理解以前の拒絶(7)




「いっしょにオクトーバフェストへいきませんか?」

 そう、無邪気に尋ねられて、人混みを嫌うシュミットは眉を寄せた。
 嬉しそうに笑顔を見せる友達の、淡い青の瞳には、期待が満ち溢れていて―――。
 その顔を曇らせる事のほうが、人混みの中に突っ込むよりも何倍も気に喰わないと思った。


 オクトーバフェストはこの国最大、いや、この世界最大の民族祭りだ。2週間の開催期間の間に
約100万人の人がこの祭りを楽しむために世界中から集まってくる。

「ひゅー、さすがに人が多いな」

 額に手をかざし、その辺りを見回したラルフが、感動したように言った。

「まぁ、この祭りだしね」

 ミハエルは、特に動じた様子もない。
 そんな対称的な二人を見、楽しそうに笑って、エーリッヒは外方を向いているシュミットに行きましょうと言った。
 人混みを掻き分けながら、会場の中に幾つか建っているテントヘ足を運んでみたり、この2週間の為だけに、
忽然と姿を現わしたアトラクション達に乗ってみたり。四人は(主にラルフが、だが)楽しんでいた。
 …そんな中で。

「…楽しくないですか?」

 仏頂面を隠そうともせず、最後尾を歩くシュミットを振り返り、エーリッヒはそう尋ねた。

「別に…」

 彼にしては珍しい、歯切れの悪い返事と遅い足取り。
 エーリッヒは、ミハエル達から少し離れてしまったシュミットを待つために足を止めた。

「でも、楽しいわけじゃないでしょう? ここに皺が寄ってますよ」

 エーリッヒは、とんとん、と指先で己の眉間をつついた。そういう自覚があっただけに、シュミットは無言を保つ。

「折角だから、楽しみませんか?それとも、ここにはたくさん僕のような人がいるからお嫌いですか」
「違う」

 民族をシュミットと異とすることを「僕のような人」と表した事を即座に理解したシュミットは、はっきりと否定の言葉を紡いだ。

「なら、…何が不満なんですか」
「…人混みが嫌いなだけだ」

 視線を逸らし、呟いたシュミットに、エーリッヒは首を傾げた。

「なら、どうして…」

 そう、どうして来てしまったのか。
 誘いに乗った瞬間のことを思い出せば、彼が笑っていて―――。
 シュミットは自らの不可解な行動から目を逸らすように視線を上げた。

「…ん?」

 そうして、些細な事に気が付いた。

「どうしたんですか?」
「…居ないぞ、あいつら」
「ええ!?」

 エーリッヒは慌てて振り向いた。
 シュミットの言う通り、そこに遠目にも目立つはずの金の髪の二人を見付けることは出来なかった。
 周りは人、人、人だ。そんな中で立ち止まっていた方が、間抜けだと言える。
 エーリッヒはぐるりと四方を見渡して、どうしましょう、とシュミットに尋ねた。
 シュミットは人混みの方を眺めていた。その視線に、何処か馬鹿にしたような色が含まれていた事は否めない。

「おそらく彼らも私たちが居なくなったことに気付いているだろう。無闇に動き回るより、此処で待っていた方が利口だ」

 言って、銀髪の少年のいる方に視線を戻した。
 しかし、その空間には、シュミットの友達は既に居なかった。ただ、人が忙しなく流れていくばかりで。

「エーリッヒ?!」

 慌てて名を呼ぶ。

「し、シュミット…」

 ひょこりと人混みの中から顔を除かせたエーリッヒは、済みませんを繰り返しながら人混みを掻き分けてシュミットの
方へと歩み寄ってくる。

「突然何処へ行ったのかと思ったぞ」

 シュミットの呆れたような声音に、エーリッヒは済みませんと口を開く。

「人波に巻き込まれて、流されました…って、わ…!」
「馬鹿…!」

 言っている傍からまた人に押し流されそうになったエーリッヒの手を、シュミットはとっさに掴んでいた。
 そのままエーリッヒを抱き寄せ、人の流れが一段落するのを待つ。
 何処かのテントで催し物が終わった事で出来た人波は、やがておさまった。

「…だから人混みは嫌いなんだ」


 人間は、群れないと何も出来ないくせに、群れると途端に強気になって、他のもののことを顧みなくなるから。
 他の、弱いもののことを顧みないから。
 ちょっと、自分のほうが強いと思って。


 ふと、自嘲の笑みを浮かべ、シュミットは両手に力を込めた。
 相手のことを気遣えずに、傷つける。
 それは――。

「い、痛いです、シュミット!」

 シュミットの爪が肩に食い込む痛みで、エーリッヒが悲鳴を上げる。

「あ、あぁ…、すまない」

 その声で、自分がエーリッヒを抱いていた事を思い出したシュミットは、力を抜いて彼を解放した。
 自由を取り戻したエーリッヒは、肩を擦りながらじっと青い瞳を見つめた。平静から何を考えているのかを
察することは難しいが、今はそれが顕著なような気がした。
 青い瞳の中で、何が起こっているのか。彼のそれより淡い、春の空色は、彼の奇行の正体を暴こうとしていた。
 そうしてふと、彼の少年が消え行きそうなイメージを受けた。
 プライドが高く、強い印象のある人だから尚更に、裏返しのもろさが目に付くとき、際立つのかも知れない。
 気が付けば、エーリッヒはシュミットの白い手を握っていた。

「…何のつもりだ」

 顔をしかめたシュミットに、穏やかに微笑んで、

「またはぐれるといけないので」

 その手に、力を込めた。
 けして相手を傷つけない、優しい力を。
 あたたかい。
 精神の緊張を解きほぐされたような気分でエーリッヒを見ると、視線を感じたのか、彼がシュミットの方を見て笑った。
 シュミットも微かに笑いかえす。
 自然なその笑みは柔らかく美しく、エーリッヒは一瞬間、その笑顔に魅入られて動けなくなった。

「あ、居た!!」

 そんな、聞き覚えのある声が聞こえた次の瞬間、エーリッヒは後ろから追突されたような衝撃を受けた。
 背後から伸びた二本の腕が、エーリッヒを束縛している。

「み、ミハエル…!」

 緩く首を巡らす事で目に飛び込んできた長いハニーブロンドは、第11学年に上がったばかりの少年のものに
違いない。先ほど聞こえた声も、彼のものだった。

「おいおいミハエル。あんまり俺のエーリッヒにくっつくなよ」

 ミハエルの後から、ゆっくり歩いてやって来たラルフが、見咎めるように声をかけた。

「誰が君のものだって?」
「エーリッヒが」
「本気で言ってるの?」
「俺はいつだって本気だぞ?」

 二人の顔には笑みさえ浮かんでいたが、当事者であるエーリッヒにして見れば、逃げ出したいような殺気が、
双方には満ち溢れていた。
 会話の内容より、その雰囲気に気を取られているらしいエーリッヒに、シュミットは何故だか可笑しくなった。
 そして、彼を困らせるもの達から解放してやりたいという気持ちに駆られる。

「行くぞ」

 繋いだ手で、半ば引っぱるように歩きだす。

「あ゛っ!!シュミット!何エーリッヒと手繋いでんだよ!!」

 ミハエルに気を取られていて、今その事実に気付いたラルフが、シュミットとエーリッヒの間に割り込もうとする。

「私が何をしようと、お前には関係ないだろう」

 ラルフの体を器用に避けて、シュミットは言い切る。

「普段ならそーかも知れないけど、エーリッヒが絡めば話は別だっ!」
「それには賛成だね」

 エーリッヒの片腕を取って、ミハエルはエーリッヒに甘えるように擦り寄る。
 こういう行動にエーリッヒが弱いと知っていての事だ。

「ねぇ、エーリッヒ、ふたりっきりで観覧車乗ろ?」

 上目遣いにねだる。

「ちょっと待て、ミハエル!それは俺の台詞だっ」

 エーリッヒに後ろから抱きついて、ラルフは言った。
 双方の言い分を聞いていたエーリッヒが、にこりと笑った。

「それなら、皆で乗ったらいいんじゃないですか?」

 その言葉に、ミハエルもラルフも、シュミットも動きを止めた。

「…エーリッヒ…」

 全身から力が抜けたせいで、ずるずるとへたり込んだラルフが、最後の力を振り絞ったような声を上げる。

 …どうしてこいつ、こんなに鈍いんだ…?

 二人の間にいつもいるくせに、二人が何を期待しているかについては、全く理解していないらしい。

「くっ」

 おかしさを堪えきれなくなったシュミットが、微かに声を漏らした。
 それに驚いて、エーリッヒがシュミットの方を向いた。
 シュミットは何処か嬉しそうに笑い――

「私と乗ろう」

 未だ復活できずに居た二人を尻目に、人込みの中を駆け出した。

「「あ! シュミット!!」」

 二人の声が、ほぼ同時に追ってきたが、シュミットは足を止めなかった。
 引きずられるように付いてきていたエーリッヒが、後を気にしている事にも気付いていたが、敢えて無視した。
 この後の彼の台詞など予想できるのだから…。

「シュミット」

 ほら、来た。
 歩速を緩める。

「折角だから、皆で乗りませんか?」

 しっかりと繋がれた手を振り払うこともしないで。
 静かな湖面の如くに。
 シュミットは、完全に歩みを止めた。

「そうだな」

 後ろを振りかえれば、やっと追い付いてきたミハエルとラルフが、何か文句を言いたげにシュミットを睨んでいる。


 追い付いてくる。
 一人じゃない。


 文句はおいおい聴こうと、シュミットはまた歩き始めた。
 口元に微笑を浮かべて。

                                                      →続く。


 オクトーバフェストは9月の終わりの週から10月頭の週まで。
 2ヶ月近くずれてしまった…(泣)。



モドル