永遠なんてどこにもない。
でも、君が笑うと。
その先を、信じてみたくなる。
手を伸ばしたくなる。
……愛してる。




Life is…




何度か肌を重ねあい、生きていることを実感しあって、体を寄せ合って眠る。
心音と寝息と静寂。
エーリッヒは相手の髪に指を絡め、囁き声で歌を歌っていた。
相手を起こさない程度の声で、優しいラヴ・ソングを。
優しくて切ない旋律を。
指先から逃げるように零れる細い栗毛は柔らかく、触っていて気持ちがいいので何度も何度も梳く。
何も纏わずに密着している自分よりもすこしだけ小さな体からは安らかな寝息。
いつまでこの、幸せな時間を続けてもよいのだろう?
エーリッヒはそれを考えて、ふと歌を止めた。
 少し前に、一通の葉書が来た。その中には避けられない選択肢が用意されていて、
エーリッヒは迷うことなくそのうちの一つを選択した。
 ずっと前から、決めていたことだった。
 それから暫くして、今度は封筒が来た。
丁寧に端を切って、中の手紙を取り出す。
真っ白な紙の上には、パソコンで打ったのだろう綺麗な文字が並んでいた。
そして、その中にある一つの単語が目に留まった。

‘Japan’。

 日本…。
 懐かしい異国の名前は、エーリッヒの忘れえぬ記憶を呼び起こした。
 鮮やかな四季と少し不快な湿気と、騒音と。
 マシンのモーター音と仲間やライバルやリーダーの掛け声。
 風と、優しい匂いと、笑顔、涙。
 エーリッヒは唇を開いて、声には出さずに呟いた。

愛してます、シュミット。

 ふわりと、その唇に柔らかいぬくもりが触れた。
 驚いて頭を引くと、深い紫の瞳がじっとエーリッヒを見詰めていた。

「…すみません、シュミット。起こしてしまいましたか?」

 シーツの中でぬくまっていた手が、ゆっくりと差し出されてエーリッヒの頭を撫でた。

「何を考えていた?」
「…え?」
「ひどく悲しそうな目をしている。…何を考えていた?」

 エーリッヒは、ふっと寂しげな微笑を浮かべた。

「…このまま、貴方とずっと、と考えていました」
「…そうか」

 シュミットはエーリッヒを引き寄せて抱きしめ、胸に顔を埋めた。
いい匂いのする滑らかな肌に、頬を擦り付ける。
 シュミットの髪から、微かにシャンプーの香りがした。

「心配するな。離さないし、離させない」

 密着している体から、安心できる心音が聞こえてくる。シュミットはエーリッヒの匂いを吸い込んだ。

「このまま…ずっと、一緒に…」

 エーリッヒはシュミットの髪に唇を寄せた。
 薄青いカーテンの向こうで、月が沈もうとしていた。

 シュミット・ファンデルハウゼン=フォン=シューマッハ、18歳。
エーリッヒ・クレーメンス=ルーデンドルフ、18歳。






「…そういえば、エーリッヒ」

 昼食の用意をしていたエーリッヒに、ダイニングへと足を運んでシュミットが声をかける。

「なんですか? まだできませんよ」
「そうじゃない」

 ダイニングの椅子を引いて、シュミットはそこに腰掛けた。

「お前が何も言わないから聴きに来たんだ」

 なにを、とエーリッヒが言うより早く、シュミットは再び口を開く。

「葉書。…お前にも来たんだろう?」

 その内容など、言わずともわかる。
それは国家奉仕の2つの道を選ぶ葉書。
シュミットもエーリッヒも18歳で、卒業試験であるアビトゥアが終わればその国家奉仕に行かねばならない。
 兵役か、ボランティアか。
 エーリッヒはジャガイモとハムとタマネギを手早く炒めながら、貴方は、と尋ね返した。

「私か? 私は、兵役を選んだよ」
「冗談でしょう?」

 エーリッヒは言い切った。
 シュミットは、視線を合わせようとせずに背中を向け続ける恋人を見やった。

「冗談など」
「止めてください」

 ぴしゃりと言い切ってコンロの火を止め、エーリッヒはやっとシュミットを振り返った。

「止めてください。行かないでください、貴方は…そんなことをするべき人じゃない」
「そんなこと? 別に戦地に赴くわけじゃないぞ」

 エーリッヒの大げさな反応に肩を竦め、シュミットはテーブルに肘を突いた。
 真っ直ぐに恋人の青い瞳を見つめる。
 どこかに憤りを宿したその瞳を。

「兵士になどなる気はない。だが、兵役の方が早く済むからな」

 兵役は元来10ヶ月だったものが2002年には9ヶ月に、そして今また、6ヶ月に短縮されようとする動きがある。
 それに、とシュミットは口元に笑みを浮かべた。

「私にボランティアなど似合わないだろう?」
「同じだけ、兵役も似合いません」
「…かもな。…エーリッヒ。お前は、…その様子だと、ボランティアだろうな」
「……ええ」

フライパンから料理を皿に移し、パンや飲み物を用意する。
手際よく動くエーリッヒの姿を見ながら、シュミットは、エーリッヒにはその方が良く似合う、と思った。
もともと他人のことを考えずに行動はできない奴だ、誰かのために尽すことは彼の性格に似合っている。

「…シュミット。僕は」

紅茶を淹れて、エーリッヒはテーブルについた。


「……ボランティアの期間、日本に行きます」


「――ッ!?!」

がたん! とシュミットは椅子を倒して立ち上がった。
何を言ってる? こいつは。
 エーリッヒは冷静に、自分の決意を話した。
 視線は自分の前に置かれた紅茶のカップに飲み注がれていて、シュミットのほうは向かなかったが。

「日本語を話せるからでしょうか。ボランティアを選んだら、日本へ行かないかと…返事が返って来て。
ご存知の通り、日本は高齢化が進んでいる割に福祉関係は遅れていますから…」
「そんなことは聞きたくない」

テーブルを回り込んで、シュミットはエーリッヒを上から睨み付けた。

「お前はまた、私から離れるつもりなのか」

 エーリッヒは視線を上げなかった。

「…僕は、貴方とは違う。
いくら早く終えられるからといって、自ら人を殺す術を学びに行くほどの勇気なんかありません。
それに、6ヶ月で何を学べって言うんですか…?
 そんな短期間の訓練では、役に立たない。
それより僕は、僕を今本当に必要としてくれる人たちのところへ行きたい」

 莫迦な。シュミットは吐き捨てるように言った。

「言っているだろう、兵士になる気なんかない。人を殺す気もない。
これはわが国の、国民の義務だ、だから行く。そう割り切ればいいだろう、エーリッヒ!」

 肩をつかまれて、エーリッヒはばっと顔を上げた。
 挑むようにシュミットを睨み付ける。

「今の時代にそんなこと…わからないでしょう?!
この国だっていつ戦争に巻き込まれたっておかしくない!」
「…エーリッヒ」

シュミットの手を肩から外させ、エーリッヒはぎゅっとその手を両手で握った。
 強く、強く。

「ッ…」

その痛みで、シュミットは顔をしかめる。

「この間ベルリンであった反戦集会…あの中に、僕も家族といました」

 シュミットはぎくりとした。
 ベルリンの、アレクサンダー広場で行われたイラク反戦集会。
約5万人がその集会に参加していたと言われているが。
 確かにあの日、エーリッヒはこの家にいなかった。
それは知っていたが、まさか反戦集会に参加するために?
 ……戦争はもっと遠くの世界のことだと、思っていたのに。
 エーリッヒは手の力を緩めずに、シュミットの手に向かって語りかけた。

「この国が戦争に巻き込まれたら、僕は貴方を、家族を、自分自身を守るために武器をとるでしょう。
でも…大切なのはそうじゃない。
戦争が始まったときのために準備することじゃなく、今助けを必要としている人を助けることです。
あの集会でよく判りました。みんな、平和を望んでいる。
だれも、戦争なんてしたくないんです。だれも、戦争に関わりたくなんてないんです。
みんな、…僕のように、守りたいものを持っているから」
「……福祉活動は13ヶ月だ。…一年少しの間、お前は私に我慢しろって言うのか?」

ふと顔を上げたエーリッヒに、今度は、シュミットが視線を逸らす番だった。
 エーリッヒは寂しそうに笑った。
 最近、エーリッヒは良くこの表情をした。
シュミットはその表情の意味を知りながら、無視してきた。
なるだけ自然な笑顔を作らせようとはしてきたが、エーリッヒはその表情を浮かべなくなることなどないと知っていた。
 昔から、エーリッヒは変わらない。

「それでも…、僕はもう一度、日本に行きますから。
だから、…判っているつもりです。
もし僕が帰ってきたとき、貴方が別の人と付き合っていても…この国にいなくても、
僕には咎めだてする権利はありません」

 びくりとシュミットの体が強張る。
 視線をエーリッヒの顔へと戻すと、やはりエーリッヒは静かに笑みを浮かべていた。

「……エーリッヒ、お前…知って…」
「何年貴方の傍にいると思っているんですか?」

 くすくすと、エーリッヒは笑い声を漏らした。
 本当は、シュミットは兵役にも福祉活動にも行かない。
アビトゥア試験が終わった直後、シュミットはアメリカへ発つ。
それは、ずいぶん以前にシュミットの父親から課された運命だった。
 だが、シュミットはそれをエーリッヒに隠した。
離れることなどないと思っていたから、話して不安にさせることなどないと思っていたから。
 シュミットは、エーリッヒをアメリカへ一緒に連れて行くつもりだった。
 誰が反対しようと、これだけは譲らないと。
 思って。

「…済みません。……離れようとするのは、いつも僕からですね」

エーリッヒはそっと手を開く。褐色の手の上に、赤い痕のついた白い手が置かれていた。

「……エーリッヒ。私たちは」
「…別れましょう、って…言ってるんですよ?」

シュミットの言葉を遮って、エーリッヒは言った。
悲しい笑顔で。
シュミットは首を左右に振った。

「ふざけるな、ついこの間ずっと一緒だといったのはお前だろう」

 シュミットとエーリッヒの視線が絡む。
 エーリッヒは、もう視線をそらさなかった。

「…僕らはもう子供じゃないんです」

未来のことも考えず、今だけを見ていられた時代とは違うんです。
自由に走れたあの頃とは違う。
もう、この手を離さなければ。
 シュミットは両手をエーリッヒの手の上で握り拳にした。

「…お前は、いつもそうだ。勝手なことばかり言う、嘘吐きだ!」

膝を折って目線をエーリッヒに合わせ、シュミットは細い恋人の体を抱きしめた。

「行かせない。…どこにも、行かせない」

エーリッヒは抵抗を見せなかった。その代わり、抱きしめる腕に応えることもしなかった。
 さよならを決めたのだ。だから、…もうこのぬくもりに頼ってはいけない。
シュミットは6年前と変わらない。
なら、エーリッヒだって変わらないのは当然で。

「今度はお前を縛り付けてでも、もうどこにも行かせない。私の目の前から消えるな、エーリッヒ!」

 シュミットはエーリッヒを抱きしめた。強く、強く。 

「……」

 痛いほどに抱きしめられても、エーリッヒは目を閉じてじっとしていた。

「…どうしてお前は、いつもいつも自分から苦労を背負い込むんだ…!」

 泣き出しそうな声。
 エーリッヒは、ごめんなさいとも言わなかった。
シュミットの怒りも哀しみも、なにもかもを受け入れるつもりだった。
 シュミットはそれを理解していた。エーリッヒはそうやっていなくなろうとしている。
 何も言わない唇を乱暴に塞ぐ。
 目を閉じて、抵抗を返さないエーリッヒ。
 何をしても。
 その決意を変えられるものなどないと。
 エーリッヒは昔から、……変なところ、頑固だ。

「お前は私のものだ、私の…!」

 ……僕は、シュミットの哀切な声を、きっと忘れることなんかできない。






「…ん…っ」

 薄く瞼を開く。カーテンの向こうはもう暗く、何時間意識を失っていたかは解らない。
 額に零れた前髪をかきあげて、エーリッヒは天井を見つめた。
 ……久しぶり、かな。こんなに乱暴に抱かれたの……。
 あちこちが痛い。体のすべてで感じるこの疲労感と倦怠感と痛みは、
1度や2度の交わりで経験できるものではない。
 エーリッヒは何も纏わずにベッドから降りると、ダイニングに向かった。
 浴室の方から聞こえてくる水音が、シュミットの存在を証明していた。
 冷蔵庫からミネラルウオーターを取り出して、コップにも注がずにそのまま煽る。
 それから、エーリッヒはシュミットがシャワーから出てきたら飲むであろう
ミネラルウォーターの容器の中に一粒の錠剤を落とした。
 炭酸の泡を纏わせながら錠剤はビンの底に落ち、静かに溶けていった。
 錠剤が溶けきったのを確認してから、エーリッヒはベッドに戻り、目を閉じた。
 暫くすると、浴室のドアが開く音がした。
 それから少し経って、エーリッヒの眠るベッドルームに人の入ってくる気配がした。
 エーリッヒを起こしてしまわないように気をつけながら、シュミットはベッドに入る。
 そして、エーリッヒの体を背中から抱きしめて深い眠りへと落ちていった。
 薬の効いた頃合を見計らって、エーリッヒはそっと起きだした。
自分の体をきつく束縛している腕を解いて、再びベッドから抜け出した。
別の部屋で身支度をすっかり整えてしまうと、もう一度ベッドルームへ戻る。
 穏やかな恋人の寝顔を見つめて、エーリッヒは口を開いた。

「…貴方は、貴方の言いつけを無視して勝手に出て行った僕を許さない。
…許さないでください。
そして…忘れて、ください…」

 エーリッヒは開く気配のないシュミットの瞼に柔らかいキスを一つ残して、
二人で住んでいた家を出て行った。


「さようなら、シュミット」



続く


ごめんなさい……。
期待? されていたものと…違い……ます、よね…?;;;
「今」とか言われて思い浮かんだのが本当に「今現在」だったんです。
タイトルや基盤はまんま平井堅の『Life is...〜another story〜』です。
実はこの曲、SOSの中ではエリシュミ指定。でもどうしてもこの曲で書きたくて…
だから当初はエリシュミのつもりで書いてたんだよ!(爆弾発言)冒頭が逆くさいのはそのせいデース☆(死)
兵役の話『さよならと』(8888HITS用)とこの『Life is...』は別の話でした。


モドル