喧嘩を、した。
ひどく、些細で。
でも、いつかするだろうとお互いに思っていた。
彼らにとっては大きな理由。
一番長い夜だから。
シュミットとエーリッヒの関係が「親友」から「恋人」になって、二人の間の接触は増えた。それは、友達だったときには考えられもしなかったキスや、視線や声。
…そして。
「……エーリッヒ……」
シュミットの唇がエーリッヒの首筋をなぞりながら、熱い吐息で恋人の名を呼ぶ。エーリッヒは未だにそれに慣れることができないで、強く瞼を閉じていた。
服の上から胸をまさぐっていたシュミットの指がきっちりとはめられていたエーリッヒのシャツのボタンを外していく。はだけたシャツの隙間から潜り込んで来たシュミットの手が少し冷たくて、エーリッヒは僅かに身を震わせた。
そのエーリッヒの反応を聡く感じ取り、シュミットは顔を上げてエーリッヒの瞼にキスをした。
「…まだ…ダメか…?」
エーリッヒは目を開ける。
眼前の紫の瞳は頼りなく揺らめいていた。
シュミットはエーリッヒを抱きたいと強く思っていた。思いが通じる前から心の内で膨らんでいたその醜い欲望は、今の関係になってから毎晩のように嫌というほどシュミットを誘惑し続けていた。
「……シュミット…」
エーリッヒは、シュミットが暴走しそうになる本能を押さえ込んでくれているのを知っていた。エーリッヒを傷つけないように、無理強いさせないようにと。
その優しさはひどく痛い。
エーリッヒはシュミットの顔を見ないようにと、強く彼に抱き着いた。
「…貴方が望むなら…僕は…拒絶したりはしませんよ…?」
シュミットは眉根を寄せて強く、エーリッヒを抱きしめた。
それから勢いをつけてエーリッヒの身体を引き離す。そうでもしなければ離れられやしないことを、シュミットは自身よく知っていた。
「……私が望むなら。…お前はいつもそうだ。それで私が喜ぶと思っているんだろう?」
「シュミット?」
シュミットはエーリッヒから視線を外し、首を振った。
まるで独りよがりで。一人相撲だ。
「お前の意思はどこにある? お前の本当の気持ちは? どこにもないんだろう。私がそう望んだから、だからお前は今ここでこうしているんだ。私が望むから。だから私の恋人になったんだって、お前はそういうんだろう。お前は優しいから。昔からどこまでも残酷なくらいに優しいから!」
シュミットの言葉の意味を理解して、エーリッヒも眉間に深い皺を刻む。
ぎゅ、と下唇をいちど噛み締めて、シュミットを睨みつけた。
「……貴方が僕にこの答え以外を許さないくせに、よくも言えたものですね」
なんだと、と返して真正面からエーリッヒの視線を受け止めたシュミットの腕を、エーリッヒは強く掴んだ。
「貴方は自分がポーカーフェイスでいると思っているんでしょう? 僕がどんな反応をしたって、受け止められるんだって余裕の顔をしているつもりなんでしょう? 一度鏡を見てみたらいい、貴方の顔は僕への要求で一杯ですよ。僕に断られたら泣いてしまうって、貴方の顔には書いてあるじゃないですか!」
「………なんだと。」
「…………………」
シュミットの腕を掴んだまま、エーリッヒはそっぽを向く。
「……ひどい言われようじゃないか。いつも…私に感情をあらわさせるばかりのお前が」
「僕の感情など必要あるんですか?」
「馬鹿を言うな! 私はッ………!」
続く言葉をシュミットは言わなかった。あるいは言えなかったのかもしれない。
沈黙が尾を引いてエーリッヒの部屋を満たした。
「……もう、いい。…おやすみエーリッヒ」
「……おやすみなさい。良い夢を」
エーリッヒはシュミットの腕を離した。顔は上げられることなく空っぽの挨拶だけがシュミットを送り出した。
いい夢なんて見られるはずもない。
こういう夜ほど永くて暗い。
シュミットは眠れないことを理解していた。だから、眠ろうという余計な努力をする気にはならなかった。苛々した感情を持て余しながら、ギムナジウムの課題を抱えて部屋を出る。EWの専用寄宿舎にある資料室のカギは暗証番号式なので、それを知っている者ならいつでも利用可能だった。適当な資料を見繕い、シュミットは談話室に入った。テーブルの上に課題を積み上げて、暖房を入れる。ソファに座って資料を追い始めると、程なく他のことを忘れることができた。
どれくらいの時間が経った頃か、談話室のドアが開く、微かな音がシュミットの意識を現実に引き戻した。ふわりと鼻をくすぐるのは甘いココアの匂い。
シュミットは顔を上げなかった。誰が来たか判っているのならば、あえて確認する必要もない。
エーリッヒは黙ってシュミットの前にココアとパンプキンクッキーを並べる。そうして黙ってシュミットの隣に座る。そこがエーリッヒの当然の位置であるから。
シュミットはふ、と息をついてココアを口に運び、ソファの背もたれにゆっくりと身を沈めた。
何の前置きもなく、エーリッヒは突然、黙ってシュミットの肩を抱き寄せる。
シュミットは何の抵抗もなく身を寄せ、そのまま頭をエーリッヒの肩にもたせかけた。
二人とも、視線は不自然にまっすぐに固定されたまま。
気まずくなるはずもない沈黙がその場を数分間も占めた後に。
「……何をしているんだエーリッヒ?」
「……こちらの台詞ですね。……貴方の真似ですが?」
「……私もだ」
エーリッヒが抱き寄せる腕に力を込めると、シュミットは深く息を吐いて目を閉じる。
肩に回された腕や、乗せられた頭の重みが心地良い。
妙に安定してしまった体勢を変えることすらできず、二人は視線を合わせない。
微かな違和を抱えたままに。
「……貴方が何を望んでいるのか、判らなくなってしまいました」
「……私もだ」
同じものを見ているのだと思っていた。
同じものを望んでいるのだと思っていた。
おそらくそれは間違ってはいない。
だけれど絶対正しくもない。
二人はどこまでいっても二人のままで、どこまでいっても違う生き物だから。
「……シュミット。貴方のことが好きです」
「……ああ、私もだよ」
目線を交わさぬまま口元に笑みを浮かべる。
二人ともすでに気付いている。ソファに並んで座ったときから。
相手はもう怒ったりしていない。
ただ、すこしの戸惑いから距離を測って教えている。
甘えられる嬉しさや、言葉の不必要さや。抱き寄せられる心地よさや、拒絶できない優しさを。
気持ちをすべて言語化できるほど、彼らは器用ではないから。
「……シュミット。もうすこしだけ、このままの関係でいてはいけませんか…?」
「……お前がそう望むなら、私は応えてみせるよ」
ありがとうございます、と言うエーリッヒに、シュミットは笑顔のままで謝るな、と答える。
ならばとエーリッヒはシュミットの唇にキスをした。
ようやく顔を見合わせて、二人は同時に相手を抱いた。
「……人を好きになるというのは難しいですね」
「……そうだな」
それでも、一年で一番長い夜を、一番愛しい貴方の傍で過ごしたい。
<2004.12.21>
世の中広しと言えど、冬至をネタにするHPが一体いくつあるというのか。
でもアレですよ、「一年で一番長い夜だからお前と一緒に過ごしたいんだ!!」って口説き文句はクリスマスとか何とかよりも破壊力があるとは思いませんか。
まぁこういうわけでうちの二人の初夜(!)はもうすこし先のお話。
モドル
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