの視線が、何かを、誰かを捜すように室内を彷徨ったことに、シュミットは気が付いていた。
苦々しく思う。
唯我独尊なアイゼンヴォルフの現リーダーは、なにかと理由を付けてはエーリッヒに懐いている。
幼い頃から独りで育ってきた彼にとっては、エーリッヒはよい兄役なのかも知れない。
理解はしていた。
だが、納得など出来なかった。
…告白する勇気さえ持てない癖に。
誰を捜している?
誰を視ている?
こんなふうに、嫉妬だけは、燃え上がるんだ。
莫迦みたいに。
「…以上だ。ミーティングはこれで終了する。以後の時間は、各自自己管理に努めろ。解散」
確認すべきことを全てし終わって、シュミットは皆にそう告げた。
アドルフとヘスラーは、各々一言二言、シュミットに告げて、自室へと入っていった。
大きく息を付いてソファに身を沈めたシュミットを見て、エーリッヒは、飲み物の用意をします、と言って
ポットの置いてある簡易台所の方へ向かった。
コーヒーを淹れる音や、陶器のカップが立てる音だけのする、静かな世界。
シュミットは、目を閉じた。
昔から、そうだった。
彼のいる空間は、けして騒々しくはならず。
穏やかな落ち着いた空気が、自分の何もかもを癒すことを知っていた。
離れることや、他の人間のものになることなど、一度だって想像だにしなかった。
だからこそ、今。
不安になる。
コーヒーの、良い匂いが部屋に漂う。
「…なぁ、エーリッヒ」
ふいに、口から零れた。
意味を成さない言葉のように。
「なんですか?」
台所からの声。
「…好きだ」
かつん。
なにか、堅くて脆い物が床にぶつかって、砕ける音がした。
音が途絶える。
やがて、声が返ってきた。
「…シュミット、その冗談、笑えませんよ」
コーヒーカップを二つ、両手に持って現れたエーリッヒは、無表情にそう返した。
笑わなくちゃ。
笑いたいのに。
いつも通り、微笑んで、答えを返したかったのに。
表情はまるで凍り付いてしまって、彼の方が得意なはずのポーカーフェイスが、
顔には張りついていたことだろうと思う。
そして、…僕とは対照的に、シュミットは、顔を俯けて、微かに笑みを浮かべていた。
「そうか」
「…ええ」
コーヒーカップをシュミットの前のテーブルに置くと、
彼は静かに淹れたてのブラックコーヒーを口に含んだ。
エーリッヒもその向かいに座りながら、ミルクを入れたコーヒーを喉の奥に流し込む。
いつもなら入っているはずの砂糖は、台所の床に、転がったままになっている。
壊れた角砂糖を、拾い上げる余裕すらも、なかった。
…シュミットの言った冗談は、冷静な判断も何もかもを、簡単にエーリッヒから奪ってしまった。
…ねぇ、本当に、本当に笑えない冗談。
…………………………言わないで下さい。
「シュミット」
「ぅん?」
でも。
「僕も、貴方が好きです」
冗談なら。
…言えるのに。
「そうか」
シュミットは、やはり薄く笑っていた。
「嬉しいよ、エーリッヒ」
目を伏せたままで、言った。
エーリッヒもまた、シュミットを見てはいなかった。
好きだよ。
冗談にしないで。
好きなんだ。
本当は知っているのかもしれない。
自分が彼を好きなように、彼も自分を好きなこと。
だけれど。
終わりの見える関係を、始める勇気なんてない。
相手の望まぬ関係を、始めるつもりなんてない。
だから、僕らは目を伏せて。
きっと、このまま。
ずっと、親友。
それで良いと、踏みとどまったのは自分。
だから、もう………これで、お終い。
満足しなければならない。
そんなの嫌だ。
「ただいまー。ミーティング終わったー?」
歪んだ沈黙を打ち破るように、アイゼンヴォルフの部屋のドアを開けたのは、無敗の帝王だった。
シュミットの眉間に、皺がよる。
「…つい先ほど、終わりましたよ」
このリーダーにミーティングが必要ないことなど、判ってはいるが。
今までリーダー職にいて、1から10まできっちりと勤めてきた彼にとって、
ミハエルの行動は感心できるものではなかったろう。
ただ、言い争うだけの時間と気力がもったいないため、今回は妥協し、黙っておくことにしたらしい。
懸命な判断だと、エーリッヒは心の中で拍手を送った。
「わーい、じゃあグッドタイミングだったんだね。エーリッヒ、僕にも何か、飲み物ちょうだい」
ひょい、とソファの後ろからエーリッヒの首に腕を回して、ミハエルは無邪気に笑った。
「あ、はい」
ミハエルの望みを叶えるために、エーリッヒは席を立つ。ミハエルはすぐにエーリッヒを開放した。
シュミットは、明後日の方向に視線を送っている。
ミハエルはそんな彼を見て、口の端に笑みを浮かべた。
「ねぇ、シュミット。なんの話してたの?」
「…別に、たいしたことを話していたわけではありませんよ」
緑の瞳から視線を逸らしたまま、シュミットは言う。
「ふーん。楽しかった?」
「…どうして、そんなことを訊くんですか?」
「さあ? ただたんに訊いてみたかったからだけど…」
あえて理由を言うなら、とミハエルは続けた。
「この部屋に入ったときの空気がね。…逃げ出したそうにしてたんだ。
おかしいよね。君達が二人で居るところの空気はいつも、もっと柔らかくてあたたかいのに。
だから、気になったんだ」
柔らかくてあたたかい空気。
…雰囲気。
それは、もうずっと昔から、シュミットとエーリッヒに介在していたはずの。
根本的な恐怖にも繋がるもの。
それを壊したくない。
凍らせたくない。
だから、私達は、私達の関係を………。
「お待たせしました、ミハエル」
紅茶を淹れたカップを持って、エーリッヒが帰ってくる。
「ダンケ、エーリッヒ」
「今日は、どちらまで行っておられたんですか?」
「えーっとね、アストロレンジャーズの部屋」
「…不用意にライバルチームの部屋を訪れないようにと、注意しておいたはずですが?」
シュミットの不機嫌な声。
ミハエルは、あっけらかんと答える。
「不用意になんて行ってないもん。だから大丈夫」
「何が、「大丈夫」なんですか」
「僕はムテキだから平気なんだよ」
「訳の判らない言い訳はしないで下さい。精神的被害が大きいんです」
「以外と正直だよね、君」
「嘘ばかりついていると、疲れるので」
言ってから、自分の言葉にシュミットは目を見張る。
ピクリと、エーリッヒの肩が震えた。
ウソバカリツイテイルト、ツカレルノデ。
「ああ、そう。君が情報が大切だって言うから、手にはいんないかなーと思って行ってきたのにさ」
「………何をしに行ってたんですか」
妙なほど、心臓が重く脈打っているのが判る。
苦しい。
クルシイ。
時間はいつも通り流れていた。
会話も表情も、いつも通りに作れていた。
だから、いつも通りなのだと言い訳した。
もしも今、一つだけ願いが叶うとしたら、君は何を望むだろう。
…………………………………………好き、なのに。
ひょっとしたら、お互いにお互いのことを判ってやってるんじゃないだろうかという
疑いから生まれた話デス。
行動に伴うメリットを知りながらも、それ以上のデメリットを恐れることは、仕方のないことだと思う。
しかし、この辺の一連の話の中で、一番可哀想なのはミハエルですね…(泣)。
シュミットからもエーリッヒからも、愛されてるはずなのになぁ…?
モドル
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