大切な君へ
第一回WGP最終レース終了。
ドイツ、アメリカ、イタリア、日本という4チームの、激しいデッドヒートの末、
勝利は日本チーム、
TRFビクトリーズの手中へと収まった。
「…とはいえ、みんな、素晴らしい走りだったぞ!!
感動を、有り難う!!!」
ファイターの元気な声が、表彰式の場にこだまする。
ひととおり式が終わった後、選手はお互いを讃え、握手を交わしたり、
最終レースの応援に駆けつけた他のチームのレーサーと、軽い会話をしたりしていた。
イタリアチームのレーサーも、以外と素直に他チームと交流できているようだ。
…相手の警戒心は、まだ多少あるようだが。
嬉しそうに会話に参加していたミハエルが、ふと、皆のそばを離れた。
それに気が付いて、アイゼンヴォルフのメンバーが、彼の元へと集う。
「…どうかしたのですか?」
率先して声を掛けたのは、エーリッヒだった。
ミハエルは、4人に背を向けたまま、微かに笑った。
「…ゴメンね」
「え…?」
「勝てなかった」
ぽつりと漏らされたその言葉が、この場にいる誰よりも、
言っている本人にとって辛い言葉だと、誰しもが理解していた。
「TRFの走りは、素晴らしかった。気にする必要はありませんよ」
アドルフが、どこかしら晴れ晴れとした調子で言った。実際、悔しさよりも嬉しさの方が大きかったのだろう。
強い相手と走ることが出来た、その充実感。それが、今も心を支配している。まだ、興奮が収まらない。
「うん。でもね、僕は…リーダー失格かな」
「…リーダー?」
シュミットが、眉を寄せた。
「僕、…途中から、これがみんなのレースだってこと、忘れてた。
自分だけのために、走ってた。……チームのみんなのことを、僕は、忘れてた。
…………リーダー失格だよね」
「そっ…!」
「ごめん、先に、部屋に戻ってるね」
何かを言おうとしたエーリッヒを遮って、ミハエルは駆けだした。
慌ててあとを追いかけようとしたエーリッヒを、今度はシュミットが止めた。
「シュミット…! どうして…?!」
「私が行く」
真っ直ぐにエーリッヒの瞳を見つめて、シュミットは言った。
「お前達は、ここに居ろ。多分、今のミハエルの気持ちを解ってやれるのは、私だけだ」
その言葉を聞いて、3人は、1年半ほど前のことを思いだした。
金の鬣を持つ小さな獅子が、紫の瞳の狼からリーダーの座を勝ち取った、あの時のことを。
常に前を走り続けてきた者が、誰かにその位置を奪われる。
その驚異を知っているのは、確かにこの場ではシュミットだけだった。
「……解りました。シュミット、ミハエルを、お願いします」
「云われずとも」
ふっ、と、どこか余裕めいた笑みを浮かべて、シュミットはミハエルの後を追った。
その後ろ姿を暫く眺めてから、エーリッヒはクルリと向きを転換した。
「さぁ、僕たちはあちらに戻りましょうか。これから、一月は会えないんですから。お別れを言わないと」
アドルフとヘスラーを促して喧騒の中に帰っていく途中で、
エーリッヒは、一度だけ、宿舎の方を振り返った。
ヘリを使って帰ったミハエルに遅れること数十分で、シュミットはピットカーで宿舎へと帰り着いた。
アイゼンヴォルフの部屋に戻ると、すぐに、窓際に座ってぼうっとしているミハエルの姿を認めることが出来た。
茫洋とした世界を見つめながら次を求めることを否定した、
昔の自分に声を掛けてくれたのは、淡い、春の空色の瞳だった。
そして、自分には彼のような力があるだろうか。
落ち込んでいる者を、立ち直らせてやれるような力が、あるだろうか。
…本当は、そんなこと判らなかったけれど。
「リーダー」
声を掛けると、ピクリと、金の髪が揺れた。
ゆっくりと、若葉色の瞳が振り返る。
その瞳は、シュミットが今まで見たこともないくらいに、淋しそうで。
気が付いたら、シュミットは、ゆっくりと彼に近づいていた。
「………リーダー、か。その呼称は、君に返した方が良いのかもしれないね」
俯いて、今にも泣き出しそうに笑うミハエル。
その表情は、昔のシュミットのものとは、少し違った。
どちらかというと、この夏、エーリッヒに見たものに近い。
なにかを、失うことが恐くて仕方ない、そんな表情。
「他の連中が、承知しませんよそんなこと。…私だってそうです。
貴方以外の下で、走るつもりなど、もうこれっぽっちもありません」
そっと金の髪に触れる。
クセが強く、でも柔らかい。
その主の、人となりに似ている。
「でも、僕は。…チームのみんなのこと、忘れてたよ。
勝たなきゃいけないんだって、そのことを、忘れてた。
君達が必要としているリーダーは、そんなのじゃないでしょ?」
「…ミハエル」
すっと屈んで視線を合わせ、シュミットは笑った。
「楽しかったか?」
「え?」
「今日のレース。皆のことを忘れて、ゴールを目指して走って。楽しかったか?」
…楽しかった?
…………いままで、経験したどのレースよりも。
「うん。…楽しかった。凄く、凄く楽しかった…!」
ぎゅっと目を瞑って、ミハエルは言った。
本当に、本当に楽しかった。楽しむためにレースをしたことなんて、本当に久しぶりだった。
おそらく、それは、アイゼンヴォルフに入るもっとずっと前の。
ミニ四駆を始めた、最初の頃に経験した、あの時の楽しさ。
「なら、それでいい」
ぽんぽん、とシュミットはミハエルの頭を軽く叩いた。
楽しいと思って走れたのなら、きっとミハエルは、勝利よりも、とても大切なことを学んだのだ。
勝つことで学べることなど、ミハエルはすでに、学び尽くしてしまったろう。
それよりは。
負けたとしても、一歩進める、そんなレースを。
「でも! 君達が必要としているのは、勝てるリーダーでしょ?
僕は負けた。負けられない試合で、負けちゃった…」
「………」
リーダーという肩書きの者が、その両肩に背負う重み。
そのプレッシャーは、ときには人を押しつぶしてしまいかねない。
だから、シュミットは時々、自分よりも二つも年下の少年に、
その役割を背負わせてしまったことに罪悪感を抱いた。
ミハエルは、そんな重圧、感じても居ないように笑っていたけれど。
こうやって、彼の率いるチームが初めて、はっきりした形での敗北を取ったことで、
それが彼を苦しめていたことが、表出してしまった。
ごめんな、ミハエル…
「次に勝てばいい」
「え…?」
「今回のWGPで勝てなかったのなら、次の大会で勝てばいい。
何度でも、何度でもチャンスはある。…私達は、いつもお前の傍にいるぞ?
お前の背中を、みんなで追いかけているんだ。
こんなところで、立ち止まる気か?」
緑の目が、大きく見開かれた。
微かに、震えている。
「…ミハエル。完璧である必要なんかない。
完璧な人間なんか、居なくていいんだ。私達は負けたからと言ってお前のそばから離れたりしない。
……もうすこし、私達を信用してみろ」
すぅ、と、透明な液体が白磁の頬を滑った。
零れた水が、絨毯にしみて、その場所を濃い色に染める。
シュミットは、その小さな身体を抱きしめてやった。
「落ち込んでいる暇なんてないぞ。一ヶ月後には、第2回のWGPが始まる。
…祖国に、勝利の栄光を持ち帰らねば。な?」
「……うん…」
しばらく、シュミットの腕の中に収まっていたミハエルが、突然くすくすと笑った。
「どうした?」
不審に思ったシュミットが、尋ねる。
すると、翡翠色の瞳がシュミットを映した。
「僕、シュミットのこと、好きだよ」
シュミットの背中に腕を回し、ぎゅっと抱き付きながら言う。
「…エーリッヒ、の間違いだろう?」
されるがままになりながら、シュミットは応えた。
「うん。エーリッヒも好き。だから、君達が一緒にいることを選んでくれて良かった。
たとえ未来で間違ってたと思ったとしても、今、幸せに笑っててくれる道を選んでくれて良かった」
「………ありがとう。…ごめんな、ミハエル」
「ううん。良いんだ。僕、幸せだよ。君達と、同じチームで良かった。一緒に走れて良かった」
るるるるるるるる、るるるるるるる、と、電話が鳴った。
シュミットが電話を取りに行く。
相手は、想像できる気がした。
「はい」
『シュミット? 僕です』
やはり、か。
口元が弛む。
「どうした?」
『あの、これからミクニコンツェルン主催で、
第一回WGPが無事終了したお祝いに立食パーティなんだそうです』
耳を澄ますと、聞き覚えのある声がエーリッヒの後ろから聞こえている。
中国チームの、双子のどちらかか、あるいは両方の声だ。
「それで?」
『今、会場へ移動中なんですけど。ミクニ邸の庭で催されるそうで。…来られますか?』
「ああ」
よどみなく答えると、受話器の向こうの相手は、明らかに安堵の息をもらした。
『それでは、現地で会いましょう。ちゃんと、ミハエルを連れてきて下さいね』
「信用がないな」
『そんなわけじゃないですけど…。…じゃあ、お願いしますね』
「ああ」
ぷつり、と電話が切れる。
まぁ、イタリアチームのピットカーに乗るような真似をしなくて良かったなどと考えながら、
シュミットはミハエルの元に戻った。
「誰から?」
いつも通りの笑みを浮かべて、ミハエルが尋ねた。でも、目元が少々赤い。
「エーリッヒからですよ。これから、ミクニコンツェルン主催で立食パーティだそうです」
「ええーっ!? 行きたい!!」
すっかり元の調子を取り戻したミハエルに、シュミットは優しげに笑った。
「ええ、貴方も連れてこいと、エーリッヒに釘を差されましたから。行きましょうか、リーダー?」
「うん!」
勝ったり、負けたり。切磋琢磨して行くから、僕らは前へ進めるんだね。
みんなは、負けた僕でもイイって、そう言ってくれるのかな。
負けた僕でも、一緒に走らせてくれるのかな。
………仲間だって、言ってくれるのかな。
「……ミハエル、覚えておけ。私達は、お前の----------」
友達、なんだぞ?
【了】
シュミハでシュミエリでミハエリ(え?)。
取り敢えず、ミハエル様はみんなに愛されているということを示したかったんです。
モドル
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