理解以前の拒絶(3)




 暖かい太陽が、そろそろ過ごしやすい季節、夏が来たことを実感させている。
 エーリッヒが転校してきてから、7週間が過ぎようとしていた。

「…で、進展ナシなワケ?」

 つまんなーい、と大袈裟にぼやいて、ミハエルはぷーと頬を膨らせた。

「つまんないって、お前な…。シュミットを頑なにさせたのはお前だろうが」

 はぁ、と溜め息をついて、自分の、ベリーショートの金髪をわしわしとかきむしるラルフ。
 ここは、ラルフとその同室者、シュテファンの部屋である。
 …もっとも、シュテファン(通称スティフ)は、何かと理由を付けてさっさと追い払われていたが。

「だってぇー」
「だって、じゃねぇっつうの」
「…っていうか、エーリッヒはどうなのさ?」
「どうって、何が」
「シュミットに対して」

 ふむ、とラルフは唸った。
 転校以来、エーリッヒはクラスの皆と、結構上手くやっている。親切で丁寧な彼は、本人は知らないだろうが、
女子からの人気も高い。…シュミットへの対応も、クラスメイトとしては普通のものだ。朝、挨拶をして、目線が合えば
微笑んで。もっとも、会話らしい会話をしているのを聴いたことはないけれども。
 シュミットの方は、相変わらずエーリッヒを避け続けている。挨拶をされても返さないし、目線が合えばすぐ逸らす。
移動教室時にもすぐに消えているし、人を寄せ付けないオーラも健在だ。
 表面上は、シュミットが一方的にエーリッヒをはねつけているように見える。

 …そう、表面上は、だ。

 ラルフは、見抜いていた。
 エーリッヒが、クラスメイトと馴染むふりをして、その実、一つも心を開いていないことも、シュミットとの過剰な接触を
避けていることも。
 …本当は、シュミットがエーリッヒを避けるのと同程度に、エーリッヒもシュミットを拒絶しているのかもしれない。

「…あいつらさぁ、似たもの同士だと思う」

 ミハエルの質問の答えとは全く違うことを口に出して、ラルフはすっと天井を見上げた。

 どちらも、自分以外の者を拒絶している。
 ただ外面的に、シュミットは相手に解りやすい嫌悪を示し、エーリッヒは相手に悟られにくい笑顔で隠した。
 それだけの違いなのだろう。

「………救ってやりたいよ、どっちのことも…」








 ギムナジウム専属の図書館に入ってすぐ、エーリッヒは嫌な顔をした。ただ、すぐにその感情を無表情の
下に覆い隠したが。
 目線の先には、金の髪に青い瞳を持った、クラスメイトの少年。
 エーリッヒが入ってきたことに気付かなかったふりをして、読書に勤しんでいる。
 エーリッヒも、シュミットに気付かないふりをして受付の方へと向かった。

「済みません、昨日、蔵書のことをお尋ねしたルーデンドルフですけれど…」

 学生証を示しながら、司書に話しかける。

「ああ。御免なさい、今ちょっと手が放せないんだけれど、だいたいの在処は検索しておいたわ。確か、
地下書庫の西側の棚だったと思うんだけれど…」
「探しに行っても、よろしいですか?」
「いいけれど、あそこ、埃っぽいわよ?」
「構いません」

 その返事に、司書の女性は、悪いわね、と言って、エーリッヒに書庫のカギを渡した。ほぼ毎日のようにこの図書館を
利用するエーリッヒは、この司書の女性とも随分仲良くなっていた。蔵書の扱いに手慣れているエーリッヒになら、
書庫のカギを渡しても安全だと思ったのだろう。地下書庫にある蔵書には、貴重なものも多いのだが。

 カギを借りて地下へと降りていったエーリッヒの背を視界の端におさめていたシュミットは、彼の背が
見えなくなると同時に、また本の世界に没入していった。






 地下書庫は、確かに埃っぽかった。古書が多いので、その独特の匂いが鼻につく。
 もっとも、エーリッヒはその匂いが嫌いではなかったが。
 西側の棚、と言われたが、それでも結構な量の本がある。未整理の本も、棚の横に山積みになっている状態だ。
 古書の管理状態がなっていないな、と思いつつ、エーリッヒは目的の本を探し始めた。
 古代の宗教についての本を探しているのだが、かなり専門的なものなので、こういったところで探しでもしないと、
見つからないのだ。
 エーリッヒは、一冊一冊、本を手にとって探していく。ラテン語で書かれた書物もあるが、それはちょっと手に負えない。
 2時間ほど探したところで、エーリッヒはふぅと溜め息をついた。昼食は取ってきたが、立ちっぱなしで疲れたし、
多少お腹が空いた。一旦戻ろうかな、と思いながらふと棚の上の方を見て、

「…あ」

 つい、声を出してしまった。
 目的のものが載っていそうなタイトルの本が、上の方の棚に並んでいる。
 エーリッヒは、キョロキョロと辺りを見回した。2.5メートル上の、分厚い書物を手にするには、
脚立のようなものが必要だ。
 エーリッヒの瞳は、書庫の奥の方にある、蜘蛛の巣の張った木の梯子を発見した。
 そっと、その梯子に手を掛ける。随分長いこと放置してあったのか、埃だらけだった。だが、なんとか使えそうだと判ると、
エーリッヒはその梯子を目的の棚へと掛けた。
 ゆっくりと、梯子を登っていく。
 そうして、目的の本に手を掛けた瞬間。

 バキッ。

「------ッ?!」

 あったはずの足場が失われる感覚。
 続いてくる浮遊感。
 そうして、短い墜落感。

 最後に感じたのは、後頭部への、ひどい痛みだった。













「…………」

 ゆっくりと、目を開く。
 白い天井と、クリーム色のブラインド。
 視線を巡らすと、白いカーテンと、白いシーツが視界に入った。

「…医務室…?」

 何度か目をしばたたかせながら、記憶を辿る。

 …確か、僕は書庫にいたんじゃなかったっけ…?

「気が付いたのか」

 上半身を起こしたところで、あまり聴きたくなかった声を耳にして、エーリッヒは身構えた。
 カーテンの向こうから、整った顔立ちの、金髪の少年が顔を出す。
 呆れたような、つまらないものを見るような視線に耐えられなくて、視線を逸らす。

「つっ…」

 頭を動かすと、後頭部に鈍い痛みが走った。

「…莫迦者」

 低い声で告げられた、その言葉に、エーリッヒはビクッと肩を竦めた。
 シュミットは、長めの前髪をかきあげる。

「私が判るか?」

 ひょいとベッドサイドに身を屈め、エーリッヒの表情を伺う。
 エーリッヒは、微かに頷いた。
 それを確認すると、シュミットは再び立ち上がった。
 そうして、ゆっくりした足どりで医務室から出ていこうとする。

「あ、あの…!」

 その背を、エーリッヒは呼び止めた。
 底の見えない青い瞳が、振り返る。

「貴方が、僕を、ここまで…?」
「…ああ」

 白いシーツの上の、自分の薄い褐色の肌に視線を落とす。

「有り難うございました…」

 …本当は、悔しかったのだけれど。
 自分を見下す相手に、醜態を見られたことも、助けられたことも。
 でも、これ以上関わるのは恐いから。
 恐いから。

「気にするな。弱いものは護ってやらなければならないからな」

 弱いもの。
 劣っているもの。
 …そう。
 その程度の、認識。

 凍った湖面のような色の瞳が、瞬間殺意に似た負の感情を宿した。

「………思い、上がるな…!」

 何故だろう。
 悔しかった。
 とても、悔しかったんだ。
 慣れていたはずなのに。
 下に見られることなんて。

 シーツを掴む手に、ひどく力が入る。
 ゆるめることが出来なくて、エーリッヒは下唇をかみしめた。

 シュミットの青の双眸は、エーリッヒを映したままだった。
 エーリッヒの、次の言葉を待っていた。

「……お前らと、僕と、どこが違うんだ…? 同じ人間じゃないか…。僕はお前ら以下じゃない…、
同等なのに…! どうして、お前らは僕を蔑むんだ!? どうして……はねつけるんだ!!!」

 シュミットを睨み付ける薄い青の双眸は、微かに潤んでいた。それは、彼の眼差しの強さを
損なうものではなかったけれど。

 ……不覚、にも。
 その、強い瞳が。
 …綺麗、だと。
 思って、しまったんだ。

 だが、シュミットは瞬時にその、自分自身の感想を打ち消した。
 そして、落ち着いた口調でエーリッヒに言いかける。

「…放っておいて欲しかったのか?」 
「………」

 そう言われると、自分の感情がよく判らなくて、エーリッヒは苦々しく顔を歪めた。
 医務員は出払っているらしく、エーリッヒの大声にも、何かが動く気配はない。
 シュミットは、言葉を続けた。

「私に助けられたのが、そんなに不満か」
「……どうして、助けた…? 触るのも嫌だったんだろ、ヴェトナムの血を引く僕になんて…」
「確かに、私はゲルマンの民以外と関わりたくはない。だが、困っている人間を放っておくような人間こそ、
 軽蔑に値する。…私を見くびるな」

 見くびる…?
 見くびって、いた?
 僕の方が?

 何かに驚いたように---目から鱗が落ちたように---目を大きく見開いたまま固まってしまったエーリッヒに、
シュミットは眉を寄せた。

「言いたいことはそれだけか? なら、私は去らせて貰うぞ」

 エーリッヒには、もう、シュミットを留める事はできなかった。







 同室の少年が、はぁ、と大きく息を付いたことに、ヨハンはふと顔をあげた。

「エーリッヒ、どうかした?」
「いえ、別に…」

 微笑するエーリッヒに、ヨハンは、別にってコト無いだろ、と詰め寄った。
 銀の髪の間に見える、ぐるりと頭に巻かれた包帯が痛々しい。

「そりゃ、俺なんかじゃ相談役にならないかもしれないけどさ。でも、同室のよしみだろ?
 何か悩みがあるんなら、ぼやいてくれたって構わないよ?」

 真剣な表情で、自分を見つめてくる黒茶色の瞳に、エーリッヒは微かに表情をゆるめた。

「失礼なことをしてしまったなぁ、と思って…」
「失礼なコト? エーリッヒが??」

 そんな莫迦な、という風に驚いてみせるヨハン。
 その反応で、エーリッヒは、自分が周りにどんな人間に見られているかを知った。


 ああ、そうか。
 僕のイメージは。
 レッテルは。


 自分で、張り付けてきたんだ。



 …判ったような、気がした。
 彼に、優しい友達が居る理由が。


                                         続く。


 タメ口。エーリッヒの、普段の口調が判らない…(FAN失格)。
 オリキャラ率50%(登場(名前出てくる)人物6人中3人)ってどういうことサ。
 ちなみに、My設定で、エーリッヒの祖父はヴェトナム人です。父親がヴェトナム系ウェールズ人で、母親が
イタリア系ドイツ人。

 何カ国の血、引いてるんだ…(笑)。好きなんです、混血…。

 うわぁ、ドイツの学校って、HR無いみたいです…(泣)。御免なさい、嘘んこ書いて…。


モドル