![]() |
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
Das Vorurteil 窓から吹き込む風で、 ふと目を醒ました。 エーリッヒはそっと重い頭を持ち上げ、 自分が今まで何をしていたかを思い出そうとした。 窓辺に揺れるカーテンの向こうの空はすでに赤い。 バラけて視界をジャマする前髪をかき上げようと腕を動かすと、 その肘がこつんと何かにぶつかった。 目線をその物体にやると、それは読みかけの文庫本だと判った。 文庫本の傍に落ちているしおりを見てやっと、 エーリッヒはことの次第を思い出した。 つまり、自分がベッドに横になって本を読んでいる最中に 眠ってしまったのだということを。 体の上にある柔らかいブランケットと開いた窓をもう一度見つめて、 エーリッヒは幸せそうな笑顔を浮かべた。 体を起こし、文庫本を拾う。 ぱらぱらとページをくって自分が読み進めた場所を見つけ、 その場所にそっとしおりを挟むと、エーリッヒは本を机の上に置いて自室を出た。 律儀な3回のノックに開いている、と答えれば、 思ったとおりシュミットはエーリッヒの顔を見ることができた。 おはよう、と声をかけたのは軽い嫌味だろう。 エーリッヒはそれにおはようございます、と返し、 用意してきたコーヒーを、パソコンに向き直ったシュミットに手渡した。 「何かご用でしたか?」 「ああ、借りていた本を返そうかと思ってな」 机の上に乱雑に積み上げられた本の山の一番上から、 表紙に綺麗なイラストの入った文庫本を取り上げてエーリッヒに手渡す。 「それから?」 シュミットは優雅な仕草で口の傍まで運んだコーヒーカップを止めて、 口を開いた。 「今お前が読んでいる本。面白そうだな。読み終わったら貸せ」 「Ja、」 答えながらエーリッヒはシュミットの机まで歩いて、 積み上げられた本に手を伸ばす。 小難しいタイトルの革表紙の専門書、少し前に流行った文庫本、 金の箔の入ったビロード装丁の高級本、古めかしい薄汚れた古書。 時代も言語も本の種類にも、まったくといって統一性がない。 「あとは、今度からミルクを入れるな」 コーヒーの色を確かめて眉間に皺を寄せたシュミットに、 エーリッヒはにこりと綺麗な笑顔を向ける。 「ブラックは胃によくありませんから」 「節度を守れば問題ない。…最近お前、口煩くなってないか?」 「気のせいですよ。ところでシュミット。この本、まだ読むんですか?」 一冊の専門書をシュミットに見せる。 英語でタイトルの入ったそれを一目見て、シュミットはもう使わない、と言った。 図書館の返却期限が明日に迫っている本はそれ一冊だけではなかった。 ひとつひとつ貸し出し期限をチェックしていたエーリッヒは、 最終的に3冊の本をシュミットの眼前に並べて見せた。 「この中で、まだ使うものは?」 「…ふむ」 真ん中に置かれた革表紙の本を手に取り、 シュミットは流すようにページを捲った。 それからその本と残りの2冊を積み上げ、どれももう必要ないな、と言った。 エーリッヒはそうですか、と返事をして、その3冊を持ち上げた。 「なら、返して来ますね。僕にも丁度返さねばならない本がありますから」 「私も行こう」 待っていましたとばかり、シュミットはパソコンに打ち込んでいた文章に 保存をかけ、マニュアルどおりに電源を切った。 上着を着こんで素早く身支度をするシュミットに、 エーリッヒは呆れたような視線を向けた。 「…レポートはいいんですか? 確か、期日は明日だったと記憶しているんですけれど」 「もう終わった」 「……僕は「Vorur」なんて言葉、聞いたこともありませんが?」 明らかに書きかけだった、文の最後の単語を指摘する。 シュミットは肩を竦めた。 「人のレポートを盗むなよ」 「あいにく、僕は5日前に終わっています」 にべもなく答えたエーリッヒの肩に、シュミットは腕を回した。 本で手がふさがっていたエーリッヒはほんの少し、眉を動かす。 「エーリッヒ。私の実力をもってすれば、あんなレポートは2時間で仕上がる。 知っているだろう?」 「…ええ、そうですね。貴方が課題の提出で期日に遅れた姿など、 僕は見たことがない。…僕が知っている限りではね」 シュミットに離してもらいたいのか、エーリッヒは肩を動かしてみる。 だが、しっかりと肩を掴んだ手は、そう簡単には離れそうになかった。 「エーリッヒ。お前の瞳に誓って言うが、 私はお前の知らない課題であっても、一本でも期日に遅れたものはないよ」 …とは言っても、私に課されたものでお前の知らないものなんてあったかな、 とシュミットはおどけた風に言った。 なかったかもしれませんね、とエーリッヒはあくまで気のない返事をした。 …機嫌がよくないな。 シュミットはそっとエーリッヒの肩から手を外した。 エーリッヒの不機嫌の原因が、おそらく自分の才能にあるのだろうと いうことをシュミットは理解できた。 エーリッヒはシュミットよりも多少要領が悪い。 だから、彼は…ときどきシュミットが羨ましくなるのだ。 シュミットは十分にそれを理解していた。 「エーリッヒ。図書館から帰ってきたら、改めてお茶にしないか。 家からお前宛にハッチェスのチョコが今朝ほど届いたんだ」 「…貴方宛に、ではなくて?」 「お前宛だよ。うちの連中はこぞってお前を気に入っているからな」 シュミットは苦笑しながら言葉を継いだ。 礼節を弁えていて歳以上に大人びたエーリッヒは、 確かに大人連には気に入られやすい性質を持っていた。 シュミットもそんなふうに仮面を被ることは得意だったが、 大人だけでなく、エーリッヒは人に好かれることが多い。 シュミットはそれを羨ましいとは思わないが、ただ、 ときどき誰にでも好かれる彼が憎くてたまらなくなるときはあった。 「…いいですね」 木の葉の形をした、ハッチェス社製のチョコレートは エーリッヒの好きなお菓子の一つだ。 シュミットにご機嫌を伺われていることを承知で、 エーリッヒはにこりと笑顔を浮かべた。 食べ物で釣られるのも情けない話だが、 自分が八つ当たりで彼に冷たく当たっていることを判っているだけに、 エーリッヒは喧嘩とも言えないこの些細な感情の行き違いを 元に戻す機会を失いたくはなかった。 エーリッヒの笑顔に許されたことを悟ると、シュミットは行こう、と先に立って ドアを開けた。 廊下から部屋の中に吹き込む風は冷たさを帯びていたが、 二人には対して気にならない。 いつでも隣にいるパートナーが、互いに横風を防いでくれるのを知っている。 ひとりで自由に過ごす時間も楽しいものだが、一緒に過ごすこの短い時間ほど、 一日の内でかけがえのないものはない。 軽い牽制や口論のひとつふたつでさえ、だからこそこんなに愛しい。 どの行動も、相手をもっともっと深くまで知る為には欠かせない。 そうやって掴む間もないほどの速さで鮮やかに過ぎ去っていく毎日に、 色鮮やかな金糸銀糸の思い出を織り込んでいく。 けして同じ色の日が訪れることはないのだから。 「シュミット。一冊持ってください」 「断る」 <了> 食事後のブラックコーヒーは胃酸の分泌を活発にしてくれるのでいいそうです。 あと、寝起きにはミルクとお砂糖を入れたコーヒーが すっきり目覚めるのによいらしいです。ただし、ブラックばかりがぶがぶ 呑むのは胃に悪いのでお気をつけて。そんなときはミルクを入れましょう。 ミルクは胃に膜をつくってくれるのでコーヒーに入れるとよろしいそうで。 以上、コーヒーの飲めない女、SOSのコーヒー豆(笑)知識でした☆ (役に立つ知識はトリビアではありません) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |