Side+SCHMIDT+


 その時、シュミットは学課を終えてスクールから寮へと帰るところだった。
  他の者にとってはミニ四駆の腕を競ったり友達との会話を楽しむ場所であっても、
シュミットにとっては勉強をするためだけに存在する場所に、放課後までいる理由はなかった。

 ふと、その耳に誰かの声が聞こえる。

 …近い。校舎の裏から?
 普段ならばそのような声は無視したろう。どうしてこの時その場所へ向かったのか、
シュミットには判らなかった。





「返して下さい!」

 自分と同学年くらいの少年が、上級生4人と何かを奪い合っているようだった。
 銀の髪と、浅黒い肌。春の空を思い起こさせるブルーグレイの瞳。
 この辺りでは未だ珍しいカラーリングの彼を、シュミットは知っていた。

 …確か、数日前に転入してきて、私と同室になった、平民の。

 基本的に人と付き合わないシュミットは、彼のこともいない如くに扱っていた。従って、
最初の日に彼が「よろしくおねがいします」と声を掛けたとき、「ああ」と気のない返事をして以降、
彼と言葉をかわした記憶はなかった。
彼はよく自分に話しかけてくるけれど、それに返答したこともなかった。
事実、シュミットは少年の名すら覚えてはいない。

「こんなボロいマシン、速いわけないじゃないか」
「そーそー」

 背の高い上級生の手から手へと回されるものは、どうやらその少年のミニ四駆のようだった。
メンテ中だったのか、シャーシのみでカウルはない。
 動きに翻弄されながら、少年は必死に言い募る。

「遅いマシンなど、あなた方にとって価値はないでしょう? 返して下さい!」

 その台詞回しと言葉遣いに、シュミットは、彼は頭は悪くないと、はじめて知った。

「どうする?」
「そうだなー…、俺達の言うことを聞いたら、返してやってもいいぜ?」
「…何をすれば、いいのですか…?」

 にやにや笑う顔には、最初から何かの目的で彼のマシンを奪ったと書いてあるようなものだった。
だが、その少年には彼らの言葉に従うしか選択肢はなく。
 何を言われても、彼は実行しようとするのだろう。自分のマシンを取り返すために、卑屈に相手に
媚びるのだろう。

 …気分が悪い。

 シュミットは、その場から離れるために足を動かした。

「お前、シュミットと同室なんだろ?」

 突然出された自分の名前に、シュミットは動きを止める。

「…そうですけど」
「なら、当然あいつのマシンがどこにあるかも知ってるよな?」
「………」
「あいつのマシンを盗んでこい」

 その条件は、彼にとっては容易なものだったろう。
 シュミットは、少年の前でもよくマシンのメンテをしていた。何処に仕舞ってあるかくらい、
知っているだろう。最も今は、マシンはシュミットの鞄の中にあるが。

 …奪わせるものか。
 自分が今、唯一面白いと思えるもの。興味を引かれているものを。
 誰がそうそう手渡すものか。あのような下衆な連中と、その連中にそそのかされて従うような奴などに。

 だが。

「いやです」 

 聞こえてきた言葉に、シュミットは耳を疑った。
 彼はシュミットに背を向けるように立っているから表情は判らないが、声は凛としていた。

「なんだよ! マシンを返して欲しくないのか?」
「返してほしいです」
「なら…」
「でも、僕は自分のマシンを誰かのものと引き替えにするつもりはありません!」

 強い意志の感じられる声。
 …なんて、心地の良い声。

「生意気な奴だな!」
「そうだ、貧乏人のくせに!!」 

 この学校は、貴族や金持ちが多く通っている。確かに、一市民である少年がここに通うのには
疑問があった。だが、少年が編入してきたいきさつさえ、シュミットは知らない。知りたくもないと
思っていたから。

 だけれど、今は…。

「こんなマシン、壊してやる!!」
「やめて…!」

 悲痛な叫び声。
 だが、その悲鳴が消えるより早く、シュミットは彼らの前に姿を現していた。
 上級生達が声もなく一歩退いて、それに気がついた彼が振り返る。

 綺麗な色の瞳が、シュミットを映す。

 シュミットは少年の横間で歩み寄ると、鞄からマシンを取り出し、彼らの前に放った。

「な……?!」

 少年が声を上げる。
 シュミットは冷たく笑った。

「欲しかったんだろう? それが」

 強い怒りを紫の瞳に燃やして。口元の笑みはそのままに。
 シュミットは、上級生達を睨み付けた。

「くれてやる。持っていけ」

 上級生達はその気迫に押されながらも、シュミットのマシンを拾い上げ、少年のマシンを
放り投げて走り去ってしまった。
 上級生が走り去った途端、少年はぺたんとその場に座り込んだ。 
 シュミットは少年のマシンを拾い上げると、それを少年に差し出す。

「ほら。大切なんだろう?」

 少年は、マシンを受け取らなかった。
 不審に思って顔を覗き込んで…、ぎょっとした。
 少年は、ぽろぽろ涙を零していた。

「おい…」
「っ…、どうして…」
「え?」

 少年の声が聞き取れなくて、シュミットは聞き返した。
 すると、少年はキッとシュミットを睨んだ。

「どうしてマシンを渡したりしたんですか!!」
「なっ…!」

 感謝こそされど、怒られるようなことをしていないと思ったシュミットは、一瞬言葉を失った。

「僕なんかのために! どうしてあなたが大切なマシンを手放す必要があったんですか!!」

 やっと我に返ったシュミットは、語気荒く返す。

「おまえッ!! せっかく助けてやったのに、その言いぐさはなんだ?!
 もう少し私に感謝してもいいんじゃないのか?!!」
「助けてくれなんて頼んだ覚えはありません!!」
「信じられない恩知らずだな! おまえなど助けた私が莫迦だった!!」
「本当に莫迦ですよ!! あれじゃあなたのマシンが可哀想じゃないですか!」
「…ッ、この…!」 

 その言葉に、ついキレてしまった。

 自分のマシンが大切でないわけはない。
 ただ、それよりも守ってやりたいと思っただけ。
 自分以外の誰かを、はじめて。

 少年に掴みかかって、芝生の上に押し倒す。少年も反撃するようにシュミットの袖を掴む。
暫く上になったり下になったりしていたが、どうやらシュミットの方が力は上らしく、やがてシュミットが
少年に馬乗りになった状態で、二人は動きを止めた。はぁはぁと大きく息をする。

 少年の顔を間近で見つめて、シュミットは彼の涙が流れっぱなしな事に気付いた。その瞳に、
シュミットに対する敵意は微塵ほども感じられなかった。

「……憧れ、…だった、のに……っ」

 漸く呼吸の落ち着いてきた少年の言葉は、心底悲しそうに響いて。
 同時に、とても悔しそうだった。

「憧れ…?」
「あなたにっ……! いつか、追いつこうって……!」

 真っ直ぐに見つめてくる青い瞳。
 そこには自分のようにひねくれたところなどなくて。
 目を逸らさずには、いられなかった。

「…泣くな、うっとうしい」

 …自分のために泣いてくれた友人は、彼が初めてではないだろうか?

「だって………っ」
「マシンはもう一度作り直せるだろう。おまえが泣く必要などない」

 そっと少年の銀の髪に触ると、それは思っていたよりずっと柔らかく。

「シュミットさん…」

 少年はごしごしと涙を拭うと、じっとシュミットを見つめ。
 そして、笑った。
 穏やかに。
 優しく。
 人の笑顔にあそこまで惹かれたのも、初めてだった。 

「…? どうかしましたか?」

 しばし惚けていたのであろう、シュミットははっとして、なんでもないと早口で呟く。

「あの…、そろそろ、どいていただけませんか」
「あ、ああ」

 未だに少年を組伏したままだったことに気付き、シュミットは慌てて少年を解放した。
 少年はゆっくりと起きあがると、同じように立ち上がったシュミットの服に付いた芝を払う。
それから自分の服のものも払って、傍らに転がっていた自分のマシンを拾い上げた。カウルを
はめ、パチンとボディキャッチャで留めた。

「そのマシン、見せてくれないか」

 単なる好奇心から、シュミットは尋ねた。

「いいですよ」 

 少年から受け取ったマシンは、綺麗にメンテされていて。
 セッティングやカラーリングから、彼の性格すら伺えた。

 …でも、ちょっと違うかもしれない。

 マシンの基本カラーは薄い青。
 自分も、彼はそういう類の色の少年だと思った。大人しく、けして出しゃばりすぎない。
 だけれど、今日のことを考えると、どうもそれは少し間違っているみたいだ。
 彼は、本当はとても情熱的で。真っ直ぐに感情をぶつけてくる子。

 コーナー重視だと思われるマシンを見て、シュミットは一つの欲望に駆られた。
 …このマシンと、勝負がしてみたい。
 一対一で。
 思いきり。
 それは同時に彼と、一対一で付き合ってみたいということ。
 もっと、彼を知りたいと思った。

「…おい、おまえ」
 声をかけると、少年は一瞬の間をおいて、返事をした。
「あ、はい」
「私の新しいマシンができたら、調整を兼ねて相手をしてもらうからな」

 不適な笑みを浮かべて。

「…はい!」

 少年は、本当に嬉しそうに笑った。



 人を助けたこと。
 大声で言い争ったこと。
 取っ組み合いをしたこと。
 赤の他人の、自分のための涙を見たこと。
 優しい笑顔が美しいと思ったこと。
 他人のマシンに興味を抱いたこと。
 他人のマシンと勝負がしたいと思ったこと。
 他人に興味を抱いたこと。
 全て、一日のうちに起こった初めての出来事。 
 そして、その後の感情の推移も初めてのこと。
 彼と話すのが楽しいと思った(時にはひどい口論をして、スクールの先生を驚かせた)。
 毎日が面白いと思えた。
 そして。
 ずっと彼の側にいたいと思った。
 彼を側に置いておきたいと。
 …大切な、存在なのだと。


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