ブレットは、別に俺には関係のないことだけど、と言った。

「学長が八方手尽くして孫を捜してるって話だぜ? お前の家に、電話でもなかったのか?」
「私はほとんど家に帰らなかったし。…エーリッヒ、どうだった?」
「5回くらいありましたけど」

 …相手が自分を探している連中だと知って、全部無視したことを思いだした。

「そろそろ人間が直接乗り込んでくるかもな。…不用意な真似するんじゃない」

 のこのこ出歩くな。
 ブレットが言葉の裏で注意してくる。
 エーリッヒが、それを聞いて笑った。

「…乗り込んでくる? 乗り込んできて、どうするって言うんでしょうね。連れ帰られても、また僕は逃げ出しますよ。
 何度でも、逃げ出します。…彼らが僕を束縛することを、諦めるまで」

 自由になれるまで。

「何度でも逃げ出せるつもりなのなら、一度帰れ」

 ブレットが、エーリッヒの言葉尻にかぶせるように言い放つ。
 はっとして、ブレットを睨み返すエーリッヒに、噛んで言い聴かせるようにブレットは言葉を続けた。

「お前は、そいつが好きなんだろ? このままじゃ、その男にまで迷惑がかかるぜ。誰が何と言おうと、
 …例えお前が庇おうと、他の連中はシュミットがお前を誑かしたと思うだろうからな」 

 エーリッヒはまだほんの子供だ。
 本人がどれだけしっかりしていようと、どれだけ自分の信念を持っていようと、周りの人間はシュミットに
上手く言いくるめられ、連れ去られたと思うだろう。
 エーリッヒがどれだけ自分の意志だったと主張したところで、聞き入れて貰えないだろう。
 エーリッヒが、まだほんの14才の子供だから。
 俯いたエーリッヒの肩を、シュミットはふいに抱き寄せた。

「…私は別に構わない。エーリッヒが帰りたくないと言うのなら、私のところにいればいい。迷惑だなどと、思わないから」

 彼が居ることで何らかの火の粉が降りかかったとしても。
 この少年を手元に置けるのならば、それも安いものだと思った。
 エーリッヒは暫く黙っていたが、ふと顔をあげた。

「…帰ります」

 真っ直ぐに前を見つめる青い瞳を、ブレットは見た。
 彼には知る由もなかったが、それは今までのエーリッヒの目には認められなかった一種の光を宿していた。
 抱かれていた腕からするりと抜け出し、エーリッヒはシュミットから5mほど離れたところで振り返った。

「…先生、また、教えに来てくれますか?」

 笑いながら。

「それを、お前が望むのなら」

 だから、笑いながら。
 牽制するような鋭い視線の中には、慈愛という名のあたたかさが含まれていた。




 先生。
 認めます。
 僕も、貴方が好きです。


 歌わない小鳥は鳥篭へと帰っていった。
 けれど、扉を開ける鍵を手に入れた。







「…莫迦だな、お前」

 小さくなっていく背中を見送りながら、ブレットは呟いた。

「そう思う、お前の方が莫迦なんじゃないのか?」

 さらりと言う。透明感の高い紫の瞳は愛しい者の姿を追っている。
 ブレットは肩を竦めた。
 厄介事を嫌っていた悪友は、この一ヶ月でその性格を166°くらい変えた。自分から厄介事に首を
突っ込んだり、他人のために自分の時間を浪費したり、酒に溺れてみたり。 およそ、冷静沈着という
言葉を恣(ほしいまま)にするこの青年らしくない。
 微かに風が吹く。生ぬるい風。肌にまとわりつく。
 それは変化を知らせるものではなく。
 来(きた)るべきなにかの訪れを表す。


 冷たい風はもう吹かない。


 モドル                    10  11  12  13 …  ご意見ご感想


 裏小説的スランプ中。