レース後の会場裏で、一人で佇むエーリッヒ君を見たんだ。
晴天を見つめて、悔しいというよりは寂しそうな顔をしていた。なにかを呟いていたけれど、遠かったのと外国語だったので聞き取れなかった。
ただ、俺が見た横顔が、とても綺麗だったんだ。
細い銀の髪、柔らかい茶色の肌。空の色を映したみたいな瞳と、ドイツチームのユニフォームが鮮やか過ぎて、眩暈を起こすかと思った。
俯いた彼の表情は、レース会場で見せていた、人を寄せ付けないような怖い顔とは全然違った。どこか脆さすら感じさせるそれが、もしかしたら彼の本当の顔なのかもしれない。
そう思ったら、エーリッヒ君のことが頭から離れなくなった。
コ イ ゴ コ ロ
「それは、恋だね。」
「こっ…!?」
今まで黙って話を聞いていたJが、一つ頷くと同時に言った。
妙に確信的なJの言葉に、烈は目を見開く。
「恋って、女の子と男の子がするものじゃないの?!」
勢い込んで自分の感情の正体を否定しようとする烈に、Jは冷静だった。
「うん、普通はね。でもさ、エーリッヒ君のことが頭から離れないんだよね?」
「うん。」
「エーリッヒ君のことを考えると、胸が苦しくなるんだよね?」
「うん。」
「エーリッヒ君と会いたいって急に思ったりするんだよね?」
「うん。」
「恋だよ。」
「……恋なのかな?」
否定に自信がなくなってきたらしい烈に、Jはくすくす笑った。
秀才君は、マニュアルにないことに弱い。
烈がエーリッヒに「一目惚れ」(実際にはエーリッヒを烈が見たのはそのときが初めてではなかったけれど)してしまったらしいことは、話を聞いてJには直ぐに判った。
だが、烈はそれを信じようとはしない。当然だ、今まで生きてきた短い人生の中でも、こんな型破りな恋。
「じゃあ、確かめてみよう。」
「どうやって?」
Jはその質問には答えず、人の悪い笑みをつくって電話の受話器を取った。
WGPレーサーたちが生活しているインターナショナルスクールの宿舎の前で、烈は中に入るのを躊躇い続けていた。
今日は平日の木曜日。烈は学校が終わった後、ランドセルを置きに一度自宅へ帰ってすぐに、ここに来たのだった。
インターナショナルスクールも終了時間は風鈴小学校と同じくらいなので、目的の人物ももうすでに帰ってきているはずだ。
だけれど。
上着のポケットに大切に仕舞ったチケットを思い出して、烈は尻込みした。
一度対戦しているといえ、あまり実生活では知り合う機会もない日本チームのレーサーが突然訪ねていくのは、やはりどう考えても不自然だ。
………やっぱり、無理だ。
どうやって誘い出せばいいのか、いい言い訳が思いつかない。ぎゅっと目をつむり、くるりと宿舎に背を向けた。
「あっれー? TRFビクトリーズのレツ・セイバじゃん?」
が、目を開けた瞬間、見知った顔が目の前に現れた。
「み…ミラー君。」
「なんでこんなとこにいるんだよ。敵情視察か?」
自分の弟と同じくらいの少年は、胡散臭そうに敵チームのリーダーを見つめていた。
しかし。
「……ちなみに、練習場の入口はあっち。今の時間はアイゼンヴォルフが練習してるはずさ。」
ミラーは、こともなげに親切心を披露した。彼にとっては、自分たちのチーム以外が情報収集にあっても構わないらしい。
アイゼンヴォルフ、の名前に烈はびくりと身を竦ませた。
彼のいるチーム。偶然にも烈は、目的の人物のいる場所を掴んでしまった。
思い悩んでいる暇は無い、と思った。今は偶然の神様が応援してくれている。
「あっ…ありがとう。」
ミラーに礼を言い、烈は小走りに宿舎横の練習場へと向かった。
練習場の扉を僅かに開き中を覗くと、爽快なモーター音と指令を飛ばす外国語、それにローラースケートの音が聞こえてきた。
すぐに、烈の視線は一人のレーサーに留まる。
マシンの調子を見つめながら、仲間へのフォーメーションの指示を出す。その姿はいかにも毅然としたリーダーで、烈は様になっているその姿に見惚れた。
「What does you want?(何か用かね?)」
突然の大人の声に驚いて烈が顔を上げると、そこにはサングラス姿の男が立っていた。WGP初戦で顔を見たことがある。アイゼンヴォルフの監督、クラウスだ。
「Du bist ... das Fueher von TRF.(お前は…TRFのリーダー。)」
直ぐに烈の正体に気付き、監督は俄かに渋面を作る。彼はチームの練習の様子をライバルチームに見られるのを、良しとは思っていない。
「うちは見学はお断りだ。お引き取り願おうか。」
練習場の違和にすぐ、エーリッヒは気付いた。ちらりと出入り口の方に視線をやると、見知った顔が見えた。初戦で無様な姿を見せてしまった、日本チームの小さなリーダー。だが、その身体とは裏腹の力強い走りは、エーリッヒの瞼の裏に強く焼きついていた。
「お前たちはこのまま練習を続けろ。」
短く指示を出すと、Jaの返事を待たずにエーリッヒは自分のマシンを止めた。
そうしてすぐ、監督の元へと走る。
「すみません、監督。彼は僕が招待したんです。」
日本語で話しかけながら、クラウス監督と烈の間に身体を滑り込ませる。
「…お前が?」
「はい。」
烈が驚きに目を見張るのを制して、エーリッヒははっきりと返事をした。
多少の疑問を残しつつも、クラウスはそれを信用した。
「Das findet keinen Anklang bei mir im Einverstaundnis mit dem Mitglied
von die andere Mannschaft.(余り他チームの連中と馴れ合うのは感心せんぞ。)」
「……Das kennen mir.(……判っています。)」
烈には解らぬようにドイツ語で会話し、エーリッヒは烈を促して練習場を出る。
「Wohin gehen du? Erich.(エーリッヒ。どこへ行く。)」
「Ich bin gleich wieder da.(すぐに戻ります。)」
答えにならない言葉を返して、エーリッヒは練習場のドアを閉めた。
表へ出ると、エーリッヒは烈に向き直る。
「すみません。あの監督は、少し頭が硬いんです。」
苦笑と共に言い、それで、と彼は微笑んだ。
先ほどまでの練習中とはまったく違う、穏やかで優しい笑顔だった。
「我がチームに、何か?」
その声に、烈ははっと我に返った。
「あっ、うん。あの…庇ってくれてありがとう。実は豪が、」
「ゴー? 貴方の弟さんですよね。」
「うん、そうなんだ。あいつが、頭悪くて。テストがひどい点数でさ…」
多少パニックを起こしているらしい烈の、纏まりのない話を、エーリッヒは頷きながら聞いた。
「それで、補習でね。日曜日、行けなくなったんだ、あいつが。だから、あのさ……。」
ポケットを探り、チケットを掴み出す。
ビリ、と少し破けた音に、烈はひやりとした。
「あのさ、これ。よかったら…」
破れていない方のミクニ・ファイブ・スター・ランドの無料入場チケットを差し出す。
エーリッヒは何度か目をしばたたいた。
日曜日にアイゼンヴォルフにレースがないのは調査済みだが、エーリッヒに用事があれば断られてもしかたない。
そう考えながら、考えてきた言い訳を一気に喋り切った烈に、エーリッヒは微苦笑を浮かべた。
「……何故、僕に?」
「…えっ……。」
「レツさんなら、他にもたくさんお友達はいるでしょう? どうして、僕を誘うんです?」
何故、と尋ねられても正確な答えはない。もともとが、Jの「一日くらい一緒に遊んでみれば、烈くんの気持ちもエーリッヒくんの気持ちも、判るかもしれないよ?」という曖昧な理由なのだから。
チケットを手元に引き戻し、烈はその鮮やかな色合いの紙切れに視線を落とした。
言葉を捜すふうの烈に、エーリッヒは待った。
チームの内情を探るスパイの役であるとか、こちらをかき回すための作戦だとか、邪推はいくらでも可能だったが、エーリッヒはそれを躊躇った。初戦からのイメージでは烈は計算高い方だ。その彼の先程の慌てぶりからみても、この誘いが彼の思枠に外れたものなのだろうことは判る。
…あんな苦しい言い訳を作ってまで、何故、わざわざ自分などを誘うのだろう。
エーリッヒは相手の真意が掴めずにいた。
「………知りたいんだ。」
しばらくの沈黙のあと、俯いた烈の口から零れた言葉に、エーリッヒはえ、と聞き返した。
顔を上げた烈は、強い意志を感じさせる目をしていた。
「知りたいんだ、もっと。君のことが。」
それが烈の正直な気持ちであることは、その大きな瞳が物語っていた。先ほどの理由が嘘であることを裏打ちすることを自ら口にしながら、それにすら気付いていない真剣な眼差し。
エーリッヒの驚いた表情は、すぐに微苦笑に変わった。
「…あ…、エーリッヒ君が忙しいなら、別にいいん…だけど。」
直ぐに弱気になった烈の手から、エーリッヒはチケットを抜き取った。
びっくりして顔を上げた烈に、エーリッヒは綺麗に、笑った。
「いただきます。僕も、貴方に興味が沸きましたから。」
どきん、と烈の心臓が大きく跳ねる。
「…待ち合わせは、お決まりですか?」
「あ、えっとね……僕、朝の10時に迎えに来るから。」
「え、しかし…。」
「ううん、いいんだ。僕がそうしたいんだ。だから。」
Jが藤吉に連絡した時にも、藤吉は自分の車やヘリで送ろうかと申し出てくれた。だが、烈はそれを断ったのだ。一分でも一秒でも、エーリッヒと長くいたかったから。
「判りました。では、朝10時に正面玄関でお待ちしています。」
チケットを見せるようにして、約束を確認したエーリッヒに、烈は大きく頷く。
「うん。練習邪魔しちゃって、ごめんね。」
言いながら、烈はさりげなく帰る素振りを見せた。そろそろエーリッヒを練習場に戻らせないと、きっと後であの監督の叱責にあうことになるだろう。烈は、エーリッヒを自分のせいでそんな目にあわせたくは無かった。
聡いエーリッヒも、すぐに烈の優しさに気付く。
「気になさらないで下さい。…では、また、日曜日に。」
「うん。さよなら。」
「ええ。さようなら、レツ・セイバ。」
エーリッヒに数度手を振ると、烈は後ろも振り向かずに駆け出した。
家までの遠い道のりを全力に近いスピードで走りながら、脳裏に焼きついたエーリッヒの笑顔を何度も何度も思い出す。
心臓は、飛び出しそうなほど早く脈打っていた。
日曜日に、また会える。
そう思うと、何故だか解らないけれども無性に嬉しかった。
<続く>
まだこの時点ではエリ烈だか烈エリだか判んないですね。
でもうちのエーリッヒさんは誰と組んでも97%受ですから(例外:豪)。コレれ☆つ☆エ☆リ☆ですから!!!(強調)
いかに兄貴ををとこらしく書いていくかですよね…;; いくつか兄貴に言わせたい口説き文句とかあるんですけれど(笑)
今回も適当ドイツ語スキル(上達しません)。
モドル
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