理解以前の拒絶(2)




「今日、君達のクラスに転校生来たんだよねー?」

 一人で昼食を取ってから、寮の部屋に戻ったとたんに、質問を浴びせかけられた。
 無遠慮に金の長い髪を他人のベッドの上に広げ、澄んだ蒼い瞳でシュミットの方を見ながら、
2学年下の同室者は無邪気に尋ねてきた。
 本来ならば、同室者は同年齢の者の筈だが、入学時の人数の割合で、この二人は同じ部屋を
使わざるを得なくなっている。 
 同室の彼もまた、シュミットと同様に生粋のゲルマン民族であった。遠く昔の王族の血を引くという、
やはり貴族の一人息子だ。
 たとえ、人数調整という名目がなかったとしても、この二人は同じ部屋をあてがわれていたかもしれない。
この二人ほど、れっきとした血筋の家柄の者は、他にいないのだから。

「美人だって聞いたよ。ねぇ、どんな人?」

 …情報源はラルフだな。

 自分の机に向かって、明日の予習をしようとしていたシュミットはそう思い至って、溜め息をついた。

「ラルフに聞いたらいいだろう? ミハエル」

 ミハエル、と呼ばれた少年は、だって、とシュミットのベッドの上で飛び起きた。
 自分用のベッドが隣にあるというのに、なにゆえに他人のベッドを使うのか。

「ラルフが、シュミットに聞けって言ったもん」

 …あいつ…。

「ねぇ、どんな人?」

 大きな瞳をくりくりと動かして、ミハエルは楽しそうに尋ねた。

「知らないな」

 こうなったら知らぬ存ぜぬで通してやろうと、シュミットは通学鞄を机の上に置き、ノートや電子辞書を取りだした。

「……ん?」

 ふと、鞄の中を漁っていたその手が止まる。
 怪訝な声に興味をそそられて、ミハエルはシュミットのベッドから降りた。

「どうしたの?」

 シュミットのベッドから降りて、彼のそばに近づく。
 シュミットは、一冊のノートを手にしていた。
 ノートの表紙には、丁寧な文字で「Erich c. Ludendorf」。
 …クラスでは隣の席の、彼の持ち物である。

「………………」
「君のじゃないよね」

 ミハエルはひょいとシュミットの手からノートを取り上げると、ぱらぱらとページを捲ってみた。
 どのページも丁寧に、公式などが見やすいように書き込まれている。
 どうやら、数学のノートのようだった。

「君のクラス、明日、数学ある?」
「…ああ」

 たしか、2限目にあったその教科。
 そして、予習が必要な…。

「届けに行かなくちゃね? シュミット」

 青い瞳がシュミットの目を覗き込む。
 シュミットは、ふいと視線を逸らした。

「…ミハエル、」
「ヤだ」

 プライドの高いシュミットが、それを曲げて頼もうとしたことはしかし、口から発する前にすっぱり拒絶されてしまった。
 ミハエルには予想できていた。
 シュミットが、関わることや語ることを厭う転校生が、ゲルマンの民族ではないこと。
 さっき、シュミットが頼みたかったことは、ミハエルだけでこのノートを返しに行って欲しいと、そういうことだろう。
 だが、そんなのは御免だ。
 …楽しくないもんね。





「この、エーリッヒって人、部屋どこ?」
「…知らない」 

 ミハエルに促され、しぶしぶながら部屋から出たところで、シュミットは足を止めた。

「知らないの? じゃ、どうやって返しに行くのさ?」
「…………」
「もう、役に立たないんだから! エーリッヒの部屋を知っている人、誰かいないの?」

 …転校してきた直後の彼の部屋を、知っている人間…。

 シュミットはポケットから携帯を取りだし、思い当たった一人の携帯番号を、押した。
…気乗りはしなかったが。

『はーいはい。誰?』

 携帯の向こうから聞こえてきたのは、明るい声と、微かなロックだった。

「…私だ」
『ああ、シュミット。何、なんか用か?』
「………お前、エーリッヒの部屋を知っているか?」
『あ? 部屋? 何でそんなこと訊くんだよ、お前が??』

 大袈裟なラルフの驚きように、シュミットはチッと舌打ちをした。

 …だから、嫌だったんだ。

『明日、本人に聞けばいいじゃんか。何でわざわざ俺に?』
「明日では間に合わない」
『はァ? 何、お前、夜這いでもかけに行くの?』
「お前と一緒にするなっ!!!」

 つい、叫んでしまってから、シュミットは慌てて声のボリュームを下げた。
 ミハエルが、好奇の目でシュミットを見上げている。もっとも、そんな目を向けているのは彼だけではない。
廊下で携帯をかけながら、大声で叫ぶシュミットは、誰にとっても注目の的である。普段は静かで、
沈着冷静な彼ならなおのことだ。

「彼のノートを間違えて持って帰ってきてしまったから、返しに行くだけだ」
『ああ、なんだ』

 …なんだってなんだ。

 シュミットは思ったが、ここは堪えることにした。

「で、知っているのかいないのか?」
『知ってる』
「教えろ」
『…それが人にモノを請う態度かよ…。まぁ、良いけどさ、お前らしくて。えーとな、あいつ、ヨハンと同室』
「ヨハンというと、9学年の終わりに越してきたヨハン・ミュラーか?」
『あ? ああ、らしいな、俺知らないけど。転校生だってことしか』
「そういえば、お前はあの時まだ、一つ上の学年にいたものな」
『……切る』

 直後、ラルフの宣言通り、携帯はぷつりと切れた。
 シュミットは溜め息をつきつつ、女とのデートのためにテストをすっぽかした方が悪い癖に、と思ったりした。

「解ったの?」

 ノートを抱えたミハエルが、尋ねる。
 シュミットは頷くと、多少重い足を、目的の部屋に向けた。






「え? エーリッヒ? ちょっと前に、学校に戻ったよ。忘れ物をしたとかで」

 部屋からひょこりと顔を出した縮れた茶髪の少年は、ぼんやりした調子でそう答えた。

「…入れ違ったみたいだね」 

 ミハエルは、一歩下がったところに立っているシュミットに声をかけた。
 シュミットは不満そうに顔を歪ませている。

「どうする?」
「…彼にノートを預けて、それで終わりだろう」

 …普通は。

「えー? 君は他人に迷惑をかけておいて、一言の謝罪もナシに済ます気なの? 君、礼儀と常識は
備わってると思ってたのに」

 思いきり非難の目を向けられて、シュミットは眉を寄せた。

「……もうすぐ帰ってくると思うけど?」

 ちらと時計を見て、ヨハンが言った。

「そっか。ダンケ!」

 それだけ言うと、ミハエルはパタパタと駆けていった。寮の前で、噂の転校生を待つつもりなのだろう。
 シュミットは溜め息をついて、その後に着いていく。
 例のノートは、ミハエルの腕の中なのだから。






 ものの10分も経たないうちに、エーリッヒは寮へと戻ってきた。

 …うわ、キレイな人…。

 ミハエルの正直な感想だった。
 多少癖のある銀の髪が、暮れ始めの薄闇の中で、電灯に照らされて煌めいている。
 その銀の髪に縁取られた褐色の肌が、また彼の希な色彩を際だたせている。
 何かを思案するように伏せられがちな瞳は、穏やかな春の空の色だ。
 ミハエルはちらりと、自分の傍らに立って、わざと明後日の方向を向いているシュミットに視線を移した。

 シュミットとは別タイプの美人だね。

「ねぇ、ねぇ、君、エーリッヒだよね?」

 ミハエルは、人なつこい笑顔を浮かべてエーリッヒに声を掛けた。

「え?」

 突然声を掛けられて、銀髪の少年は驚いてその声の主を見た。
 柔らかそうな金の髪と、南の海のような透明感のある青い瞳の少年が、自分を見上げている。
輪郭が多少ふっくらした、可愛らしい顔立ちだ。
 年は、自分より2つ3つ下だろうか。

「ね、ハンブルクのギムナジウムから転校してきたエーリッヒでしょ?」
「え? …あ。はい。そうです」

 尋ねられた意味が分からず、一瞬きょとんとしてしまったエーリッヒは、しかしすぐに相手の意図を正しく
理解して返事をした。

「僕、ミハエル。シュミットと同室なんだ」
「はぁ…?」

 エーリッヒは軽く首を傾げた。

 シューマッハさんと同室ということは、幼く見えるがこの少年も僕と同じ、12学年所属なのだろうか。
 それにしても、どうしてこんなところに?

 説明を求めるようにエーリッヒはシュミットの方を見たが、相変わらず、シュミットは仏頂面で遠くを見つめていた。

「あの、僕に何か用でしょうか?」

 マジマジと自分を見つめてくる瞳と、対照的に逸らされ続けている瞳への対応に戸惑って、エーリッヒは尋ねた。

「あ、そうそう! これ、渡しに来たんだ」

 ミハエルは、ずっと抱えていたノートを、エーリッヒに差し出す。
 見覚えのあるそのノートを、目を見開いて受け取ったエーリッヒは、中を確認して慌ててミハエルに向き直った。

「っこれ…! 探してたんです。何処で…?」
「うん、あのね。シュミットが、君に会いたいからって着服してたの」
「誰が…!!」

 まったくの出鱈目を言い出すミハエルに、シュミットは声を荒げた。

「私は我がゲルマンの人民以外と関わろうなどとは思わない!」

 はっきりそう宣言すると、シュミットは踵を返して寮へと入っていってしまった。
 二人はその背を見送ることしかできない。
 視界から完全に彼が見えなくなってから、ミハエルは肩を竦めた。

「…照れてるみたい」
「…そうは見えませんでしたけど」

 苦笑しながら、エーリッヒは言った。

「ごめんね。ホントは、あんな人じゃないんだけど」
「いいえ。気にしないで下さい、慣れてますから」

 ミハエルの言葉に、エーリッヒは微かに淋しげな微笑を浮かべる。
 ミハエルはそれに気が付いて、エーリッヒの服の裾を掴んだ。

「………会ってすぐに、こんなこと、言うのはどうかなって思うんだけど…」

 遠慮した物言いの少年に、エーリッヒは、なんですか、と言った。

「…シュミットと仲良くして欲しいんだ。このままじゃ、いけないと思うから」

 真っ直ぐに自分の瞳を見て言ってくるミハエルに、エーリッヒは、優しい微笑みを浮かべた。

「…ミハエルさんは、本当にシューマッハさんが好きなんですね」
「うん。僕だけじゃない。ラルフも、シュミットが好きだよ」
「良いお友達を持っていますね、あの方は」
「その、“良いお友達”の一人に、君もなってあげて欲しいんだよ」

 ミハエルの言葉に、エーリッヒはまた、淋しげに笑った。

「…無理ですよ」
「どうして?」
「僕は、…」

 軽侮されると解っていて、近づいていけるほど、勇気を持っているわけじゃないんです。

「お友達なら、あなた方だけで充分でしょう?」
「駄目なんだよ」

 ミハエルは、シュミットの去った寮の正面玄関を見つめて呟いた。

 駄目なんだよ、僕らじゃ。
 どれだけ言っても、行動しても、結局僕らはシュミットの『限られた交遊範囲』を広げることは出来ない。

「だから、君に頼みたいんだ」

 見上げてくる両の瞳の、強い輝きから、エーリッヒは目を背けた。

「…済みませんが、他を当たって下さい。僕では……無理です」
 すいっとミハエルの脇をすり抜け、寮に入っていこうとするエーリッヒを、ミハエルには
それ以上引き留めることが出来ず、服の裾を放した。
 電灯の光が、頼りなげに、ミハエル独りの影を道に伸ばしていた。







「…………済みません」
 寮に入り、階段を昇りながら、エーリッヒは小さく呟いた。
 誰もいない、薄暗い階段の手すりにもたれかかり、エーリッヒは微かに自嘲の笑みを浮かべた。

 …本当は、自分自身が恐いのだ。
 誰かに拒絶されることが。
 存在を、認めて貰えないということが。
 だから、僕は笑顔と丁重な言葉遣いの裏に、自分を覆い隠す。

「どうして、こんな色を持って生まれてきてしまったんだろう…」

 今更、言ってもどうしようもないことだと知っているけれど。
 でも、思わずにはいられない。
 祖父の血を、濃く受け継いだ自分。
 写真でしか見たことのない祖父。
 その彼を、恨む気など、毛頭ないのだけれど。

 ふいに、クラスで隣の席にいる、金の髪の少年を思いだした。
 自分を見る目の中に、蔑みの色が見えた。
 そんな人に、近づけと、友達になれと、彼の優しい友人に言われた。

「…贅沢ですよ、貴方は………」

 ………ねぇ、知っているんですか?
 色で差別される側の、この、誰にも言えない寂しさを。

 知っていて、貴方は僕にそのサファイアの瞳を向けるのですか?


 残酷に。

                                                 続く。


 は、話が思わぬ方向にそれ始めた…!!
 フランスの、人種差別政策(に反対する心)の影響だ………!!!
 やべぇ、キリリクなのに…!??!



モドル