「好き」という冗談
Side M
「エーリッヒは?」
エーリッヒ達の部屋の扉を開くなり、シュミットにそう訊いた。
シュミットはこっちを振り向いて、一瞬眉をひそめて、それから答える。
「…貴方の代わりに、リーダー会議に出ている頃ですが?」
ああ、そういえばそんなのもあったっけ。
シュミットとエーリッヒが交代交代で出てくれているらしいから、すっかり忘れてた。
シュミットの眉間の皺に気が付いて、僕は笑って見せた。
「それで、シュミットは一人で何してたの?」
「ベルクカイザーのメンテナンスですよ」
ふぅん、と簡単に返事をして、部屋に入る。
そして、ぽすん、とエーリッヒのベッドに腰掛けた。
「ね、シュミット」
「話し相手が欲しいのなら、済みませんが、他の人を当たっていただけませんか」
手を動かしながら、シュミットは僕に言った。
普段なら、もうちょっと優しい対応してくれるのになぁ。
「冷たいなぁー、シュミット。そんなに僕のことキライ?」
「別に…、ただ今は、メンテに集中したいだけですが」
そんなの、とっくに終わってるクセに。
毎日きっちりメンテする、レーサーとしてはお手本な行動には拍手をあげるけどさっ。
僕だって、終わらせてきたんだよ? 君が終わらせられないわけないじゃない。
「…僕をおミソにするなんて、たとえ天地が許しても僕が許さないよ?」
覚えたての日本語をフル活用してやったら、シュミットは眉間に皺を寄せてこっちを睨んだ。
「………イタリアチームの部屋へ行くことは禁止したはずですが?」
速攻母国語で切り返される。
何でバレたんだろ?
シュミットって、結構アタマ良いよね。こんなときだけ。
「…………………………口に出てますよ」
「おや」
僕としたことが。
失敗失敗☆
「そんな奇妙な日本語を使うのは、あのチームだけですから、すぐに判りますよ」
ふぅ、と呆れたように溜め息を一つ付いて、シュミットは言った。
それから、また、すぐに机に向き直ってベルクカイザーをいじり始める。
「…ねぇー、シュミットー?」
返事は返らない。
だから、僕は独り言のように呟く。
「僕、エーリッヒにアタックしてもいい?」
ぴく。
シュミットの手の動きが止まる。
…少ししたら、また、動き出した。
ちらりと、僕の方を見やって。
「……やめておいた方がいいと思いますが」
シュミットは、どこか無理をしている表情で、言った。
「どうして? やっぱりエーリッヒ、取られちゃうのは嫌?」
「フラれますよ」
語頭に、「絶対」が付きそうなくらいはっきり、シュミットは言いきった。
僕はふぅん、と冷たい返事をする。
「まるで、エーリッヒのことを何もかも知っているって口振りだね」
「…何もかも?」
ふ、とシュミットは、どこか人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
それは、あるいは自嘲。
何を考えているのか、僕には読めない。
「…ねぇ、どうして君は、僕を追うの?」
僕は、その答えを知っている。
シュミットはなにも言わなかった。
「君には、僕以外に、捕まえなきゃならない人がいるんじゃないの?」
「…誰のことを言っているんですか?」
返事が返ってきた。
シュミットは、その答えを知っている。
「エーリッヒ」
「…あいつは、いつでも私の後ろにいますよ」
そう。
そのとおりさ。
…レースでは、ね。
僕と君達との距離は遠すぎて。
僕じゃ、君達には追いつけない。
「居なくなったら、どうするの?」
「そんなことはあり得ません」
スゴイ自信。
どっからくるのか知らないケド。
「それって、ウヌボレじゃない? 確証あるの?」
「…いいえ」
僕は溜め息をついた。
どうやら、1から10まで言わなきゃ、伝わんないみたい。
「どうして、きちんと繋ぎ止めようとしないのさ。
…前々から思ってたんだけど、君、最近輪を掛けて暗いよ。
はっきり言って、ウザイんだけど?
バレてないつもりかもしれないけどさ、見てる側から言うと、モロバレ。
さっさとどうにかしたら?」
シュミットは、やっぱり僕の顔を見なかった。
ただ、微かに笑ったみたいに見えた。
「あいつが望まないから…、無理強いする気など、ありません」
…その言葉が、僕を苛立たせた。
なんて言うんだっけ、日本語で、こういうの……。
ああ、確か、“シャクニサワル”って言うんだったっけ。
「望んでない? …ふぅん、エーリッヒは何も望んでないって言うんだ、君は」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
シュミットが目を見開いている。
「君はエーリッヒの傍にいて、何を見てきたワケ? ねぇ、本気で言ってるんだ?
エーリッヒが何も望んでないなんて」
エーリッヒのベッドから降りて、シュミットに歩み寄った。
とん、と軽くシュミットの机に手を掛けて、夕闇色の瞳を睨み付ける。
なにも言わずに、ただ、睨んだ。
だって、本当に悔しかったから。
どうして、僕じゃなかったんだろ。
考えても仕方がないことだって、解ってるんだけど。
シュミットは、真っ直ぐ僕の視線を受け止めていた。
諦めと、決意と、寂寞と、平穏と…、よく判らないドロドロしたものと。
全てが溶け合って、綺麗な紫を彩ってた。
僕は、ふいとシュミットから視線を逸らした。
くるりと、彼に背を向ける。
シュミットの視線が、僕を追うのが解った。
レースのときみたいに、僕の背中を見ているのが解った。
また、一つ、溜息。
「君の…ううん、君達の弱点を教えてあげる。
それはね、行動の理由を見つけようとすることだよ。
行動に理由を付けて、言い訳をして、ああそうなのかって自分自身を納得させてるんだ」
行動しておいて、後から、その行為、行動に意味を見つけようとする。
どうしてあの時自分はああしたのか、ああ言ったのか。
考える必要などないことまで考えて、臆病になる。
もしかしたら、ひょっとしたら。
自分はあの時こう考えて。
そうして、理性的な行動をしているつもりなんだ。
…笑っちゃうよ。
「僕から見たら、君達はただの臆病者だよ」
相手の気持ちを考えているフリをして、傷付けあってるんだ。
疎外し合ってるんだ。
だから、事実にも気付かないふりしてる。
相手も自分を想ってるんだって、事実。
確信を得られないからって理由で、見ないようにしてる。
都合が良すぎるだろうって、幻想にしようとしてる。
滑稽きわまりない二人。
折角この僕が応援してあげてるのに。
知ってる?
僕がどれだけ君達を羨んでるか。
判ってる?
君達の悩みが、どれだけ贅沢なものなのか。
妬みや嫉みって、恐いんだよ。
いっそ君達の関係、修復不可能なまでに壊したいとか、思ったことだってないことないんだから。
メチャクチャにかき回して、その上でエーリッヒを奪ってやりたいとか、思ったことだってあるんだから。
ねぇ、気付いてよ。
っていうか、気付けよ。
その衝動を抑えてる僕が、今一番望んでること。
笑ってて欲しいんだよ、君達に。
僕のぶんまで、幸せに笑ってて欲しいんだよ。
二人で笑ってて欲しいんだよ。
ねぇ、簡単なことだと思わない?
→ Side J
あー、あと2本書いた後、幸せなミハエルの話を書こう…(泣)。
モドル
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