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その日も、エーリッヒは学校が終わってからすぐに寮に帰ることをせず、校舎の裏に寄った。 暖かな日差しと、緑の匂いのするその場所は、エーリッヒにとってマシンのメンテをするためには 丁度いい場所だった。 大きな木の陰に座って、マシンを取り出して。 丁寧にグリスを塗っていると、いきなりマシンを取り上げられた。 慌ててマシンを目で追うと、そこには上級生らしい少年が4人、ニヤニヤ笑いながら立っていた。 「…何か御用ですか?」 そんなわけはないと思いつつ、エーリッヒは一応尋ねた。 その質問には答えず、上級生達はシャーシだけのマシンを見て、鼻で笑う。 「はっ、ボロいマシンだな」 「走ったら分解しそうだぜ?」 実際は、そんなことはない。確かに、パーツは小遣いが足りなくてあまりいいものは使えていないが、 セッティングや改造には自信がある。遅いはずはなかった。 「そんなことありません。マシンを返して下さい」 「ヤダって言ったらどうする?」 完全に人を見下した目。 …嫌だな、嫌悪感が…。 それでも、エーリッヒはわけもなく大切なものを取り上げられて黙っていられるほどに、大人ではない。 「どうしてですか?! 返して下さい!」 マシンを持っている一人の方へ走ると、その少年は別の少年へとマシンをパスする。 「こんなボロいマシン、速いわけないじゃないか」 「そーそー」 ぽんぽんと上級生達の手から手へと回されるマシンを追いかけ、その動きに翻弄されながら、 エーリッヒは言い募った。 「遅いマシンなど、あなた方にとって価値はないでしょう? 返して下さい!」 自分のマシンが遅いとか遅くないとか、そんなことで言い争っても相手を刺激するだけだと悟ったエーリッヒは、 マシンを返してもらうのを優先しようと言葉を選ぶ。 やがて、マシンは一人の手の中に収まる。 エーリッヒはマシンを手にしたその少年を睨み付けた。 「どうする?」 いやな笑みと共に、隣の少年がマシンを持つ少年に言う。 「そうだなー…、俺達の言うことを聞いたら、返してやってもいいぜ?」 …最初から、それが目的だったくせに…。 それでも、大切なマシンを取り返すには従うしかない。 「…何をすれば、いいのですか…?」 すると、満足げに頷いた一人の少年が、エーリッヒの肩に手を掛けた。 「お前、シュミットと同室なんだろ?」 突然出されたシュミットの名に、エーリッヒは体が強ばるのを感じた。 数日前にこの全寮制のスクールに越してきたエーリッヒは、人数の関係で二人部屋を一人で使っていた、 シュミットという少年と同室を割り当てられていた。 その少年は、この学校で一番速いミニ四駆を持っているという。 エーリッヒにとってシュミットと、そのマシンは憧れであった。 …その彼の名が、どうしてここで出てくるの……? 鼓動が不安で速くなる。 「…そうですけど」 やっとの事でそう返事をする。表面上は取り繕って。 「なら、当然あいつのマシンがどこにあるかも知ってるよな?」 「………」 …たしかに、シュミットは自分の前でもマシンのメンテをしたりしているから、何処に仕舞って あるかは知っている。ときどきそっと、その作業の様子を盗み見たりしているから。 でも、いつもついついその鮮やかな手つきに魅入ってしまい、最終的に彼に睨まれるのだ。 「あいつのマシンを盗んでこい」 …盗む? そんなこと、できるはずがない。 自分の憧れを。 目指すものを汚すようなことなど。 …それに、僕は。そんなことをしてまでマシンを取り返したくない。そんなことをしたら、悲しむのはきっと僕だけじゃない、 マシンも同じだから。 「いやです」 エーリッヒははっきりと言った。 真っ直ぐに相手の目を見て。 「なんだよ! マシンを返して欲しくないのか?」 「返して欲しいです」 「なら…」 「でも、僕は自分のマシンを誰かのものと引き替えにするつもりはありません!」 彼のマシンも自分のマシンもこの世でたった一つの大切なもの。 その価値は等しいし、等しくない。 自分のマシンのために誰かのマシンを差し出すなんて、できない。 「生意気な奴だな!」 「そうだ、貧乏人のくせに!!」 上級生の怒鳴り声。 この学校は、貴族や金持ちが多く通っている。だが、有名な進学校であるここに、エーリッヒは その頭の良さから編入した。反抗するだけの理由もなかったから、大人しく親に従っただけのこと。 「こんなマシン、壊してやる!!」 上級生が、エーリッヒのマシンを持った手を高く掲げる。 「やめて…!」 エーリッヒは悲痛に叫んだ。 だが、その腕は振り下ろされることはなく。 上級生達が声もなく一歩退いた。そのことで、エーリッヒは背後に誰かが居るのだと気付いた。 ゆっくりと振り返る。 綺麗な色の瞳が、エーリッヒを映す。 アメジストみたいに輝く紫の瞳と、癖のない濃い茶色の髪。そして、端整な顔立ち。 …シュミットさん、だ…。 エーリッヒの傍まで歩いてくると、シュミットは鞄からマシンを取り出し、彼らの前に放った。 「な……?!」 エーリッヒが声を上げる。 シュミットは冷たく笑った。 「欲しかったんだろう? それが」 シュミットは、上級生達を睨み付けた。 「くれてやる。持っていけ」 上級生達はその気迫に押されながらも、シュミットのマシンを拾い上げ、エーリッヒのマシンを 放り投げて走り去ってしまった。 上級生が走り去った途端、エーリッヒはぺたんとその場に座り込んでしまった。 緊張が解けた。 そして、とても悔しい気持ちだけが残った。 …みすみす。 みすみす目の前で、憧れを持って行かれてしまった。 「ほら。大切なんだろう?」 シュミットが、エーリッヒのマシンを拾い上げてそれを差し出す。 それを受け取ることができなかった。 ぽろぽろ涙が頬を伝った。 「おい…」 シュミットが当惑した声を出す。 「っ…、どうして…」 「え?」 エーリッヒの声は小さすぎて、シュミットには届かなかったらしい。 エーリッヒははキッとシュミットを睨んだ。 「どうしてマシンを渡したりしたんですか!!」 「なっ…!」 シュミットは、まさか怒鳴られるとは思っていなかったらしく言葉を失った。 エーリッヒの中には、自分からマシンを差し出したシュミットに対する怒りと、それ以上に 自分に対するやるせなさがあった。それをシュミットにぶつけてしまっているあたり、彼もまだ子供である。 「僕なんかのために! どうしてあなたが大切なマシンを手放す必要があったんですか!!」 やっと我に返ったらしいシュミットは、語気荒く返してきた。 「お前ッ!! せっかく助けてやったのに、その言いぐさはなんだ?! もう少し私に感謝してもいいんじゃないのか?!!」 「助けてくれなんて頼んだ覚えはありません!!」 「信じられない恩知らずだな! お前など助けた私が莫迦だった!!」 「本当に莫迦ですよ!! あれじゃあなたのマシンが可哀想じゃないですか!」 「…ッ、この…!」 その言葉に、シュミットはカッとなったらしい。エーリッヒに掴みかかって、芝生の上に押し倒す。 エーリッヒも反撃するようにシュミットの袖を掴んだ。暫く上になったり下になったりしていたが、 どうやらシュミットの方が力は上らしく、やがてシュミットがエーリッヒに馬乗りになった状態で 二人は動きを止めた。はぁはぁと大きく息をする。 守れなかった。 とてもとても、大切なもの。 彼にとっても、自分にとっても。 「……憧れ、…だった、のに……っ」 漸く呼吸の落ち着いてきたエーリッヒの言葉は、自分でも驚くくらい心底悲しそうに響いた。 悔しさは、未だに涙になって零れている。 「憧れ…?」 シュミットの問いかけに、エーリッヒは真っ直ぐに彼の瞳を見つめて言った。 「あなたにっ……! いつか、追いつこうって……!」 涙が溢れて上手く言葉が紡げない。 シュミットは、エーリッヒから目を逸らした。 「…泣くな、鬱陶しい」 「だって………っ」 泣くなと言う方が無理なのだ、と、エーリッヒは思った。 すると、シュミットはそっとエーリッヒの頭を撫でる。 「マシンはもう一度作り直せるだろう。お前が泣く必要などない」 とてもとても、優しい声。 ああ、そう言えば、彼に声をかけてもらったのは、初めてだ…。 「シュミットさん…」 エーリッヒははごしごしと涙を拭うと、じっとシュミットを見つめ。 そして、笑った。 無く必要はないと、彼が教えてくれたから。だから、もう泣かない。 「…? どうかしましたか?」 自分を瞳の中に映したまんま動かなくなったシュミットに、エーリッヒは声をかける。 「あの…、そろそろ、どいていただけませんか」 「あ、ああ」 シュミットは慌てたようにエーリッヒの上から立ち上がった。 エーリッヒもゆっくりと起きあがると、シュミットの服に付いた芝を払う。それから自分の服のものも 払って、傍らに転がっていた自分のマシンを拾い上げた。カウルをはめ、パチンとボディキャッチャで 留めた。 「そのマシン、見せてくれないか」 「いいですよ」 シュミットに、マシンを渡す。 じっくりとマシンを眺めるシュミットに、少しドキドキした。 彼の目から見て、自分のマシンはどのくらいに見えるのだろう。 自信はあるけれど、彼にとってはおかしいところもあるのかもしれない。 とても、ドキドキする。自分が見られているわけではないのに…。 「…おい、お前」 急に声をかけられて、エーリッヒの反応は一瞬遅れた。 「あ、はい」 「私の新しいマシンができたら、調整を兼ねて相手をしてもらうからな」 シュミットは、不適な笑みを浮かべて。 それは、自分のマシンを認めて貰えたと言うこと。 「…はい!」 エーリッヒは、嬉しくて大きな声で返事をした。 その日から、彼は変わっていった。 僕の言葉に返事をしてくれるようになった。 マシンの改造のことで意見を言い合ったりもした。 彼のことが、少しずつ分かりはじめた。 とても冷たい雰囲気を身にまとえるけれど、本当は優しい人なのだということも知った。 自分の意志を、はっきり言える人だとも知った。 僕も結構頑固なところがあって、両者の性格から非道い口論になったこともある。 喧嘩だってするようになった。 そうやって、お互いを知っていった。 嫌いなもの、好きなこと。 共有する時間は増えていった。 傍にいない時間は減っていった。 そして。 ずっと彼の側にいたいと思った。 彼と歩いていきたいと。 …大切な、存在だと。 →Join in Side SCHMIDT |