理解以前の拒絶(9)


「エーリッヒ! エーリッヒいる??!」

 突然13学年の教室に飛び込んできたのは、長い金髪の少年だった。

「…エーリッヒなら、ついさっき出て行ったけど…?」

 次の時間には、フランス語の小テストがある。エーリッヒと同じクラスのシュテファンは、
ミハエルを一瞥しただけで再び教科書に視線を戻した。

「どこ行ったか判らない?」
「いや…、ちょっとわからないな」
「ああもう、役に立たないなぁ!」

 言い残して、ミハエルはまた教室を飛び出し、ばたばたと廊下を走っていった。

「…役に立たないって…」

 彼(とラルフ)に部屋を追い出されたことまであるシュテファンは、自分の存在を今こそ
問い直してみるべきかもしれないと…思ったとか。





 冷たい風が、銀の髪をなぜっていく。
 舞い落ちる木の葉が、なぜだか彼にはひどく似合うとシュミットは思った。

「すみません、突然…」
「そう思っているのなら、さっさと用件を言え」

 3時間目、同じ授業を受けていたエーリッヒから、相談があると言われた。
授業が終わってから、シュミットはエーリッヒについて講堂の裏手に案内されていた。
 地面に積もった落ち葉が、かさりかさりと音を立てる。
 エーリッヒは逡巡するように視線を伏せ、そのまま小さな声で呟いた。

「……ラルフに、告白されました」

 ぴくりと、シュミットの体が震えた。寒さのせいではなかった。

「好きだと、愛していると言われて…、付き合ってくれと、言われて…でも、僕には
よく判らなくて…どうしていいか、判らなくて…」

 落ち葉を踏む音がした。
 エーリッヒが目線をあげると、シュミットは構内に植わっているメタセコイアの一本に寄りかかり、
彼を睨めつけていた。

「私には、口を差し挟む場所のない相談に聞こえるが?」

 両腕を組み、エーリッヒを睨むことで、シュミットは胸の中の黒くて思い塊を押さえ込もうとしていた。

「お前の自由だろう。ラルフのことが嫌いなら、そう言えば良い。…好き、ならば、問題はないだろう」
「…それが、…判らなくて。僕はラルフのことをどう思っているのか…どうするのが正しいのか…」

 心底困ったように言葉を選ぶ、エーリッヒにイライラがこみ上げてくる。
 断ってしまえという叫びを、シュミットは唾を飲み込む事で同時に嚥下した。

「…どうして、それを私に相談する」

 声が刺々しくなるのを自覚しながら、シュミットは尋ねた。
 半分ほど葉を落としたメタセコイアは、尖塔のような樹影を立ち並ばせていた。

「それは…、……貴方なら、あるかと思って…」
「…何をだ」
「その、……男性に告白されたことが」

 シュミットはあと少しで、落ち葉で滑って後頭部を生きた化石の幹にぶつけるところだった。
 じとり、とエーリッヒを睨んで、ふざけるな、と呪詛のような声を出す。

「お前は、私をどんな風に見てたんだ…?」
「え、ないんですか?!!?」
「あるわけないだろう!!!」

 あからさまに以外、という反応をするエーリッヒに、シュミットはつい我を忘れて叫んでいた。
 エーリッヒはシュミッと本人に聞いてもいまいち信じられないらしく、まじまじとシュミットを見つめる。
 男にしては綺麗な、整いすぎた容姿、さらさらの金髪に縁取られた白い肌。サファイアのような澄んだ瞳。
綺麗な子を描く柳眉と、通った鼻筋。優雅な物腰と、それに相反せずますます彼を引き立たせる不遜な態度。
いつだって見とれてしまうほどに、その存在は鮮やかだ。

「本当に、ないんですか?」
「くどいな、お前…」
「…信じられないんです」

 真っ直ぐに自分を見つめてくる視線に耐えられなくなって、シュミットは目線を逸らした。

「信じる信じないは勝手だが、とにかく、私にはそういう経験はない。だからお前の相談に乗ることもできない。
話はそれだけか? なら、私は戻らせてもらうぞ」
「あ、ま、待ってください!」

 くるりと背を向けたシュミットに、エーリッヒは追いすがった。
 目線だけでなんだ、と問うてくるシュミットに、エーリッヒは、いえ…と言葉を捜した。
 イライラが、ふつふつと胸の奥からせり上がる。

「…何と言えばいい?」
「え?」

 地面に向けていた視線を、エーリッヒは上げた。
 深い青の瞳が、剣呑な光を宿してエーリッヒを睨みつけていた。

「貴様は、私に何と言わせたいんだ?」



 何故こんなにイライラする?
 どうしてエーリッヒが憎らしくてたまらない?
 何が。
 どうして。



「…貴様は、何と言えば貴様は満足するんだ? ラルフは莫迦だがいい奴だから、付き合ってみろと?
それとも、誰にでも手を出すようないい加減な男だからやめておけと? ふざけるな! どうして私が、
貴様が他の男のものになる後押しをしなければならない?! ふざけるなっ!!!」

 感情のままに言葉をぶつける。
 エーリッヒは目を大きく見開いて、友人の変貌ぶりを見つめているしかできなかった。
 その、淡い青の瞳に戸惑いと恐怖を見て取って、シュミットは下唇を噛み締めた。


 あいつを、不幸にするような真似だけはしないから。


 電話越しの、ラルフの声が聞こえた。


 ──悪かったな、どうせ私には、こいつを傷つけるようなことしかできないさ…!!


 エーリッヒの腕を掴んで引き寄せ、体を反転させて彼の肩をメタセコイアの幹に押し付ける。

「痛…、あの、シュミット…?」
「黙れ、私の気持ちなど微塵も知らないくせに、貴様はッ…!!」

 自分が何をしたいのか、シュミットには判らなかった。
 だから、自分の本能にすべてを任せた。
 微かに開いていたエーリッヒの唇に、噛み付くようにキスをする。
 エーリッヒの目が見開かれた。
 あまりのことに抵抗を忘れているエーリッヒの口内に、舌を侵入させる。

「ぅ、んうッ…!」

 体内に他人が侵入してきたことでやっと我を取り戻し、エーリッヒはシュミットの体を引き剥がそうと
彼の両腕を掴んだ。
 だが、口腔内で執拗にエーリッヒの舌を追いかけ、絡めてくるシュミットに、力が上手く入らない。
 空気が上手く肺に入らない。
 エーリッヒの口の端から、透明な液体が零れた。


「ちょっと! なにやってるのさ!!!」

 聞きなじんだ、幼さを帯びた声が、エーリッヒからシュミットを引き離した。
 講堂の角を曲がって駆け寄ってくる長い金髪を見て、シュミットはエーリッヒから離れる。

「…謝罪する気はない」

 一言、エーリッヒの耳にそう残して、シュミットは早足にミハエルとは逆の方に去って行った。

「エーリッヒ、大丈夫?」

 そのすぐ後に駆けつけてきたミハエルは、心配げにエーリッヒに声をかける。
 口元を拭っているエーリッヒの行動が、さっきの光景をミハエルの見間違いではないと肯定している。
 いまさら、シュミットは自分の気持ちに気づいたのだろうか?

「心配ありません」

 ふ、とエーリッヒは自嘲的に笑った。

「僕が悪かったんです。あの人のプライドを傷つけるようなことを言ってしまったから…、シュミットは
自分が男だと、僕に思い知らせたかったんです」
「…それ、本気で言ってるの?」

 ミハエルの問いに、エーリッヒは小首を傾げて見せた。

「ええ。どうかしたんですか?」
「なんでもない」

 言って、ミハエルは背伸びをしてエーリッヒに抱きついた。
 ぎゅう、と腕に力を込めると、頭上から困惑した声でミハエルを呼ぶ声が降ってくる。
 ミハエルは、エーリッヒの肩に顔を埋めたまま上げなかった。

「…エーリッヒ。ラルフなんかと、付き合わないで」
「ミハエル…?」
「誰のものにもならないで。君は誰のものにもなっちゃいけない」

 エーリッヒは困惑していた。
 ラルフも、ミハエルも、シュミットも、みんなどこかおかしい。
 そのおかしさの原因がラルフの告白にあることも、エーリッヒはうすうす判っていた。だが、
どこまで鈍いのか、自分の立場を理解するまでには至っていない。
 エーリッヒはちらりと、シュミットが去った方を見た。
 視線をミハエルに戻す。

「…ミハエル。僕は貴方方から教わったことを大切にしたい。ラルフに対してはどう返事をしたら良いのか、
まだ判りませんけれど…、僕自身に、決めさせてはいただけませんか?」

 ふる、とミハエルは首を振り、エーリッヒの体に回した腕に力を込めた。
 エーリッヒは優しいが、残酷だ。なにも、誰の気持ちも、ちっとも判っていない。
 ゆっくりと顔を上げ、ミハエルはハワイアンブルーの瞳でエーリッヒを見つめた。

「…ラルフにどう返事するかは、確かにエーリッヒの自由だよ。でもね、…やっぱり、知っておいて欲しいんだ」

 エーリッヒのラルフを見る目が変わろうとしているのに、自分は元のままなんて耐えられない。


「僕も君のことが好きだって。ラルフと同じ意味で好きなんだって」


 エーリッヒの目が、驚きに見開かれた。
 肌寒い風が、落ち葉を巻いて吹き上げていく。
 エーリッヒは顔をうつむけ、首を横に振った。

「……ミハエル。どうして」
「好きだからだよ。…判らないよ、僕にだって。でも、エーリッヒが好き。大好き。傍にいると安心する。
エーリッヒの傍はあったかい。ずっといっしょにいたい。誰にも渡したくない」

 ただ真っ直ぐに見つめてくる視線は、純粋にただ澄んでいた。
 エーリッヒには、動くことができなかった。

「誰を選んでも、エーリッヒの選択だから何も言わないよ。エーリッヒが幸せになれるなら、何も言わないよ。
でも、ラルフのことばかり考えないで。僕もいるんだって覚えておいて」

 エーリッヒの唇が、また、どうして、という言葉を形作った。
 だが、その音が空気を振動させることはなかった。




 目を閉じて、一番最初に思い浮かぶ青い瞳の持ち主は。

                                        →続く


 告白してない人間が一番関係進めてるよ!!(どうするんだよ)
 え…本当に長期連載にしてしまって済みません…;;;
 予告を申しますと、次回でも終わりません…!!(最低)
 ただ、この小説を書くのは面白くて大好きなので、どうか心配なさらないでください、レイさん。
 こんなところで私信で済みません。


 モドル