「それで? どういう状況になってるぜよ?」
「…はぁ…」
 
 シナモンが目をキラキラさせて見つめてくるのに、ヘスラーはすっかり困り果てていた。
 4人は、喫茶店に入っていた。
 と、いうか、シナモンに連れ込まれていた。
 窓際のテーブルの、窓側にシナモンとヘスラーが向かい合って座り、
ヘスラーの隣にバーニーが、シナモンの隣にはジムが座っている。
 日光が燦々と降り注いで、梅雨前のじめじめした空気はどこにもない。
 だが、バーニーとジムには、じめじめした空気が付きまとっていた。どちらもげっそりしていて、
気のせいか黒いオーラが周囲に放出されている。

 女の子というのは、元来、占いや色恋沙汰に関する話が好物らしい。
 ヘスラーはそれを承知していた。していたはずだったのだが。
 シナモンの前で、その手の話に触れてしまったのはヘスラーだ。

 …元はと言えばあの二人が悪いんだッ…!

 この場にいない、話題の中心であるはずの人物達に心の中で当たる。
 あの二人がお互いに奥手であるために、自分はこういう状況に追い込まれているんだ、と。
 …責任転嫁のような気が…しなくも…ない。

 エーリッヒは判る。元もと他人に気を使わずにはいられないような性格だし、相手の立場を
思いやるとどうしても後込みしてしまうんだろう。
 だが、それにシュミットまで付き合うことはないと思う。
 レース運びでも日常でも、彼は攻撃的な方だ。守備に回るのは、非道く彼らしくない。彼の洞察力や観察眼なら、
すぐに見抜けそうなものなんだ。
 …エーリッヒが、誰の一挙手一投足を気にしているのかなんて。

 それが、ヘスラーやアドルフが必要以上に彼らのことを気にする原因かもしれない。
 “らしくない”シュミットを見ているのは、彼の下で走ってきた彼ら二人にとっては居心地が悪かった。
それがレースに影響を及ぼすほどではないにしても、なにか、ひっかかる。
 シュミットに代わってリーダーになった2コ下の少年は、エーリッヒをお気に入り指定にしている。それも
見ていて判ることだ。シュミットが、それを快く思っていないことも。
 だが、彼らの間には、時間と共に培ってきたものがある。それはミハエルの乱入程度で壊れるような
ものではないだろう。

 …いや。
 むしろ。
 ミハエルの乱入によって、意識し始めたのか…?

 今まで気にならなかった距離が。
 エーリッヒはどうか判らないが、シュミットには明確に見えてしまったのかもしれない。
 “親友”という曖昧な距離。 
 ミハエルの介入を許す距離に、今になって不安を覚えたのか。 
 彼らがミハエルのことを大切に思っていることも知っている。彼らにとって、ミハエルは「特別」だ。
「特別」だからこそ、恐いのだろう。

「ヘスラー!」
「うを?! は、はい!!」
 
深くシリアスな思考に没入しすぎて、危うく今の自分の立場を忘れるところだった。
 目の前には、よく判らない期待を胸に秘めた少女と、それに付き合わされることにげんなりしている少年。
自分の隣にも…似たような状況の少年が。

 そうだった。現実逃避したいのはやまやまだが、それを許されるような状況じゃ…なかった。

「もう、何ぼーっとしているきに?」
「あ、ああ…ごめん」

 ご立腹のシナモンに、一応謝る。
 運ばれてきたシフォンケーキを口に運びながら、シナモンはまた質問した。

「それで、ヘスラーはその友達の悩みとか、聞いてあげてるきに?」
「い、いや…」

 聞いてやりたくとも、相談などすまい。
 ヘスラーの方から切り出したとしても、シュミットは鼻で笑って誤魔化すだろうし、エーリッヒも
綺麗にかわすだろう。
 そのテの感情を隠すことは苦手なくせに、嘘をつくことだけは上手いから始末に負えない。
 誰にもバレていないと、思いこんでしまっているから。

「ふぅーん。じゃ、どうして片思いって判るぞな?」
「えっ…」
「その答えは簡単きに。ジム!」
「はっ、はいぃ!!」

 呼びかけから返答に要した時間はおよそ0.2秒。
 
 …条件反射?
 
 目を見開いたりしているヘスラーの前で、会話は進む。

「はい、答えは?」
「あっ、えーと、えーと………」

 隣のバーニーが普通にオレンジ100%ジュースをすすっているところから、どうやら
ブーメランズ内ではこの光景は日常茶飯事らしい。
 ミハエルに呼ばれたときの、エーリッヒの反応でもここまで早くない。

「もう、遅いきに! 答えは一つしかないのに!! ヘスラー!」
「あ、え?」

 1秒以上かかって、ヘスラーが返答する。

「見ていてバレバレ、ってコトぞな。違うきに?」
「…当たっている」

それは、昔から彼らを知っている人間にだけ、見ていてバレバレだということだが。
 シナモンは、自分の推測があっていたからなのか、満足そうに頷いた。

「それで、ヘスラーから見て、完全に片思いなのかぜよ?」
「…どうだろうな」

 曖昧な返事を返す。
 答えは出ているが、行動を起こさないならば同じことなのだから。

「傍で見ていて、判らないのかぜよ?」 
「…ああ」
「と、いうことは、ヘスラーの友達の「誰か」は一軍のメンバーぞな」
「!!!!!」

 しまった!!!!

 ヘスラーは焦った。
 「傍で見ていて」というのは、シナモンの誘導尋問に他ならなかったのだ。
 明らかに狼狽しているヘスラーに、バーニーが溜め息をつく。

 …そんなに焦らなくても。

 シナモンは、誘導尋問の天才だ。
身をもってそれを知っているジムとバーニーは、彼女に
掴まってしまったヘスラーに同情光線を送った。
 …なんにもなりゃしないが。

「エーリッヒじゃないきに?」
「あ、えっと、う…」 

半分当たっている。
 その反応から、自分の勘が正解だと思ったシナモンは、うんうん、と頷いて見せた。

「わかるきに〜。あの人、そういうことには奥手そうぜよ」
「…ははは」

 ヘスラーは乾いた笑いで対応した。

「ヘスラーは、友達としてエーリッヒを助けてやらないとダメきに」

 シナモンは、真っ直ぐにヘスラーの目を見て言う。

「…そうなのか」
「そうぜよ」

…押しに弱いぞ、ヘスラー。

「告白する勇気のない友達にハッパをかけて、その勇気を起こしてやるのも友達の勤めきに」
「……」

  …そうかもしれない。

 ヘスラーは思った。
 例えばシュミットに、告白させたとしても、エーリッヒはかわすかもしれない。
 だが、エーリッヒから告白させれば、おそらく…。

「…いや、だが…」
 
そう。
 無責任なことはできない。
 今までずっと側にいた二人だから、その関係は安定していてアンバランスなのだ。

「…エーリッヒの想い人って、WGP参加選手カヤ?」

 ここで、余計な口を挟んだのはジムだった。

 …やべぇ。

 バーニーがその危険性に気付いてジムを制止しようとしたが、後の祭りだ。すでにシナモンの
興味の対象がその話題に移っている。
 ヘスラーは当然の如く、焦っていた(端からは全然そうは見えないが)。
 違うとは言えないし、そうだとも言えない。
 ジムやバーニーは、別に関わろうとはしないだろうが、シナモンはきっと、その相手を
聞き出そうとするだろう。
 …たとえそれをかわしたところで、シナモンに変な誤解をされ、妙な噂を流されれば、あの二人の
関係をますますこじれたものにしてしまいかねない。
 女の子の結びつきは堅い。ここで「秘密にしてくれ」とか言ったとしても、その約束が履行される確実は
………3%……くらいだろうか…?

「あ〜…」

 間延びした答えを返したヘスラーに、シナモンは冷静に言った。

「沈黙は肯定と取るぞなもし」

 う゛ぉ?! 脅迫???!!

ヘスラーの頬を、生暖かい汗(まぁ当然だろう)が滑り落ちていく。

「違うなら違うって、ちゃんと言えるはずぜよ?」

 にこり、とシナモンは可愛らしく笑った。 

 …恐ぇ……。

 ミハエルの笑顔を見慣れているヘスラーにさえ、それは恐怖を掻き立てるには充分だった。


 …嘘ついとけよ、ヘスラー。


 ふと、以前自転車泥棒に間違われ、問いつめられたときに耳打ちしてくれたアドルフのありがたい助言が、
ヘスラーの耳の奥に蘇った。
 根っから正直者のカール君は、その結論に至るまでにこんなに遠回りをしました。

「あ、あ…、選手じゃないんだが…」

躊躇っていた理由のように、ヘスラーは言った。
 頭の中では、一生懸命自分にエールを送っている。

 頑張れ、頑張れカール・ヘスラー!!! 今、あの二人を守ってやれるのはお前しか
いないんだ!! 頑張れ口下手男!!!!!!!(ヲイ)

 シナモンの薄い紫の瞳が、追求するようにヘスラーを見ている。
 ヘスラーは、なんとか言葉を続けた。

「…アイゼンヴォルフの関係者なんだ…」
「えっ?! ってことは、オトナの女の人?!」

興味を示したのは、意外にもバーニーだった。

「あ、ああああ…」

予想外の展開に、ますます焦るヘスラー。「あ」が多い。

「どんな人きに?」 

 シナモンも尋ねる。

「ああ…、…美人だ」

 嘘はつかなかった。
 と、言うか、これ以上嘘をついたら確実にボロが出る。ここは、なんとか凌がねば…。

「エーリッヒが好きになるんだから、優しい人ぜよ」

 …それは…どうか。確かに、エーリッヒには優しいけど…。

 とりあえず、シナモンが一人で納得し始めたので、
ヘスラーはホッと息をついた。あとは、勝手に話は進みそうだ。
 どうやら頭の中で勝手にラブロマンスを思い描き始めたシナモン。

 …今なら気付かずに消えられるかも。

 逃げる好機とばかりに、ヘスラーは腰を浮かせた。
バーニーも、実は逃亡体制に入っている。

「あれ、帰るキニ?」

しかし、また、ジムが声をかけた。

 …コイツは……ッッ!!

 もうちょっとで一発殴りそうになったが、
ヘスラーは持ち前の我慢強さでその気持ちを抑え込んだ。
 ふと、現実に戻ってきたらしいシナモンが、ヘスラーに尋ねた。

「帰るきに?」
「あ、ああ…。買い物を頼まれているので…」
「じゃ、エーリッヒに伝言しておいて欲しいぞなもし。応援するから、頑張ってって」
「いいいいいらないと思うぞ」

 …完全にどもってるし。

 バーニーは片手で額を押さえた。
 
 隠し事の下手な人キニ。 
 あまり深く突っ込まれたくないみたいだったから、話に乗ってあげたのはいいけど…。



 ヘスラーはなんとか誤魔化しきって、喫茶店から出た。
 ひょこひょことバーニーもついてくる。
 そして、店の前で。

「じゃ、ここでお別れゼヨ」
「…ああ」

どうやら、また店の中に戻るつもりらしい。
 可愛そうなジムを見捨てては帰れないのだろう。
 ばいばーいゼヨ、と手を振るバーニーに、ヘスラーは背を向けて歩きだした。

「頑張るキニよー!!」
「ッハァ??!!」

 思わず振り返る。

「…さっきの。ヘスラーのことじゃないキニ? エーリッヒのことにしてたけど」
「………」

…「違う」と否定する気力も、もう湧かなかった。
 ヘスラーは小さな声で「…ぁぁ」とだけ言って、今度こそその場を後にした…。

 ………結局、ヘスラーはバーニーに妙な誤解を受けたまま、
WGPの第一回を終えることになるのだった………


オマケ…

 ごめん、ヘスラー。
 まさかここまで苦労人に成り下がるとは思わなかったんだ…(笑)
 頑張れヘスラー!!! きっといつか君にも春が!!(ホントデスカ)



モドル