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不安と寂しさと、それに見合うだけの心 机の上で参考書を広げている親友に、私は苦笑を送った。 「よくやるな」 「僕はあなたやミハエルのように、天才ではないので」 顔をあげもせずに答えた彼が必死になって学習しているのは、 日本という、アジアの小さな島国の言語だ。めざましい発展から先進国となって いるが、最近は景気が低迷してどうの…、と聞いている。 私の親友、エーリッヒがなぜそんな国の言葉を学んでいるのかというと、そこに 行かなければならない用が出来てしまったからだ。しかも、1年間。 元々はアメリカで行われるはずだった第一回WGPが急遽日本で開催される ことになった。ここに、我々ドイツ最強のミニ四駆チームであり、WGP参加チーム としても名を連ねているアイゼンヴォルフのメンバーにも、日本語習得の必要が 生まれたわけだ。 ヨーロッパ選手権と日程が重なるという理由から、エーリッヒには二軍メンバーを 率いて一足早く日本へ旅立ってもらうことになっている。エーリッヒが発つまで、 あと一週間もない。日本語の習得にも必死にならなければならないはずだ。 「英語なら、だいたいマスターしてたんですけどね…」 独日辞典を開きながら、エーリッヒはぼやいた。確かに、最初の開催地が アメリカだと決まった時点で、皆英語を学習しだしたからな。ミハエルによって、 一時、「英語以外の言語を使ったら罰ゲーム☆」という命令が下されたこともあった。 …罰ゲーム…、私はかからなかったが、アドルフがかかって…。怖ろしかったな…。 「日本語って、そんなに難しいのか?」 「ええ」 言語的学習能力に置いては私よりも優れていると思われるエーリッヒが 苦戦しているところから見ても、どうやら日本語というものは思っている以上に 複雑奇怪らしい。 エーリッヒは苦笑して、手元のノートに走らせていたペンを再び動かす。 「半年間の有余って、羨ましいですね」 「そう言うな」 「…あなた方ならマスターするのに半年もかからないんでしょうけど。僕には そういう意味においての才能はないですからね。努力するしかないんですよ」 …才能のない人間は、努力するしかない。私は、そんな人間を蔑んできた。 ずっと、才能のない人間など歯牙にもかけなかった。だが。 「別に…いいじゃないか。お前の努力している姿は、私にはとても輝いて見える」 一生懸命なエーリッヒの姿が、どれだけ私を惹き付けるかなんて、エーリッヒは 全然理解していない。自分がどれだけ美しいかなんて…全然知らずに。 …無垢に私を魅了していくんだ。 案の定、エーリッヒは少し照れたように笑って。 「ありがとうございます」 そう言うだけだった。 「お前は、半年先に日本に発つんだったな?」 多少唐突に、試すように尋ねてみる。 エーリッヒは同じように机に向かったまま。 「僕以外に適任がいないのなら、行くしかないでしょう。それに、それだけ期待されて いるということでしょう? 期待には応えないと」 楽しそうに言うところから、あまり一人で発つのに不安や寂しさはないようだな…。 そのことに、私の方が寂しさを感じてしまう。エーリッヒは、私と離れることなど何とも思って いないのか、と。 「…苦労を背負い込むのが好きな奴だな」 「そうですね」 エーリッヒが苦笑したのが判った。 少し、間をおいて、また口を開いたのは私だった。 「…日本、か。遠いな」 「異国の文化に触れられるんです。楽しみですよ」 嬉々として言うエーリッヒに、多少苛々してきた。 そっと後ろから近づいて、椅子ごしにエーリッヒの首に腕を回す。 そして優しく抱きしめて、耳元で囁いた。 「それ以上言うと、シメるぞ?」 「……だんだん言葉遣いが庶民化してきていますよ、シュミット」 「五月蠅い」 腕に、少し力を込めた。 エーリッヒはペンを放して、私の腕に触れる。 「安心して下さい、最高の状態であなた達にチームを引き継いでみせますから…」 そうじゃないだろう。 さらに腕に力を込めると、エーリッヒは少し苦しそうに呻いた。 「日本になど行かせない、と言ったら?」 はっきりとそう宣言すると、エーリッヒは顔を苦しげに歪めながら、それでもくすくすと笑いだした。 それを不審に思い、ゆっくりと腕をとくと、エーリッヒはクルリと椅子を回転させて、私に向き直った。 その顔には、優しい微笑みが浮かんでいた。 ああ、私の一番好きなエーリッヒの顔だ。 「やっぱり言わなければ伝わらないものですね」 そっと手を伸ばし、エーリッヒは私の頬に触れた。 「…本当はね、とても寂しくて、不安なんです。本当は嫌なんですよ? 一人で日本に なんて行きたくない。でも、そんな我が儘言えないじゃないですか」 私の欲しかった言葉を、まるで知っているかのように紡ぎ出すエーリッヒに、やっと からかわれていたことを知った。 …怒るよりも、脱力した。 倒れ込むように彼のベッドに腰掛けた私に、エーリッヒはまたくすくすと笑った。 「あなたらしくないですよ、シュミット。言葉一つでそんなに表情を変えるなんて」 確かに、私はどちらかというと見て知るタイプであり、言葉によって動揺させられる ケースは珍しいのだが。 こと、エーリッヒに関してはそんな常識は通用しない。どころか、思いきり覆されてしまう。 それだけの力を有していることにすら気付かない無邪気な親友に、私は盛大に溜め息をついてみた。 「私はね、エーリッヒ」 まっすぐに私を見つめてくるブルーグレイの瞳。とても落ち着いていて、穏やかで。見ている こっちまで穏やかにしてくれる。どんな至高の宝石よりも美しいと感じることが出来る自分が、 誇りに思える。 「お前が思っている以上に、お前に依存しているんだよ」 エーリッヒは一瞬目を大きく見開き、それから細める。 「僕も、あなたが思っている以上にあなたに依存していますよ」 もちろん、相手がいないとなんにも出来ないような弱い我々ではないけれど。 それでも、傍にいるといないでは能力に大きな影響が出るだろう。互いに影響しあい、高めあってきた仲なのだから。 どれだけその存在に心を許してきたかわからない。とても快い、大切な場所。 「…期待を裏切るような事は、しませんから」 自惚れなのか? そうさせるのは自分がいるからだと思ってしまうのは…。 微笑むその顔が、その動作が、その言葉が。 私だけに向けられるものだと思うだけで幸せになれる。思っている以上に単純な自分がいる。 「頑張ってこい、エーリッヒ」 「ええ、あなたも。頑張って下さいね」 エーリッヒを手招きする。素直に椅子から立って近づいた彼の腰に腕を回して、抱き寄せた。 少しの身じろぎ。だが、それ以上抵抗する様子はなかった。最近は、大人しく許したりしなかったというのに。 その行動が、彼の心情を最もよく物語っていた。 つまり、半年間という時間を埋めるだけの安心が欲しいのだと。 幼い頃から、彼は不安になるとよく、私に縋って抱きしめられていたから。 そうして私も、彼を抱きしめることで安心していたのだから。 無言の請いに応えるように、彼を抱く腕に力を込めた。 …彼の匂いは、とても柔らかく、暖かく。それだけで安心させられてしまう。 「…優勝、して下さいね?」 頭の上から静かな声がする。 「…ああ」 ぎゅう、ともう一度力を入れる。 すると、エーリッヒが慌てたようにわたしの身体を引き剥がした。 「もう、いいでしょう? ……ありがとうございます」 体を離して多少早口で言った言葉の内容に、私は微笑んで。 親友で止まったままの関係は、私が選んで凍り付かせている。 動くことができないのは、二人が近すぎるから。 それでも、お前の中で、未だ私は一番なのだろう? 今は、それで十分だと。 …自分に言い訳ておこう。 例えば、この空が遠く日本に繋がっていると思えば。 不安と寂しさとは多少は払拭できるような気がする。 私達は、お互いに信頼しあっているのだから。遠い、でも同じ空の下で、彼も走っているの だと思えれば。彼も安心するかもしれない。 以心伝心、という日本語に見合うだけの心を、私達は有しているから。 【了】 |
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中途半端に片恋モノですか。
彼らの関係って難しいくらいに中途半端なときがあったと思ふ。
幼なじみだし。ねぇ(誰に聞いてるのよ)。
でも、読み直すとコレって…出来上がってますな…(想像力不足)
モドル