…満足しましたか?…
「…煩ェ…」
頭の中で、あいつの声が響いている。
レース後の、選手控え室の中。ベンチの上。仰向けの躰。
ユニフォームを乱されたまま、気怠そうな青い瞳でこちらを見つめたまま。
赤いユニフォームには、白濁した液体がこびりついている。それは、同じように、床にも落ちていた。
涙の跡の残る、冷徹なまでの無表情の中には、怒りや悲しみや、憎しみといった感情は一切読みとれなかった。
ただ、どこか憐れむような、嘲っているような、見下すような、そんな視線を送っていた。
まるで、虫けらやゴミを、見ている、ような。道ばたの石コロを、見送っている、ような。
それは、侮蔑よりももっと冷たい視線だった。
なのに、俺はそれに捕らえられてしまった。
ヤッてる最中は、捕まえたつもりだった。手に入れたつもりだった。
だが、終わってあいつの瞳を見た途端、そんなのは幻想だと思い知らされた。
あいつは誰のモノにもならない。
どれだけ傷を付けても。痕を付けても。あいつは醜く清浄なままだ。
海底を這い回る、汚泥のような俺達と同族のくせに、天上の潔癖さを身に纏う。
そして、その潔癖さはフリでもにわか仕込みでもない。あいつが元もと持ち合わせた天性のもの。
全く逆のものが、同時に一つの躰に存在する矛盾。そして、その魅力。
悪魔に愛され、また天使にも愛されるあいつは、一体何を望んでこの俺の所へ?
おヤサシい親友と寝ながら、ライバルである俺とも寝る。
だが、あいつの目的は快楽じゃない。そんな陳腐なモンが望みなら、あいつは今頃、もっと堕ちているだろう。
あいつの目はあの時のまま。
最初の時のまま。
清浄すぎて触れることを許されなかった、初めて見たときのまま。
…今度は、煙草と香水の匂いをなんとかしていて頂けると嬉しいんですけれど。…
「…煩ェ」
俺の躰に染み込んだ、煙草とオンナの香水の匂いを、あいつは嫌いだと暗に言った。
だが、それは俺に抱かれることを嫌がる言葉ではなかった。むしろ、“次”を望んだのはあいつの方だった。
気が向く度にあいつの躰を虐めても、あいつは逃げようとはしなかった。
冷たく笑いながら、近づいてきた。
遠くから見ていれば綺麗な星だって、近づいてみればどうなっているか判らない。
手に入らないところにいるときは、ただ綺麗に見えていた。
手に入れてみれば、汚れて壊れて、……見ているときよりずっと魅惑的だった。
優しくしてくれる奴を見つけたら、そいつの元へ走ると思っていたのに、戻ってきやがった、アイツ。
ムカツク。俺のすべてを奪い取るまで傍に居るつもりかよ? 自分のように、俺をブッ壊すつもりかよ?
睨み付けた青い瞳は、はっとするほどに儚げだった。
…今頃、何処で何を。
…今頃、学校で授業を。だろうな。アイツはクソ真面目だ。俺とは違う。
俺とは、違う。
コンコンコン。
俺の部屋のドアが、適当にノックされた。
「あァン? 誰だ」
「アタシよ。カルロ、アンタにお客さんよ」
自称・イタリアチームの華は、くすくす、どこか嘲りのような笑い声を残す。
「…開いてるから、通せ」
ドアを開けて入ってきたのは、俺とは違う人種だった。
ベッドで煙草をふかす、俺を見た青い瞳は、やっぱり綺麗で冷たくて脆そうだった。
「サボりかよ。珍しいじゃねェか」
「サボるつもりなんて、なかったんですけれど」
ヤツは、一番上まできっちりと留められたシャツのボタンを外していった。
「でも、これじゃあ」
腕の中程まで見せるようにシャツを脱いだ細い躰には、いたるところに親友と交わった痕が
残されていた。
「体育はできないでしょう?」
シャツを元の通り着直す。
褐色の肌に刻まれた、赤い痕は体操服など着なくても首筋ではっきりと自己主張していた。
「待て」
分かり易い誘惑に、俺はノることしかできない。
「脱げよ。何処まで付けられてンのか確かめてやるよ。テメェに見えない場所にだって、付けられてンだろ?」
淫乱な。
笑みを。
どうして、こいつは汚れれば汚れるほどに、昇ってゆくことができるのだろう。
「お手柔らかにお願いしますよ。あの人も、結構しつこいので。…さっきまで、抱かれていましたのでね」
「はン。で、ちゃんとキレーにしてきたのかよ?」
銀の狼は笑った。冷たかった。
「貴方のために、そんなことをする必要など何処にもないでしょう?」
…俺とヤるってのに。
中に、他の男の名残が残ってるってのかよ。
俺以外のヤツの精液が残ってるってのかよ。
…………俺以外のヤツの痕を付けてるってだけでも、キレそうなのに。
俺の表情をどう読んだのか、ヤツは俺の頬に手を伸ばした。
「貴方だって、他の女性の匂いを消そうとはしなかったでしょう?
それに、別に構わないでしょう? …濡らす手間が省けるんです。
すぐに入れられるんだから、ケダモノみたいな貴方にはむしろいいことなんじゃないですか?」
…ケダモノ、か?
卑猥な言葉を紡ぐ、こいつは何処までも清らかだった。
ボタンの外れたシャツから覗く肌は、いっそムカツクくらいに綺麗だった。
だから、俺は一度も自分から汚したことのなかった場所を。
唇を。
思いきり塞いで、ベッドに押し倒した。
初めて味わうヤツの口腔内は、痺れるほどに甘かった。
下の口とは違う温度に、俺は夢中でヤツの唇を貪った。
こいつの唇は、すでに他の男で汚れてるって知っていたけど。
俺のモノをしゃぶらせたことだってあるのだから、汚れていて当然なのだけれど。
長い長いディープキスを終えて顔を離して、俺は絶句した。
…ヤツが、…泣いて、いたから。
「…こんなキスくらいで、何泣いてンだよ。これからもっと泣かせてやるんだぜ?」
俺の口からは、いつも通りの言葉が出た。
ヤツは、泣いていないと言う風に首を振った。
するりと、胸に手を滑らせる。
びくりと反応を返した体の持ち主の瞳に、今まで一度も見たことのなかった感情が。
恐怖が、
見えた。
それでも抵抗しない体から衣服を取り去り、濡れたエーリッヒの秘部に指を入れた。
俺の指を伝ってドロリと零れた生ぬるい液体は、留まることなど知らないかのように
後から後から溢れてきた。まるで、…触るなと。……護ると。………こいつは自分のものだと
主張するように。
例の親友サマは、どこまでもこいつに優しかった。
「……エーリッヒ」
涙が止まらないらしいヤツを、
俺は初めて。
これ以上ないくらいに、優しく抱いた。
→続く