…もしも、「曖昧な態度」とか「曖昧な感情」とかいうものが全て肯定されるなら、
君の傍にいてもきっと楽なのに。



  青い鳥、赤い鳥



 いつも傍にいるわけにはいかない二人だから、彼は一緒にいられるときには殊更に僕を、
僕の身体を求めた。浅ましいと想いながら、それを受け入れて満足している僕がいるのも、また事実。

 簡単なことだと思っていた。
 美しく咲いた花でも、汚らしく腐っていくのと同じくらい、自然なことだと思っていた。
 お互いがお互いにとって「どうでもいい存在」と見なすことを。
 なのに、貴方は微かに笑って僕に言ったんだ。

「前々から欲しいと思ってたモン、手に入れたらお前はどうする?」

 ベッドの中で聞かれたこと。
 苦しいくらいに焦らされて、僕には答えることが出来なかった。
 ただ、自分のものではないような、いやに甘ったるい声をあげていた。

 欲しいと思っていたモノ。

 それは、どういう意味だったのだろう。
 子供が玩具を欲しがるのと同じ感覚、独占欲によるものなのだろうか。
 なら、僕はどうして彼を受け入れ、それに満足したのだろうか。
 彼がけして自分一人のものではないと、知っていながら。
 知っていながら、それを許容しながら、躰を繋いで。



 そうして僕は何を求めているのだろう。

 何を期待しているのだろう。




 僕が欲しかったものは。





「……ぃ…っ…」

 必死で声を抑えながら、彼の背中に爪を立てる。
 別に、それはつけようと思ってつけるものではなかった。彼が抱く、他の女性への威嚇の為じゃない。
 僕は、彼を独占できないと知っている。
 できなくてもいいと思っている。
 だって、僕は男だから。
 むしろこうやって、黙って抱かれているのがおかしい。
 普通ならきっと、嫌がって、拒絶して、相手にもっとひどい傷を負わせているだろう。
 なのに。
 誰が来るかも判らないような選手控え室の奥で、声を我慢してまで抱かれて。
 どうして僕は、こんな……。



 関係を、続けているのだろう…。



 キライニナレレバイイノニ。












「エーリッヒ」

 部屋に帰ってすぐ、部屋の中にいたシュミットに呼び止められた。

「何かご用ですか?」

 笑って尋ねる。
 シュミットは眉間に皺を寄せて、僕の方を見ていた。
 …シャワー浴びてきたし、抜け目のないあの人のことだから、見えるところに痕なんてつけていないと
思うんだけど。
 真っ直ぐな親友の視線は、僕のやましいことを全て見透かすようだった。
 だけど、逸らさない。
 逸らしたら、きっとバレてしまうから。
 だから、真っ直ぐに受け止める。
 だって、僕らのしていることを、誰にも知られちゃいけない。
 隠さなきゃ。

「……なんでも、ない」

 僕の方が勝ったようで、シュミットは軽い溜息と共に視線を逸らした。
 僕は微かに笑って、何か飲み物でも淹れましょうか、と尋ねる。
 ああ、とシュミットが答えたので、僕はコーヒーを淹れに簡易台所に向かった。

 隠さなきゃ、隠さなきゃってずっと思っていたから。
 だから、ばれていることにも気付いてなかった。



 コーヒーを淹れて戻ると、シュミットは机に向かっていた。

「ここ、置きますね」

 零さないように、そっとシュミットの右側にカップを置く。
 その、僕の腕を、シュミットは急に掴んだ。
 そして、強い意志を持った瞳で、僕を睨み上げてきた。
 だけれど、僕は彼を知っていて。
 睨んでいる彼の瞳に、慈愛が含まれているのを知っていて。
 幼なじみの彼は、柔らかく、でも逆らいがたい力で僕の腕を引いた。
 よろけそうになって、彼の左肩に右手をかける。

「危ないじゃないですか」

 抗議の声をあげると、シュミットの顔が一瞬、辛そうに歪んだ。
 その意味を理解しかねて、僕は視線だけで不審を伝える。
 シュミットの、形のいい指が僕の頬に触れた。

「……そう、危ない」

 呟いて、彼の指は滑る。
 親指が、僕の唇をなぞる。
 その感触にゾクリとして、僕は彼の手を振り払った。

「シュミット! …何なんですか?」

 腕は未だ、シュミットの手の中だった。
 シュミットは顔を伏せる。

「…ごめん」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で。
 それは、僕に向かっての謝罪?
 何に対しての謝罪?
 貴方らしくもない。

「ごめんな、エーリッヒ…!」

 辛そうな声で繰り返す、シュミットの真意が測りかねて、僕はその場に膝をついた。
 端正な顔を下から覗き込めば、ぶつかった紫の視線は儚げに揺れていた。
 透明度の高い瞳の中に、僕が居た。
 あの人の色とは違う。
 でも、似ていると思った。

「なにを、謝るんですか?」

 僕が笑っても、シュミットはなおさらに表情を歪ませるだけだった。
 判らない。
 どうして、そんな顔をするのか。
 どうして、謝るのか。


「この手を、離さなければ良かったのに」


 ぎっ、と軋むような音が聞こえた気がした。
 彼に掴まれている腕が悲鳴をあげたような。
 それだけ、強い力を、シュミットは手に込めていた。

「痛い…っ!」

 たまらず声をあげても、シュミットは力を緩めようとはしてくれなかった。
 そのくせ、僕を見つめる瞳は辛そうに、悲しそうに。
 そのアンバランスさが、妙なほどに危険な匂いを僕に感じさせた。
 逃げなければ。
 野生の勘が僕に訴える。警報が激しく頭の中で鳴り響く。
 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。
 なのに、脚は言うことを聞いてくれなかった。
 脚だけじゃない。体中、彼の瞳に竦んでしまって、動くことができなかった。
 シュミットは僕をベッドへと突き飛ばした。
 スプリングのきいたベッドに投げ出されて、身を起こす前に、身体に人の体重を感じた。
 見下ろしてくるのは、紫色の瞳。
 奥の方に、あの人と同じ、獣の光。
 これからなにをされるか、僕は瞬時に察した。
 以前なら。
 彼も男で、僕も男で。
 多分、こんな危険は感じ取れなかった。
 あの人が、僕に教えた。
 気が付けないと、どうなるか。

「シュミット…ッ!!!」

 必死でシュミットの体を押し戻そうとしても、彼の体はびくともしなかった。
 両手は纏めて頭上に上げられ、僕のベルトで縛り上げられた。
 身体を捩っても、シュミットが馬乗りになった状態ではどうしようもない。
 ばたばたと両脚でもがいても、それは無駄な抵抗だった。
 器用な指先がボタンを外し、僕のシャツの前がはだけられる。
 僕は目を瞑った。
 ほんの数十分前に、あの人が僕につけた痕が、今、シュミットの目の前にさらけ出されている。
 そのことに、羞恥よりも恐怖があった。

 あの人との関係が。
 壊れてしまう。
 それが恐くて。
 なによりも恐くて。

「……み、な…ぃ…でっ…」

 掠れた声が、喉の奥で絡まった。

「………喰い荒らされて…」

 微か、シュミットは確かそう呟いた。
 自分のものでない指が、自分の身体を滑っていく。
 嫌だ。
 鎖骨から胸へ、胸から脇腹へ、脇腹から内股へ。
 シュミットの指の動きは、あの人のそれによく似ていた。
 あの人が攻める場所……、僕の弱い場所を、まるで知っているようになぞっていく。

「…あっ、…ぅ、んッ…!」

 声を、抑えることが出来なかった。
 どうして。
 どうして、知っている。
 あの人しか知らない。
 知らないはずの。
 ……僕の躰を。

 犯されているのは、僕だった。
 犯しているのは、シュミットだった。
 なのに。
 シュミットの方が。
 今にも自殺しそうなくらい、悲壮な表情をしていた。
 ごめん、ごめんと、譫言のように呟いて。
 あの時、お前を行かせなかったら。この手を離さなかったらと。
 過ぎ去った日を懐古して、後悔して。
 僕を一足先に日本に送り込んだことを悔やむ。

 そんな顔をするくらいなら。

 抱カナケレバイイノニ。






 前々から欲しいと思ってたモン、手に入れたらお前はどうする?






 耳の奥で、声が聞こえた。


 ───ああ。




 前々から欲しいと思っていたモノを。
 玩具を。
 手に入れたら。








 そんなモノは、もう要らない。








 届かないから欲しいのだ。
 届かないから求めるのだ。
 届かないから。
 届かないから。
 手に入れてしまえば、さんざん弄んで壊して、そして捨ててしまうだけ。







 俺だけのモノになるなよ、エーリッヒ。







 声が、聞こえた。







「──カ、ル──」




 そうして僕は、あの人だけのモノではなくなる。




 部屋には、コーヒーの匂いが満ちていた。


                                    続き。


 …御免なさい。カルエリは時々病的なほど書きたくなるのです。

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