理解以前の拒絶(5)




 テストが返ってくると、周りは雑多なノイズで一杯になる。
 悲観に暮れる者、歓喜に打ち震える者、さっさと忘れて夏休みに思いをはせる者など…。
 今日の最後の授業が終わって、全てのテストは返還された。ここの生徒たちは、この儀式を終えて
やっと、本当の開放感を味わっていた。

 …はずなのだが。

 第12学年の一教室の、後ろの方の隅っこは、妙な雰囲気に包まれていた。
 そこだけ妙に、暗いのだ。
 その原因は、この学校一の秀才と言われている美少年、シュミット・ファンデルハウゼン・フォン・シューマッハだった。
 …いや、彼は別に暗くない。むしろその存在は輝いてすらいる。ただ、彼の態度が、場の空気を盛り下げているのは
一目瞭然だ。

「…オモシロクない結果。」

 ぼやいたのは、早々に遊びに来ていたミハエルだった。

「そうか?」

 それに反論するのは、さっきから顔が弛みっぱなしのラルフ。
 これを見ただけでも、今回の勝負の結果は一目瞭然だ。
 三人のテストの結果をじっと見比べていたエーリッヒが、微かに溜め息をついて、苦笑を顔に浮かべた。

「…結局、僕の一人負けですね」

 ラルフは、一部のテストの点ではエーリッヒに及ばないものの、合計点ではきっちり稼いでいたし、シュミットにいたっては、
公約通り、一つの教科すら他の追随を許さぬ点を叩き出していた。
 エーリッヒの言葉を聞いて、シュミットはさっさと答案をしまい、帰り支度に掛かった。
 そうして、一言の言葉すら誰にもかけずに教室を出ていく。ラルフの、アウフヴィーダーツェンの言葉すら、無視して。

「…気にしない方が良いよ」

 ミハエルが、エーリッヒに言った。
 エーリッヒがひどく悔しそうな、悲しそうな顔をして、シュミットの背を見送っていたからだ。

「今回、シュミットきっちり勉強してたしね。僕、シュミットがあんなに勉強してるの見たの、初めてだよ」

 シュミットと同室であるミハエルは、彼が今回のテストに本気で臨んでいたことを知っていた。遅くまで勉強を
していたシュミットを、ミハエルは何度か目撃している。
 あんな風に勉強しなくとも、シュミットには学力があった。この学校で、学年一位をキープできるだけの力が。その彼に、
あれだけの努力をさせる存在がいるのだと、ミハエルはエーリッヒに、驚きと、多少の羨望を持ったのだった。

「…そんなに、あの人は僕と友達になるのが嫌なんでしょうか」

 エーリッヒは苦笑した。泣きそうな笑顔を見せるエーリッヒに、ラルフは、そうじゃないと思う、と言った。

「あいつの点数見たけど、英語とドイツ語以外の点数は確実にこの前より下がってる。エーリッヒに負けたくなかったのは
確かだと思うよ。でもそれは、多分お前と友達になるのが嫌なんじゃなくて……、たとえどんな教科であったとしても、
負けっ放しなのは、あいつのプライドが許さないからだろ。悪く考えない方が良いぜ?」
「……それは僕が、あの人とは違う民族の血を引いているから?」

 揺れた瞳が、凄く頼りなさげで。
 他人に拒絶される、それを恐れていることを、その場にいた二人にはっきりと示していた。

「済みません、愚痴ってしまいました」

 二人の表情に気付いて、エーリッヒは慌てて人当たりのいい笑顔を浮かべた。
 気にしないで下さい、と言いながら、エーリッヒも帰り支度を始める。
 どうみても無理をしているエーリッヒの笑顔を見て、先に動いたのはミハエルだった。

「僕、先に帰るねっ!」

 ぴょんと方向を転換し、教室のドアに向かって走り出す。
 ドアのところで、ミハエルはクルリと振り返って。

「許してあげてね。ああ見えてもシュミットって、不器用だからさ」

 エーリッヒに向かって、可愛らしくウインクしてみせると、身軽に走っていってしまった。
 その背をぼんやりと見送っているエーリッヒの肩を、ラルフはポンと叩いた。

「昼飯一緒に食って、帰ろうぜ」
「あ、…はい」






 カーテンの閉まったままの部屋の中で、シュミットは苦い顔をしてベッドに突っ伏していた。
 英語でもドイツ語でも、今までの最高得点を叩き出していたし、他の点数だってそうそう落ちたわけでもない。
それに何より、例の賭に勝ったのに。
 それなのに、一向に良い気分にはなれなかった。
 むしろ、苛々するほど滅入っている。
 何故こうまで嫌な気分になるのか、シュミットは自分で解らなかった。 
 ただ、悲しそうに苦笑する異民の少年の顔が思い出されるだけで……。


「…くそっ…!」


 ぼふ。
 シュミットは苛々する気持ちに任せて、枕に拳を叩きつけた。
 気を晴らす為の気分転換など、何も思いつかない。
 だから、ただ乱暴に自分を抑え込むことしかできない。
 そんなことをすれば、苛々はもっと、もっと大きくなると知ってはいたけれど。


「どうして賭に勝ったくせに、荒れてるワケ?」

 いつの間に部屋に入ってきたのだろう。
 シュミットは驚いて顔を上げた。
 ドアのところで、長い金髪が揺れている。
 声を発した本人も、気分は晴天でも晴れでもないらしい。
 しかめられた顔が、眉間による皺が、それを雄弁に物語っていた。
 …もっとも、シュミットとて、似たようなものだったが。
 シュミットはふいと、顔を逸らした。

「……エーリッヒ、泣いてた」

 ミハエルの言葉に、シュミットの肩がびくりと大きく揺れた。
 探るように向けられた深い青の双眸にハッキリと解るように、ミハエルは酷薄な笑みを浮かべる。

「…って言ったら、どうする?」
「…ミハエル」

 悪趣味な嘘に、その態度に、シュミットの苛々の矛先が向いた。

「何が言いたい?」 
「何が言いたいんだと思う?」

 シュミットに比べて、ミハエルには余裕があるように見えた。
 先に、動揺を示してしまったのはシュミットの方だったから。

「…ねぇ、シュミット。僕がエーリッヒのこと、気に入ってるのは知ってるよね?」
「……ああ」

 視線を逸らしたまま答えれば、ミハエルの足音がシュミットに近づいてきた。

「…………気に入ってるんだ、僕。だから…」

 ベッドサイドまで歩いてきたミハエルは、剣呑な瞳でシュミットを睨み下ろした。

「彼を泣かせるような真似したら、いくら君でも許さないよ」
「………」

 シュミットも、ミハエルの青い瞳を睨み付けていた。

「…私がわざとでも負けていた方が良かったとでも言うのか?」

 シュミットの声は低い。
 充分に溜まっていた苛々が、今にも爆発しそうだった。
 ミハエルは首を横に振る。
 そして、じっとシュミットの瞳を覗き込んだ。

「君は、何にそんなに怯えているの?」
「…ッ!?」

 ガづっ。

「いっっ…たぁーい…」
「…………」 

 勢いよく起きあがろうとした瞬間、思いきりミハエルに頭突きをかましてしまい、シュミットは再びベッドに倒れた。
 涙で滲む視界の中で、クリーム色のカーテンが揺れていた。
 医務室のそれより、一段濃い色合いのカーテン。
 その向こうに広がる空は、今日は何色をしていただろう。

「……私は、」


 独白。


「染められるのが、恐い。今まで見てきた世界、信じてきたもの、生きてきた環境が覆されるのが恐かった。だが、
今は………私の鋼鉄の外殻を簡単に突き破ってくる、あいつが一番恐いんだ…!」 

 あの時。
 医務室で睨み付けられたとき。
 教室で笑いかけられたとき。
 天と地がひっくり返るかのような衝撃を受けた。

 聞いていたミハエルは、さらりと長めの前髪をかき上げた。
 そして、呆れたように溜め息をつく。

「ばーか」

 ミハエルは窓の方へと歩み寄った。
 シュミットはそれを目で追う。

「そんなつまんない人生で良いんだ。ふぅん。…まぁいいけどさ。護って、護って、自分を守り抜いていけばいいよ。
先入観と古習のなかで、育っていけばいい。でも、」

 ミハエルがカーテンを開ける。
 穏やかで優しい空の色が、シュミットの青い瞳に映り込む。


「本当は君が気付いていることが一番正しいんだよ」


 シュミットの目が見開かれる。
 ブルーグレイの瞳が見えた。









「もっとちゃんと喰えよ、エーリッヒ」

 軽く昼食を済ませようとするエーリッヒを、ラルフは見咎める。
 エーリッヒは苦笑して、お腹が空いていませんから、と答える。

「確かに、ここじゃあんまり良いもんは喰えないけどさ。昼飯喰わないでいつ喰うっていうんだよ。そんで、どうせ
お前夕飯まで何も喰わないんだろ? 悪くすりゃ夕飯も喰わないとか?」

 ファーストフード店のテーブルに自分とエーリッヒの分のトレイを置いて、ラルフは突然エーリッヒを抱き締めた。

「なっ…! ちょ、ラルフ…?!」

 人前ということも手伝って、エーリッヒの顔が羞恥で赤く染まる。
 ラルフはそれに頓着せず、エーリッヒの腰に回した腕に力を込める。

「だからこんなに細いんだよ、お前」
「わ、判った、判りましたからっ…!!」

 エーリッヒは必死にもがいてラルフの腕の中から抜け出す。
 ちょっと惜しそうな顔をして、でもそれ以上エーリッヒを慌てさせるのも可哀想なので腕を放す。
 すとん、と窓際の席に着いたエーリッヒの頬が赤くなっているのを目ざとく見つけて、ラルフはくすくす笑った。
 向かいの席に着きながら、冗談半分のからかい口調で喋りかける。

「エーリッヒって初だな。可愛いv」

 幸せそうな顔をして言うクラスメイトの顔を睨み付けた。
 ラルフは一瞬その顔に魅入って、ぽつりと漏らした。

「…俺、誘われてる?」
「はっ…?!」

 予想外のところから声を出したエーリッヒの頬に手を添えて、自分の方を向かせる。

「…美人に潤んだ目で見つめられたら、俺弱いんだけど」
「見つめてません! 睨んでるんですっ!!!」

 ラルフの手を払いのけて、エーリッヒは叫ぶ。
 それからはっとして、慌てて声のボリュームを下げた。この場にミハエルがいたら、いつかのシュミットそっくりの
その行動を見て、微笑んだに違いない。
 ラルフは口元をゆるめていたが、その瞳には慈愛に似たものがあった。
 エーリッヒが、ふとそれに気付く。

「…良かった、エーリッヒが元気になって」
「え…?」

 ラルフはここに来て、照れたように笑った。

「お前、落ち込んでただろ? だから、なんとか元気付けてやりたくてさ」
「ラルフ…」
「美人には笑っててほしいんだよね、俺」

 エーリッヒの顔に、優しい微笑みが戻ってくる。
 柄にもなく、それにドキリとしてしまったラルフは慌ててエーリッヒから目を逸らした。

「さ、さっさと喰って帰ろうぜ!」
「はい」


 …本気で、落ちてしまいそうになる。
 捕らえられてしまいそうになる。
 自分達とは違う青の瞳。










 二人でたわいもない話をしながら寮に帰り着く。
 時刻は、もっとも暖かく…、暑くなる頃だった。
 エーリッヒの瞳が、寮の門に何かを見つける。足が止まる。
 ラルフは躰を硬直させたエーリッヒに気付いてその視線を追い、その先に金の髪を認めた。
 意志の強い青の瞳。
 その、深い深い青が、二人を睥睨していた。
 いや。
 エーリッヒを。
 エーリッヒはその視線の強さに、ふいと顔を伏せてしまう。
 ラルフはエーリッヒを庇うように、気さくにシュミットに話しかけた。

「よぉ、どうしたんだよシュミット。誰かを待ってるのか?」
「…ああ」

 シュミットは門柱にもたれかかっていた体をゆっくりと起こす。
 視線は、銀髪の少年に固定されたままだ。
 シュミットが近づいてくる気配を察したのか、エーリッヒはクルリと踵を返した。
 彼の前から逃げるのは癪だったけれど、今はシュミットと顔を合わせたくなかったから。

「待て」 

 声が運動神経を麻痺させる。
 動けなくなる。

「…なん、ですか…?」

 声が震えないようにひどく気を使いながら返事をする。

「賭に勝ったのに、私には何もないのはフェアじゃないと思ってな」
「おいシュミット…!」

 シュミットが何を言い出すのか不安になって、ラルフはシュミットを止めようとする。
 もしも、“二度と近づくな”と言うようなことを言われたら、エーリッヒがひどく傷つく。そんなのは見たくなかった。
 それに、シュミットが他民族をこれ以上差別的な目で見ることを、どうしても止めさせたい。
 だが、ラルフの声を無視して、シュミットは言葉を続けた。

「お前の条件は呑んでいたのだから、私の言うことも聞いて貰おうか」
「……僕に、何を望むって言うんですか…?」

 背中を向けたまま、エーリッヒは言葉を返してくる。
 シュミットはゆっくりとその背に近づいて、肩に手を掛けた。
 びく、と震えるエーリッヒの耳に、シュミットは早口で囁いた。


「…友達になれ」


 ……………………………
 ……………………………
 ……………………………
 ……………………………
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 …………………………、

「は…?」

 エーリッヒが振り向くと、整った顔立ちの少年は横に視線を逸らしていた。
 しかし、その頬や耳まで、隠しようもなく赤くなっている。
 エーリッヒはそれが可笑しくて、また愛しくて、つい吹き出してしまった。

「わ、笑うな!」

 それは、シュミットにとっては最高の譲歩で、最高に勇気を必要とすることだった。
 今の自分の醜態を、格好悪さを理解しているシュミットは、自分の前髪をくしゃりとかき混ぜた。
 苦々しい表情の彼に、エーリッヒは微笑んだまま返事を返した。


「はい。…これからもよろしくお願いします、シュミット」

                                                             →続く?


 質問。もうちょっと続けても許されますか。
 レーイさぁぁーん!!!!!(をい)

 エーリッヒめちゃくちゃ人惹き付けてますけど。
 彼は美人だからOKすよ!!(いっぺん死んでこい)



モドル