そういう関係になった後も、エーリッヒが俺に対する態度は、「主従」のまま変わらなかった。
相変わらず、ご主人さまと俺を呼んだ。
ただ、情事の時だけ。
本名を呼ぶように。
…それだけが、俺の調教したことだった。
体に染みついた癖はなかなか取れないらしく、エーリッヒはベッドの上ではいつも俺に、どこか怯えていた。
どれだけ優しくしても、体を重ねる限り、あの仔猫の過去の傷を抉ることになる。
知っていて、止めることが出来ないのは、あいつの肢体がひどく甘い、麻薬みたいなものだから---。
すでに俺は中毒者だ。
もう、手放すことなどできやしない…。
猫の爪みたいに細く鋭い月の晩だった。
例を見ず、エーリッヒの方から俺の部屋を訪ねてきたのは。いつもなら、俺がエーリッヒの部屋へ行く。
3日に1度はしていたけれど、今日は、しない日だった。それも、俺の気分次第のことだが。
エーリッヒは、小さくノックして俺に断り、部屋に入ってきた。
仔猫の青い瞳には、何かに怯えるような色が見えた。
窓際の机の椅子に座ったまま、俺はエーリッヒに椅子ごと向き直って、
「…どうした?」
微笑んで、尋ねる。
仔猫は少し、逡巡して、それから呟いた。
「……恐いんです」
「恐い? 何がだ?」
「…………」
俺の問いには答えずに、エーリッヒはそっと俺の頬に手を添えた。
そして、熱い唇を俺のそれへ押しつける。
俺が驚いたように目を見開くと、エーリッヒはどこか淋しそうに笑っていた。
「…エリ…?」
「抱いて下さい」
俺の服に手を掛けながら。
断る理由もなかったから、俺はそのまま、いつものようにエーリッヒを抱いた。
そうして夜が明けた時には、エーリッヒは消えていた。
明かりが全て消えたかのように、俺には家の中が灰色に見えた。
家の中だけじゃなかったかも知れない。あいつの居ない世界には、色というものが見えなかった。
ただ、モノクロの雑多なモノが動いているだけで…。
俺は、あの仔猫の行方を、手を尽くして探した。
だけれど、その消息は要として掴めない。
俺は、自分が、大切な歯車を一つ失ったために、壊れていくのを理解していた。
仕事への注意力が散漫になり、自分のことも、他人のことも、顧みなくなった。
酒を好んで多量に呑むようになった。そうして酔って、安い売笑婦の家に泊まることが多くなった。
ただ、『猫』の身を売る宿へは、けして立ち寄らなかった。
何も、やる気がしないんだ。
何かをわめき散らす連中が俺の周りには多すぎる。
…五月蠅い、煩い。
…………鈴の音。踊るような、あの鈴の音が聴きたい。
『賢い猫は、死ぬ前には飼い主の前から姿を消すんだって。
そうして、誰もいないところで、一人で静かに死んでいくんだって』
いつか、誰かがそう言ってた。