「死という拒絶を恐れる君。」
「----エーリッヒ?」
二人で使っている部屋の扉を開けて、薄闇の中に声を掛ける。
入り際の太陽の、最後の光明が、窓際に立つ少年をぼんやりとではあるが浮かび上がらせていた。
凍った湖面のような、でも暖かい色をした瞳は、窓の外を真っ直ぐ見つめている。
まるで、遠い遠い世界が、彼には見えているように。
シュミットは、一瞬部屋の電気をつけるのを躊躇った。
いや…、部屋に入り、彼を目に留めた瞬間、その姿に目を奪われ、
全ての行動を止めたと言った方が正しい。
それは、一幅の絵画のような、幻想的な風景だったから。
彼が開けたのだろう、白い格子の出窓から、冷たさを含んだ風が吹き込んで、彼の銀の髪を嬲った。
白いカーテンが、優しく揺れる。
少年は、窓の外を見つめていた。
「エーリッヒ」
電気は付けずに部屋に入り、背中から抱きしめる。
微かに、腕の中の身体が身じろぐ気配。
それでも、瞳は窓の外の世界を映している。
「……どうした?」
なるべく優しく、問いかける。
青い瞳の少年の口が、開かれ、音を立てずに閉じられた。
そうして、彼は、堅く唇を引き締める。
何も語らないように。
何も、語れないように。
言えば、縋ってしまうことを知っているから。
知っているから、…一人で耐えようと。
それこそ、言ってもどうにもならないのだから。
「…エーリッヒ」
束縛を強めてくる腕。
左肩、服の上から押し当てられた唇。
さらりと頬をくすぐる、栗色の髪。
微かに、夕闇に溶けるシャンプーの香り。
…僕を、弱らせていく。
風が吹き、また、白いカーテンが風を孕んで膨らんだ。
銀の髪と、栗色の髪が、混じり合って宙に躍る。
「…なんでも、ありません」
外を見つめながら。
恋人をその腕に抱き締める少年は、溜め息をついて、微かに顔を伏せた。
西の空と同じ、夕闇色の瞳が、細められる。
「…ふぅん?」
隠し事をされたり、無理矢理笑われたり、そうやって………自分一人で全てを受け止め、耐えようとしたり。
そんな、恋人。
……とても嫌いなのに、それ以上に愛している。
全てを知りたいなんて、傲慢だ。
全てを知りうるなんて、幻想だ。
私達は別個の生き物。
解り合えるはずもない。
それでも。
それでも、愚かなことには 。
「何を、見ていた?」
知りたいと、思うんだ。
「何も」
薄い褐色の手が、彼の前で組まれた白い両手に触れる。
重なる。
また、風が吹く。
「嘘だ」
「嘘じゃないですよ。本当に、何も…」
「…何処を、見ていた?」
ぴくり。
触れ合った手が、微かに震えた。
それを隠すように、銀狼は笑って。
「何処も」
素直じゃない僕。
貪欲な僕。
だから、これ以上。
ねぇ、会話を続けさせないで。
青い瞳の中から、夕日の残光が消える。
「………小鳥が、死んでいたんです」
隣に身を横たえた少年の、癖のない栗色の髪に指を、手を差し入れ、
それがさらさらと零れる感触を楽しみながら、褐色の少年はようやっと口を開く。
引いたカーテンの裏で、月の光が揺れている。
闇に沈んだ部屋に、半月の光はひどく優しい。
素肌に触れるシーツの、心地よい感触に、青い瞳は半分閉じられていた。
瞼の裏に、消そうと思っても消えない、一つのヴィジョンが浮かんでいる。
あまりに鮮明で、生々しく、リアルで、酷たらしい。
地面に打ち付けられて死んでいたのは、一羽の燕。小燕だった。
巣から身を乗り出しすぎて、落ちたのだろう。
死骸の真上に、出来て間もない巣があった。
渡 り 鳥
…ワンダーフォーゲル。
どうして、一度も渡ることなくして死んだ。
どうして、外の世界を、居心地の良い巣の中以外に旅立たずして死んだ。
………どうして、そこから抜け出すことをせずに。
「小鳥の傍に、母親がいたんです。大きな声で鳴いていたんです。時々首を傾げながら」
-------------起きて、起きてと言っているように、聞こえたんです。
死んだことを、理解できずに。
あの親燕は、何日、ああやって呼び続けるのだろう。
二度と帰らない者を。
二度と蘇らない魂を。
呼び続けるのだろう。
探し続けるのだろう。
………………ボ ク タ チ ハ 。
「いつか、どちらかが死んだとしたら」
探し続けるのだろうか。
求め続けるのだろうか。
心に穿たれた空白を埋めるために。
心を占めていた者を奪い返すために。
死んだとしたら。
もしも、貴方が僕を想う心が、死んだとしたら。
僕は、首を傾げるでしょうか。
心に作り上げた貴方に向かって、尋ね続けるのでしょうか。
……ねぇ、どうして、笑ってくれないのですか。
いつからだろう、貴方が僕の巣になったのは。
「旅立てるのでしょうか、その場所から」
居心地の良い、貴方の腕の中から。
それとも、墓地の前に座り込んで、いつまでも、物言わぬ冷標に、語りかけているだろうか。
つ、と指を滑らせて、白い輪郭をなぞる。
穏やかに流れる柳眉。
開かない瞼。
物言わぬ唇。
ゆっくりと、指先でなぞっていく。
ふと、部屋が暗くなった。月が、雲に隠れたのだろう。
青い瞳が窓の方を向く。
少年は、そっと首筋に滑らせていた指を止めて、ベッドから起きあがった。
床に脱ぎ捨てられた、恋人のバスローブを羽織って、窓際に移動する。
カーテンを、開く。
窓を開ける。
冷たい夜気が、暖かかった室内に流れ込んでくる。
カーテンが、膨らむ。
青い瞳は、窓の外を見つめた。
闇に沈む街には、物音というものはない。
静寂に、銀が揺れた。
微かに、シーツの中の肩が動いた。
「…モルゲン、エーリッヒ」
未だ目覚めない恋人に、静かに笑いかける。
軽く、唇を重ねる。
カーテンは開けないで、そっとベッドから降り、朝の身仕度を整え始める。
緩やかな朝の陽光が、彼を起こすまでにはもう少しかかるだろう。
出来うる限り、時間の許す限り、眠らせてやりたい。
何も心配しなくて良いところで。
何も耐えなくて良いところで。
最も、素直になれる場所で。
「…旅立てるさ」
はっきりと、でもどこか淋しそうに、栗色の髪の少年は言った。
私達は、…お前は、そんなに弱くないから。
失った悲しみがどれだけ大きくても。
どれだけの絶望感を伴ったとしても。
私達はまた、外の世界に向けて歩きだす。
羽ばたく。
立ち止まらない。
振り返らない。
消えた相手が、それを望まないのを知っているから。
涙が枯れるまで泣いて、そして、立ち上がって歩きだそう。
……でも、な。
ネクタイに手を掛けながら、時計をチェックする。
可哀想だが、そろそろ起こしてやらなければ、学校に遅刻してしまう。
そっとベッドの傍に戻って、銀の、細い髪に指を絡める。
「ぅん…」
微かに眉を寄せる。
長めの睫毛が揺れて、朝の空色の瞳がゆっくりと開かれた。
「モルゲン、エーリッヒ」
もう一度。
さっきは本人の耳には届かなかった朝の挨拶。
ゆっくりとベッドの上に半身を起こして、
「…モルゲン、シュミット…」
答える。
まだ幾分かぼんやりしているらしい恋人を、ぎゅうとシーツごと抱きしめた。
「………シュミット?」
だんだん意識が覚醒してきたらしく、青い瞳が徐々に大きく見開かれていく。
「あ、あの……」
昨夜、ベッドから起き出した彼は、暫くしたらベッドに戻ってきたけれど。
一度起きたことを隠すためだろう、バスローブを脱いでベッドに入ってきた裸体は、とても冷たくなっていて。
抱きしめたかったけれど。
自分が起きていると、知られたくなかったから、何もしなかったんだ。
…だから、今、抱きしめたかった。
「じ、時間! 早く支度しないと、僕…!!」
なんとか腕の中から逃れようと、褐色の腕が白いシャツを押し返そうとする。
…力では敵わないことなど、当に解っているはずなのに。
抵抗して、逃げだそうとする。
…本当は、逃げる事などできない癖に。
素直じゃないから、放したくなくなる。
時計の針は、無神経にも進んでいく。
止まらない。
止められない。
止まって欲しくなど、ない。
(自分はひどい嘘吐きであるにもかかわらず)嘘が大嫌いな彼だから、確証のないことは言わないけれど。
未来まで束縛する、嘘になるかもしれないような言葉は、何一つ言えないけれど。
「…エーリッヒ」
今、この瞬間は。
確実に。
「愛しているよ」
抵抗が、止んだ。
「……どうしたんですか、急に…?」
伺うように見上げてくる青い瞳。
その奥に見え隠れする不安。
それを取り払いたくて、栗色の髪の少年は、青の視界を紫で埋めた。
「っ………」
「…学校……休もうか…」
「…………………………」
カーテンを開けることをしない。
青い瞳が映すのは、紫の瞳だけで、充分。
わー! POEM!! P・O・E・M!!!!!!
こっぱずかしいモン書きやがって!!! でもこの小説自分で大好きだぞ!!!(滅)
ちょっと昔に書いたヤツです。今年の燕が孵ってちょっと経った頃かな(笑)。
燕のエピソードは私の実体験です。
モドル
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