瞼の上から強くさす光で、エーリッヒは覚醒した。
ゆっくりと目を開く。南の窓際にピッタリ着けられたベッドに、さんさんと陽の光が降り注いでいた。それが、
白いシーツに反射して、とても眩しい。
ぼんやりした頭で、窓の外の高い青空を見上げ、いい天気だと思う。
それから、朝、なんて言う時間じゃないだろうということも思う。
…それから、やっと、自分の部屋のベッドは、窓際にはないことに思い当たった。
ぱち、とひとつ大きく瞬きして、エーリッヒはがばっと起きあがった。
「つッ…!」
途端、腰に鈍痛が走る。
その痛みに耐えられなくて、エーリッヒはぽふん、と再びベッドに沈んだ。
白いシーツ、白い天井、黒いベッドヘッド。
それらは、自分の部屋のものじゃない。
何も纏わない身体に、さらさらのシーツの感触が心地いい。
綺麗にされている自分の身体も、ベッドも、昨日汚れたばかり。
ゆっくりと首を巡らして、人気のない部屋を見回す。
「……せんせ…?」
小さく呼んだ声に返答がないことに、安堵した。
10秒程度、目を閉じた後、ゆっくりと開く。
寝不足のせいか、気を抜けば頭がガクリと垂れてしまいそうになる。
PCのディスプレイを見つめる紫の瞳は、そのように不安定だった。
一向に進まない作業に苛立ちを感じ、シュミットは左手で目を覆い、椅子の背もたれにもたれて溜め息をついた。
部屋に残してきた少年のことが、気にかかっている。
自分のことが嫌いだという、綺麗な少年。
…以外とショックを受けているのかもしれない。
見栄を張れない状態で、「嫌い」と言われたこと。
あの少年が何度も自分のことを嫌いだというのを聞いていても、実感が湧かなかった。
特に、昨日みたいに…、誘われては。
嫌いだという言葉は、彼の表面的な嘘だと思っていた。
だけれど。
泣きながら、受け入れながら、嫌いだと言い切られた。
それでは、彼の言っていたことは本当で。愛も何もない、肉体関係のみの中で、彼は生きていくことを承諾したの
かも知れない。
『飼われる』ことを良しとして、家に帰らないと言った。
シュミットもそれを、受け入れた。
僕は貴方のことが、嫌いだけれど好きです。
嘘吐き。
本当は、私のことが嫌いで嫌いで仕方がないクセに。
下らない嫉妬だと、シュミットは思っていた。
自分で、言ったのだから。「私を利用すればいい」と。
エーリッヒはその言葉に従っただけで、彼に罪などない。恨むなんて、お門違いも良いところだ。
なのに、刺々しくなる自分が消えない。
自分の部屋のベッドで、眠っているであろう少年が憎くて仕方がない。
シュミットには、今日、家に帰って彼と顔を合わせたとき、彼に優しい言葉を掛けてやれる自信がなかった。
優しい言葉も優しい態度も、どこかで彼を他人と意識している証拠。
「遅い」
エーリッヒはテーブルに突っ伏したまま、ぽつりと呟いた。
冷蔵庫の中にはほとんど食べ物はなかった。台所を調べても、紅茶やコーヒー豆以外発見できない。
…あの男は一体何を食べて生きているんだろう。
必要以上に片付いた部屋を見ていて、本当にここに大学生の男が一人で暮らしているのか、疑問に思う。
生活感がないと言っていい部屋。
空っぽの花瓶。
あの花瓶に、一度でも華が挿されたことはあるのだろうか。
エーリッヒはそっと、窓際に置いてあった青い陶器の花瓶を手に取った。
「…お前も一人。僕も一人」
花の飾られない花瓶。
存在意義の見つからない花瓶。
飾り物の自分。
存在意義を殺してきた自分。
「………………………先生、」
傍にいるなんて、ウソツキ。
貴方など、要らない。
僕は一人でも生きていける。
テーブルの上に、花瓶を置く。
そうして、エーリッヒは部屋を出ていった。
「……先生…」
マンションの玄関口で、エーリッヒは立ち止まった。
自分を睥睨してくる、紫の瞳に体が竦む。
「こんな時間に、何処へ行く気だ?」
感情の宿らない瞳。いや、宿りすぎて何もかもが嘘に見える瞳。
エーリッヒの背に、ゾクリと悪寒が走った。
「…どこだって、いいでしょう? 貴方には関係ない」
「………ふぅん?」
ドアのガラスに細い身体を押しつけ、シュミットはエーリッヒの唇を奪った。
「んっ…!」
乱暴な口付けで、意識を掻き乱される。
昨日の夜教え込まれたばかりの身体は、敏感に反応する。
嫌だと言えなくて、エーリッヒはズルズルとその場に崩れた。
その身体を抱え上げると、シュミットは暗証番号を押してドアを開け、自分の部屋へと足を向ける。
「……先生、酔ってるでしょう」
力の入らない身体を預けながら、エーリッヒはシュミットを睨み上げた。
紫の瞳はエーリッヒの方は向かない。
「どうだろうね」
「酒臭かったです」
「…さっきのキス?」
「…………………」
縋り付いたシュミットの服からは、微かに女物の香水の匂いがする。
甘すぎて、クラクラする。
「……………………嫌い」
「知ってるよ」
自分の部屋に帰り着くと、シュミットはエーリッヒをソファの上に下ろした。
そして、そのままエーリッヒに覆い被さって、青い瞳を覗き込む。
「私も、お前が嫌いだ」
瞬間、びくりとエーリッヒの身体が震えた。
静かな微笑みを浮かべて、シュミットはエーリッヒを見ていた。
「嫌いだよ、お前なんか。自分勝手で我が儘で、ヒネクレてて嘘吐きだ。嫌いだよ」
「…先生だって、自分勝手じゃないですか。ウソツキじゃないですか。意地悪で性格歪んでるじゃないですか。
僕だって貴方が嫌いだ。大嫌いだ」
「…そうかもね。それで、嫌いだから何?」
「何、って…」
「私はお前が嫌いなんだよ。だから、意地悪をしている。こうやって、お前の嫌いなモノをお前の目の前に置くことで」
ずい、と迫った顔に、エーリッヒは反射的に目を閉じた。
くすくす、からかうように笑って、シュミットはエーリッヒの唇を舐めて、軽く噛んだ。
余裕の笑みで、自分を壊して。
欠片の隙間から入り込んで、支配していく。
嫌い、嫌い、嫌い。
だから、僕の中でこれ以上大きくならないで。
「……嫌い。大嫌いだ、先生なんて」
「ああ、私もお前が嫌いだよ。正直に言うとね」
「嫌い…」
「嫌い」
もう一度優しく唇をあわせて、離すことなく、二人は眠りに落ちた。
……………………………………………………好き。
モドル 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 … ご意見ご感想
なんかそういう愛情表現。